第2話
あれから2か月が経ち、朝晩の冷え込みがました12月中旬。世間はクリスマスやら年越しというイベントに向けて盛り上がる中、荻野と日和はいつもと変わらず、息子の子育てについて、そして2人目をつくるための話で盛り上がっていた。
「日和ちゃんは順調にいってる?」
「まぁまぁかな。錦の仕事が忙しくてね。律もこんなタイミングで怪我しちゃったし」
「そっか」
「茉菜ちゃんのほうはどう?」
「私のところは・・・、全然かな。私も猛もやる気になれないっていうか、まぁ精神的な問題なんだけどね」
「何かあったの?」
「特段大きな何かがあったってことでは無いんだけど、積もり積もって」
荻野はハハハと自分のことを嘲笑う。
子供をつくりたいと思っていても、2人は類以の世話や仕事、家事に追われ、そういう行為をあまりしてこなかった。金子は夫婦の希望を叶えるための手伝いだと言って、類以の面倒を積極的に見てくれている。金子のためにも、早く行為をして成功に導きたかった。
でも、百井という人物に対するストレスのせいもあるのか、夫婦は毎晩のように疲れ果て、結局のところはタイミングと気分次第でやっていた。
「でもね、前に日和ちゃんが教えてくれたクリニックにも行って、検査受けたんだよ。そしたらね、猛にも私にも原因があるって分かって。それからはストレスと向き合いながら頑張ってる」
「そうだったんだ」
「中々上手くいかないけどね、猛も私も2人目が欲しくて必死になってる。年子って言うわけにはいかないだろうけど、できるだけ類以と年齢が近いうちに産みたいとは思ってるんだ」
「そっか。ならよかった」
「全部日和ちゃんのお陰だよ。ありがとう」
荻野は頭を下げる。日和は両手をひらひらとさせ謙遜しつつ、口元は自然と緩んでしまっていた。
「でも、ちゃんとクリニックで検査受けたって聞いて安心した。茉菜ちゃん何にも教えてくれないから、心配してたんだよ」
「ごめんごめん。いつかは話そうって決めてたんだけどね~、今のところ成果が得られてないから、どう言おうか迷ってたんだよ」
「そっか。でも、私の言ったこと守ってくれてありがとう」
「それは、もう守るに決まってるよ。だって日和ちゃんの意見なんだもん。尊重するよ~」
「えへへ。嬉しい」
「でも、検査のこと教えてくれてありがとう。助かった」
「いえいえ。私も力になれたなら、これ以上幸せなことはないよ」
2人の母親は微笑み、そして大きな笑い声を出す。息子たちは母親がなぜ笑い合っているのか分からないままに、同じように笑い声をあげ、リビングは温かな空気に包まれていた。
2人目をつくるための営みやら、百井の相手に追われていると、あっという間にクリスマスが過ぎ、そして新たな年を迎えた。初めて類以を連れて近くの神社へ初詣に行き、おみくじも引いた。結果も、書かれている内容も、満足いくものだった。ただ、子供つくりに関しては少し悩ましい内容が書かれてあった。
「茉菜、どうだった?」槙野が神妙な面持ちでおみくじを見つめる荻野に話しかける。
「ねぇ、猛」
「どうしたの?」
「もし上手くいかなかったらさ」
「うん」
「私ね、―――」
参拝者のざわめきで掻き消された荻野の声。でも、そばにいた槙野にだけは伝わっていた。優しく頷き、頭を優しく撫で、「一緒にがんばろ」と声をかけた。類以も、子供ながらに母親の心情を読み取って、「ママ! がんばって!」と言う。荻野は優しい夫と息子の愛情を感じ、目頭が熱くなっていた。
例年よりも短かった梅雨が明け、熱さが本格的になってきた8月初旬。ついに、夫婦の元にも明るい話題が入り込んだ。その話題を提供してくれたのは、荻野の体調の変化ではなく、お気に入りの新幹線のおもちゃで遊んでいた2歳3か月になる類以だった。
検査をして正式に判明したその日の夜、荻野は仕事から帰ってきた槙野に1番に報告した。
その一報を聞いた瞬間に、槙野は大粒の涙を両目からボロボロと流し始めた。事が把握できていない類以はきょとんとした顔で、涙して喜ぶ父親の姿を見つめ、「パパ、よろこんでるのにないてる」と言って、そして子供っぽく悪戯に笑う。
