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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
16/81

16.選挙で特定の政党に入れてと知り合いにお願いされたときは、笑顔で快諾するけど実際に投票に行く人いない説

――玄関先でリンの到着を待っていると、背後から足音が近づいてきた。振り返ると、リンと一緒に湊も現れた。ふたりとも背中に「安心・安全な街づくりで、国民を守る 湊 浩一」とプリントされた蛍光グリーンのベンチコートを羽織り、手には白手袋をはめている。何からつっこめばいいのか分からず、一瞬言葉を失った。

「涼風先輩の分も、物置にたくさんあったから持ってきました」

湊から同じコートと手袋を渡され、思わず眉をひそめる。

「えっ、俺もこれ着るの?」

3人そろってこの格好で歩いたら、完全に選挙スタッフ――いや、公職選挙法的には問題があるんじゃないか? そう考えたが、ここは言い出すのも面倒になり、大人しく従うことにした。クロが「早く行こうよ!」とでも言いたげにピョンピョン跳ねている。仕方なく、俺はジャージの上から蛍光グリーンのベンチコートを羽織って外へ出た。

「あっ……」

思い出した。ここは街灯がほとんどないのだった。家の灯りが届かない範囲は完全な闇夜で、ほとんど何も見えない。湊が「玄関に懐中電灯がある」と言うので渡してもらったが、想像していた懐中電灯ではなく、頭に装着するタイプのヘッドライト付ヘルメットだった。ベンチコートに白手袋、ヘッドライト付ヘルメットという出で立ちで、俺たちは真夜中の散歩へと踏み出した。なぜか少し楽しい気持ちが胸の奥に芽生えていた。

ヘッドライトで道を照らしながら歩いてみるものの、照射範囲は狭く先までは見通せない。まったく知らない土地だから、どこにいるのかさえ分からず不安になる。

「これ、マズくないか? ライト消したら家の明かりすら見えなくなりそうで、戻れる気がしないんだけど……」

「私はすでに自分がどこにいるのか分からないので、ただ涼風先輩のあとをついて行くだけです」

「私もどっちが家かわからない」

おいおい、まだ数十メートルしか進んでいないのに、本当に頼りになるのは……あのフワフワの尻尾だろう、と思い振り向くと、クロは後ろ足の間に尻尾をきゅっと巻き込み、怯えた表情で俺の一段後ろを歩いていた。クロまで頼れないとは。

恐る恐る更に30メートルほど進み、振り返ると家の明かりは先ほどよりずっと小さく見える。本気で戻れるか不安になってきた。

「懐中電灯があっても、やっぱ怖いな……せめて家のまわりだけにして、庭で軽く遊ぶだけにしようか」

二人とも引き返すことに賛成してくれた。遠ざかった灯りを頼りに、ヘッドライトの光で確認しながらゆっくり家へ戻る。懐中電灯があるとはいえ、まわりに明かりがない道は予想以上に難易度が高かった。

庭でリードを外すと、クロは一目散に走り回り、今からドッグランでもないのに大はしゃぎしている。俺もつい笑みがこぼれた。

やがて人心地ついたところで、俺はお風呂に入ることにした。クロはもう大満足といった表情で、リンと湊といっしょにリビングでくつろいでいる。

――ふぅ。

乳白色の入浴剤が溶け込んだ湯船に体を沈めると、一気に緊張がほどけた。久しぶりに湯船に浸かった気がする。帰宅後にお湯を張るのが面倒で、ここ数年シャワーで済ませることが多かったから、湯船に浸かるこの解放感がたまらない。適度に香る入浴剤の香りに包まれながら、心身がじんわりゆるんでいく。

サウナやマッサージもいいが、自宅のお風呂ほど手軽にリラックスできるものはない。現代文明がもし消滅しても、日本人はおそらく風呂だけは捨てないだろう。そう確信するほどの快感だった。

心に余裕ができると、改めて昨日から今日にかけて自分が体験してきた出来事を反芻できる。爽と浅野さんの結婚、Jアラート、避難準備、弁当屋のおっちゃんのツンデレ、湊の別荘にシェルター……怒涛の一日を駆け抜け、何とか考えられる限りの安全策をとれた。だが、本当にこれが正解だったのかを確かめる手段はない。

正直に言うと、NASAの会見をテレビで見るまでは、「もし何も起きなかったらどうしよう」という後ろめたさや不安しか頭になかった。だから誰にも言えないが──隕石が確実に衝突すると分かった瞬間、どこか安心した自分がいた。もちろん衝突自体を喜んでいるわけではない。世界中で暴動、略奪、殺人、暴行が起きているだろうし、国内でも報道されない犯罪が続発しているに違いない。それでも、自分の選択が間違っていなかったと自覚できたことが素直に嬉しかったのだ。総理大臣の会見映像を見て、思わずガッツポーズを取りそうになったほどである。それを周囲に露わにすれば人間性を疑われるため、必死で深刻な表情を保ったが、抑えれば抑えるほど内側から高揚感が湧き起こってくるのを感じずにはいられなかった。

