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第十二章 劉伯升、大志を語る


 皆さん、こんばんは。柳修やなぎしゅうです。


 またの名は、柳修りゅうしゅう、字は伯昇はくしょうといいます。


 現在、俺は大変、混乱しています。


 なぜなら、いつもお世話になっている「家主さん」こと、劉伯升さんが、突然、


「国にケンカを売るぞ!」


 と、言い出したからです。


 俺はこの先、いったい、どうなるのでしょうか……?









「本気ですか……?」


 劉伯升による突然の「謀反宣言」から十数分。ようやく落ち着いたところで秀児は、このとんでもない兄に向って、声を震わせながら問い詰めた。


えん兄様。本気でそのようなことを仰っているのですか!?」


 すると、伯升はいつものごとく、豪快に笑いながら言った。


「秀児。俺が冗談を言うと思うか?」


「思わないから言っているのです!」


 そう叫んで、頭を抱え出す秀児。だが、伯升は、そんな妹の姿を見て、ますますおかしそうに笑った。そして、からかうように言った。


「そうだな。なんつったって、俺はお前のように、冗談とか得意じゃねえからな!」


「笑い事じゃありません!」


 笑顔満面の伯升とは正反対に、秀児は怒りに肩を震わせ、ドンと卓を叩いた。そして、怒りと呆れが入り混じった声で、それでも家の外に声が漏れないよう、懸命に抑えた声で言い続けた。


「縯兄様。自重してください。この辺の小役人どもならともかく、『あの王莽』に喧嘩を売って、それで勝てると、本気でお考えですか?」


 彼女はそう言って、自身の兄を懸命に諫めようとした。念のために言うが、彼女とて、王莽の政治の乱脈ぶりは知っているし、また、多くの民たちが災害や、それにともなう飢饉などで苦しんでいるのを見て、これらの元凶である朝廷への憤りも感じていた。


 しかし、彼女が「兄の挙兵計画」に、ここまで懸命に反対するのにも、むろん理由がある。


 皇帝独裁のこの国では、「国家転覆」を企てれば、計画を立てただけで、「大逆罪」。しかも、計画を立てた本人のみならず、家族、一族全員皆殺しの「連座制」なのである。


 もし、伯升の「反乱計画」が漏れれば、妹である秀児はもちろん、彼女の大好きな姉・劉元も、親戚である春萌たち、舂陵侯家も、下手をすれば、婚姻関係にある来歙や鄧晨たちにも害が及ぶかもしれないのだ。


 しかも、秀児が反対するのは、それだけが理由ではない。


「だいたい仮に、この舂陵侯の劉氏全員で立ちあがったとしても、こんな田舎豪族の集められる兵力など、底が知れています。兄様は、いにしえから学ぶということをしないのですか? かつて王莽に反旗を翻した、安衆侯あんしゅうこう家や、翟義てきぎたちがどのような目に遭ったか、よくご存知でしょう!?」


 彼女はそう言った。


 傍系とはいえ、仮にも漢王家の末裔である秀児は多少ながら歴史を学び、かつて、簒奪者・王莽に反旗を翻した者たちがどのような末路をたどったのかを、わかりすぎるほど知っていた。


 王莽が高祖以来の漢王朝から天下を奪ったのは、およそ十四年ほど前のことだが、その少し前に、「打倒王莽」の旗を掲げて抵抗した漢の皇族たちや、忠臣たちもいた。だが、そのことごとくが、王莽の派遣した「官軍」によって叩きつぶされたのである。


 王莽が帝位を簒奪する前、先駆をきって打倒王莽の旗を挙げたのは、秀児たち舂陵侯家と同じ、長沙定王・劉発の家系である安衆侯家あんしゅうこうけ劉崇りゅうすうという男であった。


 彼は自分たち、安衆侯家の挙兵が皮切りとなって、中原各地の王侯となっている皇族・宗室たちや、漢王家恩顧の貴族・豪族たちが皆一斉に立ち上がってくれることを期待し、自身の部曲、数百を率いて荊州最大の城市・宛を攻めた。


