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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
71/81

71.英語を覚えるために背水の陣でスマホの言語を英語にするが半日後には必死で日本語設定に戻したことがある

北京での新生活が始まるとすぐ、中国政府の手配により俺たちが所有していたスマートフォンは全て没収された。代わりに、黒いスーツ姿の役人が新しいスマートフォンを手渡してきた。機種は最新モデルの華為(HUAWEI)であり、政府専用のセキュリティソフトがインストールされていた。

「从今天开始,请使用政府专门提供的手机。旧手机上的所有个人信息已被转移,并已删除,确保你们的隐私安全。」

(本日から政府が専用に用意したスマートフォンをご使用ください。以前のスマホにあった全ての個人情報は移行した後に消去され、あなた方のプライバシー保護は保証されています。)

俺はその新しいスマホを手に取った。指紋認証と顔認証の初期設定を行う間、リンも隣で戸惑いながら同じ作業をしていた。

「あ、微信や支付宝アリペイも最初から入ってる」

(哦,连微信和支付宝都预装好了)

リンは複雑そうな表情で呟いた。俺も頷きながら、政府の強い管理下に置かれている現実を改めて痛感した。

翌日、再び役人が俺たちを訪ねてきた。今度は俺が日本に残してきた家の件についてだった。

「关于你在东京高圆寺的房子,政府已经替你们办理了解约手续。除了家具家电和日用品之外的所有私人物品,我们已安排安全地送到北京的公寓。」

(東京の高円寺の部屋については、政府が既に解約手続きを完了しました。家具、家電および日用品を除いた全ての私物は、安全に北京のマンションまで送る手配を整えています。)

この一方的な通告に俺は戸惑いを隠せなかったが、既に選択の余地はなかった。

「颯、我们的家现在就在这里了……过去的一切,已经再也回不去了吧。」

(颯、私たちの家はもうここになったのね……前のようには、もう戻れないんだね。)

リンは少し寂しそうに呟き、俺の腕を強く握った。俺も同じ気持ちだったが、もうこの流れを受け入れる以外に道はなかった。

さらに数日後、中国政府の用意した北京中心部に位置する新居のマンションに、俺たちの日本から運ばれた大量の荷物が届いた。段ボールを開けると、見覚えのある書籍、写真アルバム、衣類、そして俺がリンのために用意していた思い出の品々が丁寧に梱包されていた。

その翌日、政府役人が再び俺たちのマンションを訪れた。今度は金融関係の書類を携えている。役人は淡々と告げた。

「至于你在日本的银行存款,政府已经帮助你们完成了资金的全部转移。现在,这些资金已经全部转入你们在中国银行北京分行开设的新账户中。」

(あなたが日本の銀行に預けていた全預金に関しては、政府が手続きを全て完了しました。現在、その資金は全て中国銀行北京支店のあなた方の新しい口座に送金されています。)

渡された銀行カードと書類を確認すると、日本円の残高が人民元にきちんと換算され、口座には予想通りの金額が入っていた。

「真是令人吃惊,所有的一切都安排得如此完美。」

(全てが完璧に手配されていて、驚くしかないな。)

俺が皮肉めいた口調で呟くと、役人は冷静に答えた。

「这是为了确保你们的生活能顺利过渡,也是为了保证情报安全。希望你们理解并继续配合。」

(これはあなた方が円滑に新生活を送れるようにするため、そして情報の安全性を保証するためです。引き続き理解と協力をお願いします。)

俺は言葉少なに頷いた。正直言って、今後の自分の運命が完全に中国政府の掌中にあることを痛感せざるを得なかった。だが同時に、リンとクロがそばにいることだけが唯一の救いでもあった。

リンがソファに座りながら呟く。

「你和黑还在我的身边,我就能忍受这一切。」

(颯とクロがそばにいてくれれば、どんなことでも耐えられるよ)

彼女の静かな声に俺は頷き、その手をしっかりと握り締めた。だが、俺の心の奥にはこの管理された生活に対する漠然とした不安が残っているのも事実だった。

マンションの窓の外には北京の夜景が広がっている。無数の光がきらめく都市の中で、俺たちの新しい生活が始まった。世界的な危機が刻一刻と迫る中、与えられた新しいスマホに映し出される政府の通知を眺めながら、俺は再びため息をついた。

