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第八章 迷子少女と南陽男児

 

 えー、皆さん。柳修やなぎしゅうです。どうも、ご無沙汰しております。


 突然ですが、皆さんに報告しなければならないことがあります。


 実は俺、迷子になりました。









 ここは荊州最大の街、宛。


 人口は十七万人。中原の城市としの中では長安、洛陽に次ぐ人口の多さを誇る街である。


 現在、柳修はこの街の真っ只中で、あろうことか迷子になっていたのであった。


 どうしてそのようなことになったのであろうか。ことの始まりは、秀児たちと一緒に、この街に立ち寄ったことであった。


 そもそも、一行は新野にある鄧家に向かっていたのだが、その通り道にあったのが、ほかならぬ、この宛城だったのである。長安に行く時は急いでいたこともあって素通りしたのだが、今度は別に急がぬ帰り道であったこともあり、また、長安で加わった朱祜こと、茶柳の故郷の街でもあるため、素通りするのはもったいないということで、立ち寄ることにしたのだ。


 「せっかくだから、お土産でも買っていこうよ」


 秀児はそう言ったのである。修もそれには賛成だったし、また、彼自身も、長安とはまた異なる街である、宛の街を見ておきたいと思った。例えるなら、日本に来た外国人が、東京だけじゃなく、大阪や京都も見ておきたい、と思うこととほぼ同じ気持ちである。


 そんなこともあって、一行は宛の城門をくぐり、街をうろついていたのだ。


 だが、人間という生き物は、見知らぬところにいくと、ついはしゃいでしまうものである。


 修も例にもれず、いろいろなものに目を奪われ、あっちへ行ったり、今度はこっちへ行ったりと、とにかく、悪餓鬼みたいにはしゃぎまわった。それはもう、はしゃぎ過ぎたと言わねばならない。


 秀児についていけば大丈夫だと思っていた彼は、肉屋が牛を解体しているのに、一瞬見とれた後、そのまま蒼い髪の少女の後についたのである。


だが、それがまずかったのだ。


「おい、待ってくれ、秀……」


 秀児に話しかけようとしたときだった。


「どなたですか?」


「あ、あれ?」


 修は異変に気付いた。なんと、秀児だとばかり思っていた蒼い髪の少女が、全然知らない、赤の他人だったのだ。


「す、すみません。人違いです!」


 そう言って謝った後、修は慌てて周囲を見回した。


 だが、辺り一面は、人だかりである。日中、大勢の人々でにぎわう市場で、顔見知りを見失うことは、事実上の死を意味する。これは大げさな表現ではない。なにしろ、「異世界人」である修にとっては、冗談にならない死活問題であった。


「おーい、秀児! 来歙さん! 仲先さん!」


 不味いことに気付くやいなや、修は大声を出して、懸命になって、三人の手掛かりを探った。しかし、三人ともどこへ行ったのか、姿は見えない。


「ヤベェよ。どうしよう」


 冷や汗を流す修。だが、ふと簡単な解決策が頭に浮かんだ。


「そうだ。南の門の前で待とう」


 彼はそう言うと、街の南にある城門へと向かうことにした。というのは、事前に秀児たちと、万が一迷子になった場合は、そこで待ち会うことを決めていたからである。


 その時は笑って聞き流していたのだが、まさか、本当にこういうことになるとは思わなかった。


「ああ、秀児のヤツ。怒るだろうな」


 我ながら恥ずかしくなってくる修。しかし、今はそうするよりほかに道はない。ただ、一刻も早く、秀児たちと会いたいという気持ちで、彼は南の城門へと足を進めたのであった。









「ん?」


 南の方へと向かう途中、修は突然、足を止めた。どうして足を止めたのかというと、それは、


「ここ、どこだ?」


 道に迷ってしまったからである。


「おい、ちょっと待てよ。これ、いくらなんでもやばいだろう」


 彼は狼狽した。迷子になったときの対策を、事前に話し合っていたにもかかわらず、あろうことか、「二重迷子」になってしまったのである。


 どうしてこのような事態になったのかと言えば、事は非常に単純だった。


「畜生……。こうなるんなら、変な道を通るんじゃなかった……」


 修はそう言って頭を抱えた。


 大通りは人が多すぎて暑苦しかったため、人の少ない裏通りから行こうと思った。それがそもそもの間違いだったのだ。


 人の少ない裏通りに入った瞬間、そこは迷路以外の何物でもなくなったのである。慌てて、元来た道に戻ろうと思ったのだが、結果としては、さらにわけがわからなくなっただけであった。


