49.人払いの通り――眠り姫の昼寝が導く奇縁
・前回のあらすじ
バイク筆記試験を合格して帰る途中、赤髪少女を背負ったヘルメスはローブ姿の集団に襲われる。
だが寝ている彼女を庇いながらも、圧倒的な体術で敵を一蹴。
今だ熟睡し続ける少女はいったい何者なのか――?
波乱だらけの帰路は続く。
連載形式で更新していく予定ですので、ぜひ最後までお付き合いください。
数分ほど歩いて距離を取ったころ、後方でうっすらとサイレンのような音が響いてきた。
誰かが通報したか、それともローブの連中の仲間が騒ぎを起こしたかは知らないが、タイミングとしては早い気がする。
それでもここまで離れれば問題はないだろう。
(あれだけ叩き伏せた連中が、しばらくは起き上がれるはずもない。 周囲に危害を加える気力も残っていないだろう。 ともかく、早めに移動して正解だったな)
少しずつ車の走行音や人の声が戻ってきているようだ。
ビルのガラスが昼下がりの陽光を反射し、視界が眩しくなる。
(あと少しでウィロー・クレス通りの三丁目……本当に二十分で済むのか、怪しいな)
疑問を抱きながら、一歩一歩を踏み締める。
肩ごしの重みは相変わらずだが、少しして背中の感触が微妙に動き始めた。
「ん……ふぁ……」
背中で女性が伸びをするように、腕と腰を動かしている。
俺は歩調をゆるめて声をかける。
「おい、起きたか。眠り姫。……さっき妙なのが来たが、もう離れたから安心しろ」
「ん……なんか久しぶりにぐっすり寝られた……ありがとう……って妙なの……?」
「変な連中が襲ってきてな。通報するか迷ったが、お前寝てるし、大騒ぎになるのは避けたかったからやめた」
「そっか……あんまり騒ぎになるのは嫌……助かった」
彼女の声はまだ眠気を帯びているが、さっきより意識ははっきりしてきたようだ。
それでも少しぼんやりとした雰囲気が抜けない。
俺は思わず首をかしげる。
「襲われたこと自体より、騒ぎになるのが嫌なのか? ……変わってるな。ま、無事ならいいが」
「うん……ごめんね、変だよね」
「いや、別に。俺は迷惑に思ってないし、怪我がないなら、それが一番だからな」
彼女の返事に一応納得しつつも、違和感は残る。
何か隠していることを察しながらも、深く問いただすのは悪いと思い、俺は話題を変える。
「相当眠そうだな。いつもこんな感じなのか? 昼にこうも爆睡するのは珍しいと思うが」
「夜……あんまり眠れないの。『夜驚症』っていうのをずっと抱えてて……夜に恐怖で飛び起きるから、ぐっすり寝るのは難しい。だから昼に一気に寝落ちすることが多いんだ」
「夜驚症……そんな病気があるのか」
彼女が小さく息をつくのを感じる。
大変な事情があるのだろうが、ここで深入りしすぎるのは悪い。
最小限の確認だけに留めておく。
「そりゃきついだろうが、無理するなよ。ところで、一つだけ――さっきお前を狙ってきた連中だが、身代金目的とか、そういう筋じゃないのか?」
「んー……心当たりなら多すぎるぐらいだけど、内緒。ごめん」
彼女が弱々しく笑う。
俺は軽く苦笑しながら、“普通”とは違う身の上なのだと察する。
「なんだそりゃ。余計気になるじゃないか。ま、いい。困ることがあったらまた助けてやるよ」
「……ナンパ? やっぱり」
「違ぇって。こんな睡魔だらけの子をナンパするほど俺も暇じゃない」
軽い冗談を交わし、彼女が背中を少しずらして地面へ足をおろそうとする。
俺はバランスを保つため、片腕を添えて倒れないよう支えてやる。
「もう着くのか?」
「たぶん、あと数分……」
彼女は小さくまばたきをしてから、少し間をおいて口を開いた。
「……困ったら助けてくれるって言ったよね? だったら、連絡先を交換しない? 連絡できなきゃ助けも呼べないし……」
「おお、逆ナンってやつか?」
「違うに決まってるでしょ」
彼女が短く言い切ると、苦笑いしながらポケットから端末を取り出して画面を操作する。
