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第7話 灰色の絶望


 光を失い、灰色に濁った私の瞳を、刹那様は信じられないものを見るような目で見つめていた。  部屋を埋め尽くしていた虹色の残光が消え、静寂だけが二人を包む。


「……嘘だ。なぜ消えた。なぜ輝かない」


 刹那様の手が、私の頬を強く掴む。指先が震えている。それは、どういう感情からの震えなのか——。


「何か言え、紬! 俺が、俺がどれほどこの瞳を求めていたのか分かっているのか! この輝きがなければ、お前はただの……」


 刹那様は、ふと最後の言葉を飲み込んだ。しかし、私にははっきりと分かってしまう。彼は今、「ただの人間」と言おうとしたのだ。虹色の光を失った私は、彼にとって価値のない、取るに足りない存在に成り下がったのだと。


「……そうですね。私はもう、ただの人間です。刹那様を狂わせる瞳は、もうどこにもありません」


 私は、彼の手を力なく振り払った。心の中にあった一欠片の熱が、急速に冷えていく。


「今まで、ありがとうございました、刹那様。……短い間でしたが、温かい食事をいただき、美しい着物を着せていただいたこと、忘れません」


 私は頭を深々と下げ、扉の方へと歩き出した。裸足のまま、彼から与えられた全てを置いて、あの冷たい雨の降る崖の元まで戻ろうとした。


「……どこへ行く」


 背後から、地を這うような低い声が響く。刹那様の周囲の空気が、パチパチと黒い雷を帯びて歪み始めた。


「お屋敷を出て行きます。……力のない私は、どこか山道で死ぬだけでしょうけれど。光を失った私は、もうここには必要ありませんから」

「ふざけるなッ!」


 刹那様の怒声が屋敷を震わせた。彼は一瞬で私の前に立ちふさがり、逃げ道を塞ぐ。その赤い瞳は、今までに見たことがないほどの怒りで血走っている。


「俺が、いつ出ていいと言った。許可など出していない!」

「離してください! 役に立たない私を置いておいても、刹那様の不快になるだけです!」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!」


 私が彼の手をすり抜けようとするたび、彼の力が荒れ狂う。刹那様は、私を無理やり抱き寄せようとした。けれど、心根を違えた私にとって、彼の熱はもう檻にしか感じられない。


「……逃がさん。お前が俺の側にいたいと言ったのだ。ならば、死ぬまで俺の側にいて、俺の傍らで朽ち果てろ」


 刹那様は、もはや理性を失っていた。彼は私の手首を掴むと、そのまま屋敷の最下層、かつて私がいた村の地下室を思い出させるような、暗く冷たい石造りの部屋へとわたしを突き飛ばした。


「刹那様……っ、何を……!」

「光らぬというなら、光るまでここにいろ。……外の光など、二度とお前には見せん」


 刹那様が指を鳴らすと、虚空から黄金に輝く鎖が現れた。それは私の手首と足首に絡みつき、壁の冷たい石柱へと私を繋ぎ止める。


「……これでいい。ここなら、誰にもお前を見られずに済む。俺の視界から、お前が消えることもない」


 黄金の枷は重く、びくともしないほど頑丈だった。刹那様は膝をつき、鎖に繋がれた私の灰色の瞳をじっと覗き込む。


「……紬。お前に愛を与えていたのは、俺だ。たとえお前が壊れようと、俺以外の者がお前に触れることは許さん」

「……っ、刹那さ……んっ!」


 私が言葉を続ける前に、彼は私の唇を噛み切らんばかりの勢いで奪った。優しさに満ちたものではなく、獲物を喰らう獣のような、渇望と怒りが入り混じった激しい略奪。


 刹那様の大きな手が私の頭を後ろから掴み、ただでさえ少ない逃げ道を塞ぐ。彼の舌が強引に私の口内を蹂躙し、己の力を無理やり注ぎ込むように深く、深く、交わっていく。


「ふ、あ……っ……やめて……」


 私は拒絶するように彼の胸を押すが、黄金の鎖がガチャリと音を立てて私を壁へと引き戻した。刹那様は構わず、私の唇を貪り続ける。口内に広がる微かな鉄の味。それがさらに、彼の本能を煽ってしまったのだろうか。


「拒むな。……お前のすべてを、俺が塗りつぶしてやる」


 刹那様の指が、私の着物の襟元を力任せに割り広げた。





 ひとしきり唇を貪った後、刹那は顔を離し、唾液と涙で濡れた紬の唇を親指で強く拭った。彼女の灰色になってしまった瞳には涙が溜まり、恐怖と、そして抗えない熱が混じり合っている。