「どうしよう」


 彼は泣きそうになった。情けのない話である。この年になって迷子など、本当に泣きたくなる話である。


「くそっ、泣いてる暇はねぇ。はやくなんとかしないと……」


 そう思って、なんとか人でも探そうと考えた時であった。


「……けて……」


「ん?」


 彼はふと、違和感を覚えた。何か、小さな声みたいなものを聞きとったような感じがしたのだ。


「なんだ?」


 修は慌てて耳を立てた。すると、さっきの小さい声みたいなものが、ますます鮮明に聞こえてきたのである。


「……だれか……たすけて……!」


「どこだ!?」


 彼は自分が迷子になっていることも忘れて、急いで声のする方へと向かった。狭い裏通りの、幾つかの角を曲がり、やがて、一軒の屋敷の、高い塀の前にたどり着いた。


「ここか……、ってああ!?」


 そして、そこで彼は見た。


「くっ……うう……!」


 一人の女の子が、塀の上からぶら下がっているのを。


「お、おい……。あれ、やばいんじゃ……!?」


 修は冷や汗をかいた。目の前の女の子は、自身の細い両腕で、懸命になって塀のてっぺんにしがみついていた。しかし、その足元は地面よりはるかに高い所にあり、届いていない。つまり、誰がどこから見ても、女の子は塀の上から落ちそうになっていることにほかならない。


「くそ! はやくなんとかしないと!」


 修がなんとかしようと、身をあたふたさせていたときであった。


「……キャー!!?」


 とうとう、目の前の女の子が手を滑らせて、地面に向けて落下し始めたのだ。修が見るに、塀の高さはおよそ一丈(三メートル弱)はある。楚々たる少女が地面に落下すれば、少なくとも大怪我をすることは避けられない。


「ちっくしょう!!」


 無意識のうちに、修は駆けだしていた。むろん、女の子を助けるためである。


「四の五の言ってる場合じゃねえ!!」


 そして彼は、まるで兵士の鬨の声のような叫びを上げながら、落ちてくる少女を抱えようとした。


 だが結果は、抱えようとしたという意味においては、失敗であった。


 なぜなら、修自身は、落ちてきた少女の小さな体を受け止めた瞬間、そのまま後ろに倒れてしまった。すなわち、彼は小さな少女の下敷きになってしまったのである。


 唯一の救いは、彼の尊い犠牲によって、この女の子には傷一つなかったことであった。









「う、うーん……?」


 しばらくして、修は目を覚ました。


「いてて。あれ? 俺はいったい……?」


 転倒した際に打った頭をさすりながら、身を起こそうとしたときだった。


「あの?」


 突然、彼の視界いっぱいに、一人の女の子の顔が広がった。先ほど修が助けようとした少女である。彼女は、そのいたいけな瞳で、修の顔ギリギリにまで近づいて、覗き込んでいた。


「う、うわあ!?」


 いきなりのことに修は思わず、後ろにのけ反った。当然と言えば当然の反応である。目が覚めた時、すぐ目と鼻の先に、女の子の顔があったら、男なら誰でも驚くであろう。


「どうされましたの?」


 驚いた修の姿を見て、見知らぬ少女は不思議そうな表情をして、優しげな声で尋ねた。どうやら、彼女にはどうして修が驚いてのけ反ったのか、まるでわかっていないようであった。


「い、いや。なんでもないんだ」


 修は息を荒げながら、咄嗟にそう言ってごまかした。


「あら、そうなんですの? おもしろいお方ですわね」


 女の子はそう言うと、右手を彼女の口元まで持っていき、クスッと微笑んだ。その仕種が、またまた可愛らしいものである。


「べ、別におもしろくなんかねえぞ」


 修はそう言って、ばつが悪そうな顔をした。


「ふふ。男の方って、よくわかりませんわ。あ、それはそうと……」


 不意に、少女が畏まって礼を言った。


「先ほどは、危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」


 そう言って、ゆっくりと、かつ優雅に頭を下げる少女。その仕種に、修は再び見とれた。


(なんだ、この娘は? どこかのいいところのお嬢さんなのか?)


