婚約破棄? 恥をかくのはあなたの方ですよ?
「エリス、君との婚約を破棄する!」
「なっ」
晴れやかな祝賀会に響き渡る、婚約破棄宣言。
手を取り踊る者たちは足を止め、話に興じていた者たちは、グラスを片手に眉をひそめる。
ここは、グリモワール魔法学園にある「栄光の間」と呼ばれる大広間。
そこでは、6年生の卒業を祝うパーティーが華々しく催されていた。
その大広間に甲高く響く声は、グランツィール王国の王太子オスカー・グランツィールのものだった。
顔を朱に染めて、かなりご立腹の様子。
王太子が婚約破棄とは、全くもって穏やかではない。
さて、どうなることやら。
栄光の間に集う卒業生、その他諸々の関係者300と数十名の視線が、オスカー王太子へ向けられる。
*
侯爵家令嬢エリス・クロムウェルこと私は、突然のことで言葉も出ず驚愕していた。
公衆の面前。
しかも卒業記念パーティーという晴れやかな舞台で、なんて事を言いだすの!?
そこに強い悪意を感じた。
婚約破棄したいならば、当事者だけで集まり伝えればいいものを、よりによってこのような場で。
そこには人前で私を辱めてやろうという、嗜虐的なものがあった。
呆気にとられた私の中に、時間差で理不尽な扱いへの怒りが満ちていく。
金髪碧眼のオスカー王太子を睨みつけた。
「何を言っているのオスカー様っ」
「もう一度、言おうじゃないか!」
オスカーはくるりと大広間を見回し、大仰に両手を広げる。
「さあ今年、僕と共に学園を卒業する諸君っ。
そして先生方や、学園に携わる方々っ。
ここにいるあなた方が、この忌まわしきエリス・クロムウェルを断罪する、生き証人となるだろうっ」
オスカーは私に話しかけているようで、全く私に話しかけていなかった。
言うべきことが既に決まっている口ぶりで、身振り手振りを交えて、このパーティー会場全体に話しかけていた。
「オスカー様、何をする気なの!?」
「ここにいるエリス・クロムウェルは、僕の婚約者でありながら、夜な夜な学園を抜け出していたのですよ!
そして何をやっていたかといえば。
口にするのも汚らわしいがっ、正体を隠し、歓楽街で男漁りに耽っていたのですっ」
「は!?」
「まあ皆さんっ。
突然こんな話をされても、何が何だかとお思いだろう。
ではひとつここで、その現場を目撃した生き証人を紹介しよう。
さあリリアーナ、怖がらなくて大丈夫だよ。
僕の後ろに隠れていないで、出ておいで」
隠れるも何も、大きく広がったドレスのスカートが、はみ出て見えているじゃないか。
さっきから、オスカーの後ろから顔をちらちら覗かせては、リリアーナ・セルシウスが勝ち誇ったような目を私に向けてくる。
リリアーナ・セルシウスは庶民の出ながら、光属性という稀な属性を持ち、このグリモワール魔法学園に特例として入学を認められた少女だった。
彼女はまだ4年生。
なぜこの卒業パーティーにいるのか。
リリアーナは名前を呼ばれた途端、手折られた花のように儚げとなり、オスカーの後ろからおずおずとでてきた。
私の視線に怯えるように、わざと顔を背ける。
なんだこいつ、さっきはニヤニヤしてたくせにっ。
私は一歩踏み込む。
「リリアーナさん、あなたはっ」
「リリアーナ、あんな女の言葉などに耳をかす事はないよ。
さあ怖いだろうが、君が見たおぞましき現場の話をしておくれ」
リリアーナは、オスカーの腕を抱きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私の実家は、裏町でパン屋をやっています。
その日は学校が休みで、父と母の手伝いをしておりました。
パン屋の朝は早いので、店先を掃除しておりますと、小道から男二人に腕を絡めたエリス様が出てきたのです」
「何を言っているのリリアーナさんっ、なぜそんなでたらめを!?」
「それでリリアーナ、先を続けてくれるかい?」
「はい、オスカー様。
ばったりと合って、しっかりと目が合ってしまったんです。
私は吃驚してしまいまして、頭を下げたんですけれど、その時のエリス様の私を見る目が、それはもう怖いものでした。
失礼ながら、まるで悪鬼のようでした。
私は、あ、これは見てはいけないものだと思いまして、逃げるように店に引っ込んだんです」
いつの間にか弦楽団も手を止め、静まる会場に、パーティー参加者たちのざわめきだけが聞こえた。
リリアーナの怯えたような口調のせいで、早くも彼女に同情し、私を非難する声が聞こえてくる。
何か言わなければっ。
私が焦り、口を開いたタイミングに合わせて、リリアーナが悲鳴を上げてオスカーの背中に隠れる。
「な!?」
「何ていう女性なんだ君は、エリスっ。今君はリリアーナに殺意を放ったねっ。
僕もしっかり感じたよ!」
「私、そんことしてませんっ」
パンパンパン!
