80.僕の小説を最後まで読んでくれたあなたが大好きです。
翌朝、シェルター内に少し明るい空気が流れた。
外部調査の第一陣が出発し、その結果を映像で確認できる日が来たのだ。
俺とリンはクロを抱き、視聴室に集められた。
壁一面の大型モニターには、装甲車に取り付けられたカメラの映像が映し出される。
扉が開き、外気がカメラ越しに流れ込む瞬間、モニターが一瞬だけ白く霞んだ。
それは粉塵ではなく、極端に光が弱まった空のせいだった。
——太陽は、そこにあった。だが、まるで薄い金属の膜越しに見ているような、鈍く濁った光。
青かった空は鉛色に染まり、低く垂れ込めた雲が地平線まで広がっている。
「天哪……」(なんてこと…)
リンが小さく息を呑む。俺も言葉を失っていた。
街並みは……衝突前とほとんど同じ形を保っていた。
成都は内陸部で津波の被害を受けなかったため、建物の倒壊はほとんど見られない。
だが、道路や屋根には灰のような粒子が薄く積もり、街全体がモノクロの世界に変わっていた。
遠くの山々は輪郭がぼやけ、地平線と空の境界が不明瞭だ。
映像が市場の方へ移ると、屋台の骨組みや看板は残っているが、人影はない。
かつては雑踏と喧騒で溢れていたはずの通りが、まるで舞台セットのように静まり返っていた。
「外に出られるのは……いつ?」俺は隣にいた職員に聞いた。
「大気の成分と放射線量を確認してからです。最低でもあと数日は必要でしょう。」
その日から、俺たちは毎日同じ視聴室で映像を見続けた。
軍や調査隊が市街地をくまなく確認し、生存者を探索し、必要なら物資を置いていく。
成都の中心部はほぼ無事だったが、郊外では地割れや土砂崩れの跡も見えた。
そして一週間後——ついに「一部の市民は外出許可」の知らせが下りた。
対象は政府の要人、その家族、そして今回の計画に特別協力した者たち。
つまり、俺とリンとクロも含まれていた。
外に出る直前、防塵マスクの着用を命じられた。
俺たちはフード付きの分厚いスーツに身を包み、クロには小型のフィルター付きケージが用意された。
シェルターの厚い扉が開くと、外の空気がゆっくりと流れ込んできた。
——匂いが、違った。
湿った土の匂いに、焦げた鉄のような匂いが混じっている。
肺の奥まで沁み込むような重さがあり、呼吸が少しだけ難しくなる。
地面には薄く灰が積もっており、足を踏み出すたびに粉が舞い上がった。
街路樹は葉をすべて落とし、黒く乾いた枝だけが空に突き出している。
しかし、倒壊した家や焼け野原のような光景はほとんどなく、成都は「灰色のまま形を保った街」だった。
リンは立ち止まり、灰色の空を見上げた。
「虽然一切都变了……但我们还在。」(全部変わっちゃったけど……私たちはまだここにいる。)
俺は頷き、肩越しにクロを見た。クロは不安そうに鼻を鳴らしながらも、尻尾をゆっくり揺らしていた。
シェルターから歩いて20分ほどの場所に、小さな広場があった。
そこには、避難していた人々がぽつぽつと集まり、互いに無事を確かめ合っていた。
中には子どもを抱く母親や、犬を連れた老人の姿もあった。
人々の顔には疲れが滲んでいたが、それでも互いの存在を確かめ合う笑顔があった。
俺とリンも、何人かの家族と挨拶を交わし、手を振った。
言葉は少なかったが、そのやり取りには確かに「生き延びた」という実感があった。
——この灰色の世界で、また一歩、外の空気を吸った。
それは、静かだが確かに「次の生活」が始まる音だった。
外出許可が出てから数週間、俺とリンは限られた範囲での生活を続けていた。
政府は成都を拠点に「再生計画」を本格化させ、各地区のインフラ復旧、食料供給、簡易診療所の設置が急ピッチで進められていた。
沿岸部から避難してきた人々も続々と内陸に到着し、街の人口は少しずつ増えていく。
最初は灰色だった街も、日ごとに色彩を取り戻し始めた。
市場には乾物や保存食に加え、温室で栽培された野菜が並び始める。
焼けたような匂いが薄れ、代わりに人々の話し声や鍋の煮える匂いが漂うようになった。
「颯、今天我们去帮忙吧。」(颯、今日は手伝いに行こうよ。)
リンは朝からやる気に満ちていた。
近所の復旧作業や炊き出しの手伝いに参加するのが、最近の彼女の日課になっていた。
クロも元気を取り戻し、毎朝の短い散歩が日常に戻った。
まだ放射線量や粉塵の心配があるため防護マスクは欠かせないが、尻尾を振って歩く姿は以前のままだ。
ある日、政府から小さな区画の農地を試験的に分配するという話があった。
俺とリンにも申し込みの権利があり、迷わず参加することにした。
与えられたのは、わずか10坪ほどの土地。だが、それは「生きるための場所」として十分すぎる意味を持っていた。
土を耕し、持ち寄った種を蒔く。
隕石衝突前には考えもしなかった「自分の食べ物を育てる」という行為が、こんなにも心を落ち着けるとは思わなかった。
リンは水やりをしながら、よく鼻歌を歌った。
その声を聞くと、不思議と不安も小さくなった。
やがて、季節がひとつ巡った頃——。
俺とリンは新しい命を授かった。
診療所の医師から妊娠を告げられたとき、リンは涙をこぼしながら笑った。
「在这样的世界里,竟然还能有这样的奇迹。」(こんな世界で、こんな奇跡が起きるなんて。)
俺はただ、彼女の手を強く握った。
妊娠の知らせは、周囲の人々にも小さな希望を与えた。
隣の区画の農地の老夫婦が、野菜や温室の苗を分けてくれるようになったし、復旧作業をしていた若い兵士たちも「生まれたら抱かせてくれよ」と笑顔で声をかけてくれた。
そして——隕石衝突からちょうど一年。
冬の終わり、雪解け水が街の側溝を流れる音がする日に、我が子が生まれた。
産声は、静まり返った世界に新しい音を刻みつけた。
リンは汗と涙で顔を濡らしながら、我が子を胸に抱いた。
クロはそっと近づき、赤ん坊の小さな手に鼻をつけて、尻尾を振った。
俺はその光景を見ながら、初めて深く息を吸い込んだ。
空はまだ完全に青くはなかったが、灰色の向こうに、確かに色が戻ろうとしていた。
——俺たちは、生きている。
そしてこの子と共に、この世界でまた歩き出すのだ。




