森林の狼男と火炎精霊
ある夜、1人の男が1軒の家のポストに紙を1枚入れた。
「フッ……準備は整った……後は、そっちから来るだけだ……」
そう呟くと男は、村を離れ、森の中に消えていった。
次の日。
「ふあぁ……おはよう、お母さん」
「おはようヴァイオラ。朝ご飯はもう出来てるから、顔を洗ってきなさい」
「はーい!」
ヴァイオラと呼ばれたショートカットの紫髪に麻呂眉で、紫色の目のすぐ下には泣きぼくろがある猫口の少女は井戸に向かい、綱を引っ張って水を汲み、木桶を地面に下ろし、手で水をすくい顔を洗った。
それから椅子に座ると、テーブルの上の皿に目玉焼きが乗ったトーストが置かれた。
「いただきまーす!」
そこへ、1匹の少し大きなトカゲが、階段を転がりながら降りてきた。
「おはようヴァイオラ」
「おはようサラちゃん」
ヴァイオラは朝ご飯を食べながらトカゲに挨拶をした。
サラと呼ばれたトカゲは、テーブルの足をスルスルと上り、ヴァイオラと同じ食事をとった。
「おーい母さん、新聞と一緒にこんなものが入っていたよ」
1人と1匹が朝食を終えたころ、父が新聞を右手に持ちながら、左手に持った紙を掲げて母を呼ぶ。
「何かしら」
「お父さん、それ何?」
外に出た2人と1匹も紙に目をやる。それには、『この森に眠りし宝を手に入れし者には幸せが訪れる』と左半分に書いてあり、右半分には地図が描かれていた。
「これって……宝の地図?」
「どこかの悪ガキが面白半分で作ったものだろう。これは捨て……」
「待って!」
「どうした、ヴァイオラ?」
「これ、いらないなら私にちょうだい!」
「いいけど、何に使うんだ?」
父が尋ねる。
「ふふっ、内緒!」
そう言うとヴァイオラは、駆け足で家に戻った。
そして自分の部屋に駆け込み、ネグリジェを脱いで白いキャミソールワンピースを着て、麦わら帽子を被り、誕生日に貰ったナイフを腰に下げ、サンダルを履き、サラのもとへ戻った。
「サラちゃん、行こう!」
「行くって、どこへ?」
「探検だよ、森に行くの!」
「で、私と一緒に?」
「うん!」
「分かったわ。まあ、止めてもあなたは行くでしょうけど」
かくして、1人と1匹は森に入っていった。
「でも、誰がこの地図をうちのポストに?」
「さあ……誰だろう?」
そんな話をしながら進んでいくと、一面の赤いバラの花畑に差し掛かった。
「わあ!きれい……」
「本当ねえ……」
と、突然サラが肩から飛び降りた。
「サラちゃん⁉︎」
「私、パパとママにこの花摘んでいくから。先に行ってて!」
「ええっ、ちょ、ちょっと!」
戸惑うヴァイオラに構わず、滑るように花畑に消えていった。
それからヴァイオラは獣道を進んでいたが、15分程歩きっぱなしだったので疲れてしまった。
そこで、近くにあった大岩に腰を下ろした。10分程休んでいると、1人の青年がやってくるのが見えた。
その人物は、ウルフカットの銀髪に、太眉に金色の目で、旅人のような服を着ている。
「あのー、そこのお嬢さん」
青年はヴァイオラを見ると声をかけた。
「なーに?」
「この先の宝のある場所を目指しているのですが、どうも道に迷ってしまいまして……」
「本当?私もそこに行くの!」
「では、ご一緒しましょうか?」
「うん、いいよ!」
かくして、連れが1人増えた。
それから2人は、どんどん森の奥に歩みを進めていった。
「えーと、地図だとこの近くにお宝が……」
「あっ、あれじゃないですか?」
青年が指をさす方向には、大きな木が生えており、上にツリーハウスが鎮座している。
「あの中にあるのかな?」
「登って入ってみましょう」
2人ははしごを登り、小屋に入った。ちなみにヴァイオラが先に入り、青年が続いて戸を閉めた。そして、鍵をかけた。
「あれー?何もないよ?」
「そうですね」
ツリーハウスの中を見てまわるヴァイオラに対し、青年は片方のポケットの中を探り始めた。
「もしかして、本当に誰かのいたずらなのかな?」
「そうですね」
そう言うと青年は、糸を取り出した。
そして、後ろを向いているヴァイオラの手足を、あっという間に縛った。
「⁉︎」
生き馬の目を抜くような早技に、すっかり油断していたヴァイオラは何も出来なかった。
「え、ちょっとこれ……何?」
「いやーまさかこうも簡単にいくとは。ようこそお嬢さん、俺のアジトへ」
「へ……お兄さ……ん?」
ヴァイオラは振り向いてぞっとした。
そこにいたのは、さっきまでの優しい顔の好青年ではなく、ギザギザの歯を剥き出しにしてにたにたと恐ろしい笑みを浮かべる悪漢だった。
「どういうこと?」
「その地図を作ったのも、ポストに入れたのも俺だよ」
「何で……こんなことを?」
「食うためだよ」
「食うって、私を⁉︎」
「ああ、若い女の肉は最高に美味いって聞いたからなあ、楽しみだなあ。なに、心配せずとも……食べ終わったら俺のコレクションに加えてやるよ」
ヴァイオラの体に緊張と恐怖が走った。今の今まで、これほどの恐ろしさを味わったことはなかった。
高い木に登ったときも、小さな崖から飛び降りて川に落ちたときも、ここまで怖いと思いもしなかった。
「誰か……助け……」
「おっと、危ない」
悪漢はヴァイオラの口を塞いだ。
「んー!んんー‼︎」
叫ぼうとしても、口を塞がれているので、声を出せない。
「まずは、こうしよう」
そう言うと悪漢はヴァイオラのワンピースをむんずと掴み、ビリリッと引き裂いた。
(もう……だめだ)
絶望したその時、パチパチと何かが焼けるような音がした。
「ん?何か焦げ臭いな」
男が訝しげに顔をしかめる。
(何だろう。なんだか嗅いだことのある匂いだ)
それにより、ヴァイオラは少しだけ安心した。
男が窓から外を見ると、ツリーハウスが乗っている木がごうごうと燃えている。
「な、何だ⁉︎何故こんなことに⁉︎」
そして、ツリーハウスの隙間から火が入り込んで、その火は徐々に人の姿を形作っていく。
その人というのは、長身痩躯で、橙色のロングヘアに灰色の目をしており、炎でできたワンピースのようなものをつけた女性だった。
「お前は、誰だ?」
男が訝しげな表情で言う。
「名乗るほどのものではないけれど、ヴァイオラは返してもらうわ」
(何でこの人、私の名前を知っているんだろう?こんな人、私の知り合いにいたっけ?)
