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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
35/81

35.枕が変わると寝られないと言ってる人もなぜか電車では寝られる

ハンドルを切って砂利の私道に入ると、祖父母の家が視界に飛び込んだ。屋根の上に薄雪が残り、低い冬日が屋根の縁を金色に染めている。庭の白樺は葉を落とし、枝の影が壁に細かい網目を描いていた。駐車スペースにランドクルーザーを止めると、玄関の扉が開き、祖母が小走りに出てくる。その後ろで祖父がゆるゆると腕を振りながらついてきた。

 「ただいま、じいちゃん、ばあちゃん!」 

 勢いよくドアを開けた途端、足首まである雪を踏みしめる音がくぐもって響く。舞、湊、リンも順に降車し、それぞれ白い息を吐きながら玄関へ向かった。

 「じいちゃん、ばあちゃん、紹介するよ」

 まず舞の腰に軽く手をまわし、祖父母の前に立つ。

 「彼女は舞、一昨日、東京を出発する直前に役所へ寄って結婚届を提出した。だから…もう妻だね」

 舞は慣れない雪道で小さく足を開いたまま、深く頭を下げる。

 「舞と申します。突然のご報告になってしまいましたが、これからどうぞよろしくお願いいたします」

 祖母はぱっと目を見開き、すぐに笑み皺を寄せて掌を打った。

 「まあまあ、おめでとう。遠いところよく来たねえ。寒かったろう」

 祖父も頷きながら「めでてえ、めでてえ」と繰り返し、俺たちの肩をぽんぽん叩く。湊とリンも自己紹介を終え、握手を交わすと玄関先は一気に賑やかさを帯びた。

 まずは荷物――といっても俺たちの私物のほか、爽が積み込んだ医薬品や日用品類などが山ほどある。玄関土間だけでは足りず、勝手口から直接納戸へ運び込んだ。納屋の戸を開けると、祖母が厚いブランケットを敷いた犬用スペースを用意してくれていた。だがクロはしっぽを垂れ、俺の膝に鼻先を押しつけてくる。

 「じいちゃん、ばあちゃん。クロは外でしかトイレしないようにトレーニングしてあるんだ。よかったら一緒に家の中で過ごさせてもらえないかな」

 祖母は俺たちを見て、そしてクロの澄んだ目を見てから「それなら畳も安心だね」と笑った。クロは理解したかのように一声わんと短く吠え、弾むように框を飛び越えた。

 くつを脱ぎ、祖父の案内で部屋割りが決まる。

 「リンさんと湊さんは一階の客間、ストーブを入れて炬燵も出してある。颯と舞ちゃんは二階、西側の空き部屋だ。何年も使ってなかったけど昨日急いで掃除しといた」

 階段を上がると、物置として使っていた八畳間がすっかり片づいていた。窓には新しいカーテン、壁際に綺麗な敷き布団と電気ストーブ、そして小ぶりの勉強机。

 舞がそっと息をつき、俺に囁く。「おじいちゃんもおばあちゃんも本当に優しいね。ここなら安心して過ごせそう」

 「よかった。俺もじいちゃんとばあちゃんの顔見たら、なんか安心して肩の荷が下りた感じがするよ」

 クロは初めて嗅ぐにおいに目を細め、クローゼットの扉や布団の縁をくんくん巡回。最後に満足したように窓際で丸くなった。二人でスーツケースと段ボールをクローゼットに押し込み、上着をハンガーに掛ける。