 彼はそう思った。見てみれば、女の子の着ている服は、ふんわりとした、柔らい生地の絹の服である。長い袖と、長い裾がついている上に、きれいな刺繍で彩られたその服は、いかにも気品のあふれてそうな人間が着るシロモノであった。現在、修が着ている麻製の質素な服とは大違いである。


 また、少女は美しい、つややかな黒髪の持ち主であった。そよ風が吹くたびに、その後ろ髪が、河が流れるがごとく、きれいに広がるのである。


 また、顔立ちも綺麗に整っていた。いかにも古代中国の雰囲気のする絹の服と、そんな絹の服よりもさらに綺麗な黒髪とあわせて、まるで少女が生きている小さな人形のように見えるほどであった。


 そんなわけなので、修はつい、じっと固まったまま、少女の方に目が釘付けになってしまったのである。


(うわあ、きれいな子だな)


 彼はそう思わずにはいられなかった。


「あの、どうなされました?」


 少女が聞いてきたため、修ははっと我に返った。そして、顔を密かに赤らめながら言った。


「いや、なんでもない。それより……」


 彼は慌てて話をすり替えた。


「俺、柳修。字は伯昇っていうんだ。君のことはなんと呼べばいいんだ?」


「あら。そういえばそうですわね」


 修が自己紹介をすると、少女は微笑みながら名乗った。


「私のことは、れいとお呼びください、伯昇さま」


「俺、『さま』付けで呼ばれるほど偉くねえよ。『修』でいい」


 慣れない『さま』付け呼ばわりされたものだから、つい恥ずかしくなってしまう修。そんな彼の姿がおかしかったのか、麗と名乗った女の子は、またクスッと可愛らしく笑うと、言った。


「はい、わかりました。修さん」


「ああ、よろしくな」


 こうして、二人の挨拶は無事に終了したのである。


 その後、二人はなんとか表通りに出るべく、移動することとなった。









「ところで、麗ちゃんよお」


 歩きながら修が尋ねた。


「はい?」


「麗ちゃんは、どうして、あんな高い所にいたんだ?」


 彼はそう聞いた。さっき、どうしてこの少女・麗が、あんな高い所に乗っていたのか。それが知りたかったのである。


「ああ、それはですね……」


 麗は説明した。


 彼女の説明によると、彼女は自分の叔父と一緒に宛の街に来たのだが、ふと、一匹の可愛い子猫を見つけ、それを追いかけているうちに、路地裏に入り込んでしまった。


 そして、その子猫が高い塀の上に登ったので、彼女も後を追って、塀の上によじ登ったのである。それが不味かった。


 その後、結局猫はどこかに行ってしまい、塀の上には彼女一人が取り残されてしまった。


 しかも麗は、木や塀の上に昇ることができても、降りることはできなかったのである。


 彼女自身、それがわかっていたはずなのだが、可愛い動物などに夢中な時などの場合、それをつい忘れてしまうのである。


 その結果、自分が高い所にいることを思い出すと怖くなってしまい、とうとう足を滑らせて落ちそうになってしまった。


 そして、なんとか両手でしがみついていたところに現れたのが修だった、という事である。


「まったく」


 そこまで聞いた修は、呆れかえった。この黒髪美少女は、彼の想像以上の天然のようだった。


「高いところが苦手なら、それを忘れるなよ」


「ごめんなさい……」


 しょぼんとうなだれる少女。それを見た修は、また赤くなってしまった。


(ああ、どうしてこの子はいちいち、その仕種が可愛いいんだ?)


 本当に、今の自分の姿を秀児に見られたらどう言われことだろうか。一瞬、そういう考えが頭をよぎったが、彼は慌てて首を横に振って、なんとか平常を装った。そして、彼なりに優しく言い放った。


「まあ、なんて言うか、これからは気をつけた方がいいぞ。うん」


「そうですね。これからは気をつけます」


 麗は微笑みながら、そう言ったのである。


(やれやれ、これで一件落着……)


 修がそう言って、腕で額の汗をぬぐった時だった。


「あら、猫ですわ!」


 麗が足を止めた。彼女のすぐ前には、本当に可愛らしい猫が一匹、あくびをしていたのである。それを見て嬉しそうな表情の麗。


 逆に、修の方は戦慄を覚えた。


(まさか、この展開! なんとなく、嫌な予感しか……!?)