こちらも端末を出して、それぞれの画面を近づける形だ。
「何があるか分からないしな。連絡ついたほうが都合がいいかも。次に襲われたら、俺がなんとかする」
「うん。あ……できた」
画面に表示された文字を見て、俺は素直に口を開く。
「おぉ、いい名前だな」
「あ……ありがと。あまり言われたことないけど、そう思う?」
彼女が少し照れたように返事をする一方、今度は彼女の目が端末画面を見返した。
続いて、ゆっくりと俺のほうを見上げる。
「ヘルメス……なかなか、珍しい名前だね」
「そうか…? 大した名前でもないと思うが」
彼女は画面を閉じ、軽く微笑む。
そして、改めて端末をしまいながら、お辞儀するように頭を下げた。
「うん、たぶん大丈夫。今日は……本当に助かった。だけど、あなたって……さっきもそうだけど、知らない人をここまで背負ったり、危ない連中をあっさり撃退してくれたり……人が良すぎるよ。いつか悪い人に騙されるかも」
彼女がやや上目遣いで俺を見ながら、心配そうに言う。
俺は肩をすくめ、端末をポケットへしまった。
「そうかもしれん。騙されるなら、そのときは仕方ねぇさ。助けが必要なやつを見捨てるほうが、俺には後悔が残る」
「……後悔ね。あなた、変わってる」
「変でもいい。痛い目を見たって構わん。やりたいことをやらずに悔やむよりマシだ。……ま、お嬢さんには関係ないことだが」
彼女はそれを聞いて、微かに唇を動かし、「なんか名言っぽい」と小声で漏らす。
俺は軽く苦笑して続ける。
「もし何かあったら連絡しろ。そんときは俺が警察より先に動いてやるさ」
「……ナンパなら断るけど」
「だから違うんだよ」
お互い笑い混じりの視線を交わすが、彼女はすぐに目を逸らし、門らしき場所へ向かって足を止める。
昼下がりの光が弱まったように感じる中、彼女は軽くお辞儀し、敷地内へ入っていく。
門扉が静かに閉まる音だけが響き、道には穏やかな空気が戻った。
遠くでかすかに聞こえていたサイレンも、どうやら別の方向へ行ったらしい。
俺は彼女の後ろ姿が消えた庭をちらっと見やり、再び端末を開く。
(夜驚症、か。何があったか知らんが、大変そうだな……)
画面には“カレン”の名が表示されている。
先ほどの出来事が少し不思議な後味を残すが、これ以上は深く追及しない。
今は筆記試験合格の余韻と、次の実技練習を優先しよう。
「じゃあ、バス停まで走るか。もう変な事件には巻き込まれたくない」
日差しがビルに反射し、目を焼くようなまぶしさを感じる。
軽く息を整えながら、ふと脳裏にルナの顔が浮かんだ。
彼女はまだ入院中だが、つい先日「退屈すぎる」と連絡をしてきたのを思い出す。
(あいつが暇を持て余してるなら、顔でも出してやるか。せっかくなら買ったばかりのこの運動服を見せてみよう)
胸元のジャケットを少し撫でながら、そう心に決める。
(さて、昼下がりとはいえ、しっかり体を動かさないとな。実技練習まで体力を落としたくないし)
わずかに身をかがめ、足もとの感覚を確かめるように一歩ずつ走り出す。
カレンと出会ったあとの妙な疲労も、こうして身体を動かすことで紛らわせたい。
「よし、行くか」
ビルの合間を抜けるように、昼の街を駆ける。
まだ日は高く、先ほどの騒ぎがあったとは思えない穏やかな空気が漂っている。
ローブの連中やカレンの“夜驚症”のことなど、考えてもすぐには解決できない問題だ。
(ルナにも話してみるか。あいつ、どう反応するかな……)
そんな思いを胸に、俺はバス停を目指して走り抜ける。
街のざわめきが遠くで聞こえ、背中には太陽の熱がじわりと滲む。
この先にどんな波乱が待っているのかは分からないが、とりあえず今日のところは、筆記合格の余韻と少し奇妙な出会いを糧に進むのみだ。
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