 ひと息ついて一階へ戻ると、居間には鉄瓶から湯気が上がり、赤い炬燵布団がふくらんでいた。祖母が急須に番茶を注ぎ、祖父は新聞を畳みながら俺を見上げた。

 「颯、東京はどうなっとる? テレビじゃ人が駅で溢れとる映像ばかり流れるが」

 「正直、俺たち避難指示が出る前に札幌に着いて、それからずっと走りっぱなしでさ。詳しい状況はわからないんだ。ニュースもところどころしか聞けなくて」

 祖父は深く頷き、「そうかそうか」と湯飲みを差し出した。

 湯呑の縁が熱い。みかんを食べながら温まり始めたころ、祖父が思い出したように手を叩く。

 「そうそう、昨日からお前宛ての荷物が運送屋から次々届いて、倉庫に積んであるぞ。確認しておくか?」

 「おっ、ちゃんと届いたんだ。早めに送っておいてよかったー。みんなで見に行く?」

 舞が頷き、リンと湊が興味津々で立ち上がる。クロはぴんと耳を立て、尻尾を小刻みに振る。

 裏手のトタン倉庫に入ると、トラクターの横に段ボールの山ができていた。運搬票には「東京練馬センター経由」「札幌中継」などの印字とともに、俺の名前と舞の旧姓が並ぶ。

 舞が伝票を確認しながら開封リストを読み上げる。

 「私のが―服、靴、タオル、化粧ポーチ、ドライヤー、旅行用の枕……全部届いているわね」

 俺の箱の中身も似たようなもので、厚手のダウン、替えの靴、下着やタオルに加え、ゲーム機やゲームソフトあとはサバイバル系の書籍などが詰まっていた。

 「颯先輩、これ開けていいですか?」

「うん、みんなのために用意した物資だから自由に触っていいよ」

俺が言い終わると湊はスタンガンなどの護身用のグッツが詰まった段ボール開けて、1つずつ使い方の確認を始めた。

リンは自分が送った段ボールを見つけて早速部屋に運び始めている。

 それぞれ自分たちの私物が入った段ボールを見つけて部屋へ運ぶ。二階に運ぶ途中階段で息を合わせながら、舞が小さく笑った。

 「まさかこの状況で荷物が全部届くとは思わなかった。私の枕まで来てるし」

 「枕が変わると眠れないって言ってたもんな。本当に全部届いて良かったよ」

 部屋に着くと、クロが自分のおもちゃやブラシなどが入った箱の匂いを確かめる。舞は自前の枕を畳んで部屋の隅に置いてある布団の上に置き、服をクローゼットに掛け始めた。俺もダウンをハンガーに、ノートパソコンを机に設置して、静かに胸を撫で下ろす。――前の世界から今まで必死に逃げ続けて、やっと安心する場所に来られた。

 片づけを終え、喚起のために部屋の窓を開けると夜の気配が忍び込んだ。白い息が闇に溶け、遠くでカラスの鳴き声がこだまする。舞が柔らかい声で囁く。

 「ねえ、これからどう動く?」

 「そうだなー、とりあえず倉庫の物資を盗まれたら困るから、家の中に運ぼうかな。今はまだ大丈夫だけど、これから道内でも色々不足していくだろうから」

 「うん。でも、今日はもう暗くなっちゃったから明日やろう?」

 俺は頷き、クロの頭を撫でながら灯りを落とした。

 階下から祖母の呼ぶ声が聞こえる。「ごはん出来たよー」。味噌と煮干しの匂いが上ってくる。舞と顔を見合わせ、安心がこみ上げた。嵐の前の静けさでも、人は腹を満たし、布団に入り、灯りをともして眠る生き物なのだ。クロが立ち上がってドアの前に立つ。

 「じゃあ、下行こうか」

 舞が頷き、俺はドアを開ける。階段の先に漂う夕餉の湯気が、暖かな家族の輪へと導いていた。階段を降りるあいだ、舞が呟く。「ここにいると、大きな隕石が近づいているなんて信じられないね」

 「そうだね。ここは隕石の被害はたぶんないけど、地震が心配だな。10年前に建て替えた家だから耐震強度は大丈夫だと思うけど」

 居間に戻ると、湊が炬燵に潜り込んで頬を赤くし、リンが祖母と並んでりんごを盛りつけていた。祖父はマッサージチェアに座ってテレビのニュースを見ている。

 ニュース映像が目に入り、こうしている間にも遠い空を巨大な石塊が漂っている――その事実を一瞬思い出す。でも、今は目の前の温かい夕飯と家族と仲間の笑顔だけで十分だった。

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