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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
28/81

28.一人暮らしで長期間家を留守にするときは郵便局に不在届を出すことをお忘れなく

翌朝。

窓際のカーテンが朝焼けを透かし、柔らかな光が寝室に注いでいた。

舞は穏やかな寝息を立て、俺の腕の中でかすかに身じろぎする。

枕元の時計は午前六時少し前。舞の頭の下からそっと腕を抜いて、そっと舞の髪を撫でてからベッドを抜け出す。

「――よし」っと、小さく声を出すと、足元でクロがのびをし、尻尾をひと振りした。

リードを手に取る。クロは耳を立て、うれしそうに駆け寄ってきた。できるだけ音を立てずに玄関の扉を開けてマンションを出ると、ひんやりとした冬の空気が肌を刺す。商店街を一回りして体を温め、その足でいつものコンビニへ。ツナマヨおにぎりとコーンスープを二つずつ買い、会釈しながら袋を受け取った。

部屋へ戻ると、玄関のカギを開ける音で、舞が目をこすりつつ起き上がったところだった。

「おかえり、颯。散歩?」

「うん。ついでに朝ごはんも」

ローテーブルに簡易トレーを置き、湯気の立つコーンスープを手渡す。

「わぁ、あったまる~」

クロにはいつものドッグフードを盛りつけた。

食事を終えると、舞は「先に支度するね」とコスメポーチを広げる。ワンルームの片隅で鏡付きコンパクトを立て、マスカラやリップを器用に並べた。俺はキッチン側に回り込み、長期不在の準備を始める。

「水道止めるけど、トイレ大丈夫?」

「うん、さっき行ったから大丈夫」

まずシンク下の止水栓を締め、ガスメーターの元栓を止める。冷蔵庫を開け、食べ切れない野菜や肉をゴミ袋へ放り込み、扉を拭いて静かに閉じる。

バックパックを開け、耐火ポーチを滑り込ませる。中には免許証、パスポート、健康保険証、キャッシュカードと通帳、実印・認印。さらにノートPC、モバイルバッテリー、Wi-Fiルーターを重ね、ファスナーを閉じた瞬間、ずしりと肩に重みがのった。

「終わった?」

舞がアイラインを引き終え、コートに袖を通しながら振り向く。

「OK。あとはブレーカーを落としてクロをキャリーに入れるだけ」

キャスター付きキャリーを指差すと、クロは尻尾を振りつつ膝に鼻先を寄せた。甘えるようで、仕方なくハーネスにリードを装着する。

最後に分電盤の主幹ブレーカーを落とすと、部屋は一瞬で静まり返り、レースカーテン越しの柔らかな外の光だけが部屋を照らした。


鍵を掛けて外へ出ると、吐く息が白い。商店街を抜けるあいだ、クロは軽快に歩き、高円寺駅前でキャリーを開けた。

「ここからは乗り物だ。入ろう」

クロは素直に入り、扉がカチリと閉まる。

中央線快速が動き出して間もなく、スマホが震えた。

〈今、中野通過中。新宿で待ち合わせよろしく!〉――リン

続いてもう一件。

〈おはようございます! あと二駅で新宿着きます〉――湊

画面を舞に向ける。

「リンは電車に乗ってる。湊さんも向かってるって」

舞は頷き、キャリーの取っ手を握り直した。

「じゃあ四人と一匹、予定どおり新宿集合ね」

窓外のビル群が朝陽を浴びて流れ去る。高円寺が遠ざかるのを見送りつつ、俺はクロの頭を網越しに撫でた。

中野に差しかかるころ、舞が袖をつまんだ。

「ねえ……もし日本がめちゃくちゃになるなら、今のうちに結婚しない?」

その瞳に冗談はひと欠けらもない。

一拍置いて深くうなずく。

「うん。時間はある。新宿で湊さんとリンに証人になってもらおう」

舞の頬に安堵の色が差し、俺の手を握る指先に力がこもった。

改札を抜けると、待ち合わせのモニュメント前に湊とリンがいた。湊はグレーのチェスターコート、リンは黒のダウンに鮮やかなマフラー。互いに軽く会釈を交わす。予定より三十分早いが、もう全員集合だ。

