30.ビズネスホテルに泊まるときは何で1人で消費できない量の食べ物をコンビニで買ってしまうのか
四人でベッドに腰を掛け、テレビ画面を凝視していると、やがて壇上に初老の黒人男性が現れた。テロップには〈アメリカ航空宇宙局長官〉と映し出されている。
『私はアメリカ航空宇宙局長官のハリス・ホークです。本日はアメリカ国民のみならず、全人類にとって極めて重大な発表を行います』
長官は、前の世界で耳にしたのとまったく同じ説明を淡々と述べた。続く官房長官の補足まで、一字一句違わない。
「本当に颯の言ったとおりだね。もし外れてても北海道旅行になるだけだと思ってたけど、信じて良かった」
リンは前の世界でも俺を信じて一緒に来てくれたが、この世界でも変わらず味方でいてくれる。
「正直、私も爽くんに聞かされても半信半疑でした。でも、本当に起きるんですね……」と湊。
「不謹慎だけど、ちょっと安心したかも。颯の言葉を信じて良かった」舞が小さく息を吐く。
「実は俺も、全部が夢で何も起きないかもって思ってたから、少しだけホッとしたよ」
「このあと、どうなるんだっけ?」
「明日の朝、ロシアが記者会見を開き、アメリカへ核攻撃を宣言する。アメリカが隕石を核で破壊しようとしたせいで、衝突地点がロシアのすぐ近く――中央アジアへずれたのが理由だ。ロシアは報復として隕石衝突前に核を撃ち込み、アメリカも応戦。隕石が落ちる前に両国とも壊滅する。さらに隕石はロシアの言うとおり中央アジアに落下し、地球規模の地震と気象変動が起きるんだ」
三人は言葉を失い、足元のクロを見つめた。
「涼風先輩、北海道は大丈夫なんですよね?」と湊。
「安全な場所は、日本のどこにもないと思う。北海道も大群発地震の例外じゃない。ただ、俺が死んだ原因は地震でも隕石でもなく人間だった。だからこそ地元の北海道へ避難した――それが経緯だ」
「そっか……つらかったね」リンが俺の手を握ると、舞が一瞬俺の顔を見てから、怪訝そうにリンを見た。
「少なくとも北海道は皇室が避難し、政府機能の大半も移転するから治安はいい。人間より熊のほうが怖いかもね」
冗談めかして場を和ませると、湊が立ち上がる。
「そうですね。今日は二人の入籍祝いですし、早いですけど宴会を始めましょうか」
遠くで雪を巻く夜風がうなり、ガラス越しの灯りの下、小さな宴が幕を開ける。明日さらに北へ向かう前に――束の間の温もりを味わうために。
ツイン仕様とは名ばかりで、ベッド二つと机一つ、ペット用スペースまで詰め込まれ、通路以外に隙間のないペット可ルーム。
二つのベッドの中央に小さな丸テーブルを寄せ、海鮮丼、ザンギ、チーズ盛り合わせを並べると余白はゼロだ。
リンが手を打ち「はい、新婚さんを囲んで――」と声を弾ませ、湊が抜栓した白ワインをプラカップに注いで回る。
「乾杯!」
その瞬間、颯のスマホが震えた。〈爽〉の名と短いメッセージ――
《明日七時、ホテル前にレンタカー持って行くね。それから結婚おめでとう!》
内容を読み上げると、舞が「『ありがとう』って返して」と小声で急かし、リンが「ナイス弟くん!」と親指を立てる。湊も笑って「爽くん、本当に先輩が好きですね」と茶化した。
〈了解。忙しいのにありがとう〉と返信し、俺はもう一度カップを掲げた。
「それじゃ改めて――爽にも感謝して!」
「乾杯!」
四つのカップが軽く触れ合い、クロがキャリーの内側で尻尾を叩いて拍手の代わりを務める。
ザンギにかぶりついたリンは「外サク中ジュワ、これヤミツキ」と目を見開き、湊はウニとイクラ入りの特上丼を頬張って幸せそうに笑った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、壁のテレビが二一時を告げる。
湊が空になったカップを重ねて「そろそろ撤収しますね」と立ち上がり、リンもクロを撫でて「明日六時起きね。ロビーには六時四十五分集合」とウインクして部屋を後にした。
残った部屋には湯気の余熱とワインの甘い香りが漂う。
俺がバスルームの換気を入れ、「先にどうぞ」とタオルを差し出す。舞は「十分で出るね」と言ったものの、鼻歌が聞こえるころには少しオーバー。
続いて俺が湯を浴びるあいだ、舞はドライヤーで髪を整え、クロの水皿を替えてやる。シャワーを終えて戻ると、テーブルに残った白ワインを二杯だけ注ぎ、舞が差し出した。
「お疲れさま。もう一度――私たちに」
「乾杯」
唇を湿らせたあと、コートの胸ポケットから小さなリングケースを取り出し、舞の前に戻る。舞の瞳がわずかに揺れ、無言のまま対座した。
箱を開けると、プラチナの細い輪がホテルの灯りを淡く反射する。俺が舞の左薬指に指輪を滑らせ、舞は震える指で同じ輪を俺の指へ返した。指先の温度が、確かに境目を越えた。
「離さない」
「私も。どんな未来でも――一緒に」
ベッド脇のスタンドを落とすと、窓の外に雪が静かに舞う。クロが丸くなって寝息を立て、二つの指輪は白いシーツの中でほのかな輝きを宿し、暖房の低い唸りだけが長い夜を見守っていた。