 ところが、どうしたわけか、劉崇たちに呼応してくれた者は、誰一人として現れなかったのだ。


 結局、劉崇は敗死し、安衆侯家は、当時赤ん坊だった宗室の女の子一人を除き、ことごとく殺されてしまったのである。


 その翌年には、東郡太守の翟義てきぎたちが、第九代・宣帝の曾孫である厳郷侯げんきょうこう劉信りゅうしんを天子に立てて、打倒王莽の反乱を起こし、一時は十数万もの兵力を集めたものの、結局討伐され、わずか半年も経たないうちに反乱は鎮圧されてしまった。


 この時、首謀者である翟義は捕まって磔にされ、三族皆殺しの憂き目に遭っている。


 また、反乱軍の幹部だった王孫慶おうそんけい(姓は王孫、名は慶)なる男が都・長安の市場で公開処刑された際には、王莽は医者を立ち会わせて、王孫慶を生きたまま解剖したのである。


 内臓の位置や大きさ、重さなどを医者に記録させ、今後の医療の参考にしたというのだが、誰が聞いても、残酷極まりない話以外の、何物でもない。


 秀児は、それを直接見たわけではなかったが、数年前に長安で茶柳や露々たちと一緒に太学に通っていた際、その処刑を直接見たことのある人々、例えば、年長の学友たちや、街の人たちから噂を聞いたことが何回もあった。


ある人曰く、


「(内臓とか、血管とかを)細い竹で引き上げてたよ。あの時はぞっとしたねぇ。なにしろ、まだ、ぴくぴくと脈打ってたんだよ」


 とのことである。そんな話を聞かされた日には、背筋がぞっとしたあまりに、食事さえ喉を通らなかったほどだ。


 余談だが、本来ならば舂陵侯本家の当主であるはずの劉祉の父、劉敞が爵位を剥奪されたのはこの時の話で、劉祉の妻が反乱首謀者の翟義の兄・翟宣てきせんの娘だったからなのである。連座して獄に繋がれた我が子の命と引き換えに、劉敞は爵位を失ったのだ。


 それはともかく、「翟義の乱」が鎮圧されて以降、漢の皇族や、各地の貴族・豪族たちの中から、王莽に立ち向かう者は現れなくなってしまったのである。


 そもそも、豪族のような「特権階級」が何を叫んだところで、一般の民衆の生活には全く関係ない話なのだ。だから、民衆が自ら積極的に協力してくれるとは、到底思えない。


 おまけに、この舂陵郷は荊州の片田舎に過ぎず、仮に舂陵侯家全員が挙兵し、どんなに多くの兵をかき集めたとしても、せいぜい数千人が限度なのである。十万人以上も集めた翟義たちでさえ、半年ももたなかったのだから、こんな兵力で国に喧嘩を売るなど、無謀以外の何者でもない。


 そんなわけで、秀児は兄の企みに反対したのである。


 だが、当の伯升は、笑顔を崩すことなく、妹の反対理由を黙って聞いていた。そして何度か頷くと、口を開いた。


「秀児。お前、よく勉強しているじゃねえか。なるほど、たしかに、お前の言うとおりかもしれんな。だが……」


 そう言い含めたところで、盃に注がれていた酒を飲み干すと、伯升は言葉をつないだ。


「お前はまだまだ甘えよ」


「え?」


 思わず息を呑む秀児を余所に、伯升は一方的に言い続けた。


「たしかに、いにしえからいろいろと学ぶことは重要だ、秀児。だが、安衆侯家のことにしろ、翟義のことにしろ、お前の言っていることは全部、『失敗例』にすぎん。いや、失敗から物事を学ぶこと自体は、とっても大事なことだ。だがなぁ、秀児。他人の失敗例を見て、自分はイヤだとか言うヤツは、ただの臆病モンってやつだ。本当に古から物事を学ぶヤツってのは、『他人の成功』からも学べるヤツのことだ」


