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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
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2.中国語学習を始めると駅や観光地の中国語のアナウンスや中国語の説明文が気になりだす

今日は週に一度の中国語レッスンの日だ。高円寺から中野までは中央線で一駅しか離れていないが、雲ひとつない青空に誘われて、自転車を漕いで向かうことにした。


 講師の【ワン・リン】は、M大学に通う中国人留学生。現地の大学を卒業してから日本へ渡ってきたため、年齢は俺と同じ二十四歳だ。出会ったのは一年半ほど前──中国語対応の物件を案内する機会が増え、語学の必要性を痛感した頃だった。


 大手スクールの月謝は、社会人一年目のひとり暮らしには厳しい。SNSでプライベートレッスンの相手を探し、最寄りでいちばん安かったのがリンだった。条件が合った俺たちは、毎週水曜、M大のカフェで二時間のレッスンを続けている。


 同い年とわかってから打ち解けるのに時間はかからず、いまでは授業後に食事や買い物、カラオケへ行くほどの仲だ。遊びのほうが多くなったせいで、リンはたびたび「もうレッスン料はいらない」と言うが、HSK五級に受かるまでは受け取ってほしいと押し切っている。一時間二千円──月に四、五回だから大金ではないが、仕送りだけで暮らす留学生には貴重な収入だと思う。


 待ち合わせ場所の中野駅南口アーケード前には、黒髪のポニーテールを揺らしたリンが立っていた。パーカーにジーンズ、スニーカーという機能重視の装いだ。


「颯! 遅いー!」


 手を振るリンに軽く応え、自転車を降りる。


「遅刻はしてないだろ? 電車より早かったくらいだ」


「リンが先に着いたから待たされたの!」


「はいはい、すみませんでした。荷物貸せよ」


 黒いナイキのバックパックを受け取るが、見た目ほど重くない。


「吃饭了吗?(ご飯食べた?)」


 油断しているときに母語を差し込んでくるのは、俺の実力を試すためらしい。


「吃了。你呢?(食べたよ。リンは?)」


「リンも食べた。ほら、あの店のトンカツ」


 指さす先はとんかつ専門店。週に一、二度は通っているらしい。


「よく飽きないな。それで太らないのが不思議だ」


「リンの家族は誰も太らないんだ。遺伝だよー」


 小柄な体で俺と同じ量を平らげても体形を保つ。羨ましい体質だ。


「さて、きょうはどこで勉強する?」


「お店ばかりじゃお金がもったいないから、特別にリンの部屋に入れてあげるー」


 天然にもほどがある。慌ててM大ラウンジを提案し、なんとか同意を取りつけた。


「なあ、付き合ってもいない男を部屋に上げるのはやめとけ。世の中には理性のない奴もいる」


「颯はリンを襲うの?」


「俺は襲わない。でも他の男はわからないだろ」


「男友達は颯だけだから大丈夫。……やっぱり家で勉強する?」


「誤解されるほうが面倒だ。きょうはラウンジで」


 話しているだけで疲労感が押し寄せる。俺のフェロモン不足か、相手の危機意識の欠如か──答えはたぶん両方だ。


「你真的白目!(ホント鈍感!)」


「什么意思?(どういう意味?)」


「没有意思!(なんでもない!)」


 リンがむくれたところで大学に到着した。自転車を停め、ふたりでラウンジへ。二時間の集中講義のあとも雑談で盛り上がり、外はすっかり暗くなっていた。


 リンの下宿は大学から十五分ほど。街灯の少ない裏道が怖いと言うので、いつも送っていくことにしている。


 校門を出てまもなく、リンが足を止めた。


「ねえ、自転車の後ろ乗っていい?」


「大人が二人乗りは恥ずかしいし違法だからやめろ」


「歩くの疲れたー。リンも二十五歳だから大丈夫」


「年齢関係ないって」


 聞く耳を持たず荷台に腰かけるので、俺は自転車を押して歩くことにした。


「お尻痛いだろ。サドルに座っとけ」


「颯は乗らないの?」


「日本じゃ二人乗りは道路交通法違反。押して歩けば問題ない」


 リンは小さくうなずき、サドルへ移動した。


 押しながら思い出すのは、中学時代に弟の爽を二人乗りさせて警官に叱られた日のこと。泣きじゃくる爽をサドルに乗せ、家まで押して帰ったっけ。


 そういえば、あす木曜から爽が泊まりに来る。土曜に旭川で従妹の結婚式があるというのに、なぜ今週なのか──まあ、好物でも買っておくか。


 考えごとをしている間にリンのアパートへ到着した。しかし彼女は降りようとしない。


「ねぇ、日曜の夜に小惑星が地球に近づくって知ってる?」


「ニュースで見た。日本でも肉眼観測できるらしいな」


「暇なら一緒に見よ?」


「旭川から夕方の便で戻るから、二十時ごろ高円寺に着く。間に合えばいいけど」


「大丈夫だよ。クロは?」


「一泊だからペットホテルに預ける」


「じゃあリンが迎えに行く」


「助かる。詳細はあとで送る。お土産の希望は?」


「十勝木の実とマルセイバターサンド、それとあんバタサン!」


「了解、任せとけ」


 満足げにリンが降りる。


「楽しみにしてるねー。バイバイ!」


 彼女の背を見送りながら、プラネタリウムの誘い文句を考えた。もし断られたら、爽を連れて行けばいい。

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