34.白熱灯の下――ヘルメスが語る襲撃の真実
・前回のあらすじ
ヘルメスたちとの激戦を経て、セシリアは制御宝珠を手に研究所を脱出。
魔眼の酷使で限界が近づく中、夜の丘を目指す。部下のカレンと合流!
敵であるヘルメスがなぜか殺意を向けず、むしろ自分を庇う動きを見せたことで、母の仇としての憎悪と奇妙な違和感の間で心が揺れるセシリア。
“導師様への忠誠”と“復讐”を胸に、彼女は迷いを押し殺し、闇の中へと足を踏み出したのだった。
連載形式で更新していく予定ですので、ぜひ最後までお付き合いください。
薄暗い照明の下でじりじりと熱を放つ空気に、かすかに煙草の残り香が漂うその部屋。
そこに座るヘルメスの姿は、異様な雰囲気をいっそう引き立てているかのようだ。
軍から払い下げられた無骨な椅子に腰を下ろしているのに、不思議としっくり馴染んで見える。
グラント・ウォーカーはそんなヘルメスの様子を眺めながら、手元のファイルを指先で弾いた。
そのファイルには、先日の研究所襲撃事件に関する記録と写真が一式まとめられている。
思い出すだけで胃のあたりがざわつく惨状だった。
(信じられない話だよな。最初にこいつと会ったときは、言葉がまるで通じなかったはずなんだが……)
そう考えつつ、グラントはファイルの表紙を軽く撫でる。
視線の先には、相変わらず得体の知れない存在感を放つヘルメスがいる。
「……あれから大して日は経ってないはずだが、今じゃ普通に英語で会話できるとはな、ヘルメス」
表向きは無愛想を装いながらも、グラントは率直な驚きを言葉にした。
ヘルメスはほとんど表情を動かさないまま、淡々と答える。
「ルナの教え方が上手かったんでな。最初は戸惑ったが、意外とすぐ馴染めた」
低く落ち着いた声には、もともとこの言語を使ってきたかのような流暢さが感じられる。
グラントは肩をすくめてみせた。
「そうか。あの子らしいな。正直、驚いたよ。ヴィクターからは、ルナとお前が敵を追い返したと聞いてる。あいつは署に来るや否や、命の恩人だってしつこいくらい言い回ってたぜ」
グラントはファイルを開いたまま、再びヘルメスに視線を向ける。
以前ビルから落下しても平然としていた時点で常識外れだと思っていたが、今回の件でいっそうミステリアスさを増しているように見えた。
「何より最初に言わなきゃならんのは、やっぱり礼だ。ルナを救ってくれてありがとう」
本来はこういう言葉を口にするのは柄ではないが、毒に冒されたルナが助かったのは事実であり、それにヘルメスの協力が大きかったのもまた事実。
グラントは素直に感謝を伝える。
ヘルメスはかすかに視線を伏せながら、静かな口調で応じた。
「……俺じゃない。ヴィクターのおかげだ。応急処置と延命策がなければ、どんな毒でも助からなかった」
謙虚とも言える態度に、グラントはふと疑問を抱きつつも口元に淡い笑みを浮かべる。
「はは、ずいぶん謙虚じゃねえか。とはいえ、あの毒をどうやって解いたんだ? 毒にもいろいろあるが、普通じゃ考えられないスピードだったと聞いてるぞ」
ルナの症状は相当深刻だったと報告を受けている。
いったい、どうすればわずかな時間で毒を消せたのか――グラントの常識には収まらない話だ。
「……言って信じてもらえるか分からんが、俺にはそういう力があってな。その力で毒を“無効化”した」
事もなげに言われると、逆に裏があるのではと勘ぐりたくなるが、どうやら本気のようだ。
グラントは曖昧にうなずくしかない。
「なるほどな。俺の知ってる科学じゃちょっと説明できないかもな」
彼はわずかに肩を落としながら言葉を続ける。
ルナが助かったのは確かな以上、これ以上とやかく言うことはできない。
「とにかく、ルナを救ってくれたことには感謝してる。ありがとう」
グラントがファイルをぱたんと閉じ、ヘルメスの様子を改めて観察すると、相手はまるで当然のことをしたかのように淡々としていた。
一方で、今回の襲撃者が何者なのか、ヘルメスの正体も含めて掴めていない部分は多い。
「……ともかく、コーヒーでも飲んで落ち着こう。気負う必要はない」
