第十三章 小さき巨人、起つ
長らくお待たせした上、ややこしいことをして、本当に申し訳ございません!
これからも、よろしくお願いいたします!
―――新野の鄧晨邸
修と秀児の二人が鄧一家の家族入りを果たして二週間目。
その日の昼のこと。秀児は一人で、彼女宛てに届いた一通の書簡に目を通していた。
その書簡は、秀児の叔父の劉良の家から届いたもので、送り主は、彼女の妹の伯姫こと、絲児華だった。
ずしりと重たい竹簡に書かれたその「手紙」は、重さの割には、あまり大した内容ではなかった。
「あの、『親不孝者』は、相変わらず、ぐうたらしてやがるのです!」
「私や叔父上様や、お母様、仲兄様の迷惑も考えずに、いったい、何考えてやがるのですか!?」
「あまりにもむかついたから、先日、『特別料理』」をご馳走してやったのです!」
などと、とにかく劉伯升への不満と愚痴ばかりが書き綴られていた。
「あはは、相変わらずだな。縯兄様は……」
妹からの手紙を読みながら、秀児は苦笑いを浮かべた。
現在、この場にいないにも拘らず、兄・伯升の姿が生々しく浮かんできてしまうのである。まったく恐ろしいことだ、と彼女は思わずにはいられなかった。
そんなこんなで、ときには苦笑し、ときには安心の表情を浮かべつつ、我が妹の「愚痴文集」を読んでいた秀児であったが、その長々と書き綴られた手紙の終盤の所で、ふと手を止めた。
それは、短く、しかし簡潔に書かれていた。
「言い忘れるところでしたが、縯兄様は、『近いうちにそっちに行くから、それまで、『陳勝と呉広』の昔話でもして待ってろ』とか、訳のわからないことを言ってやがったのです。『陳勝・呉広』って、いったい誰なのです!? 秀姉様は、何か知ってやがるのですか?」
「なるほど……」
読み終えたところで、秀児は思わず独り言を呟きそうになったが、すぐに言葉を呑みこんだ。そして、兄の暗号めいたこの伝言を、落ち着いて頭の中で整理した。
(つまり、縯兄様は、かつての「陳勝と呉広」の故事に倣うつもりだな)
それなりに学識のある彼女は、我が兄の意図を、瞬時に理解した。
陳勝と呉広というのは、およそ二百年前の秦末期に、反秦の農民反乱を起こした首謀者たちの名前である。
彼らが起こした農民反乱は、「陳勝・呉広の乱」と後世の史家から呼ばれ、これは歴史的にも重大な事件の一つとして数え上げられている。
極貧の農夫出身だった陳勝と呉広が突発的に起こしたこの反乱は、当時の秦王朝の悪政もあって、まるで燎原の火の如く中原一帯に広がり、一時は兵数・数十万もの大勢力に膨れ上がった。
ついには、首謀者である陳勝自身が「張楚王」に就き、秦にとって代わる新しい王朝の時代が始まるのではないか、と思われたほどだった。
だが、相手はかの「始皇帝」が築き上げた「大秦帝国」である。
次第に態勢を立て直した秦軍の反撃が始まり、逆に陳勝・呉広たちの陣営では、急速に大きな勢力になりすぎた故に、組織の内部分裂が顕著となり始めた。
ことに、王となった陳勝は極めて傲慢となり、くだらないことで人を殺すなど、やりたい放題だったという。
そんな組織が長続きするはずもなく、反乱軍は次第に秦軍相手に連戦連敗を重ねるようになり、その最中にまず、呉広が組織の内部争いで殺されてしまった。そしてついには陳勝自ら秦軍と戦って敗れ、彼は逃走中に御者によって殺害され、首級を取られたのである。
こうして「陳勝・呉広の乱」自体は、挙兵からわずか一年あまりで幕を閉じた。
だが、一度着いた火は、簡単には消えなかった。
陳勝たちは呆気なく敗れ去ったが、彼らの起こした「反秦」の反乱は、旧楚国の軍人出身の項梁という男によって受け継がれた。
そして、その項梁の戦死後、「反秦」の戦いの主役となった人物たちこそ、かの「西楚覇王・項羽」と「漢の高祖・劉邦」である。
特に、劉邦は秀児にとっては直接のご先祖様に当たる。そして、伯升が今まさに、「真似」しようとしている人物にほかならない。
(つまり縯兄様は、この中原に、かつての「陳勝・呉広の乱」に匹敵する農民反乱が起こるのに乗じて、「打倒王莽!」の兵を挙げるつもりか……)
そこまで思い至った時、秀児はやれやれと言わんばかりに、溜め息をついた。
(せこいと言ったらせこいけど、まあ、僕たち豪族だけで兵を挙げるよりは……)
確かにその通りであった。豪族のような「特権階級」の力だけでは、国家を相手にするには、あまりに非力なことは、過去の「安衆侯劉崇の乱」や「翟義の乱」の失敗ですでに証明されていることである。
だが、怒れる庶民の力は、舐めてはいけない。豪族・貴族のような裕福な人間と違い、生きるか死ぬかの生活がかかっている庶民の力は、一度火がつけば、簡単には消しとめることができない。むろん、秀児はそんな修羅場を経験したことはないが、古の文献をちょっと読むだけでも、その恐ろしさは、ひしひしと伝わってくるものである。
なるほど、たしかに「陳勝・呉広の乱」にも匹敵する農民反乱が起これば、それに乗じて「憎き王莽」の王朝を打倒することもできるであろう。
しかし、秀児はふと思いつめた。
(そんな都合のいいことが、簡単に起こるのかな?)