「猛、泣かないでよ~」
「ごめん~。だって、嬉しくて嬉しくて」
「分かるけど、類以が面白そうに笑ってるよ?」
「別にいい。俺は類以に笑われても。茉菜も俺と一緒に泣こうよ」
「泣きたいけど、今はまだ泣けないよ。金子ちゃんがまだ帰ってきてないんだもん」
「俺とは涙を共有してくれないのかよ~」
まるでいじけた子供のように唇を尖らせる槙野に、荻野は「そうじゃないよ」と優しく慰める。
「猛とも一緒に泣いて喜びを分かち合いたい。でも笑われちゃいそうだから、類以が寝てからね」
「なんだか俺が情けない奴みたいじゃん」
「いいの。猛はそのままで。類以に笑われる父親でいてよ」
「なんだよそれ」槙野はそう言って笑っていた。
今まで見た中で一番幸せそうな表情をしていた。
「とにかく、よかった」
「うん」
「どんなことでもサポートするから」
「ありがとう。お願いね、猛」
「おう。類以、おいで」
槙野はスーツ姿のまま類以を抱き上げ、そして荻野にハグをする。類以は間に挟まれて「いたい~」などと言っていたが、目じりを垂らし、口角を上げて嬉しそうにしていた。
それから15分ぐらいして、何も知らない金子が帰宅してきた。2人はいつも通りに金子を迎え入れたつもりだったが、自然と醸し出す幸せオーラに反応するように、「何かいいことでもあったんですか?」と尋ねられた。
「うん」
「あったんだよ~」
「えっ、何ですか?」
明らかにワクワクしているという表情に変えた金子に、荻野がこう伝えた。「猛との子供ができたの」と。すると金子はその場で飛び跳ねた。まるで自分事のように喜ぶ金子を見て、夫婦は顔を見合わせてフフッと控えめに笑う。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
「金子ちゃん、類以の世話を見てくれてありがとね」
「いえいえ。気にしないでください。面倒見ているというよりは、遊び相手になってもらってるので。へへっ、ねー類以君?」
「うん!」
類以の大きな頷きに、金子は「なので、またいつでも言ってくださいね」と伝える。夫婦もまた「ありがとう」と礼を伝えた。
このことを、百井には伝えないでいることにした。どんなに鈍感でも、身体の変化を見れば分かるだろうから、そのころに伝えればいいという判断に至った。「類以、このことは内緒だよ。だから、誰にも言っちゃダメだよ」としっかり口止めする。すると類以は「うん! るいは、いわない!」と元気よく返す。本当に賢い子供だと思った。
「順調にいけば4月ごろになるのか」
「そうだね。類以が3歳になる前にはって感じかな」
「3歳か。じゃあ、おもちゃとか服はそのまま?」
「うん。性別が一緒なら着られる服もあると思う。だから捨てないでね」
「分かった」
槙野は頷きながら、類以が放り投げたぬいぐるみを手に取り、おもちゃ箱の中へと戻す。くたくたになったぬいぐるみたち。これを機に新しいぬいぐるみたちを迎えてもいい頃だろう。
「でも、この子を迎える準備は少しずつしないとね」
「そうだね」
「私も協力しますから、何でも言ってください!」
「ありがとう。頼りにしてるよ、金子ちゃん」
「はい! 任せてください!」
そうこうしていると、俳優の仕事をしてきた百井が帰ってきた。左腕にはコンビニ弁当が入ったレジ袋がぶら下がっていた。
「おかえりなさい」
「ただいま~。あ~、疲れたぁ」
「お疲れ様です」
百井がこの空間にいるだけで、先住人たちに緊張が走る。その一方で、百井は呑気に、今話題沸騰中のポップスを口ずさみながら、買ってきた弁当を電子レンジで温め始める。
「あ、猛、お風呂行く?」
「あ、うん。そうする」
「じゃあ、類以と一緒に行ってくれない? まだお風呂に入れてあげられてなくて」
「いいよ」
「ありがと。その間にご飯の準備進めておくから」
「おう。よーし、類以、パパとお風呂行くぞ~!」
「いく!」
あぁ、ようやくこのシェアハウスから出ていける。金子との別れは辛いが、百井という存在自体からは離れられる。荻野は短く息を吐いた。