「他人の……成功……?」


「ああ、そうだ。例えば、そうだな。俺たちの御先祖様であらせられる、高祖皇帝陛下とかな」


「高祖皇帝陛下ですって!?」


 高祖(劉邦)の名前が出た瞬間、秀児の頭の中で、何かが閃いた。


「まさか、縯兄様。今までろくに働きもせずに、しょくや賓客たちと飲んだくれたり、僕の事を『仲(劉邦の兄)』に例えたりしたのは……!?」


「その通りだ、秀児!」


 あたかも、よくわかったな、と言わんばかりに、伯升は大笑いした。


「かつて、『秦打倒』の兵を挙げる前、高祖がどのような男だったか、お前も知っているだろう?」


「はい。貧乏なくせに仕事はろくに手伝わず、侠客を気取り、街に行けば樊噲はんかいたちと一緒にただ酒ばかり飲む、本当にだらしのないご先祖様だったと……」


「そうだ。だが、そんなだらしのねえ、任侠気取りな『ご先祖様』の功績はどうだ? 始皇(秦の始皇帝)亡き後に兵を発し、あの大帝国・秦を滅し、さらには宿敵だった西楚覇王・項羽をも倒し、『大漢帝国』の礎を築きになられた。貧乏百姓から一転して、最後にはこの中原の『英雄』となられた……」


「それでは、兄様は、まさか、高祖の真似をしておられるの、ですか?」


 言葉を失いかけて、とぎれとぎれの声で物言う秀児。そんな彼女を見て、伯升は再度大笑いすると、自身の意を告げた。


「秀児。なにからなにまで、高祖の真似をしようってわけじゃねえ。高祖の時と、俺たちの時とでは、世の中がまるで違うからな。だが、ある程度までならば『参考』にさせていただいても、別に罰が当たるってもんでもねえだろ?」


 それを聞いた秀児は、自身の兄の今までやってきたことを、ひとつひとつ思い出しては、考えてみた。


 修と初めて会う数ヶ月前に、長安留学を終えて、数年ぶりに実家に帰った時のこと。


 実家に帰ってみれば、伯升が働きもせずに、賓客たちと好き勝手放題やっていたこと。


 それが原因で、母やもう一人の兄と、妹の全員が、叔父の家へと移ってしまったこと。


 仕方なく、一人だけ残って、家の生計を立てることにしたことなどである。


 その時は、家族や親戚にも迷惑ばかりかけていた伯升の行動が、全く理解できなかったが、実は伯升は「第二の高祖・劉邦」になろうとしているのだと考えると、少しは納得できたような気がした。


 だが、それでも不可解な点があった。


「縯兄様」


 秀児は疑問に思ったことを、思いきって聞いてみることにした。


「仮に、兄様が『第二の高祖』になろうと考えておられるとして、どうしてあんな、任侠気取りをされているのですか? 高祖の時ならば、結果的にとはいえ、後に活躍する樊噲はんかい(*)、盧綰ろわん(*)といった者たちとの繋がりを深めることに役立ちましたし、また、当時は田舎の子役人に過ぎなかった蕭何しょうか(*)、曹参そうしん(*)たちとも関係を築くのに役立ちましたが、僕が思うに、兄様の周りに、そんな者はいないように見えます」