その通りである。高祖・劉邦が漢王朝を建国して以来、この中原には、「陳勝・呉広の乱」に匹敵する大規模な農民反乱は、一回も起こっていない。
中原の人々にとって、すでに「戦争」という行為自体が、北の匈奴や、西の西羌族といった遊牧民族相手にやるものであるという認識の時代となっている。
かの王莽が漢王朝を乗っ取った時でさえ、戦争らしい戦争は無かった。
もっとも大きな戦闘行為が、先述した「翟義の乱」であったが、何度も言うように、これは「特権階級」の反乱であり、その「反王莽軍」の勢力も、せいぜい十数万に過ぎず、しかもわずか半年も満たないうちに完全に鎮圧され、その後、反王莽の旗を挙げる者なし、という結果を残しただけである。これはとうてい、戦争とは呼べない。
そして、王莽が天下を取って十四年以上経過している現在、確かに政治は悪化してきてはいるが、それでも、大規模な農民反乱が起こる兆候はなかった。
(念のために言っておくが、秀児は長安留学時代、学費を稼ぐために、茶柳たちと「商人のものまね」をしたこともあって、情報には詳しいつもりでいる。街に出かけた時など、すぐに商人と会話し、何気無い世間話をしつつ、情報交換をしたし、留学を終えて、この南陽に帰って来た後も、修と出会った後も、それは変わっていなかった)
もっとも身近だったのは、彼女の兄こと伯升が手を組むと言っている「緑林軍」だが、現在は疫病で兵数が半減したあげく、部隊を分けて流浪中とのことである。このような「盗賊集団」が、庶民を代表する農民反乱を起こせるとは、とうてい思えない。
全国各地には、小さくて数百、多くて一万人規模の流賊集団が点在すると聞くが、聞いた話では、どれも百姓一揆に毛が生えた程度の存在だという。
(まあ、もっとも。できたら何も起こらずに、平穏に過ぎて欲しいな……)
思索にふけった後、秀児は一人そう願った。
だが、悲しいかな。彼女の意に反して、平穏な時代は、間もなく終曲を迎えるのである。
*
―――兗州泰山の麓にある、樊崇・徐次子たちの連合軍の陣地
修と秀児の二人が、新野で平穏な二週間を過ごしていた間に、泰山の麓にある樊崇たちの流賊・難民集団では、大急ぎで即席の組織編成が行われた。
徐州琅邪出身の悪少年にして、元・呂母海賊集団の頭目であった徐次子は、この集団の参謀となって、懸命に組織作りに奔走したのである。
それは大変な仕事であった。ただでさえ食料が少なく、あまり長い時間はかけられない上に、首領である樊崇たちを始め、この集団の人間のほとんどが文盲のため、できるだけ簡単で分かりやすく、なおかつ統制のとれた組織にしなければならない。
骨の折れる仕事であったが、徐次子はその貧弱な脳みそを振り絞って、なんとかこの流民集団を、一つの組織とすることに成功した。
まず、組織である以上は「決まりごと」が必要である。
無法状態ほど恐ろしいものは無いが、かといって、難しすぎる法では、人々に理解してもらえない。
そこで徐次子は、かろうじてまともに文字の読み書きができる、元・獄吏の少女・徐宣との話し合いの末、誰にでもわかる「決まりごと」を作成した。
「みんな~、聞いてや~! 今日から新しい『決まりごと』が決まったからな~、みんなにも守って欲しいんや~!」
ほややんとした笑顔で、少女・徐宣はみんなの前で両手を広げながら、作ったばかりの「決まり事」を発表した。
「まず、一つな~。『(仲間内で)人を殺した者は死刑』。そしてもう一つはな~、『(仲間内で)人を傷つけた者は、その傷の程度に応じて償いをする』や~。みんな、ちゃんと守ってな~!」
彼女はそう言った。
・(仲間内で)人を殺した者は死刑
・(仲間内で)人を傷つけた者は、その傷の程度に応じて償いをする
このたった二カ条の「決まりごと」が、その後、この組織の唯一の「法」となったのである。
それは、二百年前の高祖・劉邦が、秦の都・咸陽に入場した際に出した「法三章(「人を殺せば死刑。人を傷つけたものは処罰。人の物を盗んだものは処罰」)」を元に作ったものであることは言うまでもない。
自分たち自身が「盗賊」である以上、最後の「人の物を盗んだものは処罰」の部分を抜き取っただけである。
(ああ、我ながら不安だ……。いくらなんでも、こんなんで本当にうまくいくのか?)
