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第1話 地の底で、神に出会う


 叩きつけるような雨が、容赦なく私の身体を打つ。視界は泥と涙にまみれ、呼吸をするたびに肺が冷たい水を吸い込んで痛んだ。


「さっさと行け、この『鬼呼び』が!」

「お前のその気味の悪い目のせいで、村は不作続きなんだ。死んで償え!」


 背中を蹴り飛ばされ、ぬかるんだ地面を這いずるように進む。

 追い回されて連れてこられたここは、『鬼の山』——。人間が一度足を踏み入れれば、鬼に喰われる。生きて帰る者はいないとされる禁足地。その崖に、私は立たされた。


 私の名は、(つむぎ)。生まれた時から、私の左目には呪いが宿っていた。光の角度によって七色に揺らめき、万華鏡のように輝く——虹色の魔眼。村の者たちはそれを、人外の化け物を呼び寄せる招災の目だと呼び、私を地下室に閉じ込めてきた。


「お父様……お母様……お願いです、せめて最後にお顔を……」

「黙れ! お前のような娘を持った覚えはない!」


 振り向こうとした私の視界を、太い麻袋が覆う。直後、背中に衝撃が走った。

 突き飛ばされたのだ。


 浮遊感。重みに引かれ、体が崖の下へと吸い込まれていく。罵声はやがて遠くなり、激しい雨音だけが耳に残った。


(……ああ、これで終わるんだ)


 暗い谷底へ落ちていく恐怖よりも、ようやくこの地獄のような日々から逃げられるという安堵が勝った。私は袋の中で、そっと目を閉じた。

 




 ……物心ついた時から、私の世界は三尺四方の地下室と、小さな天窓から差し込む一筋の光だけだった。母は私を見るたびに「その不吉な目で私を見るな!」と叫び、父は私の目が光るのを抑えるためだと言って、目に塩水を吹きかけたり、厚い布で幾重にも縛り上げたりした。


「お前さえいなければ、この家は普通の幸せを掴めたのに」


 その言葉を聞くたびに、私は自分の左目を抉り出したい衝動に駆られた。しかし、この目が光を放つのは、私の意志ではない。


 空の色が移り変わる時、あるいは私の心が激しく揺れる時。虹色は私の意志を無視して、万華鏡のように残酷に輝き出すのだ。村の子供たちが庭で遊ぶ声を聞きながら、私は暗闇の中で自分の膝を抱き、「私は、生まれてきてはいけない呪いなんだ」と自分に言い聞かせ続けてきた。

 



 


 私の身体は何かに受け止められた。地面に叩きつけられた衝撃ではない。硬いけど、温かい……何かに。


「……なんだ。空から荷物が降ってくるとは」


 低く、深く、地に響くような声。その声を聞いた瞬間、私の全身の産毛が逆立った。生存本能が、「死」を叫んでいる。しかし同時に、その声は信じられないほどに艶やかで、美しかった。


 身体を覆っていた袋が剝がされる。雨はいつの間にか止んでいた。代わりに、あたりには見たこともないほど濃い、紫色の霧が立ち込めている。


 そして、私の眼前に——「それ」はいた。


 退屈そうに私を見下ろしている男。肌は透き通るように白く、濡れた漆黒の長い髪がはだけた着物の胸元にまとわりついて、まるで生きている蛇のように妖艶な曲線を描いていた。切れ長の瞳は血のように赤い。


 何より私の目を奪ったのは、その頭上にそびえる二本の角だ。深紅の(うるし)を塗り重ねたような光沢があり、その根元には金細工のような複雑な文様が刻まれている。男がふいに視線を動かした瞬間、血のように濃い赤がゆらりと揺れた。


 鬼。

 お伽噺の中ではなく、本物の鬼。


「ぁ……」


 私の喉からは声にならない悲鳴が出た。絶対的な強者の存在を前に、身体が制御できなくなる。


 男は、ゆっくりと首を傾げた。その瞬間、周囲の空気が一変する。重圧で心臓が潰されそうだ。


「小娘、怯えるな。食いはしない」


 彼の声色には、生命への慈悲など微塵も感じられない。なのにとても穏やかで、矛盾するくらい綺麗だった。


 彼の手が、私の頬に伸びる。逃げようとしたが、指先が触れた瞬間、身体が石のように動かなくなった。彼は乱暴に私の前髪をかき分け、隠していた左目を剥き出しにする。


 その時だった。


「…………っ!?」


 男の目が、驚愕に見開かれる。彼の赤い瞳が、私の虹色の瞳を映し出した。

 すると、どうしたことだろう。彼の体から、目に見えるほどの黒い靄が溢れ出し、周囲の樹木がバキバキと音を立てて凍りついていく。


「ふむ。この瞳……。貴様、何者だ」


 男の声が、先ほどまでの退屈そうなものから熱を帯びたものへと変わる。


 彼は私の顎を強く掴み、顔を近づけた。吐息が触れるほどの距離。あまりに美貌に、恐怖を忘れて見惚れてしまうほどだった。


「私の……瞳は、呪われていると……化け物を呼ぶと、言われました……」

「呪い? ——ハッ、笑わせるな」


 彼は低く笑った。その笑みは、残酷なほどに美しい。


「これは呪いなどではない。俺のような存在を、神の領域へと引き上げる器だ。……ああ、素晴らしい。血が、疼いて止まらない」


 彼の指先から、黒い稲妻のような光が私の瞳へと流れ込んでくる。熱い。身体が内側から焼き尽くされそうなほどの快感と熱量。


 彼の瞳が、さらに深く、暗く、愛おしそうに細められた。


「決めたぞ。小娘、名は何という」

「……紬、です」

「紬。良い名だ。俺は刹那(せつな)。お前たち人間が鬼と呼ぶ存在。だが俺は、その鬼の中でもより高貴な夜叉だ」


 彼——刹那様は私の首筋に顔を寄せ、牙を立てる一歩手前で、甘く囁く。


「お前の瞳は、俺を狂わせる。……この渇きを癒せるのは、お前だけだ」


 刹那様は私を抱え直し、崖の上の、かつて私がいた場所を冷たく見上げた。


「これからは、この山がお前の庭だ。俺がお前を、誰よりも美しく咲かせてやろう」


 私は、彼の温かな腕に抱きしめられたまま意識を失った。冷たかった雨の記憶が、彼の体温に塗りつぶされていく。

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