女魔王が聖女の誘惑に負けるわけがない!
魔王様、聖女を捕えてきました!」
「おお、ようやくか。どこで見つけたのだ?」
「夜の繁華街で客引きをしているところを捕えました!」
「……ん? なぜそんなところに聖女がいる?」
部下が得意げに派手な服を着た女を連れてくる。
しかし、魔王エリザはひと目見るなり、深いため息をついた。
「これはどう見ても聖女じゃなくて性女ではないか!」
エリザは頭を抱え、部下を睨みつける。
「ちょっ、誰が性女よ! 失礼ね!」
捕えられた女が頬を膨らませて抗議する。派手な化粧、胸元が大きく開いたドレス、香水の強い匂い——どう見ても高級娼館の人気嬢だ。
「では貴様、聖女リリアンではないのか?」
「違うわよ! わたしはリリィ・ラヴ! ナイトメア娼館のトップよ!」
「……リリアンじゃなくてリリィ? 全然違うではないか!」
エリザは額を押さえながら、部下に詰め寄った。
「お前、本当に聖女を捕えたつもりだったのか?」
「も、申し訳ありません! 『リリ』という名前を聞いて、てっきり……」
「似てるからで連行するな! ただの迷惑だ!」
エリザが怒鳴ると、リリィ・ラヴはふんと鼻を鳴らした。
「まったく、こんな乱暴なことして——でも、魔王様って意外と美人なのねぇ?」
「……なっ?」
「どうせなら、もう少し強引に扱われてもよかったかも……なんて?」
にやりと微笑むリリィ・ラヴに、エリザは背筋をぞっとさせた。
「よし、お前、すぐにこの女を解放し、二度と間違えぬようにしろ!」
「はっ、申し訳ありませんでした!」
部下がリリィの腕をつかもうとした、その瞬間——
「……ちょっと、わたしはまだ帰る気分じゃないのよ?」
リリィが妖艶に微笑いた次の瞬間、彼女の体から眩い光が放たれた。
「うわっ!? な、なんだこれは!」
部下が伸ばした手は見えない力によって弾かれ、そのまま後方へ吹き飛ばされる。ドゴォン! という派手な音とともに、石壁に叩きつけられた部下は白目をむいて動かなくなった。
「なっ……!?」
エリザは目を見開く。光をまとったリリィの姿は、まるで神聖なオーラを放つ聖職者のようだった。
「……あら、これってもしかして?」
リリィは自分の手を見つめ、くすくすと笑った。
「ねえ魔王様、ひょっとしてわたし、本当に聖女だったりする?」
「……いや、ありえんだろう!」
エリザは即座に否定したが、確かに彼女が発した光は、聖女リリアンが使う聖なる魔法に似ていた。
「これは……どういうことだ?」
魔王城の空気が一気に張り詰める。
繁華街で捕まえられたはずの女が、本物の聖女かもしれない——そんな悪夢のような可能性が、エリザの脳裏をよぎった。
リリィはゆっくりと光を収めると、妖艶な笑みを浮かべながらエリザに歩み寄る。
「ねえ、魔王様?」
甘ったるい声が耳元をくすぐる。距離が近い。いや、近すぎる。エリザが思わず後ずさろうとすると、リリィはそれを逃がすまいとするかのようにさらに踏み込んできた。
「さっきは『性女』なんてひどいこと言ってくれたけど……」
リリィはエリザの顎にそっと指を這わせる。長くしなやかな指先がエリザの肌をくすぐり、ゾクリとした感覚が背筋を駆け上がった。
「わたし、意外と"純粋"なのよ?」
「なっ……」
「それにね、こんなに間近で見たら……魔王様、すっごく綺麗じゃない?」
リリィの顔がさらに近づく。吐息がかかるほどの距離。香水とは違う、ほんのり甘い香りがエリザの鼻をくすぐった。