オスカーが手を打ち鳴らし、聴衆に語りかける。
「皆聞いてくれ!
リリアーナは見たのさっ。
僕の許嫁、エリス・クロムウェルの不貞の朝帰りを!
そのためリリアーナは、その日から脅威にさらされているっ。
ある時は、頭上から重い鉢植えが落ちてきた。
またある時は、実家のパン屋でボヤ騒ぎさっ。
彼女は、常に誰かに見られているようで、気の休まる暇も無いと言う。
ああ大丈夫だよリリアーナ、怖がらないで。
君には僕がついているからね」
オスカーはわざと私に背を向け、リリアーナを抱きしめた。
リリアーナの手も、オスカーの腰に回されている。
背の高いオスカーが、胸の辺りまでしかない背の低いリリアーナを抱擁する姿は、完全に姫君の保護者だった。
なによこれ!?
こんな茶番に付き合ってられないわっ。
私はヒールでガツンと、よく磨かれた床を踏みしめる。
「冗談じゃないわっ。
さっきから聞いていると、根も葉もない嘘をまき散らして!
何がしたいの?
歓楽街なんて、いった事もありませんっ。
むしろオスカー様、不貞はあなたではなくて?
後ろに隠れているリリアーナさんと深い中なのは、公然の秘密も良いところではないですかっ。
あなたたちは学園のどこでだって、腕を組んでいたでしょう?
自分たちの事を棚に上げて、何が私の不貞ですかっ。
リリアーナさん、何がおかしいのですか。
あなたのような女性の証言なんて、何の証拠にもなりませんっ」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハーッ。
証人が、リリアーナだけだと思うのかい?」
オスカーが三文オペラのような笑いを立て、肩をすくめる。
自分ではこの場を仕切る、演出家にでもなった気なのか。
おぞましい。
「エリスっ、君が夜な夜な派手に男遊びしていたお陰で、ちょっと調べたらボロボロと証人が出てきたよ。
さあ、次なる証人たちよ!」
オスカーが声をかけると、ダンスを嗜む者の中から、談笑者たちの輪の中から、弦楽団の中から、進み出る者たちがいた。
彼、彼女らが、次々に私の「罪?」を証言していく。
「私も不貞の現場を見ました」
「私もです」
「俺も」
「自分も見ました」
「私は裏通りで、熱く抱擁し合うエリス・クロムウェル様を見かけました。
複数の男性に胴上げされ、そのまま歓楽街へと消えて行きました」
「私はその歓楽街にある、宿屋『踊り子の月影亭』のフロントをしております。
エリス・クロムウェル様とそのお連れの方々には、いつも御贔屓にして頂いております」
「僕はその現場の部屋に呼ばれて、ムード作りのため、チェロを弾かされました。
部屋には甘ったるい匂いが充満していて、あれは恐らく禁止ハーブだろうと思います」
オスカーが額に手を当て、嘆かわし気に首を振る。
「ああ、なんてことだ。仮にも僕の婚約者だというのに。
不貞などという言葉では表し切れない!
俗物、恥知らず、下衆、貴族の精神に泥を塗る面汚し!
聞きましたか諸君っ。
部屋に充満した甘い匂いとは、恐らくルナ・ブロッサムでしょう。
ルナ・ブロッサムは、輸入が厳しく制限されている激薬物。
なぜそのような薬物が、歓楽街に蔓延しているのか!
僕はそこへさらに深く切り込み、調査をさせました」
パパン、パン!
オスカーが手を叩くと、さらに証人の第2陣がホール中央に進み出てきた。
私は眩暈がする。
一体、何人仕込んでいるの!?
