4.恋愛相談は友達よりも家族の方が真剣に聞いてくれるけど反対されると秒で喧嘩になる
爽と連れ立って会社を出る。商店街を五分ほど歩き、常連の洋食店に入った。
昼どきなのに席は半分ほど空いている。冷凍食材を使わない丁寧な味だが、量は控えめ・内装は昔ながら──若いサラリーマンの胃袋にも、雰囲気を求める女性にも刺さらない。ゆえに客層は小金に余裕のある五、六十代が中心だ。夫婦二人で切り盛りするには、これくらいの混み具合がちょうどいいらしい。待ち時間が少ないので、ピークに外食するときはたいていここを選んでいる。
店内を見回すと、いちばん奥のレザーソファ席で浅野さんが手を振っていた。
「舞さん、お久しぶりです! これ、お土産です」
爽がリュックから差し出した袋には鮭トバがのぞいている。甘い物も酒も好きな彼女への絶妙なチョイスだ。
「ありがとう、爽くん。夏になったら山形の実家からさくらんぼ送るね」
「かえって気を遣わせちゃいます。兄がいつもお世話になっているお礼ですから」
「そういうんじゃなくて、おいしいから食べてほしいだけよ」
「なら遠慮なくいただきます!」
俺も昨夏にいただいたが、あのさくらんぼは確実に高級百貨店レベルの逸品だった。
浅野さんの向かいに爽と並び、メニューを開く間も弟は懸命に話しかけている。社交的とは言いがたい彼がここまで必死になるのは珍しい。兄として心中複雑だが、もう口を挟むまい。
壁の黒板に〈本日のおすすめ〉──広島産カキを推したミックスフライ、ドリア、クリームスパ……カキの気分ではない。レギュラーメニューに視線を移し、ポークソテー&エビフライセットを選ぶ。
タイミングよく店員が注文を取りに来た。
「すみません、ポークソテー&エビフライセットのエビフライをカキフライに変更できますが?」
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、お願いします」
弟と浅野さんもメニューを見ずに「同じもので」と注文する。爽は子どものころから優柔不断で、外食はいつも兄と同じ。服や小物のブランドまで真似るので、私服が丸かぶりすることもしばしば。しかも十センチ背が高いぶん、何を着ても俺より似合ってしまう。そろそろ兄離れしてほしいが、両親の離婚後、男三人で支え合ってきたせいか、この関係はたぶん一生続く。
食後のサービスのアイスコーヒーを啜っていると、爽が意を決した表情で口を開いた。
「あの、舞さん。今夜、俺と二人で食事してもらえませんか!」
ストローの袋をいじっていたのは、このタイミングを計っていたらしい。
「颯も一緒じゃダメ?」
弟には手厳しい返球だ。援護射撃をせねば。
「すみません、きょうはリンと約束があるんです」
浅野さんが少し考え──
「じゃあいいわ。二人で行きましょう。お店は?」
「予約してあります! 新宿で二十時、涼風の名前です」
スマホ画面には恋愛映画の聖地として話題のイタリアンレストラン。やるな、弟。
「準備万端ね。じゃあ現地集合で」
「はい!」
会計を済ませ浅野さんが仕事へ向かうと、爽が俺を呼び止めた。
「兄ちゃん、きょうプロポーズする」
……は? プロポーズ? 付き合ってもいないのに? 撃沈は必至だが、ここで反対しても聞く耳を持たないだろう。むしろ一度痛い目を見た方が……。
「そうか、頑張れ。健闘を祈る」
弟の表情がぱっと明るくなる。
「ありがとう! これから一万円カットの美容室行って、シミュレーションしてくる!」
一万円カットに本気度を感じつつ見送った。
◇
午後の業務を終え、仕事の帰り道にきょうも《山勝》でデラックス唐揚げ弁当特盛を購入。白飯の上に鮭・卵焼き・シュウマイが鎮座する豪華版だ。弟の失恋後の慰めには、スタミナが必要だからな。
ところが零時前、思いの外遅く爽が帰宅──
「ただいま! 兄ちゃん、明日入籍することになった!」
……は?
冗談かと思いきや真顔。手には記入済みの婚姻届。浅野さんの筆跡も間違いない。
「証人欄、書いてくれる?」
気づけばペンを握り署名していた。クロが用紙を嗅ぎ、興味を失って丸くなる。
「戸籍謄本も証人も用意済み。本部長とは電話で別れ話をつけさせた」
レストラン個室でストレートにプロポーズ→一度は恋人の存在で断られる→熱弁→その場で別れさせる→指輪を差し出し再プロポーズ──。爽の執念と行動力に戦慄しつつ話を聞く。
「普段なら絶対ムリだけど、舞さんを幸せにしたいと思ったら勇気が出た」
目を輝かせる弟に、俺は乾いた笑いを返すしかない。
「よし、明日は婚姻届を出して韓来でお祝いだ。王様カルビ奢るぞ」