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第1話

 あの偶然の再会を果たして以来、荻野は月に1度、必ず柄本宅へと遊びに行っていた。槙野や金子と一緒に行くこともあれば、類以だけを連れて行くこともあった。そして、いつしか2人とも敬語を使わなくなったし、互いのことを下の名前で呼び合うようになっていた。


 日中も過ごしやすくなって、秋めいてきたなと感じるようになった十月。この日も荻野は類以を連れて柄本宅へと向かっていた。道中、類以は「あるく!」と大声を出し、そしてベビーカーを降り、自らの脚で前へと歩みを進めた。


1か月前にようやく歩き始めた類以だったが、歩くことが好きなようで、こちらが制止を求めても振り切って、疲れるまでずっと歩き続ける。荻野はそんな息子のことを体力お化けと言って笑いながら、長い目で見守ることを意識していた。


 結果、待ち合わせ時間よりも10分早く柄本の家についてしまった。チャイムを鳴らすと、紅葉色のトップスを身に着けた日和が笑顔で出迎えてくれた。その足元には満面の笑みを浮かべて手招きする律の姿もあり、類以は「やほ!」と喜色を全面に出す。


「やっほ」

「今日も来てくれてありがとね」

「ううん。好きで勝手に来てるだけだから、へへ」

「なら良かった。私も毎月会えるから楽しいよ」


息子たちは手を挙げ合って、何か喋っていたが、内容までは聞き取れなかった。


「律君、こんにちは」荻野の挨拶に、律は可愛らしく笑う。


「あがっちゃって。ついさっきまで律が遊んでたから、床におもちゃが散乱しちゃってるけど」

「いいよいいよ。じゃあ、お邪魔します」

「おじゃま!」


類以は母親に倣って律儀に頭を下げる。日和はフフッと笑って、「どーぞ」と言って優しく微笑んだ。


 いつ来ても柄本宅は新築並みの綺麗さを保っていた。玄関も、廊下も、リビングも、埃1つとして見つからない。散らかっていると言っても、おもちゃが2、3床に置かれているだけで、美しさの保たれ方がシェアハウスとは大違いだと、荻野は1人、心の中で笑っていた。


「茉菜ちゃん、ハーブティー飲める?」そう尋ね、食器棚から真っ白で高級そうなティーカップを、少し手を伸ばしながら取る。「飲めるよ」と答えると、「はーい。じゃあ淹れるね」と言って、日和はハーブティーが入ったティーバックを2つ、箱の中から取り出した。


「類以君は何がいいかな?」

「じゅーす!」

「ジュースね、いいよ~」

「毎回ごめんね。普段家では飲ませないようにしてるからさ、律君と会うときだけ飲むの許しちゃってて」

「そうだよね。ジュースを好きになられちゃ困るからね」

「確かに。子供の味覚って繊細だもんね」

「そうそう」


 荻野は律と遊ぶ類以に目配せしながら、ハーブティーが飲める状態になるのを待つ。律の行動を見ていると、ふと類以が8か月だったころを思い出し、「ねぇ、日和ちゃん」と、つい話しかけていた。


「律君、明日でちょうど8か月だね」

「そうなの。あっという間だよね」

「うん。1歳なんてすぐきちゃう」

「だよね。あ、類以君の1歳の誕生日ってさ、どこかお店でお祝いした?」

「うん。猛の行きつけの和食屋さんでね」

「そっか。そのお店の料理って美味しかった?」

「美味しかったよ。好みに合わせた料理を手作りしてくれてね。それに、料理長さんが優しくて。お礼も兼ねて、類以を連れて行きたいね~、って猛と話してるところなんだ」

「そうなんだ。いいね」


日和は数回頷く。お湯が注がれたタイミングで、ハーブ特有の匂いが鼻を掠めていく。


「律君の誕生日パーティーの会場は決めてるの?」

「実はまだなんだよね。もうそろそろ考えないとって思ってるんだけどね、律が産まれてから1度も外食をしたことがなくて。だからお店も決められなくて困ってるんだ」

「何なら、今度一緒に和食屋さん行く? 視察も兼ねて」

「それいいね。あ、でも、律が食べられる料理あるかな・・・」日和は心配そうな視線を律に送る。親のことなど気にする素振りも見せず、楽しそうに笑っていた。


「大丈夫。お願いすれば子供用の料理も出してくれるよ。それに、味付けも素材本来の良さを活かしてる感じだから、律君でも食べやすいんじゃないかなって思う」

「そうなんだ。じゃあ行ってみたいかも。律にもそろそろ外食させてあげようかなって思ってたんだけどね、結構好き嫌いするし、人が多いところだとすぐに泣いちゃうから、中々行けるお店がなくて」

