19.寿司を食べる順番は自分が食べたい順番で食べるのが一番おいしい
《 SIDE:爽 》
札幌の実家に無事到着した爽と舞は、颯たちの父【涼風 良雄】と三人でリビングでテレビに見入っていた。そんな折、インターフォンが鳴る。どなただろうと爽がドアを開けると、そこにいたのは良雄の幼馴染である田中さん、通称タナやんだった。爽は軽く会釈して良雄を呼んだ。
「お父さん、ケンちゃんのおじさん来てるよ!」
“ケンちゃんのおじさん”とは、颯の同級生・ケンちゃんの父親のことだ。爽が呼びかけて十秒ほどで、作業着姿の良雄が玄関に現れた。
「おお、タナやん! こんなときにどうしたんだ?」
「爽がえらい美人な嫁連れて帰ってきたって聞いてな、お祝いに特上寿司を握ってきたんだよ」
タナやんは大きな寿司桶を良雄に手渡す。
「えっ、悪いって。こんなときだから鮮魚なんて貴重品だろ?」
「いいんだいいんだ。どうせしばらく店も仕入れできないし、開店もムリだからよ。遠慮せず食べてくれ。店に残ってた一番いいネタを入れたから、嫁さんも喜ぶぞ」
「おお、ウニにアワビ、イクラに大トロ……これはタナやんの店で普段出してる特上寿司より高いネタじゃないか。やー、気使ってもらって悪いね。せっかくだから爽の嫁さんにも会っていって。おい、爽、舞ちゃん呼んできて! あとこれ、寿司もらったから持っていけ。それと居間の棚に並んでた酒、あれも持って来てくれや」
良雄はそう言いながら、寿司桶を爽に押しつける。爽はそれを受け取り、リビングへ舞を呼びに戻った。棚から一番高そうなコニャックを紙袋に入れ、玄関に運ぶ。
「爽! こんな美人な嫁さん連れてくるとは思わなかったわ!」
舞は「美人」と言われ慣れているので、照れることなくニコリと笑顔を見せた。
「ありがとうございます。僕もこんなに美人な妻ができるとは思ってませんでした。あ、これどうぞ」
爽がコニャックを差し出すが、タナやんは恥ずかしそうに首を振る。
「いやいや、悪いって。こんな高級な酒、簡単に手に入らなくなるだろうし。寿司は俺からのお祝いなんだから」
良雄は爽の持っていた紙袋をそっと受け取り、タナやんの手に握らせた。
「タナやん、酒も手に入りにくくなるかもしれないけど、寿司だって気軽に食べられるもんじゃなくなるだろう? 俺も二人を祝ってやりたかったけど、こんなときだから何もできなかった。タナやんのおかげで、隕石が落ちる前に祝ってやれるんだから、これくらい受け取ってくれ。な?」
タナやんは観念して紙袋を受け取り、
「わかった。遠慮なくもらうよ。桶は明日取りに来るから、玄関前に置いといてくれればいい。じゃあ、他にも回るとこもあるから行くわ。舞さん、爽のことよろしくね」
と言って、家の前に停めてあったスーパーカブに跨ってタナやんは去っていった。三人はタナやんの姿が見えなくなるまで見送り、リビングに戻った。
3人は特上寿司をつまみながら颯の話を始めた。
「颯から連絡はあったのか?」
良雄は普段酒を飲まないが、今日は人類史上最大級の災害を目の前にして酒を飲まずにいられなかった。日本酒を熱燗にして徳利とお猪口で口にしている。北海道の酒蔵で造った高級純米酒だ。舞も良雄に勧められて同じ日本酒を冷やで飲んでいた。爽は万が一運転することを考えて、熱い緑茶を飲みつつ寿司をつまむ。
「うん、さっき兄ちゃんと話したけど、会社の後輩の実家にあるシェルターに避難できたってさ。シェルターなら北海道より安全だから、心配するなだって」
「シェルターと言っても、いつまでも食料が続くわけじゃないだろう。人が多いあっちのほうじゃ、食料確保も難しくなるかもしれないしな」
テレビでは、民放各局が24時間生放送の小惑星衝突特番を続けている。東京大学や京都大学の教授が、衝突後のシミュレーションを説明している。ある予測では、衝突地域周辺以外の被害は限定的との楽観的な見方もあれば、齧歯類以外の哺乳類の9割以上が絶滅するという最悪の予測まである。良雄は「最悪予測が当たれば、颯とは二度と会えなくなるかもしれない」と顔を曇らせた。
