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我に返った令嬢と我に返らない令息

作者: もち米

ふわっとご覧頂ければ幸いです。


 恋には突然落ちるものだと、いろんな物語で知ってはいたけど、本当に突然落ちた。

 運が良かったのか、彼も私に恋をしてくれたみたいだった。


 たぶん、互いに一目惚れってこういう状態なんだと思う。


 お互いに相手の気を引きたくて、お互い同じ気持ちだってわかって、盛り上がって、――でも私達は二人共貴族で、勢いでじゃあお付き合いしましょう、婚約しましょう! とかは許されない立場だった。私にも彼にも婚約者はいなかったけど、両親には順を踏みなさいとこんこんと諭されてしまって、まずはお友達から、なんてことを言いながら文通をはじめて、毎日手紙を書いて、それから二十日。


 朝起きて、私は急に冷静になってしまった。



「『恋』ってなんだと思う?」

「この間『一目惚れってあるの信じる?』とか言ってたのに、いまさらもっと抜本的な用語の定義からはじめるの?」

「いまさらと言えばそうよね……」


 このちょっとずれた言い回しをする友人は、こういう話に疎い。疎いけど付き合ってくれるし、お願いすれば相談にのってくれる。

 忙しい彼女の授業後の時間をただ貰うのは申し訳ないので、彼女の好きな季節のフルーツが飾られたパフェを差し出している。この学院には国のお偉方の子弟も通っているので、付属のカフェテリアとはいえ出てくるものは一級品だ。


「なんかね、今朝、急に冷静になっちゃったのよ。このまま突き進んでいいのかな、とか、一目惚れはそうだと思うけど、そもそもなんでそうなったのかな、とか、そういうの考え出したらよくわかんなくなっちゃって」

「そこで『一目惚れ』っていう現象自体は否定しないところがあなたの良いところだと思うわ」

「よくわかんないけど、ありがとう」

「そこでお礼言うところも好きよ」


 友人はうふふ、と笑って薄緑の大粒のブドウをぱくりと口にした。艶やかに光っていたブドウは、皮を丁寧に剥かれていて、仕事の丁寧さにここの料理人の腕の良さを感じる。


「このブドウおいしいわね。で、『恋』ねえ。言葉の意味はわかるけど、具体的にどういう状態になるかは、あんまり用例も知らないし、自分では全然縁がないしでよくわからいっていうのが正直なところね」


 この友人は、普段は本当にこういう話に興味を持たない。恋愛小説を読む私の横で経営学の専門書を読んだり、神学の入門書を読んでいたりするタイプだ。


「まあでも、思い込みなんじゃない?」

「思い込み」

「この人はいいなとか、好ましいなとか、そういうのは私だってわかるわよ? でもそう思う理由はいろいろじゃない。その中で何かの拍子に『これは恋だ』と思い込むんじゃないかしら。たぶん『恋』って言葉を知らなかったら、ちょっと違った心境になるんじゃないかと思うわ」

「何となくわかるような、わからないような……。でも思い込みっていうのは、そうね、そういうこともあるかもしれないわ」


 昨日までの、あの熱狂するような感覚は、確かに「そう思い込んでいるだけ」と言われてもおかしくないと自分でも思う。


「……これは絶対一目惚れだと思ったのだけどねえ」

「あら、それは別に、そうなんじゃないの? 一目見て、かの人がいいって思ったのでしょう? それとももう嫌になっちゃったの?」

「そんなことは全然ないわ」

「それならいいじゃない。あなたが何を以っていいと思ったのかは私にはわからないけど、あなたがそれを『恋』だと定義したんでしょ? ならそれは恋でいいのよ。きっかけはどうあれ知り合ったし、お互いを嫌っていないなら、これからちゃんとお互いを知って、お付き合いの方法を探っていけばいいんだわ」

「さすがに婚約者のいる人は言うことが違うわね」


 この友人には家が決めた婚約者がいる。何度か会わせて貰ったことがあるが、仲は良いように見えた。


「私は彼のことを好ましいと思っているもの。今までもまあまあ長かったけど、この後はもっと長いお付き合いになるんだし、良好な関係を築きたいし維持したいのよ。ただ、たぶんこういうのは『恋』って言わないのよね」

