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俺とクロのカタストロフィー  作者: ムネタカ・アームストロング
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12.脱出ゲームは好きなのにリアル脱出ゲームは友達もいないし知らない人と話すのも嫌で参加できない

【SIDE 颯】

渋滞に巻き込まれる前に、なんとか東京を脱出できた。さっき爽から「空港に無事着いた」というメッセージが届いて、一安心だ。これで避難の第一段階はクリアできたと言っていいだろう。

俺たちの目指す先は、群馬県上野村にある湊の実家の別荘だ。上野村には「不ニ洞」と呼ばれる関東最大級の鍾乳洞があるらしい。鍾乳洞は形成に数十万年を要し、その間に幾度もの大地震を耐え抜いてきた――まさに最強のシェルターと言えるだろう。鍾乳洞内には水源と空気が確保されており、外気の暑さや寒さから守られる。以前テレビで見たことがあるが、鍾乳洞には魚が生息することもあるらしい。もし不ニ洞にも魚がいれば、捕獲して食料にできるかもしれない。最悪の場合はコウモリやネズミでも何かしら食料にできる可能性がある。万が一、別荘自体が利用できなくても、鍾乳洞に三人で潜り込めば、一年程度は持ちこたえられるだろう。手持ちの食料は一年分に充分対応できる見込みだ。

湊から別荘を提案されるまでは、標高百メートル以上の大型ショッピングモールの地下駐車場への避難も考えていた。ただ、ショッピングモールには多くの避難者が集まる可能性が高く、トラブルを避けるためには別荘の方が安全だろうと思ったのだ。もちろん、上野村に避難する人もいるかもしれないが、ショッピングモールのような大きな街とは比較にならないはずだ。局地的な大災害のように「数日待てば自衛隊が救助に来てくれる」という状況であれば、日本人同士で助け合いながら救助を待つことになるだろう。しかし、今回は国家存続が最優先されるため、救助が本格化するのはずっと先の話になるだろう。短期の避難生活であれば協力も得やすいが、長期化すれば物資不足やストレスから人間関係のトラブルは避けられない。

リンと湊の安全を考えると、状況が落ち着くまでは他人との接触も極力避けるべきだと思う。特に若い女性は避難生活中にセクハラ被害に遭うケースが少なくないらしい。メディアでは「被災者同士だから」と配慮して報道されないことがほとんどだが、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震の際も、覗きや痴漢、性行為の強要などの被害を受けた女性は決して少なくなかった。

車載ラジオからはニュースが流れてきた。成田や羽田、関空でも国際線の離陸はすべて完了し、安全地域への輸送が始まったという。政府の発表によれば、明日の十五時までに希望者の安全地域への避難を完了させる方針だ。

さらに長野県が北海道に次ぐ比較的安全な地域と判断され、政府機関の一部と閣僚の半数を長野県に避難させることになった。東京都や千葉など安全地域が限られる県に住む住民については、近隣県が受け入れる。ただ、自衛隊だけで全員を輸送するのは難しく、動ける人は自力で避難するよう呼びかけている。ちなみに、群馬県も東京都民の指定避難地域に含まれている。

住んでいる都道府県に安全地域がある場合は、原則としてその都道府県内で標高百メートル以上の場所に避難することが決まった。自主的に指定以外の避難場所に移ることも可能だが、その場合は自治体からの物資援助が受けられない。

海上自衛隊の艦艇や民間船舶は瀬戸内海へ避難を始めたらしい。俺は海上戦力の維持こそが、日本という国家の存続を左右する最大要素だと考えている。たとえ津波や地震の直接被害を免れたとしても、中国やインドなど人口の多い国々では農業が壊滅し、大半の国民が飢餓に陥る。すると略奪や暴動が各地で勃発し、軍の食糧も確保できなくなれば軍隊の統制は崩れ、最悪は軍事クーデターや内戦が起きる可能性もある。とくに人口が多く国土の広い国では、現体制を維持できなくなるだろう。中国、ロシア、インドなどの既存体制が崩れれば、アジア全体のパワーバランスが崩壊し、天災のあとは戦乱の時代が待つことになる。そのときに日本がわずかな資源さえ守れなければ、レオニーαの衝突後に国家がかろうじて残ったとしても、他国に蹂躙されるだけだ。

だが、日本は幸いにも海に囲まれた島国であり、他国からの飢えた難民が大量に押し寄せる心配はない。制海権さえ確保できれば国土は守れるはずだ。

皇室については、全員が北海道へ避難する予定だったが、天皇陛下のご家族は北海道、他の皇族の方々は長野に分散して避難することになったらしい。皇室を世界で唯一の万世一系とするため、分散避難で存続可能性を高める方針だろう。

所沢市に差し掛かると、急に車の数が増え、渋滞とまではいかないが流れが著しく遅くなった。今はようやく埼玉県飯能市に入ったところだ。みんな俺たちと同じように、標高の高い長野方面を目指しているのだろう。標高が高ければ津波からは免れるが、津波が引いたあとのことを考えると、それだけでは安心できない。小惑星の衝突で舞い上がった粉塵が地球全体を覆えば、直接被害のない地域でも半年以上も太陽光が遮られる。植物は枯死し、草食動物や肉食動物が飢え、農業も壊滅的打撃を受ける。そうなれば日本国内でも飢餓が発生し、できるだけ人の少ない場所に潜むほうが安全だ。別荘のある上野村は群馬県で最も人口の少ない自治体の一つだから、大勢の飢えた避難者同士で争うリスクは低いだろう。

