18.中国人から餃子とご飯を一緒に食べるの変だと言われたが、キンキンに冷えたビールではなく常温のビールを飲む中国人の方が変だと言い返した
「よし。それじゃあ、ここに籠城しようか。小惑星の衝突まで1日あるけど、二人はどうしたい?」
「私は特にありません。ただ、外は今や混乱しているので、あまり出歩かないほうがいいと思います」
「私はお風呂に入りたい! あと、インターネットがいつまで繋がるかわからないから、見たかったドラマをシリーズ全話観たい」
――ドラマの全話を1日で観るのか? 今どきの大学生は、倍速で観る「タイパ」が当たり前なのかもしれない。
「わかった。今日はそれぞれ好きなことをして過ごそう。俺はクロと散歩に行って、筋トレして、風呂に入って、それから夜まで寝る。たぶん今夜は寝られないから、二人とも今のうちに眠れるだけ眠っておいたほうがいいよ。小惑星の衝突予定時刻は今夜10時半だから、早めに夕飯とお風呂を済ませて、シェルターで衝突を待とう」
「提案なんですが、今日の夕飯は、痛みやすい野菜やお肉を使って豪華にしませんか? これからしばらくは、新鮮な食材を食べる機会もないと思うので」
「いいね! じゃあ、みんな得意な料理を一品ずつ作るのはどう? 私は中華料理を担当するよ」
「あ、それいいな。俺も久しぶりにリンの『鍋包肉』が食べたい」
「鍋包肉? いいよ! あれは私の大好物だから。そういえば、颯は料理できるの?」
「おいおい、誰に訊いてるんだ? 一人暮らしする前から、うちは男3人で生活してたんだぞ? 料理歴はもう10年を優に超えてる。俺の腕前を存分に披露してやるよ」
――高校のとき、父さんが毎朝、爽と俺の弁当を作ってくれたが、夕飯は俺と爽で交代して作っていた。あまり凝った料理はできないが、それなりに料理は作れる。
「涼風先輩の手料理……それは楽しみかも。でも、私は料理に自信がありません。ご飯を炊いて、食器を用意するので許してください」
――湊は何でもできそうに見えて、料理が苦手なのは意外だ。お嬢様だから普段はお手伝いさんに任せているのかもしれない。
「それなら、湊も一緒に手伝わないか?」
「えっ! 本当ですか? ぜひお願いします!」
「私も、料理、苦手かも!」
「いやいや、リンのほうが絶対に俺よりうまいだろ。お前の手料理は何度も食べてるけど、中華の専門店に負けないくらいおいしいから、本気で楽しみにしてるよ」
「ホントに? そんなに楽しみにしてくれるの? わかった! 頑張って作るから、首を洗って待っててね!」
――首を洗って……。
「じゃあ、昼は昨日もらった惣菜の残りをチンして食べて、夜は俺と湊は4時から料理開始。リンは5時から取りかかって。……それまでは自由行動な」
俺たちはリビングで散会し、夕方まで思い思いに過ごした。俺は午前中にクロと近所を散歩し、お昼に惣菜の残りを適当に食べ、ジムで筋トレしてから熱いお風呂に浸かり、夜に備えて昼寝をした。自分にとっては、これ以上ない充実した「休日」の過ごし方だったと思う。
――そして夕方。スマホのアラームで起き、今夜の献立を考える。ディナーのメインがリンの鍋包肉なので、湊と相談して「レタスチャーハン」「エビとブロッコリーのサラダ」「キムチ餃子」の三品を作ることにした。
湊から借りたエプロンをつけて、二人でキッチンに立つ。必要な材料はあらかじめ冷蔵庫から出しておいたので、日持ちしない葉物野菜などが並んでいる。湊が用意してくれていた生鮮食品のうち、卵やじゃがいも、玉ねぎなどは常温でも日持ちするため、すでに避難シェルターへ移してある。
「じゃあ、まずレタスを手で千切ってくれる?」
「包丁は使わないんですか?」
「うん。なんとなく、手で千切ったほうがレタスが美味しく感じるんだよね」
「確かに。千切ったほうがシャキシャキ感が違う気がします。わかりました、千切りますね」
「うん。千切ったレタスはザルに入れて、水気をしっかり切っておいてね」
「はい」
――湊は“料理苦手”と自称していたが、手際の悪さはまったく感じない。毎日のように練習すれば、すぐに俺を追い越してしまいそうだ。
俺はその間にブロッコリーを小房に切り分け、鍋にお湯をわかす。
――それにしても、さっきからリンの視線が気になっている。リビングでテレビを見ながら、何度もこちらをちらちらと見てくる。俺はアニメに出てくる鈍感系主人公ではないので、これまでの言動からリンが自分に好意を抱いていることには薄々気づいている。俺も彼女に好意はあるが、付き合う前のほどよい距離感を楽しんでいるため、あえて関係を進展させていなかった――そのせいで、リンの視線が余計に気になる。
チラ見が気になるので、思いきって声をかける。
「なあ、リン。よかったら一緒に手伝わない? やっぱり早めに食べてお風呂に入りたいからさ」
「うん、いいよー」
――リンは俺よりはるかに手際がよく、あっという間に作業を片付ける。
餃子の皮を小麦粉から練るのは重労働だった。リンの実家には餃子の皮(中国では「麺皮」というらしい)を自動で練ってくれる家電があり、今では自家製皮は珍しいらしい。俺が小麦粉をこねたときには汗だくになり、麺棒で皮を伸ばそうとしてもまったく均一な形にならず、歪んだ丸になってしまった。リンやその家族が何百枚も均等に薄く丸く延ばすのと比べれば、まさに修行のような作業だ。彼女の母親や祖母は、どんなに大量に作っても均一に仕上げるらしいから「職人」としか言いようがない。