偽の証人たちが、右から順に証言していく。
「歓楽街で密売されるルナ・ブロッサム」
「その売上のおよそ7割が、とある口座に入金されておりました」
「そこより、転々と引き出しと入金を繰り返し、口座を変えて行き着く先」
「そこはエリス・クロムウェル様の運営する、孤児を保護する慈善団体の口座だったのです」
「しかしその孤児院を詳しく調べますと、その実体は人身売買の闇組織でした」
「そこを拠点に、エリス・クロムウェル様は麻薬で得た金と、うら若き少年少女を、国内のあらゆる闇組織に融通して、陰の実力者として君臨していたのです」
「我がグランツィール王国と敵対する国々にも、その汚い金が流れているようす」
「恐らく外圧による、国家転覆を画策しているのでしょう」
「ばからしいわそんなの!」
私はその荒唐無稽な話に、思考が追い付かなかった。
いちいち訂正するのも、馬鹿らしいものばかりだった。
よくもそんな嘘を大真面目にっ。
突っ込みどころが多すぎて、どこから指摘して良いのか分からない。
その喉元に詰まった言葉からやっと繰り出せたのが、「ばからしいわそんなの!」だった。
私としては当然の反応なのに、周りの様子がおかしい。
「おい、言い返さないぞ?」
「やはり」
「そうだったのか」
私は慌てて周りへ叫ぶ。
「ちょっと待って下さいっ。こんな証拠も無い噓を信じないで!」
「証拠ならあるさエリス・クロムウェル」
「え!?」
証人として進み出た20数名が、次々に懐から物証?を取りだし掲げた。
「エリス・クロムウェル様が運営する、孤児院の裏帳簿を入手しました」
「これは宿屋『踊り子の月影亭』の宿帳です、ここにエリス・クロムウェル様のサインがあります。
宿帳には偽名を使っておられますが、筆跡を比べれば一目瞭然でしょう」
「俺はその部屋にいました。これがその時使用したルナ・ブロッサムです」
「これ、チェロを引いた時の代金です」
「ふざけないで、私は孤児院なんて運営していないっ。
そんなもの証拠にはならないわっ。全部こじつけよ!」
「おやエリス・クロムウェル。では証拠の魔力残滓を調べてみようじゃないか。
全て君の、魔力の残り香が沁みついているだろうから」
「オスカー!」
魔力残滓なんていくらでも捏造できる。
それさえ不確かなものでしかない。
けれど、私は気が遠くなった。
全てニセモノだと言うのに、それをニセモノだとどうやって証明すればいいの?
私ひとりで?
できたとしても、これだけの嘘を全てひっくり返せるの?
私には噓だと明白でも、第三者にはどう見えるの?
そう思ったとき、足元がぐにゃりと歪んだように感じられ、平衡感覚を失った。
オスカーは、たとえそれが安っぽい嘘だとしても、大量に積み重ねれば押し通ると確信している。
そしてその噓を調べ上げさせ、本物だと判じているのは、この国の王太子なんだ。
権力を嵩にかけての掛けての捏造。
それを一介の侯爵家令嬢が、ひっくり返えせるのだろうか?
私は平衡感覚を失って倒れこむ。
そんな私を支える手があった。振り返ればそこには――
「ユキカゼ?」
彼は金髪碧眼のオスカーとは対照的に、銀髪で闇色の瞳をしていた。
けれど私を支えるその手は温かく、誰よりも私を大切にしてくれる。
「エリス様、やはりこの世界はあなたに冷た過ぎる」
その言葉が、私の心に染みこみ暗い影を落とす。
でもその影を今まで払ってくれたのは、他でもないユキカゼだった。
そうだ、ユキカゼは知っている。
私が何者で、これまで何をして来たのかを――
私は生まれながらの、闇属性持ちだった。
闇の子はその本能により、自分が闇属性である事を隠す。
私は密かに代用の火魔法を習得し、そこそこの腕前だった。
そんな中途半端な炎より、生まれ持った闇属性の方が遥かに強力で、その闇から生まれて私に仕えてくれたのが、他でもないユキカゼだった。
まだ私と同じく幼かったユキカゼは、よく私に文句を言っていた。
いつも真夜中、枕元に立つ。
「今日のあのガキ、気に入らなかったら、俺がこっそり始末してやっても良いんだぜ」
「いいの、そんなことしないで」
私は枕を抱き、いやいやする。
その枕は私の涙で濡れていた。
「はあ、良く分からねえよエリスさま。あんたは闇属性だ。
隠してたって、周りの人間はどこかそれを無意識に感じ取り、あんたに辛く当たる。
だからこそ、俺がいるんじゃねえか。
俺を使ってくれよお、そのためにいるんだからさ。
邪魔者はみんな始末しちまえばいい。
そうだろ? それが道理ってもんだぜ」
「いいの私は大丈夫だから」
「甘いなあ、甘いよエリスさま。
この世は、あんたが思ってるより冷たいってのに」
そう言うユキカゼの手は温かく、私が眠るまで手を握っていてくれた。
私はその手に、今までどれほど癒されて来たことか。
けれどその手が、私が魔法学園中等部の頃、血に染まる。
家族で王国南部にバカンス中、私は金目当ての盗賊にさらわれた。
手がかりが無く皆が右往左往する中で、ユキカゼだけが私の魔属性の残滓をたどり、助けに来てくれたのだった。
そこでユキカゼの怒りが爆発し、私の「殺さないで」という言葉を無視して、盗賊たちを皆殺しにしてしまう。
殺してしまった事を嘆く私に、ユキカゼの積もり積もった怒りが爆発した。
「ふざけんなてめえっ、俺がお前を守って何が悪い!