「なあ、リン。さっきからあんまり喋ってないけど……その姿勢、辛くないか?」

高円寺を出てからほぼ二時間、リンは助手席のシートを最大限前に出して座り続けている。身動きひとつできず、さすがに疲れているはずだ。

「辛いに決まってるよ! 命がかかってるんだから文句なんて言えないでしょ」

思わず野暮な質問をしてしまったようだ。声を落としながらリンは答えた。

「次にトイレを見つけたら、少し休憩しよう。クロもおしっこ我慢してるかもしれないし」

家を出る前にトイレは済ませたが、クロは自分から言えない犬だから、この先ずっとガマンしていたらかわいそうだ。

「うん! リンもトイレ行きたいからお願いしたい」

普段ならコンビニやスーパーのトイレを借りるところだが、今は食料を求めて客が殺到しているため、簡単には利用できない。そこで国道を少し外れて、公園の公衆トイレを使おうという算段だ。

「わかった。公園なら見つかるはずだから、もう少しだけ我慢してくれ」

そう言って数分走り、国道二九九号線から逸れた。路肩に停車してカーナビを確認すると、近くにいくつか公園が表示される。その中で最も近い「ひまわり公園」を目指すことにした。

ひまわり公園へ向かう途中、駅前を通ったが、小惑星衝突の危機を目前に控えているせいか、街にやや慌ただしさを感じた。だが、この辺りの住民は津波の心配がないため、避難というより備蓄目的の買い出しでコンビニや商店に行列ができていた。店頭には「缶詰あります。一個一万円。町内会の人は一個五百円(一人三個まで)」の貼り紙がある。他の地域から避難してくる人たちの買い占めを防ぐための対策だと思うが、町内会と地域のコミュニティを重んじる田舎らしい対応だと感じた。俺が店主なら、そもそも売らないだろうが。

ひまわり公園に到着すると、リンは「ふわ~っ!」と大きく伸びをして、公衆トイレへ駆け込んだ。

クロも車に積んでいるキャリーケースから外に出してやると、体をぶるぶると震わせてから前足をぐっと前に突き出し、大きく伸びをした。狭いケースに二時間近く閉じ込められ、さすがに疲れていたのだろう。近くの水道の蛇口をひねり、散歩用の器に水を注いでやると、クロは尻尾を振りながら勢いよく水を飲み始めた。

今は公園の蛇口をひねれば、きれいな水がいくらでも出てくる。しかし明日からは、きれいな水が当たり前には飲めなくなるのではないか――そんなことを考えると、自分たちの未来に暗澹たる気持ちが沸き起こる。

俺はクロの横にしゃがみ込み、首元の真っ白な毛をそっと撫でながら公園を見渡す。見える範囲には、俺たち以外に誰もいない。自転車で帰宅する学生も、犬の散歩をする人もおらず、遠くで車が通る音がかすかに聞こえるだけだ。すでに日は傾き、薄暗い公園は、真冬の北海道の夜のように静まり返っている。

「ふぅ~、すっきりしたアル! ずっと我慢してたアルよ。……むむっ! なんで変な顔してるアルか?」

鑑賞に浸っているところをニセ中国人により、一瞬で現実に引き戻された。

「その“ニセ中国人みたいな語尾”、ほんっとうにやめてくれない? あと、その“むむっ”ってやつ、兄弟でサッカー実況するアレの真似だろ? ツッコミが長くなるから、ワンツーのコンボでボケるのやめてくれよ!全部拾うの疲れるんだよ!」

リンが水で濡れた手を大きく振りながら近寄り、笑顔で俺の顔を覗き込んでくる。

「ねえ、颯みたいなアホがいくら悩んでも仕方ないんだから、目の前にいる私とクロをしっかり見てなよ」

視界いっぱいに広がるリンの笑顔に、不意を突かれて心臓が跳ね上がった。慌てて立ち上がり、話題を変えようとする。

「なんかキャラ変わった? なんか、いつもより距離近い感じする」

「中国の実家ではこんな感じだよ?」

「実家って、こんな状況でめっちゃリラックスしてるじゃん!まあ、いいのか…」

「うん。じゃあ、真っ暗になる前に出発しようか」

リンとクロが車に戻るのを待って、俺もトイレを済ませた。目的地・上野村へ向けて再び車を走らせる。

平時なら車で二時間ほどの道のりだが、完全に渋滞にハマってしまい、上野村に到着したのは二十一時を少し過ぎてからだった。十九時頃には湊から「着いた」とメッセージが届いていたので、バイクなら二時間も早く到着していたようだ。

上野村に入ってからは、国道二九九号線から外れる車はほとんど見当たらなかった。そのまま進むと長野県に入るため、みんな長野方面を目指しているのだろう。皇室や政府機能の一部も長野へ避難していることを考えれば、今の本州で最も安全な地域は長野だと誰もが認識しているはずだ。安全な地域には物資も集まりやすく、自衛隊や警察も集中するため、物資が続く限り治安は保たれるだろう。しかし、物資が底をつきそうになれば、人口の多さゆえに犯罪や暴動、衛生面での問題も増大する。

その点、俺たちが選んだ上野村はもともと人口が少ないため、多少の避難者増加くらいでは大きな混乱は起こらないだろう。とはいえ、万が一を考えれば目立たない行動を取るに越したことはない。

上野村に入ってからはカーナビを頼りに、湊が待つ別荘へ向かう。

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