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前夜章 仕官当作執金吾,娶妻当得陰麗華

※先日、作者のしょうもないミスで、マイページにログインできなくなってしまったため、ここに新しい光武帝紀を執筆させていただきます。読者の皆さま。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした!


―――時は新の王莽の天下の頃。


 時の都・常安(長安)の太学で、懸命に学ぶ者たちの姿がありました。


 ある者は至聖・孔子の教えを一生懸命読みふけり、ある者は友との親睦を深め、またある者は、仕官のために、様々な著名人に取り入るなど、将来を見据えた若者たちでいっぱいでした。


 このお話は、そんな若者たちの中の、とある乙女たちの物語―――。





「あーあ」


 ある日、夕暮れの常安の街の中で、一人の少女が溜め息をついた。


「どうしたの、しゅうちゃん」


 溜め息をついたお団子髪の少女の友人らしき、栗色の髪の女の子が尋ねた。


「どうして僕は、お勉強が上手くいかないのかな……」


 そう言うと、青みがかったお団子髪の少女は、歩きながらも力なく下を向いた。


「そんなことないよ?」


 栗色の髪の少女が、うな垂れる親友を慰めようと言った。


「秀ちゃんは、昨日、憶えていなかったことはちゃんと覚えていたよ。だから、大丈夫」


「でも、僕は茶柳ちゃる露々ろろのようには……」


「なに言ってんのよ!?」


 不意に、明るい女の子の声がした。言ったのは、黒髪を頭の後ろで二つに分けた、チビで八重歯の女の子だった。


秀児しゅうじ。どうしてアンタはいつもそう、後ろ向きなの? いっつもくよくよして!」


「露々……」


 秀児と呼ばれた、お団子髪の少女が呟いた。

 

「でも、僕は。茶柳や露々のように頭良くないし……」


「あのね、秀児」


 秀児の態度にとうとうしびれを切らしたらしく、露々が言い寄ってきた。


「あんたは自分で思っているほど馬鹿じゃないの! だいたい、この露々さまは天才だし、茶柳の頭も特別なのよ! それと比べる方が無理ってものでしょう!?」


 まるで自分が天才と言わんばかりの言動である。もっとも、こう言われた秀児にとってみれば、露々の言ったことは事実なのだから、言い返しようがなかった。


「そうだよ」


 今度は茶髪のおとなしそうな雰囲気の少女・茶柳ちゃるが口を開いた。


「露々ちゃんの言うとおりだよ、秀ちゃん。馬鹿の一つ覚えでも、それが千回あれば千個の物事を覚えたことになるんだから、ゆっくり勉強しようよ」


 慰めになっているのかわからないが、彼女なりの慰め言葉のようだった。


「茶柳……、露々……」


 秀児は心強い友達二人からの励ましに、とても嬉しくなった。そして、こう言った。


「ありがとう。なんだか、元気が出てきたよ。よーし、僕、明日も頑張るぞ!」


「そうそう、それでこそ秀ちゃんだよ」


「それでこそ秀児よ」


 こうして、明日への決意を新たに、今日も無事に日が暮れる……、かと思われた。秀児の次の一言がなければ。


「と、いうことで、今日、先生から出された宿題、教えてくれないかな? どうしてもわからない……」


「だめだよ、秀ちゃん」


 優しい雰囲気なのに、厳しさのある声で、茶柳が言った。


「ちゃんと自分で考えないと」


「ええー!? そ、それじゃ、露々……」


 こうなったらもう一人からと思った秀児だったが、現実は甘くない。


「ダメよ!」


 露々も冷たく言い放った。


「露々に聞いたところで、秀児に露々の言ってることが、わかるわけないでしょ?」


「そ、そんなあああぁ!!」


 とうとう泣き出してしまう秀児。


 世の中は非常なまでに非情であった。





―――それから数日後。


「うーん……」


 とある露店の前で、秀児は困っていた。彼女の目の前には、甘そうな蜜(砂糖黍のしぼり汁)が売られていた。都・常安で蜜が売られるのは、極めて珍しいことである。なにしろ、蜜の原料である砂糖黍は、彼女の故郷の荊州よりもさらに南の南の果ての土地でしか採れない、貴重な産物なのだ。当然、蜜の値は張る。例え、杓子ですくった一杯でさえも、相当な銭を持っていないと手に入れることはできない。まして、実家の荊州から上京して、貧乏学生生活を送っている秀児が買えるような値段ではない。