「……お前の光が消えたのなら、俺が何度でも抱いて、その奥から輝きを引きずり出してやる」


 刹那の赤い瞳には、底知れない執着の炎が揺らめいていた。黄金の鎖が鈍く光を放つ中、彼は再び彼女の白い首筋へと牙を立てた。





 ◇ ◇ 





 石造りの冷たい牢の中。刹那は、その中心で膝を抱えて座り込む紬を、苦々しい思いで見下ろしていた。


 彼女をここに繋いでから、三日が経つ。刹那が直々に運んだ最高級の山海の珍味も、温かな汁物も、一度も箸をつけられないまま冷え切って下げられた。


「……紬、食え。お前が飢え死にしては、この枷の意味がない」


 刹那の声には焦燥が滲んでいる。だが、紬は答えない。灰色の瞳は一点を見つめたまま、瞬きすら忘れたかのように静止している。彼女の肌は数日のうちに白磁を超えて、透き通るような不健康な青白さに染まっていた。


 彼が手を伸ばし、その頬に触れようとする。すると紬は目に見えるほどびくりと身体を震わせ、彼の手を避けるように首を傾けた。かつては彼の手を求めてすり寄ってきた彼女が、今は拒絶するためだけに動く。


(なぜだ……。俺がこれほどまでに尽くしているというのに)


 彼の心はかつてないほどの敗北感に呑まれてる。力で捩じ伏せることはできても、彼女の心一欠片すら手に入れることができない。




「紬。庭の椿が、今朝また一斉に咲いたぞ。お前に見せてやろうと、枝を折ってきた」


 刹那は、真っ赤な椿の枝を彼女の前に差し出した。返事はない。


「……次は、どのような着物がいい。西の国の絹を、蓮に手配させた。お前の瞳の色に合わせて、七色の糸で織らせよう」


 その時、紬の肩が微かに震えた。


「……私の瞳の色なんて、もう、どこにもありません」


 久しく聞いた彼女の声は、掠れて、今にも消えてしまいそうだった。刹那は、自分の心臓を鋭い爪で搔きむしったような痛みを感じた。


「……お前が望むなら、この枷を外してやってもいい。だから、その顔を上げろ。俺を見ろ。……俺に、何かを言え」


 懇願に近いその言葉すら、紬には届かない。彼女は沈黙の繭の中に閉じこもってしまった。力で奪えるものは全て奪ったはずなのに、一番欲しい彼女の熱だけが、砂のように指の間から零れ落ちていく。


 



 耐えかねた刹那は、広間へ戻るなり、控えていた鴉天狗の蓮を呼びつけた。


「蓮。……女というものは、これほどまでに頑固な生き物なのか」


 刹那は玉座に深く沈み込み、頭を抱えた。その姿に、普段の冷酷な王の面影はない。

 蓮は、すべてを悟ったような涼やかな顔で、羽扇をパチンと閉じた。


「刹那様。失礼ながら、貴方様はやり方を根本から間違えておいでです」

「間違えているだと? 俺は、ありとあらゆる贅沢を……」

「女が求めているのは、贅沢でも、黄金の鎖でもございません。特に紬様のような、心に深い傷をお持ちの方であれば尚更です」


 蓮は一歩前に出て、主の目を真っ直ぐに見据える。


「貴方様は、彼女の瞳を案ずるあまり、彼女の心を置いていたのでしょう。このような暴挙は、彼女の心の傷を抉るだけです。最悪の一手だと思いますよ」

「……っ、だが俺は、彼女を失いたくなくて……」

「ならば、一度その『王』としての仮面を脱ぎ捨ててはいかがでしょう。勢を尽くした贈り物などいりません。ただ、貴方様が彼女そのものを求めていることを、その不器用な言葉で、一から伝え直す以外に道はありません」


 蓮の言葉は、刹那の胸に重く突き刺さった。

 自分は、彼女を救い上げた神のつもりでいた。しかし実際は、彼女を自分勝手な愛という名の間違った檻に閉じ込め、再び絶望させただけだったのではないか。


(俺は……彼女の目がなければ、彼女を愛せないと思っていたのか?)


 答えは否だ。灰色の瞳になろうとも、言葉を発さなくなろうとも。衰弱していく彼女を前に、これほどまでに気が狂いそうになっている自分がいる。


「……蓮。俺は、どうすればいい」

「まずは、その鎖を解くことです。そして、王としてではなく、一人の男として……彼女に縋るのです」


 刹那は立ち上がった。その脚は、自分を拒絶する紬の待つ牢へと向かっている。


 黄金の鎖は、彼女を繋ぎ止めるためのものではなかった。それは、愛し方を知らない、刹那自身の臆病の象徴だったのだと、彼はもう気づいてしまった。

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