表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第9話 魂の共鳴


 半壊した地下の牢獄に静寂が戻った。漂う血の匂いの残り香を払うように、刹那は紬を強く、壊さんばかりに抱きしめ続けた。


「……刹那、様。もう、大丈夫です……。お怪我を……」


 紬の掠れた声に、刹那ははっとしたように身体を離した。彼の頬や着物には返り血が飛んでいる。しかし、彼はそれらの血が目に入らないかのように、そっと紬の頬を包み込んだ。


「紬……。俺は、お前を傷つけてしまった」


 刹那の赤い瞳には、これまで見せたことのない激しい後悔の念が滲んでいる。彼は、彼女の手首に残る枷の跡——自分がつけた支配の印を指先でなぞる。赤く腫れたその肌を見て、刹那は胸が裂かれるような思いでその場所に唇を落とした。


「許せとは言わん。……だが、もう一度だけ機会をくれ。お前を一人の女として、俺の隣に置かせてほしい」


 彼は紬を軽々と横抱きにすると、暗い牢から、月の光が降り注ぐ寝所へと彼女を連れて行った。





 ◇ ◇





 刹那は、未だに震えが止まらない紬を、壊れ物を扱うような手つきで寝台へと横たえた。月明かりが、彼女の白い肌と、骸によって赤く汚された首筋を無慈悲に照らし出している。


「……刹那、様……」


 紬の声は、今にも消えてしまいそうに細い。刹那は彼女の左目を見た。かつて虹色に輝いていた瞳は、未だ灰色のままだ。


 しかし、刹那の心には、以前のように瞳の光を惜しむ感情は欠片もない。あるのはただ、彼女を恐怖に陥れた己への嫌悪と、彼女を奪われかけたことへの狂おしいほどの情愛だけ。


「紬。……すまなかった。俺はお前を繋ぎ止め、心を折った。その隙を、あの下劣な男に突かせた」


 刹那は膝をつき、彼女の手を取る。そして、骸が乱暴に舐め上げた彼女の首筋に、じっと視線を落とした。


「……汚れた場所を、俺に預けろ。あのような男の記憶など、一欠片も残させぬ」


 彼は、紬の首筋にゆっくりと顔を寄せた。骸の残り香を、自身の放つ香気で塗りつぶしていく。


「ひゃ……あ、刹那、さま……っ」


 紬が身を竦ませる。だが、刹那の唇が離れた場所から伝わってきたのは、暴力的な欲ではなく深い慈しみだった。刹那は、骸が舌を這わせた箇所を、丹念に、何度も何度も吸い上げるように口づける。


「……ここも、ここもだ。お前の肌は、産毛の一本に至るまで俺のものだ。他の誰にも、指一本触れさせるべきではなかった」


 彼の熱い舌が、彼女の鎖骨をなぞる。骸に触れられた時の、吐き気がするほどの不快感。それが、刹那の熱によって強烈な快楽へと書き換えられていく。


 刹那は紬の衣をゆっくりと寛げ、彼女の裸身を月光の下に晒した。彼はそのまま、彼女の灰色の左目に唇を落とす。


「光っていなくてもいい。宝石でなくてもいい。……俺は、この、俺を映して揺れるお前そのものが欲しいんだ、紬」


 刹那の言葉が、紬の心の奥底にあった氷の楔を溶かしていく。


「……私、このままで本当にいいのでしょうか。特別な瞳を持たない、ただの人間なのに……」

「ただの人間だからこそ、これほどまでに俺を狂わせる。……夜叉の俺をここまで無様にさせたのは、お前が初めてだ」


 刹那は自嘲気味に笑うと、紬の唇を奪った。それは、呼吸すらも共有せんとするほどに深く、濃厚な口づけ。二人の心音が重なり、二人の力が共鳴し始める。


「紬。俺はお前の美しさに当てられ、愛し方さえ間違えていた」


 刹那は紬の目を、まっすぐに見つめる。


「俺は、お前のその少し悲しげな灰色の瞳すら、狂おしいほど愛おしいと思っているんだ」


 彼は再び、紬の灰色の瞳に羽が触れるような優しい口づけを落とした。その温かさに、紬の目から涙が溢れ出す。


「……怖かったのです。光を失った私は、また捨てられるのかと……誰からも、見てもらえなくなるのだと……」

「そんなことは、断じてさせん。お前が暗闇に沈むなら、俺も共に沈もう。お前が笑えぬなら、俺が世界を変えてでもお前を守り抜く」


 彼は紬の涙を指先で拭い、そのまま彼女に覆いかぶさった。これまでの強引な行為とは違う。彼女の反応を一つ一つ確かめるような、もどかしいほどに繊細な指先の動き。


 重なり合う肌から、互いの心音が伝わってくる。


「紬……」


 彼の低い声が、紬の鼓膜を甘く痺れさせた。


 彼が熱い唇で彼女の首筋を辿り、鎖骨のくぼみに深く顔を埋めた。これまでは一方的に注がれていた力が、今は二人を包む温かな繭のように循環し始める。


「あ……刹那、様……っ」


 紬が彼の広い背中に腕を回し、その漆黒の髪に指を絡める。彼女の胸に残っていた寂寥感が、彼の熱によって一つずつ塗りつぶされていく。


 刹那は紬の腰を抱き寄せ、その肌に自身の力を直接注ぎ込むように愛でた。これまでの激しさとは異なる。支配が目的ではなく、守りたい、愛したいという剥き出しの心が、彼の指先から伝わってくる。


「あ……ぁ、刹那、さまぁ……。熱い、です……っ」

「もっと熱くしてやる。……明日の朝には、俺に関すること以外、何も思い出せぬようにしてやるからな」


 刹那の漆黒の髪が紬の胸元に零れ、彼の赤い瞳が情熱に溢れる。彼は紬の指を一本ずつ絡め、手のひらをぴったりと合わせた。枷で繋いでいた時よりも、ずっと強く、逃れられない愛の絆。


 二人の身体が溶け合う中、紬の灰色の瞳に、じわりと熱が宿った。






 深い睦み合いの後。刹那は紬を腕の中に閉じ込め、彼女の髪を優しく撫でた。窓の外では、椿が二人の和解を祝うように一斉にその蕾を膨らませている。紬は刹那の腕の中に収まり、彼の優しい心音を聞きながら、心からの安らぎを感じていた。


「紬。……明後日、婚礼を挙げる。山中のあやかし、地の底の亡者、天の神々まですべてを呼んで、お前が唯一の妻であることを認めさせれやる」

「……私のような者が、本当に、刹那様の妻になってもいいのでしょうか?」


 刹那は自分の角を彼女の額にコツンと当て、愉快そうに喉を鳴らした。


「不相応だと言うのなら、俺が世界を書き換えて、お前を最高位の神にでも据えてやる。……俺の横にいるのは、お前以外にあり得ない」


 彼は紬の手を引き、自分の心臓の上に置かせた。


「お前は、あの日俺が拾い上げた時から、ずっと俺のものだ。……これからも、一生俺の隣にいてくれ」

「……はい、刹那様。私は、ずっとあなたのお側に……」


 紬がふわりと微笑み、刹那も甘い笑みを浮かべて彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