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第3話

 槙野が代表して玄関の扉を開ける。そこに立っていたのは、紺色のスーツに身を包んだオーナーの松崎慶だった。そして、その後ろには身長が低く、貧弱な体格の女性が、どこか緊張した面持ちで立っていた。


「こんにちは」槙野が挨拶すると、口周りの皺を深くさせる松崎。

「久しぶりだね、槙野君」

「お久しぶりです」そう言って軽く頭を下げる。すると松崎は、「みんな揃ってるかい?」と柔らかな表情で家の中を見る。


「飯田さんは新居に行って引っ越し作業をしているので、留守にしてます」

「そう言えば、昨日そんなこと言ってたな」ハハハと笑う松崎。そして、「まぁ飯田君はいなくていいや。じゃあ、早速上がらせてもらうよ」と玄関に足を踏み入れる。


午前中に掃除を済ました玄関に靴を並べる2人。内見希望者の靴にはリボンが付いている。


「オーナー、類以がリビングの一角で遊んでいるんですけど、内見に差し支えあるようなら、茉菜が連れ出しますけど」

「槙野君、わざわざ連れ出す必要はないさ。そのまま遊んでもらってて問題ないよ。子供はね、よく食べて、よく遊んで、よく寝ることで成長するんだからね。それをわたし達が邪魔することはできないよ」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、リビングから内見を始めさせてもらうよ」


 荻野と金子、そして1人で遊んでいる類以がいるリビングへと先陣をきって入る槙野。その後ろを付いてきた松崎と内見希望者の女性。


扉を開ける。その瞬間に金子は女性と視線を合わし、口元に手を持っていき、驚いた表情を浮かべた。


「金子ちゃん、どうしたの?」荻野が金子の顔を覗き込むようにして尋ねる。すると金子は声を震わせながら「あの、もし間違っていたらすいません」と前置きをしたうえで、「もしかして、百井夢花さんですか?」という。


首を傾けながら槙野に視線を送る荻野。女性は松崎の後ろでニッコリしている。


「はい。百井夢花(ももいゆめか)です。今、俳優として活動しています。あっ、まだ卵の状態ですけどね」

「あぁ、やっぱりそうだ。わぁーどうしよ・・・、本物だ」

「あれ、金子さん、百井さんのこと知ってるのかい?」


松崎はゆっくりと言葉を発するが、金子は誰が見ても分かるほどに取り乱している。正常の二文字がどこかに消え去ったかのように。


「あのっ・・・、私が大好きなドラマに出てて・・・、それで、その・・・」

「金子ちゃんが大好きなドラマって、もしかして刑事と女子高生の禁断の恋愛を描いた、あのドラマ?」

「荻野さん、ご命中です・・・」


 金子が乱すことによって色を変え始めた空気。何かを思い出した荻野は、必死になって記憶を辿る。一方の槙野は金子と荻野の会話についていけず、1人当惑した。


「金子・・・さん? あのマイナーな作品、よくご存じですね」

「マイナーも何も、ラブコメが大好きな私にとっては、過去最高傑作なんです! あっ、すいません。つい舞い上がってしまって」

「最高傑作だなんて、嬉しい。ありがとうございます」

「いえ! 私はただそのことを伝えたかっただけなので・・・」


顔をクシャっとして笑う百井。続けざまに、金子は「荻野さん、私たちが今見てるあのドラマにも百井さん出てるんですよ」と教える。すると荻野は、「そうなの?」と百井に少し申し訳なさそうにしながら、金子に尋ねた。


「主人公が務めてるゲーム会社の従業員の役で出てるんです」

「ごめんなさい。ドラマ観てるのに気づかなくて」

「全然! 気にしないでください。出てるって言っても、画面の端っこに映ってるか映ってないか、それぐらいのレベルですから」

「そうですか・・・」そう言ってから荻野は言葉に詰まった。存在感のない役どころには興味がないから、今後ドラマを観たとしても、百井のことは気にならないだろうと思った。


興奮冷めやらぬといった状態の金子に対し、「あのぉ、そろそろ内見を始めたいんだが、いいかな?」松崎が申し訳なさそうに口を挟む。「すいません! これ以上はお邪魔しませんので!」と金子は頭を深々と下げた。


「あぁ、いいのいいの。気にしないで」

「すいません」


 ぺこぺこと頭を下げる金子。類以は荻野に見守られながら、積み木を掴んでは離すという一連の動作を繰り返していた。


「内見が終わるまで、ここでお待ちいただけますか?」

「はい」3人は頷いた。


 松崎が百井を案内し、説明を受けながら2階、3階へと続く階段を上がって行く。その後ろ姿を静かに見つめる金子。


「金子ちゃん、テンション高かったね」荻野が金子の背中に話しかける。すると金子はすぐさま振り返り、「つい興奮しちゃって」と恥ずかしそうに頭を掻く。頬はほのかに赤らんでいた。


 内見が終わるまでの間、ソファに深く腰かけ録画しておいたバラエティ番組を観始める金子。槙野はダイニングチェアーに座り、パソコンと教科書とに視線を行ったり来たりしながら作業を黙々と進める。そして、類以の傍で様子を静かに見守る荻野。リビングには個人の時間が流れ始める。隣の施設のほうからは、子供たちが楽しそうに燥ぐ声が、曇り空の下で響いていた。小雨はいつの間にか止んでいた。

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