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番外編


 婚礼から数年。夜叉の屋敷を包む空気は、かつての刺すような紫色の霧が晴れ、春の陽だまりのような温かさに満ちていた。その変化の大きな源は、紬の隣で今まさに小さな寝息を立てている小さな命にあった。


「……ふふ、刹那様にそっくり」


 紬が愛おしそうに頬を撫でるのは、二人の間に生まれた長男・琥珀だ。その髪は父親譲りの漆黒だが、時折ぱちりと開かれる瞳は、紬と同じ神秘的な虹色を宿している。そして何より、まだ柔らかい額からは、小さいが誇らしげな二本の角がひょっこりと顔を出していた。


「何をそんなに見つめている」


 低い、しかし甘い声が背後から響く。刹那が背後から紬の腰を引き寄せ、彼女の肩に顎を乗せた。最強の夜叉である彼の表情は、妻子を前にすると、驚くほど緩む。


「刹那様、琥珀の角が、少しだけ大きくなったような気がして」

「ふん……。俺の血を引いているのだ、当然だろう。だが、あまりこいつばかりを構うな。俺を見る時間が減るだろう」


 数年経っても変わらない、それどころか増大した刹那の極度の独占欲。彼は琥珀の頭を一撫でしてあやしながらも、そのまま紬の首筋に深く顔を埋めた。紬は微笑みながら、琥珀の小さな二本の角を愛おしそうに撫でる。そのたびに刹那は身体から黒い覇気を放った。


「この子、刹那様にそっくりでとても可愛いのです」

「俺とお前の子なのだからな。だがその手は本来、俺の体に触れるためのものではないか」


 刹那は無造作に琥珀をひょいと取り上げる。そのまま、いつのまにか背後に控えていた蓮に琥珀を無言で手渡す。


「あの、刹那様……?」

「蓮、こいつを連れていけ。力の制御の訓練でも何でもさせておいたらいい」

「……やれやれ。貴方様の愛情もここまでくると病気ですね。さあ、琥珀様。参りましょうか」


 蓮が苦笑しながら去ると、刹那は即座に紬の首筋に唇を吸い寄せた。


「あ……刹那、様……」

「俺は寂しい。数時間もあいつのせいでお前に触れられなかったのだぞ。……お前の瞳は、俺だけのために輝かせろと言ったはずだ」


 彼は紬の耳たぶを甘噛みし、そのまま彼女を寝台へと誘う。


 息子にすら「俺の女に触れるな」と言わんばかりの、あまりに独占的で情熱的な夜叉の愛は、数年経ってもなお激しさを増すばかりだった。





 ◇ ◇





 一方、かつて紬を捨てた村は、今や見る影もなく衰退している。「不吉な娘を捨てたことで山神の怒りを買った」という噂が広まり、作物は実らず、若者は皆村を去った。村長やかつての男たちは、今や日々の糧を得るのにも苦労し、山の上にかかる美しい虹を、ただ指をくわえて眺めるしかなかった。


「……あ、あの時、紬をあんな風に扱わなければ……」


 彼らが後悔の念に駆られても、もう遅い。里の枯れ井戸からは二度と水が湧かず、葉焼けは瘦せ細り、家畜は次々と死に絶えた。かつて紬を地下室に閉じ込めていた両親は、今や腰が曲がり、濁った目で山を見上げるだけの老いさらばえた姿に成り果てていた。


「……紬さえいれば。あの虹色の目があれば、村は救われたはずなのに」




 一度だけ、食料を求めて山に近づいた村人がいたが、その眼前に見えたのは、天界の絹を纏い、数多のあやかしをを傅かせ、最強の王に抱きしめられて、女神のように美しく咲き誇る紬の姿だった。自分たちが捨てた石ころが、実は世界で唯一の、手が届かないほど高貴が宝石だった。その事実を知るたびに、里の者たちは自分たちの愚かさに悶え、後悔という名の毒にじわじわと侵されながら静かに滅びの時を待つしかなかった。





 ◇ ◇





 琥珀が寝静まった後、刹那と紬の二人は月明かりの差す縁側にいた。刹那は紬の膝の上に座らせ、彼女の虹色の瞳を覗き込む。


「紬。お前がここに来てから、山の色が変わった」

「刹那様が私を見つけてくださったからです。あの崖の下で……」


 刹那は紬の手を取り、掌に口づけをした。


「あの日、俺はお前の瞳に魅せられたと思っていた。……だが、今は違う。お前という存在そのものが、俺を狂わせたんだ」


 彼の指が、紬の着物の合わせ目をゆっくりとなぞる。


「今夜は、琥珀もぐっすり眠っている。……俺だけを見ろ、紬」

「……はい、刹那様」


 紬は微笑み、彼の首に腕を回す。虹色の光が刹那の赤い瞳に反射して、夜の闇を優しく照らした。





 睦み合った後の余韻の中で、刹那は紬の瞳をじっと見つめていた。


「紬。……お前は、幸せか」


 不意に投げかけられた問いに、紬は微かに微笑んで刹那の頬に手を添える。


「はい。とても、幸せです」


 刹那は彼女の手を握りしめ、その掌に熱い接吻を落とした。


「俺もだ。お前という光がなければ、俺はいつまでも変わらず、ただの虚無として生きていただろう。……お前はこれからも、俺の隣で、ただひたすらに幸福でいろ」


 刹那は再び紬を抱きしめ、深く、深く、彼女の香りを吸い込んだ。


 二人の物語は、これからも虹のかかる山で、永遠に紡がれていく。かつて孤独だった二人の魂は、今や分かちがたく結ばれ、この先もずっと虹のかかる山で愛を育み続けていくだろう。

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