自分で決めておきながら、徐次子は不安のあまり、頭を押さえた。だが、いつまでもそうしてはいられない。
次に「階級」を決めた。
当時、軍での階級といえば、「~将軍」「~校尉」といったものがあった。
しかし、まったく無学なこの難民集団では、到底馴染みそうになかった。と、いうのも、当時の軍隊の階級自体が複雑すぎる上に、庶民にはあまり馴染みがなかったからである。
困った徐次子は、現在、事実上の組織の頭目である少女・樊崇に聞いてみた。
「樊崇どの」
「なんだべ?」
「次に、この集団での階級を決めたいと思うのだが、樊崇どのは、皆から、いったい、何と呼ばれているんだ?」
「ああ! それならみんなは、おらのことを『三老』と呼んでくれるべ。おらぁ全然、そんな柄じゃないってのに、みんな、そう呼ぶっしょ」
「なるほど、『三老』か……」
徐次子は頷いた。
「三老」というのは、村で礼教のことを受け持つ長老のことである。だから、その役職に就く人間と言えば、名前の通り、文字の読める老人が思い浮かぶであろう。
樊崇本人が「そんな柄じゃない」と言う通りで、彼女のように文字も知らない小さな少女が就く役職ではないのだが、それにも拘らず、人々は彼女のことを「三老」の愛称で呼んでいた。
「よし、決まりだ」
徐次子はそう言うと、即席で作った「階級」について皆に説明した。
「それなら話が早い。これからも樊崇どのの愛称は、『三老』でいいだろう。そして、その下には『村役職』の名前を取って、『従事』『卒吏』にしよう」
彼はそう言った。「三老」「従事」「卒吏」はいずれも村での役職名で、どんなに貧しい人にとっても馴染み深いものであったし、なによりたったの三つなら覚えやすいものである。
「なるほど、たったの三つでいいんだべか」
「これなら、私たちも、他の皆も覚えやすいっしょ」
「せやな~。これは便利や~」
樊崇も、その右腕の少女・逢安、そして徐宣以下の「幹部」たちは皆、賛成した。
こうして、「階級」も決まった。
だが、それだけでは組織としては不十分である。組織と言うものは、常に敵が内部に潜んでくることを警戒しなければならない。たとえば「間者」などである。
そこで、徐次子は仲間内での「合言葉」を決めておこうと提案した。樊崇たちは、それに乗った。しかし、それにも一苦労で、なかなかいい案が出てこない。
「しかし、合言葉って、いったいどうすればいいんだべ?」
「徐次子のおっちゃん。なんか、いい考えはないん?」
「ああ、そうだな……」
考えた末に、徐次子は次のように提案してみた。
「仲間というのは、お互いに尊敬しなければいけないからな。いっそ、『巨人』と呼び合うのはどうだ?」
『おお~!』
少女たちは、手を叩いて喜んだ。
「なるほど、『巨人』だべか。うん、なかなかかっこいいべ。なあ、逢安、徐宣、楊音。おめえらはどう思うだべか?」
「私は賛成するっしょ」
「ウチもええと思うよ? ウチら全然『巨人』ちゃうくて、チビやけどな。音ちゃんはどうなん?」
「う、ウチは宣ちゃんがええ言うんなら、別に……」
「なら決まりだな」
こうして、合言葉は「巨人」に決定した。
なお、後世においては、この時の「巨人」というのは、「臣人」の語弊であるという説もある。だが、この物語では、あえて「巨人」でいきたいと思う。
それはともかくとして、なんとか組織としての体勢を整えたこの「小さき巨人」たちは、さっそく、食料を求めてどこかの県城を攻めることにした。
小さき「幹部」たちは、あれこれと意見を出し合ったが、結局、頭目である樊崇の鶴の一声で、徐州琅邪の莒県を攻めることとなった。
琅邪からやってきた徐次子たち、元・呂母海賊集団の面々にとっては、また来た道を逆戻りである。だが、彼らは口を挟むことができなかった。
なにしろ、仮にも組織の頭目は樊崇である。それに、彼女の「軍隊」に入らせてもらった以上、義理も生じるのだ。しばらくは、彼女に従った方がいいと、徐次子は判断し、部下たちにもそう呼び掛けた。
それに、莒県は小さな県城で、食料は言うほどないが、それを守る兵力も一千足らずと聞く。それに比べれば、こちらは二万人だ。