「ちょ、ちょっと待て……!」
エリザはリリィを押しのけようとするが、なぜか体が思うように動かない。
「んふふ……魔王様みたいに強くて綺麗な人が、わたしを力ずくで押し倒してくれたら……ちょっとドキドキしちゃうかも?」
「……っ!」
エリザの脳が一瞬フリーズする。魔王として数々の戦場を駆け抜けてきた彼女が、まさかこんな形で押されるとは思いもしなかった。
「……貴様、一体何者だ?」
「うふふ、それは魔王様が確かめてくれるんでしょう?」
リリィは挑発的に微笑むと、そっとエリザの胸元に指を滑らせた。
「ちょ、やめ……!」
エリザは慌てて飛び退いた。頬が熱い。全力で平静を装ったが、耳まで赤くなっているのが自分でもわかった。
リリィはそんなエリザの様子を見て、満足そうに笑う。
「ふふっ、やっぱり可愛いわね、魔王様♡」
「貴様……! からかっているのか!?」
「からかうだなんて、とんでもない」
リリィは微笑みながら、再び一歩踏み出す。
「わたしは本気よ?」
エリザの心臓が、妙な意味で高鳴った。
リリィはしなやかに微笑みながら、再びエリザに歩み寄る。その瞳はまるで獲物を狙う猫のように妖しく光っていた。
「……ふ、ふざけるな!」
エリザは動揺を悟られまいと声を張るが、僅かに裏返ってしまった。リリィはそんな彼女を見て、ますます愉快そうに笑う。
「ふふっ、魔王様って意外と初心なんだ?」
「ち、違う! 貴様のような怪しい女に警戒しているだけだ!」
「へえ……怪しい女、ねえ?」
リリィはわざと大げさに肩をすくめてみせると、スッと手を差し出した。
「じゃあ、ちゃんと自己紹介するわ。わたしはリリィ・ラヴ。繁華街じゃ『魅惑の聖女』なんて呼ばれてるの」
「……聖女?」
「そう♪ まあ、本物の聖女様ほど立派な奇跡は起こせないけど……わたしの『祝福』を受けたお客さんは、みんな最高に幸せな気分になれるのよ?」
リリィが意味ありげに微笑む。その唇から零れる言葉は、どこまでも甘美だった。
「魔王様も、試してみる?」
「っ……!」
エリザは無意識のうちに数歩後ずさった。だが、背後にはすでに王座の縁がある。逃げ場はない。
リリィはエリザを追い詰めるようにさらに近づき、そっと手を伸ばした。
「ねえ、魔王様。そんなに緊張しなくてもいいのよ?」
そう言いながら、リリィの指先がエリザの頬に触れる……
「っ……!」
エリザの体がビクッと跳ねる。頬に触れたリリィの指先は、思ったよりもひんやりしていて、それが妙に心地よい。
「ほら、怖がらなくてもいいのよ?」
リリィは囁くように言いながら、指先を滑らせる。頬から耳元へ、そして首筋へ——。
「な、何を……っ」
エリザは振り払おうとするが、なぜか力が入らない。リリィの指が触れるたびに、背筋がゾクゾクとする。魔力でも込められているのか? いや、それよりも——
(こ、こいつ……ただの娼婦じゃない……!)
本能が警鐘を鳴らす。だが、思考とは裏腹に、体が微妙に熱を持ち始めているのがわかる。
「ふふっ、魔王様、少し顔が赤いんじゃない?」
リリィがクスクスと笑う。エリザはハッとして手で自分の頬を押さえた。確かに熱い。だが、これはリリィのせいではない。決して、決して……!
「くっ……くだらん! いい加減にしろ!」
エリザは気合で動かぬ体を振り絞り、リリィの肩を掴んで強引に突き放した。
「あっ……」
リリィはバランスを崩し、咄嗟にエリザの手を掴む。
「ちょっ——」
次の瞬間、エリザの視界がぐるりと反転する。
ドサッ!
