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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
23/81

23.友達や恋人が家に泊まった次の日の朝は、早く帰って欲しいけど帰れと言いづらい

乾いた喉に昨夜のアルコールがわずかに残り、天井の白さがやけに眩しい。遠くの国道を流れる車の音が、まだ寝ぼけた頭にゆるく反響していた。 

 気配を感じて顔を横に向ける。

 そこで呼吸が止まりかけた。

 枕元、毛布一枚で眠る浅野さん。背中まで伸びる髪がシーツに広がり、白い肩が朝の光を柔らかく反射している。胸の規則正しい上下と、かすかな寝息。

 ――あれは夢ではなく、本当にやり直しできた…のか?

 浅野さんがゆっくり瞬きをし、潤んだ瞳を向けてきた。

「どうしたの? そんな驚いた顔して。……まさか夕べのこと全部、忘れたわけじゃないよね?」

 寝起きのため喉にかかる笑い声。からかうようで、どこか甘い。

 問いかけを合図に、途切れていた記憶のテープが巻き戻る。

 終電を逃した夜、酔いと勢いで「泊めて」と言われ、インスタント麺を分け合いながらダラダラしゃべって──互いの腕が自然に求め合った。

 暗い寝室。そっと指を重ねた瞬間、浅野さんは小さく笑って「ずっと好きだった」と囁いた。俺は、頷きながらその言葉を抱きしめ返した。

 今朝ここで目覚めたのは、あの惨劇の未来ではなく、彼女と恋人になった直後の“別のルート”だ。

 目の奥にちらつくもう一つの世界──灰色の空、割れた大地、血の匂い──が淡く遠のき、浅野さんの指先が額に滑り込む。

「ほんとに覚えてる?」

「もちろん覚えてますよ。でも、ちょっと現実感ないです」

「じゃあ、もう一回現実にしようか?」

 茶目っ気のある笑みが朝の光に揺れた。

 胸の奥でクロの存在を確かめながら、俺は浅野さんの手を握る。

「じゃあ、お願いします」

 窓辺の陽光が、まるで新しい世界を祝福するようにベッドを包んだ。

 クロのリードを拾い、まだシーツに包まったままの浅野さんに声をかける。

「クロの散歩に行ってきます。いっしょに行きますか?」

「うーん……せっかくの休みだし、もう少し寝るから、戻ってきたら起こして?」

 枕に顔を埋めたまま片目だけ開く。寝ぐせが子どもみたいで、思わず笑った。

「了解です。じゃあ、つでに軽めの朝ごはんも買ってきますね」

 玄関へ向かう俺を追い抜き、クロが尻尾を振りながら一直線に飛び出す。

 午前八時。十二月の朝の光は低く淡く、冷えた空気を細かく震わせながらイチョウ並木の黄葉を照らしている。歩道には黄金色の葉がまだらに積もり、踏むたびに乾いた音が靴底へ響いた。

 アスファルトを踏む靴音が、やけに澄んで耳に届いた。

「クロ……」

 呼ぶと金色の瞳が振り返り、小首を傾げる。

「俺たち、ひどい経験して来たんだよな」

 胸の奥から、封じ込めた記憶のフィルムが逆再生を始める。

 隕石の夜、燃える空。群発地震で裂ける地面。リンを襲った男たち。血と灰にまみれた別荘。湊の叫びとクロの吠え声。そして木刀を握った自分が、床に沈んでいく瞬間――。

 思い出すだけで指先が冷える。けれど、次に浮かぶのは灰色の霧の中でクロと向かい合った、あの静かな光景だ。あそこで「やり直したい」と言った瞬間、確かに世界は切り替わった。

 今ここにある穏やかな日差し、遠くの子どもの笑い声。これが“やり直し”後の世界であることを、胸の奥でひりひりと感じる。

「戻ったら、まずは浅野さんに話す。全部、信じてもらえるかわからないけど……恋人になったのに、いきなり隠し事はしたくない」

 クロが縁石を跳び越え、振り返って尻尾を振った。賛成、という意思表示。

 公園のベンチまで歩き、クロを芝生に座らせる。

 スマホを取り出して弟——爽へLINEを打つ。

 “驚くかもしれないけど、報告。——彼女ができた。”

 入力途中で指が止まる。並行世界が違えば、あいつの人生も俺が知っている過去と違うかもしれない。

 それでも送信を押した。いつか来る返信が、俺たちの現在地を教えてくれる気がした。

 風が歩道に残る落ち葉を何枚かさらい上げ、クロの鼻先で舞わせる。クロはそれを追いかけるように小さくくしゃみをした。

 俺は深呼吸をひとつ。

 ――この世界で、守るべきものを守る。

 それだけは、どの世界だろうと変わらない。

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