すぐに攻め落として、獲れるものを獲った後、また別の城に転進すれば問題なかろう。徐次子はそう考えた。
だが、世の中はそう甘くなかった。
樊崇・徐次子連合軍は、二万の兵力で莒県を攻めたが、二週間も包囲して、これを攻め落とすことができなかったのである。
そもそも、人数が多いだけで、攻城兵器の類は一切持ち合わせていない。その上、莒県の県城は予想以上に城壁の高さが高く、その守備兵も寡兵ながら、かなりの強敵だった。城門に一切敵を寄せ付けなかったばかりか、逆に打って出て、樊崇・徐次子連合軍を散々追い散らしたのである。
こうして、樊崇・徐次子連合軍は、収穫らしい収穫もなしに、再び泰山へと退却する羽目になったのであった。
*
さて、かつての「海賊」であった徐次子たちは泰山や徐州でこのようなことをしていたが、一方で、かつての「山賊」だった「緑林軍」はどうしていたのであろうか。そちらにも目を向けなければならない。
緑林軍は疫病で人口が半減し、全滅を免れるため、二手に分かれた上で塒にしていた緑林山を降りたが、そのうち、北の南陽郡へと向かった王鳳、王匡、朱鮪、馬武を筆頭とした「新市軍」は、その南陽の地において、緑林軍とは別系統の盗賊集団「平林軍」を吸収した。
これは、南陽郡に巣食っていた、千人規模の小さな盗賊集団で、陳牧、廖湛といった連中に率いられていたものだが、彼らは長いものには巻かれろと言わんばかりに、新市軍と合流したのである。
これによって、新市軍は戦力が著しく増強され、さらに戦意も上昇した。なにしろ、山を降りて以来、久しぶりに大勢の人間が参入したからである。それを嬉しく思わない方が、不思議であろう。
一方、長江に沿って南郡へと向かった王常、成丹、張卬たちの「下江軍」であったが、こちらでは、「平林軍」には遠く及ばないものの、新たに参入する者たちの姿があった。
「貴様たちか。この『下江軍』に入りたいと言うのは……」
下江軍の本陣にて、軍の首領である王常が、低く、それゆえに威厳のある声で言った。
現在、彼の前には、片膝を折って控えている、数十人の若き少年少女たちの姿があった。まだ若き若者たちを見て、王常はゆっくりと首を横に振ると、彼なりに気づかいの言葉をかけた。
「まあ、いい。別に止めはせん。だが、一度入れば、二度と抜けられん。後で後悔しても知らんぞ。それでもいいか?」
「構いません」
そう返答したのは、若者たちの先頭にいた、緑色の長い髪の少女であった。どうやら、彼女が若者たちの代表らしい。自慢の長い髪を頭の後ろで、赤い絹で括ったその少女は、真面目な顔つきのまま、言葉をつないだ。
「我々はすでに親も亡く、拠り所もありません。盗賊に身を窶した所で、誰にも迷惑はかかりません」
「そうか。だが、俺たちは仮にも賊だ。これから行く先々で、弱きものから襲い、奪い、そして殺すことになる。貴様たちにその覚悟はあるのか?」
「覚悟の上です。そもそも、そのようなことは、盗賊よりも役人どもの方がよくやっていること。ならば、いっそ、最初から盗賊に身を窶した方が、腐った役人どもと戦える機会も多くなるでしょう」
「フッ……。おもしろいヤツだな……」
王常は一度、少女たちに背を向けると、何を思ったのか、頭を上にあげ、晴れ渡った青空を眺めた。そして再び頭を下におろすと、体ごと少女の方に向き直った。
「貴様、名は?」
「はっ。私、姓は臧、名は宮、字は君翁と申します! 頴川郟の出で、つい最近まで、この辺りで亭長(下級役人)をしておりました!」
「頴川か……。覚えておこう。ならば、臧君翁。貴様をこの下江の『校尉(将校)』として迎える。しかと励め」
「はっ、ありがたき幸せ!」
こうして、歴史はまた一歩動き出したのであった。
恋姫紹介
・臧宮:字は君翁
出身地:豫州潁川郡郟県
新たに下江軍に参加した少女。現在16歳。長い緑色の髪を、赤い絹で括っているのが特徴。(いわゆるポニーテール)。口数少なく寡黙だが、武勇に優れている。南郡のとある県にて亭長をしていたが、何か思うところがあったのか、賓客の若者たちを率いて王常たちの「下江軍」に馳せ参じる。
CVイメージ:井上麻里奈




