第三章 部曲と盗賊
―――ここは徐州琅邪国の海曲県。
修たちが舂陵郷でのうのうとしていた頃、東の海に面した、この田舎の県の役所にて騒ぎが起こっていた。
なんと、海賊集団が県の役所を襲撃していたのである。
当時の海賊たちは、海上の小さい島々を拠点にしていて、船で素早く海上を移動し、陸地に近い町や村を襲っては、食料金品の類から婦女に至るまでを略奪して、官憲が来る前に急いで海上に逃れるという方法で稼業するのが普通であった。
それなのに、どうしてこの海賊たちは、別に襲っても大した金品もない、片田舎の県の役所などを襲っているのであろうか。
それは、この海賊集団を率いている、一人の老女のためであった。
海賊たちから「将軍」と呼ばれているこの老女は、もともとは海曲県の呂家という豪族に嫁いでいた女性であった。夫に先立たれた後、彼女が一人で家を切り盛りしていたため、地元の人々は、彼女のことを「呂母(呂家のおっかさん)」と呼んでいたのである。
ところが今を遡ること数年前のある日、県の下級役人をしていた彼女の息子の呂育が、些細な罪を理由に県宰(*注)の杜先によって処刑されてしまった。
女だてら、家の当主をしている呂母はたくましい女性であったが、自分の一人息子を甘やかしていたようである。息子可愛さのあまり、彼女は息子がちょっとした罪を犯しても、その度に役人たちに賄賂を渡し、息子の罪をもみ消しにして貰っていた。そのため、今回もそれで許してもらえるとばかり思っていたのだ。
だが、今度ばかりは運が悪かった。その息子・呂育とやらが犯した罪は、どうやら女が絡むことだったらしく、しかも県宰・杜先がその女を我が物にしようと考えていた最中に問題が起こったようであった。
また、聖人気取りの皇帝・王莽が、自身の「仁政」ぶりを示すために、しきりに恩赦令ばかり出していたため、役人たちがちょっとした罪を犯した人間をいくら逮捕しても、またすぐ恩赦で釈放という形で逃げられる、という現象が起きていたこともあって、役人たちの苛立ちは頂点に達していた。
そのため、呂母の息子は、県宰たちの私的な鬱憤晴らしも同然に、斬られてしまったのである。
一人息子を殺された呂母は、嘆き悲しんだ挙句、県宰への復讐を思い立った。そして、密かに協力者を募った。
まずは、県内の悪少年(まともな職に就いていない若者)たちを家に招待し、ただで酒を飲ませ、衣服や金品など、様々な贈り物をして、彼らを手懐けた。数年経って、財産がほぼ尽きたところで、呂母は悪少年たちに、「復讐計画」を告げたのである。
悪少年たちは呂母にお世話になった礼を返したいこともあって、ただちに仲間を集め始めた。だが、危うく県宰側にことが漏れかけたため、呂母は残っていた全財産を担いで、悪少年たちの知り合いであった海賊集団に従い、海に逃れた。
さらに数年経ち、いつの間にか一万人にまで膨れ上がっていた海賊集団の「将軍」となっていた呂母は、ついに念願の、息子の仇打ち作戦を実行に移した。
田舎の小さい役所など、一万人超の海賊に襲われれば、もはやどうしようもない。
海賊たちは役所を攻め落とし、ついに県宰の杜先を生け捕りにし、呂母はこれを斬った。
そして彼女は、殺した県宰の首を、我が子の墓前に供えた。
これによって、老女・呂母は息子の仇打ちを果たしたのである。その三ヵ月後、彼女は自分の役目は果たしたと言わんばかりに、この世を去った。
この一連の騒動を、後世の歴史家たちは、「呂母の乱」と呼んでいる。
だが、政治的意識も何も持っていない、この老いたる老女が単なる私怨で起こした事件が、事件当事者たる呂母本人の意向とは関係なく、彼女の死後に中原全土を覆い尽くす大乱の引き金になるなど、予想する人間は誰もいなかった。
*
―――こちらは打って変わって、舂陵郷。
修は現在、秀児や伯升とともに、劉嘉の館の近くにいた。
そこで何をしているのかと言うと、鍛練である。それも、大勢の土まみれの男たちと一緒に。
「ウオラァ!! もっと声出せ、声!! 貴様ら、もっとでかい声出さんか―!!」
先頭に立つ伯升が怒声を張り上げる。それに応えるべく、男たちが、
「ウオォ!」
と、鬨の声を上げた。彼らは矛代わりの長い棒を手に、「突き」の練習をしていた。そんな男たちと一緒に、修と秀児も訓練に励んでいたのである。
どうして伯升が、劉嘉こと春萌の館の傍で、練兵まがいなことをしているのであろうか。
それは、数日前に修たちが春萌の元に届けた書簡に由来するものであった。