俺はどうしようもないクズだ。底の浅い人間だと自覚しながらも、文明が崩壊するその瞬間をどこか楽しみにしている自分がいると知ると、吐き気すら覚える。

風呂から上がり、スマホを手にとると、爽からの着信履歴が残っていた。テレビの音を絞り、爽にコールバックをかける。

──プルル……

「俺だ。取引は中止だ

『えっ? 何の?』

──ブツッ──

颯がそう言い放つと同時に電話が切れ、俺はつい膝を突いた。続く颯からの着信にも気づかないふりをして、リビングのソファに戻り、ペットボトルのお茶を手にした。

──プルル……プルル……

画面に再び颯からの着信表示が現れる。心の底からため息をつき、渋々応答ボタンを押す。

「おい、掛け直すって言っただろ」

『この緊急事態にまだその取引を続けるの?さすがに頭おかしいでしょ!』

「やれやれ……」

『それはこっちのセリフだよ…。で、そっちは大丈夫なの?」

「そうだな。大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、最高だ。なぜか湊の親が群馬の田舎村にシェルター付き別荘を持つ国会議員だったおかげで、安全かつ快適に避難してるよ。備蓄食料も最初から揃ってるし、みんなで買い込んだ食料もあるから、最低でも二年は籠城できそうだ」

『嘘だろ……国会議員の娘で金持ちで別荘にシェルター……そんなやつ見たことないよ』

「まあ、普通なら信じないよな。でも本当なんだ。ジムまである。あとで写真送るから」

『マジかよ。国会議員の娘なら大企業に入れると思うけど、なんで兄ちゃんと同じ中堅の不動産会社で働いてるんだ?』

俺にだけではなく、うちの会社に対しても失礼だが、悲しいことに俺自身も爽と同意見だった。

「確かに。それにしても、なんか大事なことを忘れてる気がするんだよな~」

『うーん……兄ちゃんってさ、小学生のときに家の鍵を掛けたかどうか何度も確認しに戻っただろ? そのせいでバス停まで行っては戻って、また出発するときにまた戻って……立派な強迫性障害だよ』

「おまえはいつもそうやってすぐ人の行動を病気呼ばわりするけど、家に帰ったら空き巣がいたら殺されるかもしれないし、俺の火の不始末で火事が起きたら親父に殴り殺されるから当然だろ。それに、こっちに来てからはそういうのもだいぶ少なくなったしな」

昔は俺も家を出たあとに戻って鍵を確認して──だから強迫気味だと自覚したことはあった。けれど、クロが留守番をしてくれるようになってからは、その不安はだいぶ薄れた。

『いや、それだけじゃなくてさ。覚えてる? 北朝鮮がミサイル実験をやるってニュースになったとき、札幌の上空を通過するかもしれないって。あのとき、俺たち二人で逃げたよね?』

「あぁ、覚えてるけど、俺、変なことした?」

『兄ちゃんが「札幌にミサイルが落ちるかもしれないから」って、僕が友達と遊ぶ約束してたのに無理やり車に乗せて、二人で稚内まで逃げたじゃん。兄ちゃんの場合は病的に心配性だから、今回もそれだと思うよ。ましてや、これから隕石衝突するんだし』

稚内か……あれは懐かしい。結局ミサイルは日本に落ちなかったし、稚内で日帰り温泉と海鮮丼を満喫した。帰りの車では兄弟でアニソンを熱唱して帰った、その思い出は今でも笑える。

「あれは楽しかったからいいじゃん。今回も俺の危機察知能力のおかげでスムーズに避難できたんだから、俺の正しさが証明された結果だろ? それに、今回はNASAも認める隕石だからな。こんな状況で判断ミスったら死ぬし、仮にミスらなくても死ぬかもしれないんだから、慎重過ぎるくらいがちょうどいいんだよ」

『まあね。今回本当に兄ちゃんのおかげだよ。家に帰ってから気づいたんだけど、屋根にはお兄ちゃんが学生のときに父さんに頼んで設置したソーラーパネルがあるし、物置には兄ちゃんが買っておいたサバイバルグッズや自家発電機まであって、実家も万全の体制だった。本当に兄ちゃんが正しかったんだ。おめでとう。世界中のプレッパーもきっと兄ちゃんと同じように歓喜してるよ』

「それ、お前の言い方だいぶ皮肉が効いてるだろ? まあ、プレッパー達が歓喜してるのは間違いないと思うけどさ。それで、そっちは食料足りてるのか?」

『ニュース見てから父さんがドラッグストアに買いに行ったから、あるにはあるけど賞味期限が短いものばかりで、せいぜい半年分くらいかな』

「ふーん、まあ父さんにしてはよくやったほうだな。俺の部屋のベッド下にも、前回の帰省で買っておいた長期保存食があるはずだから、チェックしとけ。買ったばっかりだから賞味期限はかなり先だと思う。」

『えっ、こっちに住んでないのに保存食まで準備してるの? 東京の家には全然なかったじゃん』

「こっちは1Kのマンションだからな。場所がないし、いざというときはクロと二人で身軽に逃げられるし」

『なるほどね』

もしかしたらこれが弟との最後の会話になるかもしれないと思い、俺たちは一時間ほど話し込んだ。だが、ソファでくつろいでいた湊が「あっちでも浅野さんが待ってるし、こっちには私とリンが待っているんですから、そろそろ切ってください」と声を掛けてくれ、ようやく通話を終えた。

すでに午前0時を過ぎている。テレビは相変わらず安全地域へ避難する車の渋滞映像を流し続けていた。

今日はさすがに疲れたので、リンと湊は寝室のベッドで、俺はリビングのソファで眠りについた。

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