「そうねえ、違う気がするわ」

「恋してようがしてなかろうが、我に返ってしまおうが、その後どうするかとは関係がないと思うのよね。どうせ私達はここに人間関係を構築する術を学びに来てるようなものなんだから、学んだ技術を試せばいいんだわ。もう引き返せない事情とかもないのよね?」


 饒舌に話ながら器用にパフェを食べ進める友人が操るスプーンは、クリームの下の焼き菓子を詰めた層に到達したようだった。


「そういうのはないわ。というか、実質なんにも進んでないの。今のところ手紙のやり取りをしてるだけだし、明後日彼がうちに兄の知人として遊びに来てくれるのだけど、それだって初めてよ」

「一目惚れよ、両想いよ、って騒いでた割にはささやかな進捗ね」

「親に止められたの」

「そこで聞く耳があるところがさすがよ」

「駆け落ちとか、まあ、ロマンチックで素敵だとは思うわ? でももう小説で読み過ぎちゃって、思いついても前にあの話で読んだわ、みたいになっちゃうのよね。……ああ、このクッキーおいしいわ。ここ、焼き菓子が特にいいわよね」


 お茶に添えられたアイシングクッキーからは、柑橘のピールのほのかな香りがする。


「甘いもののメニューのセンスがいいのよね。そうそう、手紙のやり取りをしてるなら、かの人の好きなものとかもう聞いた?」

「もちろん聞いたわ。甘いものもいけるそうよ」

「あら、それはあなたと話が合いそうじゃない。幸先いいわね」

「……私はうっかり冷静になっちゃったけど、彼のことはいいなと思ったままなの。彼も冷静になって、それで、私のことをそう好みでもないな、って思ったら悲しいわね」

「それはなってから考えればいいことよ。仮定に基づいた推測ほど意味がないものもないわ。明後日会うのでしょう? それから考えればいいじゃない。何かあったら話は聞くわよ」


 できたらまたパフェをつけてくれたら嬉しいわ、と言って友人はクリームとジュレの乗ったスプーンを口に運んだ。





「どうしよう、彼女がかわいかった……」

「いいことじゃないですか」

「パーティー用に着飾ってる訳でもないのに、素でかわいいのは反則でしょ……」


 顔を覆っていた手の隙間からチラっと覗くと、嫌そうな顔の侍従がこちらを見ていた。


「頼むよ、話に付き合ってくれよ、他は誰も俺に彼女の話をさせてくれないんだよ」

「聞きはしますけど、それでどういう感想を持つかまでは保障できません」

「ひどい」


 泣き真似でもしようかと思ったが、この侍従には通用しないのでやめた。付き合いが長くて遠慮がないことに助かってもいるが、もうちょっと乗ってくれてもいいと思う。


「成人済の男が泣き真似とか、かなりどうしようもないですからやらないでください」

「なんでやろうとしたことがバレてんの。いや、俺への酷い評価の話がしたいんじゃないんだよ、彼女だよ彼女。本当にかわいいんだよどうしよう。たぶん何着ててもかわいいんだけど、つまり俺はどんな服贈ったらいいと思う……?」

「話がずいぶん飛躍してますけども、服を贈れるぐらいの間柄にもうなれたのでしたら、おめでとうございます」

「それがまだなんだよな」


 絵にかいたような渋面をされたが、周りから止められた結果がこれなんだから、そんな「何言ってんだこいつ」みたいな顔されても困る。


「事前にシミュレーションしとくのは大事だろ」

「妄想はお好きにして頂くとして、相手のあることです。先方の意向を無視するようなことはしないでください」

「するわけないでしょ。俺は彼女に絶対に嫌われたくない」

「お会いするの二度目だったのですよね?」

「そうだよ。彼女はかわいかったしご両親の感触も悪くはなかった。着飾って舞い上がってた彼女はそれはもうかわいかったけど、今日みたいにくだけた場でちょっと緊張してる彼女も本当にかわいくてさあ」


 彼女と最初に会ったのはパーティー会場だった。運命の出会いだと思ったのは俺だけではなかったようで、俺の前で頬を染める彼女は最高だった。

 今日、久しぶりにやっと会えた彼女は、あの時のようなあからさまに興奮した様子は一切見せなかった。


「彼女はちょっと冷静になったみたいだけど、それでも楽しそうにお話してくれたし、ちょっと嬉しそうにしてくれてたんだよもう最高でしょ。ゆっくり関係を作ることにしたいって言われたけど、関係作る前提だよ? 俺大勝利じゃない?」