 そう思った時であった。


 案の定、猫が彼らから離れていくかのように、向こうの方へと、駆けて言ったのである。それはもう、人の速さでは追いつけない。それにもかかわらず、追いかける者がいた。


「あ、待ってください!」


 それは無論、麗であった。彼女は動きにくい長袖、長い裾の服を着ているにもかかわらず、そんなのを気にも留めずに、走り去っていく猫の後を追ったのである。


「あ、おい。待てって!」


 そんな彼女を慌てて追いかける修。彼には本当に嫌な予感しかしなかった。


 猫を追いかけること、およそ十分余り。はたして、修の悪い予感は、的中した。


「きゃ!?」


 猫を追うのに夢中だった少女・麗が悲鳴を上げた。修が見ているすぐ前で、正面から歩いてきた人にぶつかってしまったのである。


「あら、ごめんなさい!」


 咄嗟にそう謝る麗。そのこと自体には、全く問題はなかった。たいていの場合は、きちんと謝れば許してもらえるからである。


 だが世の中、全ての人間が「ごめん」の一言で済むほど甘くはない。なかには非常に悪質な人間もいるのである。


 運の悪いことに、麗がぶつかった相手は、そんな部類の人間であった。


「おい、待ちな。お嬢ちゃん」


 麗がぶつかってしまった、のっぽな男が荒い声を上げた。


「なんですの?」


「あいたたたた!」


 突然、その男が大げさな声を上げながら、右腕を押さえた。


「どうなされましたの?」


「お嬢ちゃん。どうしてくれるんだ? お嬢ちゃんがぶつかったせいで、腕の骨が折れちまったじゃねえか」


 男はそう言ったのである。そんなことが嘘であることくらい、誰がどこから見てもわかることである。だが、必ずしも誰もが嘘を見抜けるわけではない。


「あら、それは大変ですわ」


 麗は本気で心配したのである。いかにも世間知らずそうな雰囲気で、しかも優しそうな雰囲気のこの少女は、この程度の事で簡単に騙されてしまったようだ。


「そうだよ。おじさん、大変なんだよ」


 男はそう言うと、今度はニヤリと、気味の悪い笑みを浮かべた。


「それなら、その腕を見せていただけますか?」


 麗が心配そうにそう言ったが、男は首を横に振ると、誰が聞いても呆れることを口にした。


「いや。その代わりに、お嬢ちゃんに、その服を貸して欲しいんだ」


「服、ですか?」


「ああ。この折れた腕を直すのに必要なんだよ。お金とかは要らねえから、代わりに、なっ」


 本当に恐ろしいことである。男の目的が、麗の貞操を奪おうとしていることは、修が見ても明らかなことであった。


 我慢が出来なくなった彼は、ついに男を怒鳴りつけた。


「いい加減にしろ!」


「な、なんだ、てめえは!?」


「うるせえ。誰でもいいだろうが!」


 男の言うことは無視して、修は麗の手を引いて、その場から去ろうとした。


「あら。どうしてそんなに強く手を引くのですか?」


「いいから、逃げるぞ」


「え?」


「君は騙されているんだ。あの男、本当は腕なんか折れてないぞ」


「あら。そうなんですの?」


「ああ、そうだよ」


 そんなやり取りを交わしながら、麗と一緒に逃げようとする修。だが、やはり世の中はそう甘くない。


「チッ。逃がすかよ」


 自分の計略を邪魔された男は、そう言って舌打ちすると、第二の作戦を実行に移した。


「おい! チビ! デク! お前らの出番だ!」


 男がそう叫んだ直後だった。


「おうよ、アニキ!」


「出番なんだな」


 なんと、修たちの前に、男のかたわれらしい、二人組が立ちふさがったのだ。片方は猫背で小さく、反対にもう片方の男は、身長も横幅も極めて大きかった。だが、そんな二人組でも、共通していることはあった。


「へへへ。逃がさねえよ」


「あきらめるんだな」


 笑い方が下賤であるということである。


「くそっ。待ち伏せか」


 修は今まで以上の戦慄を覚えた。なにしろ彼は、まともなケンカなどしたことがないのだ。この世界に来てから、劉伯升に、直に鍛えてもらっているとはいえ、まだまだ修錬が必要なのである。まして、相手は三人なのだ。


(ここは相手を刺激させないよう、なんとかしないと……)