闇属性の持ち主は、みんな自分を大事にして自分を守ってる!
なにのお前ときたらあ、盗賊の命を惜しむなんて。
なんでお前はいつもそうなんだよ!?
それでも闇持ちの子かよ!
お前は闇属性の面汚しだ、頭おかしいんじゃねえか!?」
涙をぽろぽろ流す私を見て、ユキカゼがハッと我に返る。
舌打ちして、私をそっと抱きしめ、背中を撫でてくれた。
「くっそ悪かったよエリスさま、言い過ぎた。だから泣かないでくれよお」
「ユキカゼ……わたし……わたしね、あなたの言うように頭がおかしいの」
「ごめん、それ言い過ぎた。謝るから忘れてくれよ」
「ううん、いいの。ユキカゼ聞いてくれる? 私今まで黙っていたことがあるの」
「はあ、俺に隠し事かよ、ちと傷つくぜエリスさま」
「きっと言っても信じてくれないわ」
私はユキカゼの胸でいやいやした。
そんな私をユキカゼは、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「ふざけんなっての、エリスさまを信じない俺がいたら、俺がぶん殴ってやるっての。
いいから話してみろよエリスさま」
「うん……」
私はその時初めて、心の奥に秘めていた事を打ち明けた。
「まだ小さかった頃、私に取り憑いて、私の体を乗っ取ろうとした霊がいたの」
「はあ!?」
「その霊はとても強力だったけれど、私の闇属性としての力の方が上で、私が逆にその霊を吸収してしまったの。
その霊は自分の事を『転生者』と呼んでいたわ。
そして私たちの住むこの世界を、乙女ゲームと呼んでいたの」
「お、おとめ?」
「そして私の事を『悪役令嬢』と」
「あく……やく?」
「その霊は言ったわ。悪役令嬢とは多くの命を巻き添えにして、破滅に突き進む定めなのだと。
でもこうも言っていたわ。
けれどゲーム知識さえあれば、きっとその運命を乗り越えられると。
その霊は、私の中にゲーム知識を残して消えていったわ。
だから私、その運命を乗り越えたい。
ゲーム知識で多くの人の命も巻き添えにせず、私は私の運命を切り開きたいのっ」
ここまで言って、私はユキカゼの胸に顔をうずめる。
「ごめんなさい、荒唐無稽な話よね。
でも私には分かるの。
信じてもらえないと思うけれど、転生者の霊は本当のことを――」
「信じるさエリスさま」
「え」
「俺は信じるっ。たとえこの世の誰もが信じなくても、俺だけは信じる。
いいぜ分かった、殺しは無しだ。
運命をひっくり返すために、殺しは無しにしてやるよ。
だからさエリスさま。
これからはこの俺を、エリスさまの運命を切り開くために使ってくれ」
「ユキカゼっ」
こうして私たちは、定期的に現れる「イベント」という現象を回避していった。
悪役令嬢の私は、これまで誰も傷つけず、殺さずを通してきた。
霊の記憶では、私はメイドイビリもやるそうだけれど我慢した。
そう我慢。私は我慢する
私の中に悪役令嬢というキャラ設定が生きていて、そう言う気持ちがむくむくして、私をイベントの度に苦しめる。
けれど同時に霊の記憶と通して、それがむなしいものだとも知っていた。
時にはユキカゼに八つ当たりもしたけれど、ユキカゼはいつだって私を癇癪ごと包んで癒してくれた。
私にとってユキカゼは、大切な人。
いつの間にかユキカゼは、従者の立場を越えて私に触れてくれた。
私も自分からユキカゼを求めた。
私には子供の頃から、オスカー王太子の許嫁だったけれど、私の心はいつもユキカゼにあった。
「ユキカゼ、もし私が闇に落ちしたら――」
「縁起でもねえこと言ってんなよ。
つうかそもそも、エリスさまって闇属性だっての」
「ふふ、そうだった」
「まったく、でもまあ、もしそんなことになっても心配すんなよ。
俺が一緒に落ちしてやるよ、どこまでもさ。
俺だけは決して、エリスさまから離れないぜ」
「ああユキカゼ……」
*