(わかってるんだよ。僕がお金ないことぐらい。でも、このおいしそうな、甘そうな蜜、絶対に逃したくないなぁ……)


 蜜欲しさのあまり、思わず右手の人差し指を口にくわえながら、ゴクリと喉を鳴らす秀児。彼女はとにかく、どうやったら蜜が手に入るかしか考えていなかった。そのため、周りが目に入っていなかったのである。


「て、うわわ!?」


 次の瞬間、人とぶつかって転んでしまった。


「いてて、す、すみませ……」


 立ち上がりつつ、相手に謝ろうとしたとき、秀児の目に、相手の顔が入った。


「あれ、茶柳?」


 それは、毎日出会う、幼馴染みの顔だった。


「秀ちゃん……?」


「茶柳。どうしてここに?」


「どうしてって、ここで蜜を売ってるでしょ? だから、買えないか見に来たの。でも、高くて……」


「奇遇だね。僕もだ」


 そう言った時、二人の頭の中で、何かがはじけた。そして、閃いた。


『そうだ!!』


 そして、二人で今の手持ちの銭を確認しあった。数えてみると、二人の銭を合わせて、ようやく一杯の蜜を買えるだけの金額だった。


 それがわかれば、もうためらうことはない。


 こうして、秀児と茶柳は、いわゆる「割り勘」で、一杯の蜜を手に入れたのであった。


「わあ、おーいしーい!」


「あ、こら! 秀ちゃんばっかり舐めないの!」


 仲良く蜜を舐めあう二人。彼女たちが再び蜜を舐めあうのは、さらにずっと後の事である―――。





―――またある日のこと


 秀児と茶柳は、司隷校尉しれいこうい(都知事兼警察長官)の陳崇のもとを訪れていた。


 太学で至聖・孔子の学問、儒教を習っている学生の大半は、将来国の官僚となるため、都の有力者のもとで職探しをする。


 荊州南陽の豪族出身である秀児と茶柳も例にもれず、なんとか手に職をえて、出世のための足がかりにしていこうと思って行動をしていたのである。


 司隷校尉の陳崇は、秀児たちと同郷の南陽の人だ。特に、秀児の実家とは付き合いがあったので、そのつてを頼ろうとしたのである。


 しかし、陳崇のもとを訪問したまではよかったのだが、ここで問題が起こった。


「ごめんね、茶柳。すぐに戻ってくるから」


 なんと、陳崇は秀児のみを招き入れ、茶柳は外で待たされる羽目になったのだった。


「ううん、気にしないで。秀ちゃんは頑張ってきてね」


 屋敷の中に入って行く親友を、茶柳は笑顔で見送った。


(ああ。まさかここに来て、秀ちゃんに抜かれるとは思わなかったなぁ……)


 笑顔で見送ったのはいいのだが、やはり切なさを感じるのである。なにしろ、二人で一緒に来たのに、一人だけおいてけぼりにされたのだ。


(やっぱり、私が秀ちゃんに宿題とか教えてあげなかったからかな……)