「リン、紹介する。舞と正式に付き合うことになった」

湊が目を丸くし、リンは眉を寄せたもののすぐ笑みを浮かべた。

「そっか、おめでとう。びっくりだけど良かったね」

「ずっと怪しいと思ってましたけど、まだ付き合ってなかったんですね」

舞が前に出る。

「急で悪いけど、このあと婚姻届を出したいの。証人欄にサインしてもらえない?」

湊は親指を立て、リンも肩をすくめる。

「もちろん。世界が終わる前の結婚、ロマンだね」

新宿区役所で用紙を受け取り、ロビーの隅でボールペンを走らせる。舞の筆圧がかすかに震えるのを感じ、背をそっと撫でた。湊が署名を終え、リンが漢字で書き入れる。

提出すると職員が確認し、顔を上げた。

「本日付で受理します。こちらが届出受理証、戸籍謄本は少々お待ちください」

十分ほどで謄本が渡され、紙の重みが夫婦の証となる。

舞は胸に抱え、深く頭を下げた。

「ほんとにありがとう」

リンはウインクし、湊は「次は北海道で祝杯だね」と笑った。

再び雑踏へ。山手線からモノレールへ乗り継ぐ。

俺は舞の左手を握り、指の間に指輪がないことに気づく。

「札幌に着いたら指輪を探そう」

舞は照れくさく笑い、キャリーを見下ろした。

「うん、うれしい」

羽田第2ターミナルに到着した瞬間、四人と一匹のスマホが一斉にけたたましく鳴った。

画面に真紅の帯が走り、白文字が浮かぶ。

本日、日本時間午後四時にNASAが重大発表を行います。

NHKおよび全民放で同内容が放送されます。

必ず午後四時にテレビまたはラジオを視聴してください。

――前の世界線で終末の合図となったアラートだ。リンが息をのみ、湊は眉をひそめる。舞は震えかけたが、俺の袖を握って気持ちを整えた。

「颯の言ったとおりになったね」と舞は小さくつぶやいた。

ターミナルは通常運用中だが、制服警官や自衛官の姿が目につく。滑走路の端には自衛隊の高機動車両が列を作り、ライトを点滅させていた。

チェックインカウンターで手続きを進めるあいだ、舞はキャリー越しにクロの頭を撫でた。

「すぐ迎えに行くからね」

クロは手に鼻先を触れ、小さく鳴く。リンは「いい子だね」と囁き、湊は係員に最終確認を重ねる。俺はラッチを確かめ、低く約束した。

「クロ、前の世界線とは違う結果にしてみせる。すぐ着くから安心して眠ってろ」

ガラス張りの搭乗エリア。時計は十一時少し前――NASAの発表まで五時間。

湊が外を眺める。



「それで、足寄町ってどんな所?」

俺は手すりにもたれ、スマホでWikipediaを見ながら説明を始めた。

「北海道十勝の内陸で、面積は一四〇八平方キロ。日本最大の“町”だけど人口は六千人弱。牧草地とカラマツ林が続き、南に足寄湖、北に雌阿寒岳とオンネトー。冬は氷点下二十度にもなるけど雪は少なめ。祖父母の家は町中心から車で十五分の丘にあって、湧き水もあるし、薪ストーブ、畑もある。国道二四一号と二四二号が通るから道内からの物流は確保できるし、町だけ自給自足できると思う」

舞が空を見上げ微笑む。

「私がイメージしていた北海道そのものって感じ。なんだか楽しみだなー。クロも走り回れそう」

湊は「オンネトー行きたい!」と目を輝かせ、リンはルーターを掲げ「スマホの電波入るかな?」と笑った。

案内放送で搭乗列が動き、タラップを上がる。リンと湊が前、舞と俺がその後ろの席へ。

シートベルトを締める舞が囁く。

「クロ、ひとりで寂しくないかな……」

「クロは飛行機乗るの3回目だし、大丈夫だよ。千歳に着いたら真っ先に迎えに行こう」

舞は頷き、俺の手を重ねる指に力を込めた。

機体が滑走路端へ向かい、自衛隊車両のオレンジ灯が遠くで点滅する。轟音が増し、前輪が浮く。

午後四時の“重大発表”を待ちながら、銀色の翼は冬空へ滑り出した。四人と一匹を乗せた旅客機は雲海を突き抜け、北の大地へ針路を取る


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