オスカーが叫び、周りの者たちがざわめく中で、私はユキカゼの囁きにだけ耳を傾ける。
「エリス様、やはりこの世界はあなたに冷た過ぎる。
あたながこれまで、その運命を退けようとしても、この世界はどこまでもあなたを追いかけてくるんだね。しつこい奴だ」
「私、やっぱり無駄だったのかな」
「無駄じゃないさ」
転生者が言っていた「ゲーム正史」では、今回告発されたほとんどの事を、悪役令嬢の私はやっていたらしい。
けれど私はユキカゼの力を借りて、その悪へと落ちていくイベントの全てを無効化してきた。
してきたはずなのに。
こんな嘘の証言という形で、結局断罪イベントが始まってしまうなんて。
「逃げられないわ」
「そうじゃない、逃げるんじゃなく立ち向かうんです。
いつだって俺たちは、そうして来たじゃないですか」
「でも」
「思い出して下さいエリス様。
これまでエリス様を悪へ貶める、さまざまなイベントが発生しました。
けれどそれを全て俺たちの力で、無力化してきたじゃないですか。
たとえ破滅の運命が追いかけてこようとも、エリス様はその運命をことごとく捻じ曲げてきました。
その際、エリス様は一人の犠牲者も出してはいない。
エリス様、あなたは運命に勝っていらっしゃる。
私はそんなあなたが誇らしく、そして愛おしい」
「ああ、ユキカゼ」
「なんだ、どこから出てきた!」
「きっと歓楽街で胴上げしていた一人だわ、昼間から抱き合うなんて下品!」
どっちが下品なんだか!
オスカーとリリアーナが、ユキカゼを罵倒する。
そんなふたりに、ユキカゼは氷のような視線を送った。
「ふん、そこの光属性のアホ女に心移りしたのなら、そうだとエリス様に伝えればいいだけの事を、こんな三文オペラにして」
「貴様、それが王太子に言う事かあ!」
「自分が不貞の汚名を被りたくないがために、全ての罪をエリス様に着せようなどと、なんて器の小さい男だ。
八つ裂きにしてやりたい所だが、我が力はエリス様をお守りするためのもの。
心優しき我が主に、感謝するのだな」
「僕はこの国の王太子だぞ!」
「それはもう聞いたさ」
ユキカゼに罵られ、頭に血がのぼるオスカーの横で、リリアーナが怪訝な表情をした。
しきりに会場を見まわしている。
私はそれを見て、さすが光属性のヒロインだと思った。
大広間にいる者たちが、知覚できない変化。
ほんの少しだけ、パーティー会場の光量が落ちていた。
そのことに、光属性のリリアーナだけが気づいたみたい。
けれど、それが一体どういう事なのかは分からず、困惑しているようだった。
会場の光量が落ちた原因。
それは私の横に立つ、ユキカゼの身体の一部が、会場の空間に溶けて薄く広がっているからだった。
ユキカゼは、私の闇から生まれた闇の住人。
だから闇へと戻るのは、造作もないこと。
その能力を使って、今やパーティー会場全体にユキカゼは薄く偏在していた。
私はその闇のヴェールへ働きかける。
ユキカゼがオスカーをおちょくっている間に、私は闇魔法「影の苦痛」を唱えた。
その効果が発揮される直前。
異変を察知したリリアーナが、自分とオスカーの周りにだけ光のヴェールを展開した。
それにより、リリアーナとオスカーを除く会場の者たちに、シャドウペインが発動する。
シャドウペインは、人の「罪悪感」を暴走させる魔法だった。
この魔法は通常、攻撃対象が一名なのだけれど、ユキカゼの能力を併用して範囲攻撃へ強化することができた。
私が吸収した転生者の知識によると、シャドウペインは、悪役令嬢がメイドにかけてイビリ倒す際に使うらしい。
けれど私は、これまで一度もそんなことに使ったことはない。
そんな魔法は、こういう時にこそ積極的に使うべき。
私は嘘つきな証人たちへ、声をかけていく。
「私はこれまで、今は亡き母の言葉。
素直であれ、正直であれという言葉を胸に抱き、生きてきました。