「だよね。多分だけど、お昼時を避けたらそんなにお客さんもいないだろうから、律君連れてても比較的行きやすいと思う。とりあえず今日帰ったら猛に聞いてみるね」

「ありがと。助かる~!」


 淹れたての香り高いハーブティーで乾杯し、2人の母親は、息子たちがワチャワチャと遊ぶ様子を、ともに目を細めながら見る。類以は律のことをまるで弟のように接し、律は類以のことをまるで兄のように慕っている。類以に弟か妹をつくってあげれば、こんな風なお兄ちゃんになるなるのかな、と想像するだけで荻野の頬は自然と緩む。


「そう言えば、最近の類以君、よく喋るようになったよね」

「そうなの。初めて喋ってからの成長スピードは凄まじいものを感じたよ。毎日のように新しい単語を喋ってる。しかも金子ちゃんとかの口癖も真似しちゃったり」

「そっか。息子との会話、やっぱり楽しいでしょ?」

「うん。楽しくて仕方ないんだよね。えっへへ、猛も金子ちゃんも類以との会話を楽しんでるし、類以自身も自分の気持ちとかが喋れるから、毎日が充実してるみたい」

「だよね。私も律と早く会話がしたくてね。今日こそは喋ってくれますようにって毎日お祈りしてる。ウフフ」


「お祈り?」と面白半分な感じを含めた笑い方をする荻野。日和は「これでも結構効くんだよ?」と真剣に語る。そして2人は「あはは」と言って笑い合った。


「律君も喋れるようになったらさ、動物園とか水族館とか行ってみたくない?」

「いいね、楽しそう」

「まだ類以をそういうところに連れて行ってあげられてなくて。本当はもっと前に行きたかったんだけどね、自分が産んだ子供じゃないっていうことがもしバレたらって思うと、勇気が出なくて行動に移せなかったんだよね」

「そっか。そうだよね・・・」

「でも、今となってはもう堂々と、類以は私の息子ですって言えるから」

「うん」


 荻野は類以の、少し癖毛気味の髪を優しく撫でる。嬉しそうな表情を浮かべた。


「私さ、日和ちゃんに言われてから気付いたんだよね。類以が3歳になるまでは職場復帰しないで、類以のそばに居てあげようって。保育園に預けちゃったら1人になるし。類以がいないと寂しいから」

「うんうん」

「類以のこともあるし、2人目以降のことも考えてるから、仕事はしないとなんだけどね」


日和は目を見開き、「えっ、茉菜ちゃん、2人目のこと考えてるの?」と訊く。すると荻野はニコッと微笑んで、「猛がね、2人の血が繋がった子供も欲しいって言ってくれたんだ」と答える。


「そうなんだ。猛さんも良い人だね」

「うん。でも最初は類以の子育てで手一杯だからって断ったんだけど、類以にも弟か妹をプレゼントしたくて。だから、2人目をつくろうって思ったんだ」

「いいね」

「でも、まだ悩んでる部分もあるんだ。もし下の子を産んだら、血の繋がりがないのは類以だけになるから。事実を知ったときに恨まれるんじゃないかって思ったりもするんだ」

「そっか・・・。でもさ、そんなことで類以君は恨みを持つような男の子じゃないと思うな。だって、優しさの塊みたいな子だもん。だからきっと大丈夫だよ」

「そう言ってくれるだけで嬉しい。ありがとう」


 日和はフフッと笑い、律に麦茶を飲ませる。それを見た類以は、同じように麦茶が飲みたいと言って、荻野は類以が使ったコップを預かった。


「日和ちゃんはさ、2人目のこと考えてるの?」

「考えてるよ。それに、もうやってるんだ」

「えっ、もう?」

「うん。実はね2人目の子供を律と年子にしたくて。同学年では難しいけど、1歳違いならできそうかなって」

「すごいね・・・。でもさ、年子って大変じゃない?」

「大変かもしれないけど、楽しみにしてることがあってね―――


 それから母親2人は子供を産むためのトークをしたり、年子の良さについて語り合った。当の息子たちは大人の話にはまったく興味がないようで、2人して恐竜のおおちゃをぶつけ合ったりしながら、キャッキャ言って楽しそうに遊んでいた。


出会った頃は互いに緊張し、話をしてもすぐに途切れたりしていたが、今となっては、荻野と日和は何でも言い合える旧友のような、そんな関係性になっていた。

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