「慎重で賢いお嬢さんじゃないですか。あなたは大勝利とか言ってる場合ではないのでは? 最初は勢いで押されていても、後でやっぱり無理、なんてこと言われかねませんよ」

「ずっと勢いで押す予定だし問題ないよ」

「…………」


 真顔で黙られてしまった。何を言おうとして口を噤んだのかはなんとなくわかる。


「本当に問題ないよ。『一時の感情でのめり込みすぎる』って言うやつだろ、散々父上からお叱り受けてるんだからわかってるよ。俺は緩急つけてのめり込めるタイプだし、これまでのめり込んだもので飽きたものもない。ああでも、目標達成したら落ち着くのはあるかな」

「繰り返しますが、今回は相手のあることですよ」

「今の目標は彼女と結婚して、仲良く白髪のおじいちゃんとおばあちゃんになることだから大丈夫」

「いきなりずいぶん壮大な目標ですね」

「だって今日会ったら彼女ってば冷静になっても俺のこと好きそうなんだもん。帰り際に手紙貰ったけど、『飽きられないようにがんばります』とか書いてあるんだよ? もう明らかに俺のこと好きだしこんなの運命だし結婚してずっと幸せに暮らしましたとさってやつをするしかないでしょ」


 最後が早口になってしまったが、そのぐらいでドン引きした顔にならないでほしい。


「最初に会ったときに、彼女と一緒に年取ってくのが想像できちゃったんだよね。彼女はしわくちゃになっても絶対かわいいってわかるし、無事にかわいいおばあちゃんになって貰うには安定した生活がいるから、とりあえず父上から事業譲ってもらう話を進めるとかはもうしてるからね? 先を見据えて動ける男ですよ俺は」

「ああ、あれはそういう流れだったんですか。今まで断ってらしたのに急にどうしたのかと思ってました」

「興味ないのに貰っても、誰も幸せにならないと思ってたんだよ。別に兄貴の補佐だけでも喰ってけるだろうけど、彼女が安心して生活できるようにするにはもうちょっと欲しいでしょ。彼女のためならがんばれるし、ちゃんと勉強もしなおすよ」


 跡継ぎの兄が健在な我が家では、どう繕っても次男は予備の存在にしかならない。予備ではあるので好きに放り出して貰える訳でもなく、事業の一部を貰えると言われても、そんな面倒なことを背負うのは嫌だなという気持ちにしかならない。

 でも、それが彼女との幸せな生活を支えるものにできるのなら別だ。


「……ちゃんと考えておられたのですね。安心しました」

「今までも何も考えてなかった訳じゃないからね? ということだから、安心して、彼女に優先して着せるべき服が何か考えるの付き合って」


 願いは笑顔で黙殺された。





 互いに一目惚れしたけれど、一足飛びに突っ走るんじゃないと諭されて、それならゆっくり着実に関係を進めようということになっていた。そのはずなのだけど、気が付いたら婚約まで話が進んでいた。

 想像していたよりずっと展開が早い。


 どうも彼のご両親が乗り気になったようで、対外的な諸々は彼の家が主導して根回しが済まされたようだった。

 正式な家同士の話になったので、私も彼の家に挨拶に行ったけれど、彼のご家族からは大歓迎! という感じの歓待を受けてしまった。最初の頃に彼から手紙で聞いていた限りでは、うちの両親同様に困惑してそうな雰囲気だったのに、いったい彼の家で何があったのか。


 ご家族に歓迎してもらえるのはうれしいし、彼は相変わらず押せ押せな感じで情熱的だし、私だって会うたびにかわいいと連呼されて嫌な気が起きる訳もなく、私たちの関係は誰がどう見ても順調なのだと思う。

 それはいいのだけれど、あまりに順調に話が進むので少し不安になってしまう。


 婚約者のいる友人たちは、対話、とにかく対話、不安は早いうちに相手に話すべき、と口を揃えるので、こんなぼんやりとした内容で申し訳ないなと思いつつ話を振ってみることにした。

 ちなみに、友人たちからは不安は即話したほうがいいが、不満は出し方とタイミングを慎重に考えないと駄目だ、とも言われた。婚約者持ち令嬢としての先輩たちの知恵はためになる。


 婚約ということになったので、彼とは定期的にそれなりの頻度で会っている。具体的には数日に一度ぐらい。なので、顔を見て話をする機会には事欠かない。


「順調すぎて不安、なるほど……」

「ごめんなさい、自分でも何を言っているのかって感じなのだけど」

「全然! 話して貰えて本当にうれしいよ」


 ものすごく嬉しそうに微笑まれてしまった。この人、もしかして私のことがとても好きなのでは?