私は、私を慈しんでくれた母に誓って言います。
私はあなた方の言うようなことは、一切しておりません。
なぜそのようなことを仰るのか、私には理解できません。
ですがきっと皆さんにも、深い事情がおありなのでしょう。
でもっ、でもっ……」
私はここで、もうこらえ切れないといった表情で目に涙を溜める。
まだ零さない。
私はじっと証人たちを見つめる。
偽証者たちが、胸をおさえて苦しみ始めた。
がくがくと膝が震えている。
私の潤んだ瞳が、証人たちを縛り付ける。
その心の中で「罪悪感」が暴走していた。
私は充分に間を取ったあと、ほろりと涙を零す。
その頬に伝わる一筋がトリガーとなって、罪悪感が証人たちの心を圧し潰した。
金で雇われた強欲な者たちが、次々に跪き、私に許しを請う。
「うわああああ、俺はなんてことをっ」
「許して下せえっ」
「なんてこった、わしは金に目が眩んでっ」
「ここに来て証言すりゃあ、金貨10枚ってよお」
「私の言ったことは全部デタラメです、口から出まかせなんです!」
「エリス様はなんも、してねえですうっ」
「俺はなんてド畜生なんだあっ」
「僕、チェロなんて弾けねえんですう」
心が押しつぶされ、胸を搔きむしって自信を責め立てる。
そんな者たちを目の当たりにして、パーティー会場がどよめいた。
オスカーは口をあんぐりと開け、顔が真っ青になる。
その横で、しおらしい顔を捨てたリリアーナが、歯ぎしりした。
私はふたりを無視して、証人たちへゆっくりと近づく。
20数人の目が、すがり付くように私へ集中する。
私の靴を舐める勢いで、皆が知らない男に声をかけられ、口車に乗ってしまったと詫びた。
その額を床にこすり付ける。
たぶんその知らない男は、誰かさんの手下で、その誰かさんの名は言うまでもないだろう。
ねえオスカー様。
「皆さん本当の事を言ってくれて、ありがとうございます。
私はあなた方を許します」
その言葉に証人たちは涙を流し、会場のギャラリーが更に沸き立つ。
この会場にいる皆が、私を疑ったことに強い罪悪感を覚えているのだった。
パーティー会場が、割れんばかりの私への賛辞で埋め尽くされる。
その中でオスカーが何か喚いているけれど、全く聞こえない。
私はその狂騒の中でリリアーナに近づき、そっと耳元で囁く。
「私は、幼いころから運命に抗ってきたの。
今のあなたなんて、私の敵じゃないわ」
リリアーナは目を丸くして後ずさりした。
可愛らしい聖女候補さまは、口から泡を飛ばすオスカーを引きずり、会場から逃げるように去っていった。
私は手を振り歓声に応える。
さあ、卒業記念パーティーは始まったばかり。
狂乱はそのままに、パーティーは再開された。
弦楽団はハイテンションに掻き鳴らし、皆で学園の校歌を熱唱する。
男子生徒たちが、着飾った女子をダンスに誘い、色とりどりのドレスが花咲くように揺れた。
会場内なのに、誰かが花火魔法を打ち上げているけれど、まあよいでしょう。
そんなタガの外れた卒業祝いから離れて、私とユキカゼは、テラスでグラスを傾ける。
今日はうまく切り抜けたけれど、世界(運命)はこれからも私を追いかけてくるだろう。
私が悪役令嬢としての役を放棄すれば、誰かが悪役化してゲームシナリオを進めようとするのだから。
でも心配はしていない。
私のそばにユキカゼがいてくれる。
ユキカゼがいる限り、私は運命を切り開き続けるだろう。
「私の、世界へ向けての『ZAMA』はこれからね」
「ざま?」
私の呟きに、ユキカゼが小首を傾げた。
「転生者の世界の言葉よ。
運命に抗う、魂をさす言葉らしいわ」
私はグラスを置き、ユキカゼに左手を差し出す。
「ねえユキカゼは、私をダンスに誘ってくれないのかしら?」
「我が君よ、喜んで」
私は花火が打ち上がる狂騒の中で、ユキカゼにリードされステップを踏んだ。