「だーっはっはっは! そうか、俺の周りには、樊噲も蕭何もいないか。わかっているじゃねえか」


 図星だったのか、これで何度目かと言わんばかりに大笑いする伯升。だが、彼は全く気にした様子もなく、秀児に向かって質問の答えを返した。


「言っただろ? 俺は何から何まで、高祖の物真似をするつもりじゃねえって。いいか、よく聞け。俺があんなゴロツキどもを相手にしているのには、深えわけがあるんだ」


「なんですか、そのわけって?」


「わからねえか? ゴロツキどもの中にはなあ、役人から追われている盗賊連中とかと繋がりのあるヤツもいるんだ。俺が欲しいのは、その繋がりだ」


「まさか……」


 みるみるうちに、秀児は青ざめた。直感で、ここから先は、聞きたくないと思ったのである。


 だが、伯升はお構いなしと言わんばかりに、みなまで口にした。


「そうだ。この劉伯升が欲しいのは、『兵力』。つまり、ゴロツキどもの繋がりを利用して、あの『緑林軍』を丸ごといただこうってハラだ!」


「いい加減にしてください!」


 秀児は両手で思いっきり卓を叩いた。その勢いは凄まじく、立ててあった酒瓶が倒れ、床へと落ちたほどである。


 だが、そんなことに気を止める様子もなく、秀児は怒鳴り続けた。


「縯兄様! 何を馬鹿なことを! あんな薄汚い盗賊どもと手を組んで、事が成功すると、本気でお思いですか!?」


「なんだ、お前。かってえヤツだなぁ。そんな怒鳴ってばかりだと、胃に穴が開くぞ。まったく、これなら春萌はるもの方が、まだ物分かりがいいってもんだ」


「え?」


 彼女は不意をつかれた。なにしろ、伯升の口から突然、秀児が実の姉のように慕う春萌の名前が出たからである。


「なんで、そこで、春萌義姉様の名前が……?」


 訳がわからず、呆然となる秀児に、伯升はさらなる追い打ちをかけた。


「おっと悪い。言ってなかったな。実はこの計画の事、あの猪役人が帰った次の日以降、既に何人かに話しているんだ」


「誰に話したのです?」


「教えてやろう。春萌と歙、それから新野の晨のヤツだ。ちなみに、叔父上は臆病モンだから、話してはいねえ」


「なっ!?」


 秀児は絶句した。劉嘉、来歙、鄧晨と、いずれも彼女にとって関係の深い人物の名前ばかりが出たからである。


「それで、皆、なんて言ったのですか?」


 秀児は信じられないという表情で聞いた。誰か、この兄を止めてくれ。そんなことさえ考えていたのである。だが、現実は無情だった。


「俺が言うと、最終的に、全員が了承してくれたぜ。あの豚役人どものことが、相当頭にきていたようだったからな。ま、春萌のヤツは、最初だけ戸惑いやがったけどよ、お前のように怒鳴ったりはしなかったなぁ」


 それを聞いた瞬間、秀児はへなへなと崩れ落ちた。彼女と親しい人が全員、この兄の言う、「バカげた計画」に賛成なのである。今の彼女の心境は、もはや誰を信じていいのかわからないほどであった。


 そんな妹の様子を見た伯升は、軽く笑った。しかし、いつものように馬鹿笑いはしなかったのである。


 それどころか、いつになく真剣な表情になったのである。いつも豪快に笑ってばかりの伯升には、到底似合わないキリッとした表情。しかし、それゆえに威厳のある顔つきであった。


 やがて、伯升は口を開いた。


「秀児。お前はイヤか?」


「え?」


 突然、声色をかえ、いつになく真剣に話しかけてくる伯升に戸惑いつつも、秀児はうな垂れていた頭を上げた。その時、彼女の瞳に映った伯升の眼は、酒に酔っている様子もなく、濁り一つないように見えた。


「嫌なら、別にかまわねえんだぞ。そんなに嫌なら、お前は、この伯升のやることを、黙って見ていればいい。あるいは、役人どもに密告したって、構わねえんだぞ?」


「な、なにを……」


「まあ、聞け」


 伯升は全然似合っていない微笑みを浮かべながら話し続けた。


「お前、将来は『執金吾』になりてえんだったよな。もし、お前が俺たちの事を密告すれば、それをきっかけに登用されて、それでいろいろと目立つように頑張っていれば、いつかは、その夢も叶うかもしれねえな」


「だが、お前はそんなことなどできねえヤツだ。なにしろ、お前は優しいヤツだからな。それに、俺が見たところ、お前は王莽のようなヤツに、仕えようとは思っていねえだろう。俺は知っているぞ。お前が俺以上に、飢えで苦しんでいる百姓どものことを憂えていることも」


 そこまで言うと、伯升は最後の締めくくりにかかった。


「ま、難しいことは考えるな。お前はどうやったら執金吾になれるかだけを考えとけばいいんだ。だが、あの王莽の下で、派手に飾った執金吾をやるか、それとも、高祖以来の、漢の赤き旗の下で堂々と執金吾をやるか、どっちがカッコいいかくらいは、考えとけ」


 そう言うと伯升は、それまでの真剣な表情を崩し、そしていつも通りに大声で笑った。


(卑怯だよ……)


 笑っている兄の姿を見て、秀児は心の中で一人、呟いていた。


(まったく……。そんなうまいこと言って、この僕を「反乱」なんかに加えようとするなんて……。こんなこと言われて、断れるわけないじゃないか。どうせ、「連座」なんだから……)