 なんとなく悲壮感を胸に漂わせながら、一人で思いふけっていた時だった。


「ただいま」


 突然、茶柳の耳に、聞きなれた親友の声が入った。そこにいたのは、ついさっき、屋敷の中へと入って行ったばかりの秀児その人だった。


「え、しゅ、秀ちゃん!?」


 茶柳は度肝を抜かれた。


「なんで、こんな早くに?」


 すると、秀児はなんてことないという表情で、こう答えた。


「断わって来た」


 一瞬、秀児が何を言ったのかわからなかった。


「え?」


「だから、僕、断わって来たんだよ?」


「ええー!?」


 茶柳は思わず声をあげた。


「な、なんでっ!?」


「だって、僕が一人だけで面接して、そして出世したら、茶柳とお別れになる。そんなのいやじゃないか。だから断わってきたんだよ」


 秀児の口から、そう聞いた茶柳。思わず、目から涙がほとばしる。


「秀ちゃん……」


 そう言った次の瞬間には、茶柳にとっては大好きな親友の、自分のそれと比べたら薄い胸の中に飛び込んでいた。


「秀ちゃんのバカー! そんな、そんな理由で……」


 そこから先は、言葉にならなかった。


「泣くなよ、茶柳。僕が泣かしたみたいじゃないか」


 秀児はそう言って、親友の背中に手を回してあげるのだった―――。





―――それからさらに数日後


「それで、断ったって。秀児、アンタは本当に大馬鹿ね!」


 常安の街の中に、露々の声が響き渡る。もっとも、大勢の人々の喧騒にかき消されてしまうが。現在、秀児は年下の露々と一緒に街を歩いていた。


「ははは。でも、茶柳たちと別れるなんて、そんなのいやじゃないか」


 苦笑しながら、秀児が言った。


「まあ、確かに気持ちはわからないではないけど。でも、秀児。露々がアンタだったら、すぐに仕官したよ!」


 小さい背丈に反して大きな声で、露々は言い続けた。


「だって、アンタの南陽の家、お金厳しいんでしょ? 早く仕官して、働かないと……」


 露々の言い方はきついのだが、なんだかんだで、友達想いなヤツなのである。彼女の言ってることも、一理あった。しかし、秀児は首を横に振った。


「たしかに、今すぐに仕官するのも悪くはないと思うよ。でもね……」


 いい含めたあと、秀児は言葉をつなげた。


「なんとなくなんだけど、今は仕官しない方がいい気がするんだ」


「は?」


「いや、僕のカンだよ。自分でもわからないけど、今、仕官せずに、茶柳と一緒に南陽に帰れば、きっとおもしろいことが始まるんじゃないかと、そう思うんだ」


「おもしろいこと?」


「それがなにかは、わからないけどね」


 秀児がそう言った時であった。


「路を空けろ―!!」


 突然、役人たちが街を行く人たちに命令し始めたのである。役人たちが通行を規制するのは、すなわち、朝廷のお偉いさんの行列が通ることにほかならないのだ。


「まったく、こんなときに」


 ブツブツと文句を言いながら、脇の方に避ける露々。


「お偉いさんの行列かな? どんな人だろう」


 露々に続いて、秀児も道の隅に移動した。


 やがて、彼女たちが行こうとしていた、市内中央の方から、騎馬の行列がやって来た。大勢の騎馬の近衛兵を引きつれていたのは、きらびやかな衣装に身を包んだ、眉目秀麗で、威厳のありそうな人物だった。それは、都の治安維持を担当する重職、執金吾しつきんご(警視総監)の行列だった。


 秀児はそれを、露々と一緒に眺めていたが、やがて、それに目が惹かれていたことに気付いた。


(ああ、なんてカッコいいんだろう。僕も、あんな風に皆の前で着飾って、街の平和を護る仕事をしてみたいなぁ)


 その時、ふと故郷、南陽の風景が目に浮かんだ。


 広大な盆地に広がる美しい畑。それを汗水流して耕す人々。牛の鳴き声。漢水の豊かな流れ。今頃は故郷にいるであろう、母親と二人の兄と、二人の姉と、妹。そして、もう少し幼いころに遊んだ、長い黒髪のきれいな、清楚な女の子。


 それが思い浮かんだ時、秀児は突然、誰に言うでもなく、こう言い放った。


「決めたぞ!」


「な、なに!?」


 いきなりの声にびっくりした露々が聞き返してきたが、もうお構いなしであった。


「僕の目標は決まった!」


 そう言って、一度間を開けた後、秀児はこう言ったのである。


「仕官当作執金吾,娶妻当得陰麗華。(官になるなら執金吾。妻を娶らば陰麗華)」


「妻って、アンタ、女でしょう!?」


 露々のツッコミが入った。


「いや、そこは、その……。でも、もちろん、僕はちゃんと旦那さんはもらうよ。でもね……」


 少し動揺しながらも、秀児は決意したことを、自分に言い聞かせるように繰り返し言った。


「いいか、露々。僕は将来、必ず、執金吾になる! そして、麗ちゃんを幸せにしてあげるんだ! よし、そうと決まったら……!!」


「あーあ」


 露々は盛大に溜め息をついた。


「露々はつき合いきれないよ……」


 そんな二人を余所に、きらびやかな行列は通り過ぎていくのであった。





 秀児、時に十六歳。彼女の姓は劉。名は秀。字は文叔ぶんしゅく。真名は秀児。前漢第五代・景帝が子、長沙定王劉発の血をひく、漢王家の末裔の一人である。

 間もなく彼女は、親友の茶柳こと朱祜しゅこ(字は仲先)、露々こと鄧禹とうう(字は仲華)たちと共に、大きな激動の渦の中に巻き込まれていくことになる。


 もっとも、そのことを彼女たちが知る由もないが……。

このたび、以前に読み切り短編として投稿させていただいたお話を、一部改訂の上で、冒頭に持って来させていただきました。

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