「不安なのは何となくわかるよ。あんまりいいことばっかり続くと、悪いことが来るんじゃないかって思っちゃうんだろう?」

「そうかもしれません」

「そうだなあ、今考えられる悪いことって何がある?」

「……ええと」


 改めて言われてみると、今の状態で起こりそうな悪いことなんてほぼない。


 どちらの親にも反対されていない。うちの親はまだ微妙に困惑しているけどそれだけだし、彼のご家族には盛大に歓迎されたばかりだ。

 他に起きたら嫌なことなんて、目の前にいるこの人の気が変わることぐらい。


「……その、貴方が、私に飽きてしまったら嫌ですし、嫌われたりしたらつらいなと、思って、ます……」


 これを本人に直接伝えるのは、さすがに恥ずかしすぎてためらっていたのだけれど、そういうのはどんどん相手に伝えるべし、とは婚約者持ちの先人たちの教えだ。


 居たたまれなさのあまり伏せていた目線を戻すと、彼は両手で顔を押さえながら真っ赤になっていた。


「……今すぐ抱きしめたいけど、さすがにまだ駄目だよね、うん。……なんでこんなにかわいいんだろ……」


 小声で呟かれた内容が聞こえてしまって、私の顔にも血がのぼってくる。この人、もしかしなくても私のことが大好きなのでは?


 彼が私に向き直ったけれど、顔は赤いままだ。私たちは今きっと、お互い真っ赤になりながら見つめあっている状態になっているはず。


「俺の夢を話しておくね。君とずっと、しわくちゃの年寄りになってからもずっと、一緒に幸せに暮らしたいんだ。そのための準備も進めてる。だから、飽きるとか嫌うとか、そういうことは起こらないよ」


 私はもしかして、今、彼に求婚されているのでは?

 こんなの、冷静さを保て、というほうが無理だ。


 固まってしまった私の前に膝をついて、そっと手をとった彼は、とても真剣な顔をしていて、そしてとてもかっこよく見えた。

 なんてことのない普段のお茶の時間、場所はいつもの私の家の応接室で、彼だって着飾ったりはしていない。ちゃんとわかっているのに、それでも特別にかっこよく見える。

 そういえば、私たちはお互いに一目惚れだった。そういう情熱的な気持ちはしばらく薄れてしまっていたけれど、私は今また改めて一目惚れした気がする。


「重たい奴でごめんね。俺は逆に、君から嫌われそうで怖いんだ。でも、どうか、俺の夢をかなえて欲しい」


 かっこいい彼がしわしわのおじいさんになったら、――きっと目元の皺は笑みの形をしている。


「私にもたった今、夢ができたんです。貴方とずっと一緒に、おじいさんになった貴方と、おばあさんになった私で仲良く過ごしたいの。だからぜひ、一緒にかなえさせてください」


 渾身の笑顔を作って前を見れば、ぽかん、とした顔をした彼がいた。

 この人、かっこいいのにかわいいんだなと、妙に冷静な頭が考えてしまう。それって並立するものだったんだ、二重取りはずるいのでは?


 そんなことを思った次の瞬間には、彼に思いっきり抱きしめられていた。





 彼女があまりにもかわいくて素敵で、思わず抱きしめてしまったが、対外的にやっぱりまだ駄目だったようで、後で両親はもとより兄や従者からも叱られてしまった。付き合いが長い年上どもは、みんな容赦なく叱ってくる。

 彼女自身は真っ赤になって照れていて、とんでもなくかわいらしかったので、叱られたことも含めて完全にいい思い出だ。



 あれから順調に俺の妻になった彼女はいつでもかわいいし、今も普通に隣にいて、嬉しそうに笑っている。さすがにここまでの全部が全部、思う通りにいった訳ではないけど、俺の隣には笑いかけてくれる彼女がいるのだ。



 ああこれは、ずっと幸せに暮らしましたとさ、ってやつに違いない。



めでたし、めでたし。

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