 彼がそう思ったときだった。


「あら。どうしてそんなに気味の悪い笑い方をしているんですの?」


 突然、麗がなんの前触れもなしに、こんなことを言い始めたのである。


「え?」


「ん?」


 男たちは一瞬、呆気にとられたが、麗はキョトンとした表情のまま、更に言い続けた。


「そんな笑い方、私は好きではありませんわ。あなた方のお顔が、ますますひどい顔に見えますもの」


 彼女は残酷なまでに純粋であった。むろん、彼女のこの発言が、男たちの怒りに火をつけてしまったのことは言うまでもない。


「なんだと!?」


「ああ!?」


「誰がひどい顔なんだな!?」


 三者三様、男たちは怒りの表情を露わにした。麗の言うとおりである。本当にひどい顔ではないか。


「ええい、もう構わん! こいつらをやっちまえ!」


「おうよ!」


「ああ!」


 麗が最初にぶつかった、のっぽな男が命令を下し、それにチビ男とデカ男とが応え、下品な笑みを浮かべながら、修たちの方ににじり寄って来たのである。


「くそっ」


 覚悟を決めた修は、せめて麗だけでも守ってやろうと、彼女の前に出た。今の自分では、相手には到底かなわないことを知りながら。


 そして、目の前の男たちが、今まさに修たちに襲いかかろうとしたときであった。


「待てえぃ!」


 突然、ここにいる誰のでもない大声が響いたのである。


「な!?」


「だ、誰だ!?」


 突然の大声に動揺する三人組。と、その時である。


『う、うわぁ!?』


 修の目の前にいた大男と、チビ男とが、一緒になって宙を舞い、そして地に叩きつけられた。そして、さっきまでこの二人がいた所には、いつの間に現れたのか、長身で、顔に黒い髭を生やした、一人のたくましそうな体つきの男が立っていたのである。


