9.NASAとかFBIと書いた帽子や服をデザインした人の普段着を見てみたい
テレビの画面には、まだ壇上に誰も立っていない会見場が映し出されている。 どのチャンネルも同じ映像を映しており、ワイプでスタジオ内の様子を加える局もあれば、芸能人や作家のコメンテーターが感想を述べる局もある。俺は、ハーバード大学出身のアメリカ人タレントが解説をしているチャンネルに合わせた。彼なら、日本に長く住んでいる分、微妙なニュアンスの違いも的確に伝えてくれるだろう。
画面を注視していると、やがて壇上に初老の黒人男性が登壇した。テロップには、「アメリカ航空宇宙局長官」と表示されている。
『私はアメリカ航空宇宙局長官のハリス・ホークです。今日は、アメリカ国民のみならず、全人類にとって極めて重大な発表があります』
同時通訳の日本語が流れた。
『先日発見された小惑星レオニーですが、昨日の観測において“二分裂”していることが確認されました。原因は現在調査中ですが、遺憾ながら現時点では不明です。分裂した本体を「レオニーα」、小片を「レオニーβ」と命名します。NASA専門チームが軌道を再計算した結果、レオニーβは当初の予測どおりの軌道を維持しますが、レオニーαはわずかに軌道を逸脱し、地球の公転軌道上を通過する可能性が極めて高いと判明しました。地球衝突の確率は、約97.07331%です。レオニーαの直径は約15キロメートルであり、約6500万年前にメキシコのユカタン半島に衝突したチクシュルーブ隕石と同規模と考えられます。続いて、映像をご覧ください』
スクリーンには地球のCG映像が映し出され、右上に日付と時間が刻々と表示される。やがて「レオニー」と示された小惑星がゆっくり地球に近づき、昨日の日付で二つに分裂したことが描写された。小片のレオニーβは軌道に変化はないが、レオニーαは軌道を変え、地球へ向かって一直線に衝突する様子で映像が止まった。表示されたのは、明後日12月5日13:30(GMT)。日本時間では22:30である。
その後、カメラは衝突地点へズームインする。位置は南極大陸北部、南緯63°・西経62°。時を進めると、クレーターが直径100キロで広がり、さらに放射熱が半径500キロ、最後に津波が大西洋と太平洋を飲み込む様子を示して映像は終了した。
『ご覧のとおり、レオニーαの予想衝突地点は南極大陸北部、緯度63°S・経度62°Wで、ちょうど大西洋と太平洋の中間です。想定される津波の高さは、北大西洋・北太平洋が50~100メートル、南太平洋では200~400メートル、衝突直近では1000メートルを超える可能性があります』
スマホで東京の標高を調べると、約40メートル。少なくとも100メートル以上の高地に避難する必要があることがわかった。
『しかし、津波だけではありません。衝突地点周辺の南アメリカ大陸南部では、数分以内に99%の動植物が死滅するでしょう。同時に、世界中でマグニチュード10クラスの地震が発生する可能性があります。太平洋プレートや南アメリカプレート、ナスカプレートなどが連鎖的に影響を受けるからです。さらに、衝突後半年から一年間、大気に舞い上がった粉塵が太陽光を遮り、地表の平均気温が最低でも10℃上昇します。それにより南極の氷が大量に融解し、海面は最大で60メートル上昇する見込みです。したがって、地球上に──安全な場所はありません』
会場のモニターには、静まり返った記者席の映像が広がった。そのままハリス長官は退出し、怒号の中、映像は日本政府の会見へと切り替わった。
白いワイシャツの上に真新しい作業着を身にまとった内閣総理大臣が、深い悲痛な表情でマイクに向かった。
『日本国民の皆さん。内閣総理大臣の板倉宗太郎です。 ただいまをもって、私を本部長とする「隕石衝突緊急対策本部」を設置いたしました。先程のNASA発表どおり、南極大陸北部の海上に、小惑星レオニーαが衝突する可能性が極めて高いと、JAXAからも報告を受けております。衝突地点は地球の裏側に位置しますが、我が国も12月5日午後10時30分以降、大規模津波や地震、通信障害、異常気象など、多岐にわたる災害に見舞われる可能性が高いと予測しています。まさに太平洋戦争をも上回る国家存亡の危機です。すでに自衛隊へ災害派遣を指示しました。国民の皆様は、自衛隊・警察・各自治体の指示に従い、冷静に避難してください。今後発令される指示には、本来であれば国会で議論すべき超法規的措置が含まれますが、人類史上類を見ない大災害を目前に、国家存続を最優先するための例外措置です。何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします』
次の瞬間、左派系新聞社の記者が「政府の暴走だ! 軍国主義復活だ!」と叫び、SPに羽交い締めにされて連れ出された。平時なら人権尊重が最重要だが、今は生存確率を上げるための時間を惜しむ状況である。
『続いて、内閣官房長官の稲葉が、避難対象地域と方法についてご説明いたします』
モニターは再び会見場へ切り替わる。ダークブルーのスーツに身を包んだ白髪の稲葉官房長官が登壇した。
『国民の皆さん、隕石衝突緊急対策本部を北海道旭川市に設置します。併せて、政府機能も旭川市に移転します。JAXAなど専門家チームの分析によれば、太平洋沿岸および道南を除く、道央・道北・道東は国内で最も衝突影響が少ないとされています。これら地域の方々は、現時点で避難の必要はありません。避難指示まで不要不急の外出は控えてください。 本州・四国・九州で標高100メートル以下の地域にお住まいの方は、津波被害の恐れがあります。自衛隊の指示に従い、標高100メートル以上の場所へ避難してください。 また、政府備蓄米などの食料を解放しますので、スーパーでの買い占めは避けてください。空港は本日中の新千歳行き便のみ運航し、それ以外は欠航となります。航空券をお持ちの方は最寄りの交番へ向かってください。鉄道は明日15時まで緊急ダイヤで運行しますが、以降は一部路線を除き運休となります。高速道路は物資輸送用に使用するため、一般車両の通行は停止します。 現状、国家存続が最優先です。国民の皆様のご協力をお願いします』
官房長官の会見が終わり、映像は報道スタジオへ戻った。予想よりはまだ生き残る道が残されている。しかし、このあとの一つひとつの選択ミスが命取りになることは間違いない。