 そう思って、一人憂いに浸っていた時だった。


「あのー……」


 不意に、少年の声が耳に入った。


「お二人とも、俺のこと忘れて、なんか、とんでもないお話してるみたいですが……?」


 それを聞いて、伯升も秀児も、声の主の方を振り返った。その視線の先にいたのは、今まで同じ部屋にいたのに、ずっと忘れ去られていた少年、修だった。


「はっ!? 修くん!?」


 秀児は突然、現実に引き戻された。


「しまった! すっかり忘れてたよぅ……」


 彼女は度肝を抜かれたかのように、真っ白になった。なにしろ、「第三者」である修の存在を忘れて、自身はおろか、この南陽の一族・親戚の存亡に関わることを、べらべらと喋っていたのである。彼女じゃなくても、動転することである。


 しかし、全く動転していない人間がいた。伯升である。


「修。お前、ぜーんぶ聞いてやがったか。こりゃ、たまげたなあ!」


 心にも思ってないことを言うと、伯升は修の方を見て、男には似合わない、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「い、いえ。その、俺には話が難しすぎて、何が何だか……」


 戸惑いながらも、そう言って目をそらす修。たしかに、彼の言うとおりで、修はこの話の半分も理解はしていなかったのだが、伯升はお構いなしだった。


「話を全部聞かれたからには、やることはただ一つ」


 伯升は満面の笑みでそう言うと、立ち上がって修の横に立ち、自身の右手を相手の左肩の上に乗せた。


「な、なんでしょう、はくしょうさま……?」


 しどろもどろになる修。そんな彼に向かって、伯升は一言だけ告げた。


「修。お前も俺たちの仲間入りだ。手厚く歓迎するぜ!」


『はい? って、ええええ!?』


「なんだ、うるせえなあ。どうせ、お前は俺の仲間に入れる予定だったんだよ。それが早まっただけじゃねえか」


「そ、そんな……!?」


「ま、まだ当分の間は事を起こすつもりはねぇ。だから、明日からしばらくは、いつも通りに過ごせよ。ま、鍛練はよりいっそう厳しくするが。あ、それから修。この事を役人どもに言いつけたら、あの世であーんなことや、こーんなことをしてやるからな、覚悟しとけよ」


「な、なにするつもりですか!?」


「知るか! あー、今日はたくさん話し過ぎて、声が枯れたわ。さっさと寝るとすっか! だーっはっはっはっは!!」


 こうして、少年、柳修の「劉伯升反乱軍」入りは、事実上決定したのである。


放心状態になって、まったく動けなくなった修と秀児。


そんな彼らを余所に、伯升は全く枯れていない声で大笑いしながら、さっさと寝床へと言ってしまったのであった。


(最悪だ……)


 放心状態の修は、いるかどうかもわからない神を怨んだ。


(神様、もしいるなら教えてくれ。なんで俺を、こんなとんでもない世界に連れて来たんだ。そりゃ、俺だって昔、ゲームやってるときに、『三国志』のキャラたちと一緒に戦いたいとか思ったことあるよ。だけどこれは、あんまりだ……)


 彼は現在、「最悪」の頂点にたどり着いた気になっていた。これより最悪なことは、この世にはないであろう。


 彼はそう思ったのである。数日後、その記録が更新されることなど、露ほども知らずに……。









 それから一週間後の事である。


 あの後、秀児の慰めのおかげで、なんとか正気だけは保った修は、これからのことに脅えつつも、習慣上ではいつもと変わらない、平々凡々とした生活を送っていた。


 一週間経過したその日は、伯升が休暇をくれたために、気分転換に、秀児と一緒に、近くの山に入って、山菜を採りに行った。


 山のあちこちを探検し、籠いっぱいに山菜を集め、夕日を背に、二人で談笑しながら家路についていた時だった。


「てえへんだ!」


 突然、家の方向から、一人の髭もじゃの男が駆けてきた。


 修はその男に見覚えがあった。修が伯升宅で居候を始めて間もない頃、彼に無理やり酒を飲ませた男だった。


「てえへんだ、文叔!」


 その男は、秀児の字を呼び捨てにしながら二人の下へと駆け寄ってきた。


しょくじゃないか!」


 秀児が言った。男は、秀児と同じ南陽劉氏の劉稷で、伯升の賓客の一人だったのである。いつも伯升を実の兄のように慕う彼が、こんなに焦って駆けて来たのだから、何かあったに違いない。そう思った秀児は、すぐに劉稷に事情を尋ねた。


