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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
81/81

81.エピローグ

あれから半世紀。

成都はすっかり再建され、俺たちが初めて足を踏み入れた頃の姿はもうどこにもなかった。

高層ビルの間には緑地や公園が広がり、空は澄み渡り、遠く雪をかぶった山々までもがはっきりと見える。

子どもたちは巣立ち、孫が笑顔を見せに来る日々。

リンも年齢を重ねたが、あの日の笑顔をずっと持ち続けてくれていた。

だが、俺の身体は長い歳月と病で蝕まれ、寝たきりの生活が続いていた。

ある夜、外から微かな鐘の音が聞こえた気がした。

次の瞬間、身体の重みがふっと消え、視界は白から灰色へと変わっていった。

気づけば、雲に覆われたどこまでも続く地平に一人立っていた。

その空気は静かで、音がほとんどなかった。

ただ、足音だけが砂利の上を踏むように響く。

——そして、前方から駆けてくる影。

黒く、低い姿。

それは、見間違えるはずのない、クロだった。

若い頃のままの毛並み、輝く瞳、そして真っ直ぐな走り。

俺は思わず膝をつき、腕を広げた。

クロは勢いよく飛び込んできて、胸にぶつかると、そのまま顔を舐め続けた。

温もりも匂いも、あの日と全く同じだった。

「……会いたかったぞ、クロ。」

返事はもちろんない。ただ、尻尾を千切れそうなほど振り続けている。

そのとき、脳内に直接語りかけるような声が響いた。。

「隕石衝突は無事に生き延びて人生を全うしたね」

「ありがとうございました。あなたがやり直しをさせてくれたおかげで、幸せな人生を送ることができました。」

「それはよかった。日本に残してきた君の家族や同僚がどうなったか見せてあげようか?」

俺は静かに首を振った。

「いえ。リンだけを見て生きると決めたので、他の人のことは見ません」

「そっかー、残念だなー。でっ、どうする?またやり直せるけど。」

俺はクロの首元に手を置き、静かに息を吐いた。

隕石、ループ、戦い、そしてリンとの日々——あの世界で俺は全てを経験し、全てを使い切った。

「……いえ、もう大丈夫です。これで終わりにします。」

「そっかー、君のループは面白かったんだけどなー。じゃあ、もう行っていいよ」

その言葉を最後に、心に語りかける声は聞こえなくなった。

遠くを見つめるクロの横顔を見ながら、俺も視線を遠くへ向ける。

ここには時間も、痛みも、別れもない。

ただ、穏やかな風が吹き、遠くで波のような音が続いているだけだ。

そして俺は、クロと共に、永遠に変わらない景色の中へ歩き出した。

灰色の地平は、どこまでも途切れることなく広がっていた。

空と地面の境界線さえ曖昧で、世界全体が一枚の淡い絵のように見える。

クロは俺の少し前を、一定の速さで歩いていた。

時折、後ろを振り返り、ちゃんと俺がついてきているかを確認する。

そのたびに、俺は軽く頷く。

そのやり取りが、不思議と心地よかった。

やがて、遠くに一本の木が見えてきた。

枝は大きく広がり、葉は灰色の空に透けるような薄緑をしている。

風に揺れる音は、まるで懐かしい記憶の中から聞こえてくるようだった。

木の根元までたどり着くと、クロは俺の足元に座り、見上げてきた。

何を言いたいのかはわからない。

だが、あの日、隕石衝突の直後に俺の隣に寄り添っていたときと同じ表情をしていた。

「ここが……俺たちの場所か。」

そう呟くと、クロは短く鼻を鳴らし、静かに目を細めた。

俺はその隣に腰を下ろし、背中を木に預ける。

灰色の空は、ゆっくりと色を変え、どこかで見たことのある夕暮れの橙色に染まり始めていた。

それは成都の夕焼けにも似ていたし、東京のビルの隙間から見えた空にも似ていた。

クロは頭を俺の膝に乗せ、そのまま眠るように目を閉じた。

俺も同じように目を閉じ、静かな呼吸を繰り返す。

時間は進んでいるのか、それとも止まっているのか。

ここではもう、そんなことはどうでもよかった。

ただ、傍らにクロがいる。

それだけで、心が安らいだ。

何時間、何日、何年、何百年経ったかわからないが、静寂の中で、ふと気配が変わった。

目を開けると、これまでの夕焼けの空が、わずかに淡い水色の光を帯びていた。

それは最初、朝靄の中で灯る街灯のようにぼんやりしていたが、次第に強く、暖かくなっていく。

空の端から、色が滲み始める。

淡い水色が夕焼けの中に溶け込み、そこへ薄桃色や橙色が絡まり合う。

やがて雲には金色の縁取りが生まれ、まるで誰かが絵筆で世界を塗り替えているようだった。

地面にも変化が訪れる。

足元の朱色に染まった土は、しっとりとした茶色へと変わり、そこから小さな芽が顔を出す。

風が吹き、芽が揺れると、どこからともなく草の匂いが漂ってきた。

クロが目を覚まし、鼻をひくつかせる。

そして、嬉しそうに尻尾をゆっくりと振った。

その動きは、あの現世で散歩に出る前の合図とまったく同じだった。

俺は思わず笑みをこぼす。

「行くか、クロ。」

立ち上がると、クロは軽やかに一歩踏み出し、その足元から花が咲き始めた。

黄色、白、青……色とりどりの花々が道を描くように咲き広がっていく。

空はすでに鮮やかな青に変わり、太陽が柔らかな光を降り注ぐ。

その光の中で、クロと俺の影が並び、長く伸びていった。


俺たちは新しい色の世界を、並んで歩き始めた。

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