表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
25/81

25.とんかつ屋でキャベツにかけるドレッシングは多くなりがち

『もしもし、颯? どうしたの』

「今日って、俺たち何か約束してた?」

『ううん。――何かあった?』

「話したいことがある。1時間後、中野で会えないか?」

『いいよ。十二時に北口の時計の下ね。トンカツおごってくれる?』

「了解。――厚切りだろ?」

『やった! 厚切りロースかつ御膳!』

 通話を切ると、冷たい北風が頬を刺した。高円寺から中野までは徒歩十五分。歩きながら、明日十一時発・新千歳行きの航空券をスマホで四席確保する。クロだけは貨物室――すまん、今は我慢してくれ。



 北口広場の時計下で、黒のチェスターコートを翻したリンが手を振る。その元気な笑顔に、思わず手を強く握ってしまった。

「リン!」

「颯!」

 驚いた瞳が見返す。

「……安心したら、つい」

「もう。那么,走吧――ほら行こ!」



 百軒横丁の路地を曲がり、暖簾を割って老舗とんかつ店へ。メニューを開くまでもなく「厚切りロースかつ御膳を二つ」。奥の揚げ場から「じゅわっ」と油が弾ける音が届くたび、空腹が拍を刻む。

 やがて盆ごと運ばれてきた皿は、ほとんど鍋蓋の直径。指三本分はある黄金色のロースが、衣の谷間から桜色の肉を覗かせている。箸を入れると――

 サクリ。

 衣が小気味良く割れ、続いて肉汁の雫が白い皿へほとばしる。立ち上る香りは、甘いラードと焙煎パン粉が溶け合ったものだ。

 一切れを頬張ったリンの瞳が一瞬とろける。 

「うわ、分厚っ!」

「ソース、かけ過ぎるなよ?」

「はいはい、いただきまーす!」

 彼女が歯を立てるたび、衣が“ザクッ”と砕け、次の瞬間じゅわりと脂が舌を包む。背脂のコクに負けない肉の旨味が舌の奥に残り、熱々の白飯を誘う。ついでに山盛りキャベツを噛めば、甘みを含んだ水分が脂を洗い、新しいひと口を迎え入れる準備を整えてくれる。豚汁の湯気に生姜と味噌の匂いが絡むころには、箸が止まらない。リンはご飯とキャベツを二度おかわりし、俺も負けじと追随した。湯飲みの温かい緑茶で喉を落ち着かせると、ようやく言葉を整える余裕が生まれた。



「リン、落ち着いて聞いてくれ。三週間後の未来で俺たちは全員死んだ。四日後に隕石が落ち、日本は地震でめちゃくちゃになる――だから未来を変えたい。明日の十一時発で北海道へ避難しよう。一緒に来てくれ」

 おしぼりを握るリンの手が止まり、短い沈黙。

「……荷物、朝までにまとめれば間に合うね」

 瞳はいつもの強気を宿している。

「好啊,我陪你去」――いいよ、付き合う。

「札幌に着いたら海鮮丼奢るわ」

「約束ね」


とんかつ屋を出て、冷え込むアーケードを並んで歩き、改札前で足を止める。リンが肘で軽く突いてくる。


「でさ、さっきの“手握り事件”は?」

「悪かったって」

「下心あった?」

「あるか!」


ふたりで笑い合い、リンが肩を俺の腕に軽くあててくる。


「じゃあ明日、絶対遅れんなよ」

「你也是。(そっちこそ)」


 午後二時、冷気のアーケードで別れ際。リンは背伸びするように手を振り、雑踏に紛れた。

 スマホで航空券の取得を再確認。クロはリードを引き、まるで急かすように前を向いた。

「わかってる。戻ったら、すぐ動く」

 冬枯れのイチョウ並木に北風が走り、乾いた葉が足元を転がった。

 やるべきことは山積みだけど、淡々と準備を進めるだけだ。

 クロの足音と自分の靴音だけが舗道にリズムを刻む。

 遠くで踏切が鳴り、雲間の光がわずかに射し込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