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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
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60.引っ越しの一括見積を依頼する際に「電話連絡を希望しない」にチェックを付けても電話をかけてくる業者では絶対に働きたくない

立ち飲み屋で楽しんだビールのほろ苦さと焼き鳥の香ばしい余韻を引きずりながら、俺は夜の街を抜けてクロの待つ家へと向かった。ほどよく酔った足取りが自然と軽やかになる。家の前まで来ると、灯りをつけ忘れていた部屋の窓からクロの影が見えた。玄関の扉を開けた瞬間、勢いよく尻尾を振ったクロが飛び出してきて俺の胸元に飛びついた。


「ただいま、クロ。待たせて悪かったな」


俺が頭を撫でてやると、クロは嬉しそうに体をすり寄せ、尻尾の振りがさらに速くなった。ビニール袋から焼き鳥の入ったパックを取り出すと、クロはすぐに鼻を鳴らしながら瞳を輝かせて見上げてくる。


「ほら、お土産だ。焼き鳥買ってきたぞ」


串から肉を外して一つずつクロの皿に置くと、クロは一瞬匂いを嗅いでから勢いよく食べ始めた。俺はその様子を眺めながらソファに深々と腰を下ろし、天井をぼんやりと見上げた。会社勤めは今日で終わり、これからは自由の身になるはずなのに、まったく実感がない。まだ明日も早起きして出勤しなければならないような気がしてしまう。


スマホが短く振動し、画面にリンからのメッセージが表示される。


『引っ越しの準備がやっと終わったよー! 明日はよろしくね!』


いつものように元気いっぱいなリンの文章を見て思わず微笑み、すぐに返信を打つ。


『お疲れ。明日は七時にはそっちに行くから、今日はゆっくり休んで』


送信ボタンを押した後、俺はのんびりとシャワーを浴びて、いつもより少し早めにベッドに入った。


翌朝、耳障りな目覚ましの音で目を覚ますと時計は七時半を指している。薄くカーテンを透かす陽光が眩しい。急いで洗面台に向かい顔を洗い、クロの散歩へ出かけた。朝の空気は清々しく澄んでおり、クロは元気にリードを引っ張りながら歩く。


散歩を終えてクロに朝食を与えると、自分は簡単にコーヒーだけを流し込み、「行ってくるからな」とクロの頭をもう一度撫でてから家を出た。


自転車のペダルを軽く漕ぎながら、今日の引っ越しの手順を頭の中で整理する。まずはリンのマンションにある不要な家具を粗大ごみ置き場へ運ぶ。そのあとレンタカー店でハイエースを借り、リンの荷物を俺の家へ運び入れる。そして最後に部屋の掃除をするという流れだ。リンには業者に頼むよう提案したが、「お金があるからって無駄遣いするのはイヤ」と言われ、結局俺たちだけでやることになったのだ。小柄なリンには重労働だろうし、大半の作業は俺が担当することになるだろうと覚悟を決めた。


リンのマンションに到着すると、エントランスのインターホンでリンの部屋番号を押す。


『はい』と、インターホン越しに寝起きらしいリンの少し眠そうな声がした。


「着いたぞ」と伝えるとすぐにオートロックが解除され、扉が開いた。実はリンをマンション前まで送ったことは何度かあったが、部屋の中に入るのはこれが初めてだ。自然とテンションが上がる。


マンションの一階奥にあるリンの部屋の前まで行くと、ドアがそっと開いてリンが顔を出した。普段より少しあどけない表情で、恥ずかしそうに小さく笑っている。


「おはよー」


「おはよう」


挨拶を交わすや否や、リンが急に俺の腕を引いて部屋に引き入れ、玄関のドアを閉めた途端にぎゅっと抱きついてきた。リンの細い肩が微かに震えているのが分かり、少し驚いた。


「一週間も会えなかったから寂しかったよ……」


その言葉に胸が締め付けられるような愛おしさが込み上げて、俺は彼女の髪を優しく撫でた。


「俺もだよ」


リンは満足したようにうなずき、一呼吸おくと笑顔で俺の手を引いた。


「よーし!じゃあ引っ越し頑張ろう!」


切り替えが早いな、と微笑みながら、部屋の中を見渡す。一人暮らし用の比較的コンパクト家具や家電ばかりで安心した。


「粗大ごみはシール貼ってあるから外に運んでいいよー」


「了解。じゃあ、大きいのから運ぶからドアを開けてくれる?」


「オッケー!」とリンは軽快に玄関まで走り、ドアを開けて待つ。


冷蔵庫を抱えると、リンが「すごい!」と拍手をしてくれる。苦笑しつつ外に運ぶ作業を続け、三十分ほどで粗大ごみの運び出しは終わった。


「終わったぁ!」と腕の汗を拭うと、リンは笑顔で俺の腕にそっと触れた。


「ジム通いしてるだけあって力持ちだねぇ」


「筋トレの成果がやっと出たかな」と冗談めかして返すと、リンは笑いながら腕を叩いてきた。


その後、レンタカー店へ向かう道の途中、リンは暑さでぐったりと肩を落とした。


「うわー、暑すぎる……」


「昼には三十八度になるらしいよ」


「ええ!聞かなきゃよかった……」リンは顔をしかめて落胆した仕草を見せる。


途中のコンビニで冷たいお茶を買い、再びお茶を飲みながらレンタカー店へ向かう。店に到着すると目当てのハイエースが店先で俺たちを待っていた。店内で手続きを済ませて鍵を受け取ると、俺たちは車内に入りエンジンをかけ、冷房を最大にする。


「あ~涼しい!」リンはTシャツの襟元を広げて冷気を取り込み、心底幸せそうな顔を見せる。


「下着が見えるぞ」と言うと、リンは笑いながら襟元を押さえて、


「颯なら別にいいよ?」


「運転に集中できないんだけど」と視線を逸らすと、「ダメダメー、ちゃんと前見て―」と言ってリンは嬉しそうに微笑んだ。


やがて車はあっという間にマンションへ戻り、二人で顔を見合わせ、引っ越し作業の再開を告げるように頷き合った。

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