「な、なんだ、貴様!?」


 突然の乱入者に、のっぽな男が取り乱しながら言った。だが、仁王立ちで堂々とした風格の男は、それに応えない。


 代わりに、彼はその「いちゃもん男」の方へと、ゆっくりとにじり寄りつつ、言った。


「か弱き乙女を辱めようとするその魂胆。さらにはたった一人に対し、三人がかりで殴りかかろうとするなど言語道断。てめえら、それでも南陽男児か!」


「な、なにぃ!?」


「まあいい。それならそうで、南陽男児とは何たるかを、この鄧奉とうほうが直に教えてやるわ!」


 そう言って、鄧奉と名乗った男は、素手のまま構えをとる。


「なにを、小癪な!」


 激怒した「いちゃもん男」は、自分なりに全力を振り絞って、目の前の乱入者に飛びかかった。だが、相手が悪すぎたのである。


「ふん。甘いわ!」


 鄧奉は相手を一括すると、自分に向かって来た拳を軽々と回避し、逆に自分の右の拳を、相手の腹に叩きこんだのである。


「ぐはぁっ!!?」


 男はそう悲鳴を上げると同時に、後方へと吹き飛ばされ、近くの壁に叩きつけられると、そのまま伸びてしまった。それだけで終わったのである。


「ふん。他愛もねえな」


 鄧奉はそう言って、自分が倒した三人組を一瞥すると、今度は修と麗の方へと向き直った。


「おい、ケガはねえか?」


 先ほどの堂々たる風格とは打って変わって、彼は優しげな表情で尋ねたのである。


「は、はい!」


 先ほどの光景に、呆気にとられていた修は、そう言って頭を下げることしかできなかった。だが、鄧奉にはそれだけで十分だったらしい。


「そうか。ま、うちの麗を守ろうとしてくれたその態度だけでも、立派なもんだ。礼を言うぜ」


 そう言って、男らしく、さわやかな笑みを浮かべる鄧奉。そんな彼に、修の後ろにいた麗が、とことこと歩み寄ると、そのまま抱きついた。


「鄧奉おじ様!」


「麗! 無事でよかったな!」


 麗の黒い髪を撫でてやりながら、安堵の表情を浮かべる鄧奉。それを見た修は悟った。どうやら、先ほど麗が言っていた「叔父」というのは、この鄧奉のことだったようである。


「まったく。心配かけさせやがって! 突然猫なんかを追いかけるからだ。探したんだぞ!」


「あら、そうでしたの。本当にごめんなさい」


 鄧奉は麗に対し、軽率な行動は控えるように言い、流石の麗も、今度こそ申し訳なさそうに謝った。まるで本物の親子のようである。


「ま、次からは気をつければいいってことだ」


 鄧奉は麗との話をそう締めくくると、今度は修の方に向かって礼を言った。


「いや、本当にうちの姪っ子が世話になったな。なにかお礼でもしてぇところだが、あいにく、俺は何も持ってはいねえんだ。すまねぇ」


「あ、いや。いいんですよ。お礼なんて……」


 慌てて言いかけたところで、修は閃いた。


「お礼は構いませんから、その代わりに大通りへの道と、この城市の南門の場所を教えてもらえないでしょうか?」


 彼はこの際だと言わんばかりに、道を聞くことにしたのである。


「おうよ! そんなのお安い御用だぜ!」


 鄧奉は笑いながらそう言うと、麗の手を引きながら、修の道案内をつとめてあげたのであった。


「ところで、貴方のお名前は?」


「俺は鄧奉てえんだ。お前さんは?」


「あ、俺は柳修。字は伯昇といいます。よろしくお願いします」


「ほう。なんだか俺のダチに似てるじゃねえか」


「そ、そうですか?」


「ああ!」


 道中、こんなやり取りがあったのは、別の話である。









「ここをそのまままっすぐ行けば、南門だ。わかったな?」


「はい、ありがとうございました」


 大通りに出て、南の方へ歩みを進めること十数分。


 ようやく向こうの方に、南門がうっすらと見えるところについたところで、修は鄧奉と麗の二人と別れることになった。なんでもこの二人は、近辺に住んでいるのらしいが、今夜はこの宛城内の旅籠に泊まるようである。そんなわけで、修は短い間ながらお世話になった鄧奉にお礼を言った。


「本当にありがとうございました。鄧奉さん」


「なあに、聞けばお前さんも、この麗を助けてくれたそうじゃねえか。これでおあいこだぜ!」


「ははは。そうですね」


 そう言って笑いあう二人。そこへ、少女・麗が口を挟む。


「修さん。よろしければ、またお会いいたしませんか? 私、ここからそう遠くない所に住んでいますの」


「うん、そうだな。また会おう。わかった。約束する」


 そう言って、修はニコリと微笑んだ。男ながら、爽やかな笑みである。それを見た麗も、優しげに微笑んだ。


「さてと、そろそろ行くか」


 そう言うと、修は南門の方へと向かって駆けて行った。


「さようなら!」


 そう言って手を振りながら!


「あばよ!」


「さようなら!」


 走り去っていく彼に向って、鄧奉と麗の二人が、いつまでも手を振り続けた。


 その後、南門に無事にたどり着いた修が、そこで待っていた秀児たちから、さんざん注意されたことは言うまでもなかった。


 だが、修は知る由もなかった。この後、こんな注意など吹き飛ぶほどの、さらなる騒動が彼を待ち受けていることなど……。









 一方、修と別れ、旅籠へと向かう途中の鄧奉と麗の二人である。


「なあ、麗」


「なんでしょう、おじ様」


「お前、あの修とかいうヤツに、自分の家の事を話さなかったな。まあ、話したら話したで、次伯じはくのヤツがまたおもしろくなるだろうが……」


 鄧奉はそう言ったのである。たしかに麗は、修に自分の家のことは何一つ話していなかった。彼女の姓についてもだ。もっとも、話したところで、修にはわからなかっただろうが。


「あら。別にいいのですわ。だって……」


 そう言い含めると、麗は十三歳前後の少女のそれとは思えない、妖美な雰囲気を漂わせながら、言葉を続けた。


「私、あのお方とは、またすぐにでも会えそうな気がいたしますの」


「なんだ、そりゃ? また、お前のカンか?」


「ふふ。そんなものでしょうか?」


 それを聞いた鄧奉は、自分の頭を軽く掻き毟りながら、やれやれという表情で言った。


「まあ、お前のカンは、昔から不思議と当たるからなぁ」


 そう言っている間に、二人は旅籠の入口の前にたどり着いた。


「さてと、今夜はここに泊まるぞ。明日、新野の偉卿いけいの家に行くんだから、さっさと寝ねえとな」


「そうですわね」


 そう言葉を交わすと、二人は旅籠の中へと入っていった。


 その際、少女・麗は、ふと、こんなことを胸の内で思っていた。


(それにしても、あの柳修さまというお方。なんだか「劉三公子」のお名前を思い出させますわ。劉三公子はお元気にされておりますでしょうか? またお会いしたいですわ)


 かすかに吹くそよ風に、自身の長い黒髪をなびかせながら、麗は叔父の後について建物の中へと入って行った。


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