リンの実家では焼き餃子より水餃子を好むらしいが、俺はどちらも好きなので今回は両方作ってもらった。
すべてが揃ったとき、キッチンの時計はすでに19時を指していた。
「やば。もう19時過ぎだ」
衝突予定時刻は22時頃だから、あと3時間しかない。
「無心で餃子を包んでたら、すっかり隕石のこと忘れてた」
――おそらく、手についた小麦粉を拭おうとして、湊の鼻に白い粉がついたのだろう。あの状況で小麦粉まみれの湊を見ると、なんとも微笑ましい。俺はあえてそれには触れず、みんなで食卓へ向かう。
「そうだね。じゃあ、熱いうちにいただこう」
「うん、いただきます!」
テーブルには、中華の『鍋包肉』に焼き餃子、水餃子、レタスチャーハン、エビとブロッコリーのサラダが所狭しと並んでいる。
「冷蔵庫に父が入れておいてくれたビールもあるけど、飲みます?」
「ビールか……飲みたいな。でも、隕石が落ちてくるっていうときにビールなんて大丈夫かな?」
――運転するわけじゃないが、いざというときに酔っていたらまずいかもしれない。
「私は飲むよ。こんなご馳走とビールを一緒に楽しめるチャンス、次いつあるかわからないもん」
「そうだよな! 俺ももらうよ! こんな豪華な料理を前にビールを飲まないなんて拷問だ」
「私も飲みますね」
――湊が冷えたエビスビール(350ml缶)を三人に配り、乾杯することになった。ちなみに山手線の恵比寿駅のホームでは、エビスビールのCMソングが流れている。恵比寿という駅名は、かつてビール工場のそばにあった貨物駅をそのまま転用したことに由来している。
「それじゃ、隕石にカンパーイ!」
不謹慎な乾杯ではあるが、目の前の恐怖を笑い飛ばすしかない。
三人で作った焼き餃子は、これまで食べた中で一番おいしかった。餃子をひと口かじって、冷たいビールを喉に流し込む。最高に幸せな瞬間だ。クロは尻尾を左右に振りながら、味付けなしの冷めた餃子をおとなしく1つずつつまみ、噛みしめるように食べていた。
――小惑星衝突の1時間前になるまで、俺たちは餃子パーティーを楽しんだ。ビールを飲みすぎて、いい感じにテンションが上がり、焼酎ハイボールや酎ハイまで手をつけたので、テーブルの周りには空き缶が山積みになっている。三人ともいい具合に酔っており、笑い声が途切れない。
その間もテレビは小惑星特番を映し続けており、世界各地の様子を伝えていた。どのチャンネルをつけても、落下予想地域に設置された無人カメラの映像とカウントダウンが表示されている。
バチカンでは、教皇と信徒たちが祈りを捧げている。
アメリカでは、ロシアの核攻撃によって主要都市が壊滅し、大規模な停電と通信障害が発生した。以降、アメリカ本土の情報は途絶え、唯一、爆撃後に大統領専用機から中継された会見だけが映った。会見では政府機能の立て直しを優先し、「市民は各自生き延びてほしい」というメッセージが伝えられただけだった。
日本政府によれば、隕石衝突の影響エリアにある在日米軍基地や大使館の職員と家族は、アメリカ本土ではなく同盟国へ避難済みだという。しかし、日本が最優先して受け入れると表明したため、米軍機が日本の空港上空で大渋滞を起こし、日本全国の空港からは一機も離陸できない状態に陥った。在日各国の飛行機や大使館からは、在日米軍に抗議が殺到した。一部の米兵が抗議してきた国の大使館に殴り込んで逮捕されるという事件まで起きている。
在日ロシア大使館と領事館に対しては、米国への核攻撃が確認された直後に、武装した在日米軍兵士が突入し、全員を拘束して横田基地へ連行してしまった──とニュースは伝えていた。
中国では小規模な暴動が発生したが、軍の迅速な鎮圧で沈静化した。現在は政府や軍関係者以外の外出が禁止されており、上海や北京の街を装甲車が徘徊する様子がSNSに投稿され、日本のテレビ局で繰り返し流れている。
日本国内では、避難エリアの住民の避難が完了し、東名高速道路は一台の車も走っていないという映像が流れていた。
「もう1時間を切りましたね。日本には落ちないみたいですけど、念のためシェルターに入りませんか?」
湊が空いたビール缶を回収しながら提案する。
「私もそれがいいと思う。シェルターにもテレビがあるし」
「だな。じゃあ、二次会はシェルターで開催だ!」
ビールでほどよく酔った俺は勢いよく立ち上がり、クロもすぐに俺の傍について来た。二人がテーブル片づけを始めるのを見届けて、俺はシェルターにビールを運び込むために動き出した。
――片付けを終え、シェルターに足を踏み入れると、淡い照明の下に小さなテーブルだけが用意されている。シェルター内のテレビはすべてのチャンネルが自動再生で落下予想地域を映し、カウントダウンが残り30分を切っていた。
俺はスマホを取り出して爽からの連絡を確認したが、新着メッセージはなかった。ついでにSNSの様子を覗くと、俺たちと同じように「隕石前夜の宴会」をしている人たちの投稿が溢れていた。中には常連客を集めてパブリックビューイングをしている飲食店もあるが、ほとんどの飲食店は閉店し、自宅で親戚や友人を集めて飲み会を開いている写真ばかりだ。そんな様子を見ると不思議と安心感が湧いてくる。
周囲の無人カメラ映像に目を戻すと、カウントダウンはあと28分。