先日の書簡の内容は、伯升が親戚である春萌に対し、金を工面してほしいという要請だったらしい。先日に修が経験した通り、伯升は任侠気取りで、その辺のゴロツキ連中を囲っては、しょっちゅう自宅で宴会などを開いていた。そのため、仮にも「漢王朝の皇帝の末裔」出身の豪族の身分でありながら、他の豪族たちのように、奴婢を買ったり、あるいは小作人に貸すための土地や鉄器、牛馬などを買うためのお金もないほど貧乏だったのである。だから、秀児自ら畑を耕して、なんとか生計を立てようとしていたのだが、肝心の伯升は、ちっとも働かなかった。
そればかりか、つい先日に農作業中だったときには、自分を漢の高祖・劉邦に例え、懸命に働く秀児を見て、
「お前は仲(劉邦の兄)みたいなヤツだ」
とそしって、笑ったのである。その場では、修にはよくわからなかったが、あとで秀児が教えてくれた。
「僕たちのご先祖様こと、高祖・劉邦さまは、若い時は札付きの怠け者で、酒もタダ飲み、酔っ払っては裸踊りという有り様だったんだよ。金持ちの呂家(呂后の実家)の宴会に来た時なんか、一銭も持ってないくせに、「賀銭万(一万千納める)」って書いて堂々と上座に座ったほどだよ。そんな男だったのに、最後は西楚覇王・項羽を倒して、天下を取ったんだ。逆に兄の劉仲は、若い時は真面目で働き者だったけど、結局ただそれだけの人物で終わったんだ」
こんな訳なので、秀児が懸命に働いても、伯升が飲みつぶしてしまうだ。秀児は本当に苦労人である。
そのため、劉伯升兄弟は、春萌の援助を頼んだのだが、春萌にしてみれば、いくら血のつながった親戚であるとはいえ、ただで銭を貸すわけにはいかない。
いつの世も、「働かざるは食うべからず」である。
そこで春萌は、銭を貸す条件として、しばらくの間、彼女の家の部曲を伯升直々に鍛練してほしいと、要請した。
部曲というのは、豪族たちが荘園や自分の屋敷を流賊から守るためにたくわえている私兵集団のことだ。兵というのは名ばかりで、その実質は、頼るべき土地を持たなかったり、借金が返せないなどの理由で、豪族たちのもとで居候せざるをえないような人間たちである。
土地に頼って生きていける良民(庶民)と違い、彼らは豪族の庇護無くして生きることはできない。むろん、ただ飯を食うわけにはいかないので、主たる豪族たちや、その荘園を外敵から守る仕事に就かざるを得ないのだ。
そういうわけで、豪族の私兵というのは、奴婢に毛が生えた程度のものであった。だから、日々の鍛錬が必要なのである。
「よーし、しばらく休憩だ!」
何時間ものぶっ通しでの訓練で、皆がへとへとになりかけていたところで、頃合いを見た伯升が休憩を入れた。
これを聞いた春萌の家の部曲たちが、皆一斉に安堵の表情を浮かべる。全員、汗だくだくで、本当にしんどそうである。
だが、どんなに疲れて倒れそうであっても、一人の少年のそれに及んだ者はいなかった。
「もうダメだ……!」
真っ先に、地べたに大の字になって倒れたのは、やはり修であった。彼は都会っ子で、しかも根っからの帰宅部であった。修は現在、今まで運動系の部活に入っていなかったことを後悔した。
「畜生……」
立ち上がろうにも、足腰に力が入らない。どうすることもできない。そう思った時だ。
「修くん!」
慌てて秀児が助けに入った。彼も修同様、汗だくであったが、日頃から鍛えられているのか、疲れている様子はなく、そのまま修の方へと駆け寄った。
「ほら、水だよ」
そう言って、水の入った竹筒の水筒をよこした。修はそれを掴むと、寝転がったまま飲んだ。冷たい水が、喉を通って、それが体中に広がるような感じがした。だが、おかげで生き返った。
「あ、ありがとう……」
ようやく、修は己の上体を起こすことができた。
「生き返ったよ」
「あはは。修くんは大げさだね」
秀児は笑っているが、修には笑えないことである。なにしろ、本当に死ぬかと思ったからだ。
「おい、秀児は平気なのか?」
彼は聞いた。見たところ、秀児も汗だくである。おまけに、風で舞った土埃が、顔にもかかっているのが見えた。
「大丈夫だよ、これくらい」
秀児は笑いながら答えたが、修はつい気になってしまった。
「お前、汗と土でひどい顔じゃねえか」
そう言って修は、自分の肩にかけていた手ぬぐいをとると、それで秀児の顔を拭き始めたのである。
「ほらよ、拭いてやるよ」
彼にしてみれば、お礼返しのつもりであった。
だが、秀児は慌てて身を放したのである。
「わ!?」
そう言って、彼は何故か恥ずかしそうに、手をモジモジとさせた。気のせいか、頬が赤らんでいるように見えた。
「どうした?」
「ううん。そんなの、僕が自分でやるからいいよ。子どもじゃないし……」
やはり、何かがおかしい。修にはそう思えてならなかったが、それが何かは、彼にはわからなかった。
「そ、それより!」
不意に、秀児が話をはぐらかした。
「大変でしょ? この訓練は」
「これを大変と言わないで、何を大変と言うんだ?」
修の言うとおりである。それだけ、しんどい特訓だったのだ。
「あはは、それはそうだね」