気づけば、エリザはリリィを押し倒す形になっていた。
「……え?」
状況を理解するのに数秒かかった。エリザの手はリリィの肩を押さえつけ、彼女の華奢な体を完全に押し込んでいる。柔らかい感触が伝わってきて、思わず手を離しそうになった。
リリィは唖然とした後、ふっと妖艶な笑みを浮かべた。
「へえ……魔王様、案外大胆なのね?」
「ち、違う! 貴様が勝手に転んだからだ!」
「でも、結果的に押し倒したのは魔王様よね?」
「……っ!」
エリザの顔が一瞬で赤く染まる。リリィはその反応が面白くて仕方ないというように、クスクスと笑った。
「ねえ、このままわたしをどうするつもり?」
「な、何もしない!!」
エリザは慌てて体を起こそうとする。しかし——
「……あら?」
「……な、なんだ?」
「魔王様、腕に力が入らないみたいね?」
「なっ……!?」
確かに、エリザの体は思うように動かない。まるで力が抜けてしまったように、腕が震えている。
「ふふっ、もしかして……わたしの魅了が効いちゃったのかしら?」
リリィは上目遣いでエリザを見つめ、唇を妖しく舐めた。
「ま、まさか……!」
エリザは青ざめた。まさか、先ほどの光——あれがただの演出ではなく、本当に聖女の力によるものだとしたら?
「ねえ、魔王様?」
リリィはそっとエリザの頬に手を添え、甘い声で囁いた。
「このまま、わたしに屈服しちゃう……?」
エリザの心臓が、激しく鳴り響く——。
「なっ、なっ、なっ……!」
エリザの顔がみるみる赤くなっていく。
動揺を隠せず、目を泳がせる魔王に、リリィはますます楽しげに微笑んだ。
「ふふっ、魔王様ってば、ほんと可愛いわね?」
「か、可愛くなどない!」
「でも、そんなに顔を赤くしちゃって……まるで恋する乙女みたい?」
「ち、違う! こんな状況だから熱くなっているだけだ!」
必死に否定するエリザだが、リリィはますます興味を引かれたように彼女の顔を覗き込む。
「へえ……じゃあ、もっと熱くしちゃおうかしら?」
「は!? ま、待て、何を——」
エリザが言い終わる前に、リリィはスッと手を伸ばし、魔王の顎をそっと持ち上げた。
「ん〜、やっぱり魔王様って綺麗ね……もうちょっと大胆になってみたら?」
「だ、だい……!? なっ!?」
リリィがゆっくりと顔を近づける。エリザの鼓動がさらに速くなっていく……
エリザは目を見開いたまま、何もできずに固まっていた。
「ねえ、魔王様……」
囁くような甘い声が耳をくすぐる。リリィの指先がエリザの顎をなぞるように滑り、軽く持ち上げると、さらに顔が近づいた。
「ふふっ……魔王様の唇、すごく綺麗」
「なっ……!」
エリザの喉がかすかに震える。思考が追いつかない。逃げなければならないはずなのに、体がまるで石化したように動かない。
リリィは満足そうに微笑むと、魔王の首筋にそっと指を這わせた。
「ん……やっぱり緊張してる?」
「ち、違う……」
「ふふっ、強がりね。可愛い♡」
リリィの指先がエリザの鎖骨に触れた瞬間、ゾクリとした快感が背筋を駆け抜ける。
「っ……!」
体がびくりと震え、エリザは無意識のうちに肩をすくめた。
(こ、こいつ……! 一体、何を……!)
普段ならばすぐにでも弾き飛ばしているはずの相手。それなのに、なぜか抵抗する気力がわいてこない。いや、むしろ——
(もっと……)
その考えが頭をよぎった瞬間、エリザはハッとした。
(違う! 私は魔王だ! こんな誘惑に負けるわけには……!)