疑問に思いつつ、助けが来たことに希望を見いだすヴァイオラに対し、男は邪魔者が入ったことに苛立っている。
「返してもらうって、こいつの知り合いか?」
「家族よ」
「へえ、そうかい」
男は恨めしげに「チッ、面倒だな……」と呟き、ポケットから鞭を取り出し振りかぶる。
「怪我したくなかったら帰んなァ!」
男が腕を振り下ろすと、鞭が唸りを上げて襲いかかる。しかし、鞭は女性の体を素通りした。
「⁉︎」
男が驚いて手を止めたその一瞬を見逃さず、女性が口から火を吹いた。男は火をもろに食らった。
「熱ぅっ⁉︎」
男の前髪に火が燃え移り、男はそれを消そうとバシバシと払った。
その隙に、女性はヴァイオラの元に来ると、ヴァイオラのベルトに下げられていたナイフを取り出して、手足の糸を切った。
「あのー……誰?」
「そんなことより、速く逃げて!」
「う、うん!」
「させるか!」
男が再びヴァイオラを捕まえようとすると、女性がナイフを投げた。ナイフは男の眉間に命中した。
「ぐあああああっ!」
男が痛みに悶えている隙に、ヴァイオラははしごを降りて服を押さえながら走って逃げる。
「さて」
そう言って女性は男に向き直る。
「ヴァイオラに手を出した以上、ただじゃおかないわよ」
「てめえ、何のつもりだ。この俺の顔に傷をつけやがって……」
「どうやってあの子のことを知ったの?」
「この村を通りかかった時に見かけたんだよ。お前こそ、どうやって俺の存在を知った?」
「私は火炎精霊よ、1時間程度の未来視はできるわ。事が上手く運べば、そのもう片方のポケットの籠に私を閉じ込めていたのでしょうけど、そうは問屋が卸さないわよ」
「何とでも言え、この手だけは使いたくなかったが……」
そう言うと、男は眉間のナイフを抜いた。
その直後、男の体に変化が見られた。
全身に髪と同じ銀色の毛が生え、体はむくむくと膨れ上がり、服がビリビリ破れ、裸になったその姿は、俗に言う狼男だった。
「アオオオオン!」
遠吠えをして威嚇する狼男。
「これは……さすがにまずいかしら」
危機を感じた女性は、さっと後ろを向いてツリーハウスから飛び降りた。
その後に続くように、狼男も飛び降りた。
女性はしばらく走って逃げていたが、森を抜ける頃にはヘトヘトになっていた。
それもそのはず。一面の花畑があったり、大岩があったりと森は大きいのだ。
(今頃、ヴァイオラは家に逃げたところかしら……無事だといいけど)
その時、女性の足に何かが引っかかり、女性は大きく転んだ。
よく見ると、両端に水晶の重りがついた糸が足に絡まっていた。
解こうとしたが、程なくして狼男が現れた。
「グルルルルウウウウ……」
いかにも、怒りと空腹が混ざっている状態だ。
「さあさあ、怪物さんこちら!」
自分を鼓舞するように口笛を吹きながら挑発する女性に向かって、狼男は口を開け、目を爛々と光らせながら高く跳び、口を下にして落下した。
そして、歯が当たる寸前で、女性も跳んだ。
女性は空中で炎になり、狼男の口の中に入り込んだ。
「グゴオオオオアアアア!」
苦しみの声を上げる狼男だが、それもそのはず。ただ今自分の腹の中炎が燃えているのだから。
そのまま5分間悶えた後、狼男は力なく倒れた。
その直後、狼男の口の中からサラが出てきた。
「ふう、やれやれ」
サラは狼男の亡骸を一べつすると、その場をそそくさと立ち去った。
それからサラは、自分達の家にたどり着き、家の前にはヴァイオラが待っていた。
「ッ……サラちゃん!」
サラを見るなりヴァイオラは駆け寄って抱きしめた。
「ヴァイオラ、ちゃんとまっすぐ家に帰ったのね」
「良かった……もう、心配したんだよ!急にどこか行くから……」
「でも、誰かが助けてくれたでしょう?」
「そうだけど……何でそれを知っているの?あと、お花は?」
「あーえっと、それは……そのー……」
「サラちゃん、どうしたの?」
「私、お腹空いちゃった。ご飯にしましょう?」
「うん!」
この後、家族全員で夕ご飯を食べ、サラはヴァイオラとともに寝付いたのであった。