苦笑いしながら、秀児が言った。
「でもね、これを皆できちんとやっておかないと、いつ何が起こるかわからないからね」
「何かって、例えば、盗賊とかのことか?」
修は聞いた。そう言えば以前、この近くに群盗が出没しているということは聞いている。
「うん。そうだよ。特に、ここからそう遠くない所にある、『緑林山』の盗賊は恐ろしいからね。前も言ったけど、ついこの間には荊州牧が率いる二万人の討伐軍が、雲杜というところで、わずか数千人の『緑林軍』に大敗して、何千人も殺されたばかりか、携えていた兵糧、輜重車から武器までもことごとく奪われたほどだよ」
「なんだよ、それ。だっらしねえな」
修は憤った。国を乱す盗賊を討伐できないばかりか、逆に盗賊に餌を与えたに等しいのである。これでは、何のための朝廷であろうか。
(なんか、三国志の『黄巾の乱』みたいだな)
修はふと、昔やった「三国志」系のゲームの記憶を掘り起こして、そう思った。
「それにしても、なんで盗賊なんているんだ? 普通に畑耕して暮らせばいいじゃねえか」
憤りが収まらない修は、そう口走った。すると、途端に秀児が表情を曇らせた。
「ん、どうした。秀児?」
訝しく思った修は聞いた。すると、秀児は声を潜めながら答えた。
「あのね、修くん。どうして盗賊なんかが出ると思う?」
「えっ?」
修は戸惑った。何故なら、わからないからだ。彼は一応、「三国志」のファンではあったが、ゲームや漫画で見ただけであり、しかもそこに登場する英雄豪傑たちの勇姿ばかりを見ていたため、一般人の暮らしぶりなどが描かれているのをよく見ていなかったのである。まして、「三国志」の時代でもないこの世界のことなど、知る由もないのだ。
「それはね……」
悩んでいる修を見て、秀児が説明し始めた。気のせいか、彼の表情は悲しそうに見えた。
「皆、貧しいからだよ」
「え?」
「貧しすぎて、生活が成り立たないからなんだ。皆、もともとはただの平和な農民で、自分の畑を持っていて、それを自分で耕して、作物を育てて、そして収穫して、それを食べて、家族と団欒して。そんな風に暮らしている、普通の人たちだったんだ。けどね……」
一旦息を継いだ後、秀児は続けた。
「数年前、この辺り一帯でも飢饉が起こったんだ。日照りが続き、作物は枯れ、わずかに残ったモノも、秋に発生した蝗に食べつくされる。だから飢えて死んだ人も多かったんだよ」
「しかも、そんな状況なのに、お上はバカのように税金を取り立てたんだ。『古の聖代はこうだった』とか、わけのわからないことを言って。そのくせ、飢饉に対する対策は、『恩赦令を出して天に己の徳を見せつける』以外には、何もしないんだ。そうなると皆、自分の土地を売って、どこかに行くしかなくなるんだよ」
「その人たちって、まさか」
修が口を挟もうとしたが、なぜか秀児は静止させた。
「おっと、早とちりはよくないよ。土地を売った人がどこへ行くかは、二つだけなんだ」
そう前置きしたうえで、秀児は「その二つ」について語った。
「一つは、僕たちのような、『豪族』の元で働く。ここにいる、小作人の人たちや、部曲の人たちみたいにね。そして、それがイヤなら……」
「盗賊になって、ほかの人間を襲う、か……」
理解した修が、答えを言った。
「そう、その通りだよ……。おかしい話だよね。元はと言えば、皆、同じ人間だというのに……」
そう言う秀児の姿は、なんとなく悲しげに浸っているかに見えた。
「秀児……」
「あ、ゴメンね。こんな悲しい話しちゃって……」
修が声をかけると、秀児は悪戯っぽく舌を出して作り笑いをした。
「いや、いいんだ。おかげで、俺、全然知らないことを知ることができたし。ありがとな」
修はそう言って、最後に感謝の一言を言った。
「さてと」
やがて秀児は、立ち上がると、棒を手にして用意を始めた。
「そろそろ『後半』が始まるから、用意しないとダメだよ?」
そう言って自分の位置に戻っていく秀児。
「あぁ……、って、後半!?」
修は声を荒げた。聞いていないと言わんばかりである。
「そ、そんなの聞いてね……!?」
「オラァ! 休憩は終わりだ!!」
突然、伯升の大声が一帯に響き渡った。それを聞いた部曲たちが、慌てて元の配置に着く。
「ちょっ、まっ……うわ!?」
慌てて立ち上がろうとした修は、その場で転倒してしまった。当然、伯升にそれを見られていた。
「貴様! 何をしてるかァ!? 早く立たんかァ!!」
「は、はい!?」
こうして、訓練の第二部が幕を開けた。
むろん、訓練が終了したとき、修が半死半生だったことは、言うまでもないことであった。
(*注)
・県宰
県の統治を担当する長官のこと。一般的には「県令」の名称の方が有名だが、「改名マニア」の王莽は、前漢時代からの官職などの名称を改め、「県令」を「県宰」に改名した。