必死に抗おうとするが、リリィの指先が滑るように肩から腕へと這っていき、甘く優しい声が耳元で囁く。
「ねえ、魔王様……」
「な、なんだ……?」
「もう、抵抗するのやめちゃえば?」
「……っ!」
その言葉は、エリザの理性をギリギリのところで揺さぶった。
「わたしはね、"お客さん"を幸せにするのが仕事なの」
リリィの手がエリザの胸元に触れる。
「魔王様も、わたしに気持ちよくしてほしい?」
「な、な……!?」
エリザの思考が、完全に停止する。
それを見たリリィは、さらに大胆に——エリザの耳元に唇を寄せ、そっと息を吹きかけた。
「ねえ、魔王様?」
「……ぁ……」
エリザの口から、かすかな吐息が漏れる。
その瞬間——
「——ちょ、ちょっと待てえええええ!!!」
エリザは全力でリリィを突き飛ばした。
「きゃっ!」
リリィは軽やかに後方に転がると、猫のように優雅に身を起こした。
「……あら、残念。もう少しだったのに?」
彼女は唇に指を当てながら、わざとらしくため息をつく。
エリザは荒い息を整えながら、顔を真っ赤にしてリリィを睨みつけた。
「まだ手も繋いでいないのに、そんなのできるかあああぁ……!」
自分でも何を叫んでいるのかよくわからなかった。だが、胸の奥から込み上げる感情に任せて叫ばずにはいられなかった。
リリィは目を瞬かせた後、クスクスと可愛らしく笑った。
「あら、魔王様ったら意外とピュアなのね?」
「ち、違う! そういう問題ではなく……!」
エリザはわたわたと手を振るが、リリィはすっかり面白がっている様子だった。
「じゃあ、手を繋ぐところから始めましょうか?」
「そういう話ではない!!」
バン! とエリザは玉座の肘掛けを叩いたが、その必死さが余計に可愛く見えたのか、リリィの笑みは深まるばかりだった。
「ふふっ……魔王様、やっぱり最高ね♡」
「……貴様、絶対にわざとやっているな……!」
「さて、どうかしら?」
リリィは悪戯っぽくウインクすると、スッと立ち上がった。そして優雅にスカートの裾を整え、妖艶な微笑みを浮かべる。
「もしわたしのこの気持ちが本物だったらどうする?」
リリィは微笑みながら、ゆっくりとエリザに歩み寄る。その瞳は甘く蕩けるようでいて、どこか試すような光を宿していた。
エリザはゴクリと喉を鳴らす。
「そ……そんなもの、受け流すに決まっている……!」
精一杯の威厳を保とうとするが、赤くなった顔とわずかに震える声では説得力が皆無だった。
「ふぅん?」
リリィは興味深そうに目を細めると、エリザのすぐそばまで歩み寄り——
「じゃあ、試してみる?」
ふっと息を吹きかけながら、彼女の手をそっと取った。
「っ……!」
エリザの肩がピクリと跳ねる。
「……冗談だ……貴様、どうせ私をからかっているだけだろう……?」
「さあ、どうかしら?」
リリィは優雅に微笑みながら、指を絡めるようにエリザの手を握る。その指先はしっとりとしていて、まるで吸い付くようだった。
エリザは心臓の鼓動が耳元で響くのを感じながら、必死に平静を装う。
(落ち着け……私は魔王だぞ……! こんな誘惑に……っ)
「ねえ、魔王様?」
リリィが甘く囁きながら、さらに距離を詰める。顔と顔の距離はほとんどない。
「わたし、本気よ?」
「……っ!」
その言葉に、エリザは思わず息を詰まらせた。
リリィはゆっくりと目を閉じ——その唇が、エリザの頬に触れようとしたその瞬間——
「いい加減にしろおおおおお!」
バシュッ!
突然の魔力の爆発が、二人の間に強烈な風を巻き起こした。
リリィはスカートをひるがえしながら器用に後方へ飛び退き、クスクスと笑う。
「ふふっ、やっと本気になったのね?」
「貴様……!」
エリザは顔を真っ赤にしながら、怒りと混乱が入り混じった表情で立ち上がる。
「もう二度と、私にそんな真似をするな!」
「ええ〜? でも、魔王様ったらすごく可愛かったのに?」
「可愛くない!」
バン! と玉座の肘掛けを叩くエリザ。しかし、その仕草すらもリリィには愛らしく映るらしく、ますます楽しそうに微笑んでいた。
「まあ、今はこのくらいにしておいてあげるわ」
「当然だ!」
「でも……」
リリィはふと、目を細めた。その妖艶な微笑みには、先ほどまでとは違う、どこか確信めいた色があった。
「魔王様って、本当にキスもしたことないのね?」
「——っ!」
エリザの顔が、今までにないほど真っ赤に染まる。
「な、な、何を言っている貴様ぁぁぁぁぁ!」
城中に響き渡る魔王の絶叫を聞きながら、リリィはただ、楽しげに微笑むのだった。
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