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第1話

 金子が飯田と柄本とともに録画しておいた恋愛ドラマを観ていると、外で生後数か月ぐらいと思われる子供が泣き叫んでいるような声が聞こえてきた。金子にしてみれば、初めて聞く声質だった。このシェアハウスに来た当時の金子は、実家にいるときよりも賑やかな環境に嫌気がさしていたが、数週間のうちには気にならなくなっていた。耳の馴化のスピードに驚かされたのを今でも鮮明に憶えている。


「なんか、今日はやけに近くで聞こえないか?」と、ソファに全体重を預ける飯田が気怠そうに窓を指差す。その窓には茶色のカーテンがかけられていて、外の様子を伺い知ることはできない。


「俺には聞こえないですけど」

「金子ちゃんも聞こえなかった?」


「飯田さんの勘違いじゃないですか?」言いながら白を切るにも限界があると感じた。


「んー、でも何か気になるな。なぁ柄本、一緒に外見に行かないか?」

「何で俺が。二人で行く意味ないですよね?」

「まぁまぁ、そう言わずにさ。ほら、行くぞ」


柄本は飯田に無理やり立たされ、そのまま外へ連れていかれた。一人共用スペースであるリビングに残った金子は、外の様子など気にすることなくドラマを観続ける。


 二人の帰りが遅いことが気になりつつも、何も動けないでいると、玄関からリビングに繋がるドアが開く音が耳に届く。しかし、聞こえた足音は一人のものだった。


「ただいま戻りました」低くやわらかな声質。声を掛けてきたのは外に行った二人ではなく、仕事から帰ってきた槙野だった。振り返るとネクタイを片手で緩めているところだった。


「おかえりなさい。遅くまでお疲れ様です」

「あれ、この時間に金子さんだけって珍しいですね」

「あぁ、なんか今、飯田さんが子供の泣き声がするとか言って、柄本さん連れて外に行ったんですよ」


CMが流れ始める。そのタイミングで金子はソファから立ち上がった。


「そうなんだ。でも荻野先生は? 帰宅されてますよね?」

「はい。帰宅してからずっと、荻野さんは部屋でお仕事されてるみたいです。中学校教師も、高校教師も大変そうですね」


「まぁ、そうですね。でも、若いから頑張らないといけないですし」槙野がワイシャツのボタンを開けていると、階段から軽やかな足音が聞こえてきた。


「あの足音は、荻野先生ですね」

「みたいですね」


その予想は的中だった。荻野は高い位置で結ばれた髪の毛をぐしゃぐしゃにして現れた。


「槙野先生、お疲れ様です」

「荻野先生も。少しお疲れみたいですね」


「やっぱり疲れて見えますよね」ふふっと笑う荻野。そんな荻野と同年齢の槙野は「身体壊さないでくださいね」と労いの言葉をかける。それに対し、荻野はこくりと頷いた。


 「お風呂行ってきます」そう言ってリビングから出て行った槙野。荻野は冷蔵庫から野菜ジュースを取り出す。そのとき、あの二人がいないことに気付き、金子に尋ねた。


「外で子供の泣き声がするからって、確認しに行ったみたいです」そう少し面倒そうに説明すると、荻野は目を丸くする。


「あれ聴こえたの、私だけじゃなかったんだ」

「荻野さんも聞こえてたんですね」

「うん。てっきり、子供の泣き声が脳内再生されてるだけだと思ってたの。けど、飯田さんたちにも聴こえてるなら、私の勘違いじゃなさそう」


頭を掻く荻野。髪の毛がさらに激しく暴れている。


「私も聴こえましたから、荻野さんの勘違いじゃないですよ」

「考えたくないけど、新しい子が来たのかな」

「ここ最近は新しい子が来たっていう話を聞いてなかったですもんね」

「本当は預けられる子供が少なくなれば良いんだけどね」

「ですね」


  *


 このシェアハウスは、元々隣にある児童養護施設のスタッフ用に建てられた一軒家だったが、施設長が変わるタイミングで済んでいたスタッフが辞めたり、近所に自宅を構え、そこから通うようになったりして、結局建設から二年近くで空き家になった。その数か月後、前のオーナーが家を買い取り、部屋数と独特の間取りを活かしたシェアハウスへとリフォームし、現在に至っている。前オーナーが一年前に他界したために、その当時の詳細な状況を知っているのは、ご子息である現在のオーナーだけだった。


  *


 ドラマは終盤に差し掛かり、いよいよ気弱な主人公が彼女に愛の告白をしようと言うタイミングで、このシェアハウスにも一大事が巻き起ころうとしていた。個人の時間を大切にしてきた住民たちが、ある一人の幼い子供のために一致団結するときが訪れようとしているのだった。

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