「お義父さん、颯なら二年分の食料をシェルターに持ち込んで、可愛い女の子二人と楽しくやってるらしいですよ。シェルターがあれば、少なくともしばらくは安全でしょう」
舞はややつまらなそうに頷き、北海道産エゾバフンウニの軍艦を頬張ってからお猪口の日本酒を飲み干した。
「女の子二人もか! あいつ、そんなにモテたのか。それならこっちの方が問題かもな。うちの備蓄だと節約しても三ヶ月はもたない。もしものときは、足寄のじいさんとに移動するしかないだろう。あそこなら食料くらいどうにでもなる。農家だし、山に入れば食べられるものはたくさんある」
涼風良雄の両親──颯と爽の祖父母は60代で、足寄町で現役の農家を続けている。毎年、自家栽培のジャガイモと、山で採ったラワンブキを大量に良雄の家と颯の家に送ってくれる。今回の事態を受けて、良雄の父は孫たちを連れて足寄に来るよう電話をかけたが、北海道庁の職員である爽は札幌を離れられない。隕石の衝突前には自宅に帰ることができたが、明日の朝にはまた登庁しなければいけない。良雄もそんな爽に付き合って良雄も札幌に留まっている。
「舞さん、足寄町って知ってますか?」
「うん、颯が足寄のおじいちゃんからジャガイモ送ってきたって言ってたから、名前は聞いたことある。でも、場所はよく知らない」
「場所はね、帯広と北見と釧路のちょうど真ん中あたりで、札幌から高速を使っても車で三時間半弱くらいかな。イメージしづらいですよね、地図だとここです」
爽はスマホの地図アプリを開き、舞に祖父母宅の位置を示した。
「へえ、かなり遠いんだね。さすが北海道。でも、確か颯から聞いたけど、松山千春の出身地だって?」
「そうそう。足寄町の道の駅に『松山千春ギャラリー』があって、等身大パネルなんかもあるらしいよ」
「舞ちゃん、俺は松山千春と同じ中学・高校の出身なんだ。千春は俺よりだいぶ先輩だから直接会ったことはないけどね。それと、鈴木宗男も中高の先輩だよ。知ってるか?」
「鈴木宗男って、どなたですか?」
「あー、東京の人は知らないかもしれないけど、鈴木宗男は北海道の政治家で、かつて内閣官房副長官も務めた人だよ」
足寄には中学と高校がそれぞれ一校ずつしかないため、足寄出身者の多くは松山千春や鈴木宗男と同じ学校を卒業したことになる。良雄が誰かと地元の話をすると、必ずこの二人が話題に上る。鈴木宗男は北海道の、とりわけ道東で絶大な知名度を誇る政治家なので、北海道内では幅広い年齢層に通じる話題だ。
「知らなかったけど、足寄町にはぜひ行ってみたいな」
「落ち着いたら案内しますよ。おじいちゃんおばあちゃんにも紹介したいですから。おばあちゃんの作るフキの煮物、めちゃくちゃ美味しいんですよ」
「東京に来てからフキ食べてないかも。懐かしいな」
「東京のスーパーだと水煮しか置いてないですもんね」
「子どもの頃は山で採ってきたのをよく食べたんだけどね」
「舞ちゃんは東京育ちかと思ってたけど、山形出身って言ってたもんな。ぜんぜん東北の訛りもないから驚いたよ。落ち着いたら、ご両親にも挨拶に行かないとな」
「うちは山形でも海のない山あいの農家だから、周りは畑と山ばかりで、正直、何もない場所ですよ。恥ずかしいんですけど、来ていただけたら両親もおばあちゃんも喜ぶと思います」
「そうかそうか。それじゃあ結婚式の打ち合わせもしないとなあ。はあ……なんでちょうどうちに嫁が来たときに小惑星が来るかな……おい、爽、これで小惑星をなんとかしてこい!」
良雄は近くの工具箱からレンチを取り出し、爽に渡そうとする。
「こんなのでどうしろってんだよ。石油採掘会社の社長に頼んでくれよ」
「はあ……せめて映画みたいに、誰かすごいヤツがなんとかしてくれねえかなあ」
良雄はレンチを工具箱に戻し、お猪口の日本酒をぐっと飲み干して天井を見上げた。
テレビは「隕石落下まで残り28分」と大きく表示している。