備え付けの紙コップを軽く示すと、ヘルメスは軽くうなずく。
「もらおうか。ルナも好きなんだ、コーヒーは」
グラントは思わず小さく笑みをこぼした。
ルナがコーヒー好きだという話はあまり聞いたことがなかったが、どこか微笑ましく思える。
「ルナがコーヒー好きとはな……知らなかった。あの子は酒に弱いが、コーヒーは平気らしいな」
紙コップに注がれる警察署備品のコーヒーは決して美味とは言えないが、飲まないよりマシだろう。
グラントはコーヒーサーバーのレバーを押し下げながら、ふと改めてヘルメスへ視線を向ける。
「さて、ヘルメス――少し詳しく聞きたい。あんたの正体は何なのか、今回襲ってきた連中は何者なのか」
紙コップをヘルメスに差し出しつつ、グラントは相手の青い瞳を正面から捉えた。
そこには、警察の常識では測りきれない深い闇を感じるが、捜査官として退くわけにはいかない。
(まぁ、いいさ。現場をまとめるのが俺の仕事だ。やるしかないだろ)
そう腹をくくり、グラントは自分のコーヒーも手に取りながら、ヘルメスの答えを待つ。
その後、淡々と語られた内容は、さらに想像を絶するものだった。
襲撃者は「アストラル・イニシエイト」なるカルト組織で、魔術を行使している――。
まるで荒唐無稽なファンタジーのようだが、ハーグレイブ研究所が惨状を呈したのは事実だし、ルナが“魔法毒”で倒れた点から考えても否定はできない。
彼らは研究所を襲撃し、研究員を拉致・施設を破壊し、“魔術”らしき力で瞬く間に甚大な被害をもたらしたらしい。
グラントは落ち着いたふりをしながらも、心中で頭を抱える思いだった。
「……やつらは“アストラル・イニシエイト”と確かにそう名乗ったのか?」
グラントが改めて念を押すと、ヘルメスは静かにうなずく。
「そうだ。導師様と呼ばれる存在もいるらしい」
カルト色の強い組織を思わせるが、真偽は分からない。
グラントはかすかに息を吐きながら、思い出す。
かつて妹のアーディアが怪しげなカルト情報をつかんだと話していたのを耳にしたことがあるのだ。
(アストラル・イニシエイト……まさかこんな形で関わるとはな)
ヘルメスの言葉を疑う余地はないが、そのあまりに非常識な内容には頭が痛む。
しかし、ハーグレイブ研究所を襲った現実を前に、常識が通用しない相手だという事実を受け止めるほかない。
「相当な実力者なんだな? ヘルメス」
グラントが問うと、ヘルメスは静かにうなずく。
「武器や爆弾だけじゃなく、魔術を使う仲間が何人もいるようだ。姿を見せたのは二人だけだったが、その背後にはまだ大きな組織や計画があるはずだ」
「教団……カルトか」
グラントは短くつぶやき、メモを取りつつ思考を巡らせる。
ビル落下事件以降、ヘルメスに関わる話はどれも常識外れで、今回も同様だ。
それでも放っておくわけにはいかない。被害はすでに出ており、ルナが命の危機に陥ったのだから。
「分かった。俺も半信半疑だが、妹から聞いたことがある名前でもある。情報を集めるしかないな」
グラントはもう一度、散らばった書類に視線を落とした。
崩壊したビルの瓦礫や血痕の写真、無残な研究所の姿……どれも簡単には説明のつかない光景ばかりだ。
「で、あんたは今後どう動く? ルナは搬送されたばかりだし、ヴィクターは研究所の復旧と人質の奪還を考えてる。警察の捜査に協力してくれるのか? それとも……」
ヘルメスは微かに宙を見るような視線を浮かべ、わずかに口を引き結んだ。
その沈黙が、グラントには“自分たちの常識の先にある世界”を感じさせる。
しかし今は真偽を問うよりも、手を取り合って対処するほかに道はないだろう。
(まったく、厄介な事件だが、やるしかない)
そう心中でつぶやきながら、グラントはコーヒーからほんの少し立ち昇る湯気を見つめ、ヘルメスの返事を待つのだった。
次は04/06 00:10 投稿予定!
最後まで読んでいただき、本当にありがとねぇ!
評価やブックマーク、レビューを頂くたびに、作者は嬉しさの余り盆踊りしてます。
ルナ先生めっちゃ教えるの上手い。