隕石の衝突まで残り僅かな日々を数えつつ、俺とリン、そしてクロは、北京での奇妙な日常を静かに迎え入れていくのだった。

マンションの窓の外には、映画で見たような昼の光景が広がっている。北京の街並みを眺めながら、颯は静かに席に座った。机には新しいパソコンがあり、最新の技術を駆使して設定されたそれには、日本語のキーボードも用意されていた。自分の手がそのキーボードを使うとき、過去の記憶と未来の出来事をどのように繋げるべきか、悩みながらキーを叩いた。

毎朝、航天局からのお迎えの車がマンションの前にやってくる。運転手はいつも同じ顔、同じ無表情で迎えに来る。車に乗り込むとき、俺は何となくこの日常がとても変わり果てたものだと感じていた。リンは毎日クロとお留守番だが、彼女がどう過ごしているのかを考えると、少し胸が痛む。無理にでも明るく振る舞っている姿を想像して、また不安がこみ上げてきた。

「颯、いってらっしゃい」リンの言葉に頷くと、車はすぐに出発する。

航天局に着くと、決まったように自分専用の部屋へ案内される。部屋にはすでにデスクと新しいパソコンが設置されている。机の上にあった書類やノートパソコンも、自分がかつてやっていた作業とは異なるものだったが、心の中で少しだけ安堵した。少なくとも、この新しい環境で与えられた仕事がある。日本語で未来の記憶を覚えている限り書き出すのが唯一の使命だと、思い込んで自分を励ますしかなかった。

「これまでのループで起きた出来事をできるだけ詳細に書き出せ」と、職員から与えられた指示に従い、颯はキーボードを叩き始めた。数時間かけて、これまでの記憶、過去の出来事、そして未来に起きるであろう出来事を正確に思い出し、できるだけ忠実に書き起こす作業を続ける。

昼になると、航天局の職員用食堂に案内される。そこには毎日20品のおかずが並んでおり、好きなものを好きなだけ食べられるという。料理の種類は豊富で、エビの炒め物や魚の塩焼き、スープに点心、そして甘いデザートまで揃っている。颯は食べたことのない料理を中心に皿に盛り、一人で食堂の隅の席に座り食事をする。

午後になると、職員が一人、必ず颯のところに来る。彼の名前は李海リー・ハイ。細身で長身、初老の男性で、毎回日本語で話しかけてくる。李海は日本語が堪能で、颯が書いた内容に関して質問をしてくる。

「颯さん、ここに書かれている内容に関してですが、隕石が衝突する位置を正確に特定できるのでしょうか?」李海の声は冷静だが、質問の内容は鋭い。

颯は少し息をつき、パソコンの画面をじっと見つめた。「12月4日、隕石が最接近します。アメリカが軌道を変えれば中央アジアのカザフスタンに衝突する可能性が高いと思います。アメリカが軌道を変えなければ南極大陸北部とアルゼンチンの南のちょうど真ん中くらいの海上に衝突します。毎回アメリカが軌道を変えるわけではないので、今のところはどちらに衝突するか確実なことは言えません」

李海はその言葉を真剣に聞き、頷いた。「分かりました。これについては、さらに調査を進めます。それにしても、あなたが覚えていることは非常に詳細ですね。非常に重要な情報です」

颯は何度も考え直したが、答えを返した。「私が過去に覚えているのは、ほんの一部のことだけです。それが正確かどうかは分かりません。ただ、この世界線では、少なくとも隕石の衝突の前に何か行動を起こす必要があると思っています。カザフスタンに隕石が衝突した場合は中国も無事ではないですからね」

李海は軽く眉をひそめながらも、「でしょうね。理解しました」とだけ言って、またパソコンの画面を見つめた。彼が立ち去ると、颯は再び書き続ける仕事に戻る。今、この状況がどれだけ深刻で、どんな結末が待っているのか、まだ見えないままで作業を進めていた。

17時、仕事が終わると、颯は毎日送迎車に乗り込む。どこか心が落ち着かないまま、車は自分のマンションまで送ってくれる。車の窓から見える北京の街並みが、日に日に日常になっていく。少しでも自分に戻りたいという思いが強くなるが、現実はそう簡単にはいかない。

マンションに戻ると、リンがクロと一緒に待っている。リンはいつもの笑顔で「おかえり」と言ってくれる。

「ただいま、リン」颯は口を開き、笑みを作る。クロはいつものように颯の足元に駆け寄り、嬉しそうに尻尾を振る。リンはその様子を見て、少し安心した表情を見せるが、俺の心はまた少し重くなる。

俺は航天局での仕事を終えた翌日、久しぶりに目覚まし時計に起こされずに目が覚めた。ベッドの隣ではリンが静かに寝息を立てている。彼女の無防備な横顔をしばらく眺めた後、ゆっくりとベッドから降りた。

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