「稷。いったい、どうしたの!?」


「落ち着いて聞け! 役人どもが、兄者の家に押しかけてやがる!」


「え、ええ!?」


「どういうことですか!?」


 突然の告白に動揺する二人。そんな二人の表情を確かめもせず、劉稷は何が起こったかを言い続けた。


「兄者の家に出入りしていた賓客の一人が、その辺で盗みを働いて捕まったそうだ。そいつは新入りで、兄者のやろうとしている『事』は何も知らねえヤツだが、獄の中で、兄者のあることないことを、苦し紛れに言いふらしたらしい!」


「それで、兄様は……?」


「安心しろ。兄者はとうの昔に逃げおおせた。だから、文叔たちも早く逃げろ! 兄者から連絡が来るまで、舂陵には戻ってくるな! 俺は兄者の家族を守りに行ってくる!」


「う、うん!」


 こうして劉稷と別れた二人。だが、肝心なことを忘れていた。


「秀児! いったい、俺たちはどこに逃げればいいんだ!?」


「あ、忘れてた。けど、考えている暇はないよ! えっと、春萌義姉さまのところは、多分、途中で役人が張り込んでるだろうし……」


 そう言ったとき、秀児はふと、いい逃亡先を思いついた。


「そうだ! 新野の鄧晨義兄さまの所に逃げよう! そこなら、まだ役人たちの手はまわってないはずだよ!」


「ああー、ちっくしょー!!」


 こうして、二人は徒歩で、しかも役人に脅えながら、新野の鄧晨の邸まで向かう羽目になったのである。


 命からがら鄧晨の邸にたどり着いた時、二人の足の筋肉が、またいっそう鍛えられたことは、言うまでもないことであった。






*注釈


樊噲はんかい

高祖・劉邦の任侠時代からの親友にして、忠臣だった人物。劉邦の妻・呂后の妹の呂須を娶り、劉邦とは義兄弟の関係だった。西楚覇王・項羽との戦いが本格化する前の、「鴻門の会」の際に、劉邦を危機から救ったエピソードが有名。


盧綰ろわん

高祖・劉邦の幼き日からの親友で、子分的存在だった人物。劉邦と盧綰は同じ村で生まれ育ち、父親同士が親友だったばかりか、劉邦と同じ年・同じ月・同じ日に産まれた人物でもある。漢楚戦においては、彭越らと共にゲリラ戦を指揮し、項羽軍の兵糧を奪ったりした。後に劉邦によって「燕王」に封じられたが、「謀反を企てている」と告発されてしまい、討伐軍を差し向けられる。間もなく劉邦が死去すると、魯綰は絶望して匈奴に亡命し、匈奴の冒頓単于によって「東胡の盧王」に封じられたが、一年あまり後に病死した。皮肉なことに、彼が親友・劉邦と再会できたのは、雲の上での話である。


蕭何しょうか

高祖・劉邦の名臣にして、三傑の一人。元々は沛県の下役人で、劉邦が反秦の兵を挙げるとこれに呼応。それ以降、劉邦陣営における内部事務の一切を取り仕切った。秦の都・咸陽に入場した際には、兵士に略奪を禁じ、国を治めるのに必要な歴史書、公文書等を急いで運びだした。劉邦が漢王となった後は、丞相に任命され、漢楚戦争中は関中を守り、そこから最前線の劉邦軍本隊に物資を送り続けた。劉邦が漢の皇帝に即位したのちは、「相国」に任命され、「剣履上殿」「入朝不趨」「謁讚不名」等の特権を与えられている。なお、「相国」の位は、蕭何と下記の曹参以降(呂后の甥の呂産を除き)、漢王朝においては永久欠番的な役職名となり、「三国志」序盤の悪玉・董卓が勝手に「相国」を名乗るまでは、前漢・後漢四百年を通して「相国」に就任した者はいない。


曹参そうしん

高祖・劉邦の下で活躍した人物。元々は蕭何の部下だった。劉邦が反秦の兵を挙げた時に、蕭何たちと共に、これに呼応。後の漢楚戦では将軍となり、韓信の軍に従軍して戦った。劉邦の天下統一後は斉国の丞相として貢献し、蕭何の死後に「相国」となっている。なお、「三国志」の曹操の祖父である宦官の曹騰は、曹参の子孫の家系だと言われている。

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