33.実家が金持ちの友達とビュッフェに行ったときに、原価の安い食べものを平気でたくさん持ってくる友達を見て、なんかモヤっとする気持ち
《SIDE 爽》
テレビ塔近くの大通公園に面したホテルで颯にランドクルーザーを引き渡すと、爽は白い息を吐きながら道庁に向けて歩き始めた。
時計は午前七時半。中途半端に溶けた残雪の上を革靴が鳴り、オフィス街をすり抜ける冷気が頬を刺す。心の底では、車に便乗して足寄へ同行したい気持ちが渦を巻いていた。だが道庁の臨時災害対策チームでは、中央省庁から随伴した政治家や高官の“お世話係”が絶対的に不足している。職員の大半はここ一週間、仮眠室で二時間眠れれば良い方という状態で、爽も例外ではない。昨日も昼休みに上司の目を盗んでレンタカーを借りて近くのドラックストアで手あたり次第医薬品や日用品を買い漁ったが、戻ってきたときにはメールが数十件溜まっていた。昨日から何度も颯や湊たちと一緒に逃げたいと葛藤していた。しかし、〈同僚を置いて自分だけこの鉄火場を離れるわけにはいかない〉その義務感が、爽を踏みとどまらせていた。
幸いにして安全面の不安は皆無だった。内閣総理大臣を含む政府要人が札幌へ集結している影響で、道庁周辺には全国から選抜された機動隊と自衛隊が常駐し、地上には警備車両、ビルの屋上には赤外線スコープを構えた狙撃班まで配置されている。札幌雪まつり期間中ですら見たことのない警備の厳重さで、皮肉なことに今の中心街は平時よりも安全だった。
職員にはNASAの発表の一週間以上前に「国内全域を巻き込む未曾有の災害が発生する可能性が極めて高い。政府機能を北海道と長野に分散させることが決まった」とだけ知らされていた。正体が隕石衝突とは断言されず、詳細を問い合わせても“最悪のシナリオに備えよ”という曖昧な言い回しが返ってくる。通信は全て警察庁の情報分析室にモニタリングされ、家族や友人へ漏らせば職員本人ばかりか、聞いた相手まで逮捕される——そう通達された以上、誰一人口を割らなかった。颯や湊が偶然にも自主避難という形で足寄を目指してくれた事実は、爽にとって僥倖だった。
赤れんが庁舎横の職員通用口から地下へ下りると、長い白色灯の先に非常時専用のビュッフェ会場が広がっていた。銀製ヒートランプの下で、ステーキ、寿司、パスタ、和惣菜が湯気を上げ、普段の質素な職員食堂とは別世界だ。政府関係者向けということだが、総理の指示があり、ありがたいことに道庁職員も24時間自由に利用できる。徹夜続きの身体には豪華さより即エネルギーが重要で、爽はまず鉄板焼きコーナーの皿に山盛りのソース焼きそばを盛り、その上に半熟の目玉焼きを滑らせた。卵黄が揺れるのを確認し、味噌汁代わりのクラムチャウダーを紙カップに注ぐ。
テーブルは八割方埋まっているものの、壁際の四人掛けに空きがあった。爽が腰を下ろし、一口目を頬張った瞬間、黒いジャージ姿の男が丁寧に頭を下げた。「相席、よろしいですか?」背中には白抜きのPOLICEの文字。男は大谷と名乗り、東京都杉並警察署の巡査部長で、警備部隊の応援要員として昨夜新千歳に降り立ったばかりだという。今日から同庁周辺の警備業務に従事するとのことで、この食堂の利用が認められているらしい。
二人はすぐ打ち解けた。爽が「兄と恋人が昨日のうちに東京から戻ってきていて、今は足寄に向かっていること」を話すと、大谷も「自分には三つ上の姉がいて、自分が安全な北海道に避難したことを話したら泣きながら、よかったと安心してくれましたよ」と苦笑する。姉は都心の中高一貫の名門私立中学校で教員をしており、学校が所有する長野県内にある研修センターに生徒と生徒の家族と一緒に避難しているらしい。
食後、大谷がスマートフォンを差し出した。「今度落ち着いたら飲みに行こう。すすきの詳しくないから、案内してくれよ」冗談めいた口調に救われるような笑みがこぼれ、爽は自分の連絡先を入力した。「ええ、いい店案内しますよ。必ず行きましょう」と念を押し合い、拳を軽く突き合わせる。
別れ際、大谷は立ち上がりながら敬礼のポーズを取った。爽も笑って敬礼を返し、食器を返却口に乗せた。地下通路を上がると、スマホの緊急警報テストが一斉に鳴り響く。フロアじゅうの要人秘書が時計を確認し、指示書を抱え走り出した。爽は深く息を吸い、背筋を伸ばす。家族と再会できる保証はどこにもない。それでも、今はここで働くことでしか彼らを守れないのだ——そう己に言い聞かせ、エレベーターで国土交通副大臣の待つ執務室階へと向かった。




