10.車好きのボッチはいるけど、バイク好きのボッチを見たことがない
俺たちの手元に、今日19時発・羽田⇢新千歳行きのチケットが二枚あるとは、本当に僥倖だった。俺のチケットを浅野さんに譲れば、浅野さんと爽の二人を北海道へ避難させられる。俺とクロ、そしてあと二人――四人なら、狭い車内にぎゅうぎゅう詰めでも爽が手配した車に乗れるだろう。
「浅野さん。爽と俺は今日、札幌に帰る予定だったんですけど、新千歳行きのチケットを二枚持っているので、浅野さんも一緒に北海道へ避難してもらえませんか? 俺はクロがいるから飛行機には乗れないし、断られたらチケットが無駄になってしまうんです」
驚いた表情で浅野さんが爽を見た。
「それなら僕じゃなくて兄ちゃんが舞さんと飛行機に乗ればいいんじゃないですか? クロの面倒なら僕でも見られるし」
リンと湊を連れてきたのは俺だ。俺一人だけが飛行機で行く、なんて選択肢はありえない。
「いや、俺と浅野さんで帰る組み合わせはおかしいだろ。おまえは浅野さんと二人で父さんのそばにいてくれよ。それに俺はリンと湊と行動をともにすると決めてるから、別行動なんてありえない」
爽はしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。俺が仲間を置いて自分だけ逃げるつもりは絶対にないと、理解してくれたのだろう。
「わかった。決まったな。時間がないから、爽たちはすぐに出発してくれ。鞄は一つしか持てないだろうから、悪いけど物資はこちらで預かっておく」
「うん。北海道に戻れば、しばらくは生活に困らないと思うから、大丈夫だよ」
「父さんのこと、頼むよ。意外と気が小さい人だから、こんな状況でひとりにしたら相当焦ってるはずだ」
父さんはまだ四十八歳で、体も丈夫だし建設業をやっているから心配はしていない。人当たりが良くて誰にでもフレンドリーなので仲間も多い。しかし病気や災害にはやたら弱く、震度四程度でも家から飛び出すし、インフルエンザにかかっただけで「死ぬかもしれん。俺が死んだら兄弟仲良く助け合って生きろよ」と、まるで本当に死ぬかのような顔で延々と遺言のような話をしてくる。そういう父さんだから、ひとりにしておくのは心配なのだ。
「確かに。今頃ひとりでかなり焦ってるだろうね。兄ちゃんなら大丈夫だと思うけど、絶対に死なないでよ! 避難先に着いたら、すぐに連絡してね」
「隕石がどうなるかは、落ちてみないとわからない。死ぬ確率でいえば、関東も北海道もそんなに変わらないんじゃないか。俺もおまえたちのことが心配だ。だから、お互いに生き抜いて、また会おうな」
爽と固い握手を交わし、別れを告げると、浅野さんも手を差し出してくれた。浅野さんの手は冷え切っており、小刻みに震えている。
「颯、絶対に生き残ってよ! 私たちの結婚式には必ず来てもらうからね!」
浅野さんは自分もものすごく不安なはずなのに、俺のことを気遣ってくれる。こんな優しい人が爽のそばにいてくれるなら、少なくとも安心だ。
「はい。必ず出席しますよ。爽のこと、お願いします!」
浅野さんはそう言って頷き、リンと湊をぎゅっと抱き寄せた。
「湊とリンちゃんも、絶対に生きてね。颯のこと、よろしく頼むよ」
「はい。涼風先輩のことは任されました」
「一起加油吧!(お互い頑張ろう!)」
玄関で二人を見送ってから、俺たちも避難の準備を始めた。
───
「あの、涼風先輩。避難場所なんですけど、軽井沢の近くに私の父の別荘があるんです。そこに行きませんか? ここなんですけど」
別荘? 本当に親が別荘を持っている人がいるんだな。湊が自分のスマホで示した地図には、群馬県上野村と書かれている。
「上野村か」
「はい。さっき調べたら上野村は標高五百十一メートルで、かなり大きな鍾乳洞もあるみたいです。そこに避難できる可能性もあると思って。ここからの距離は百四十五キロと書いてあるので、高速を使わなくても四時間程度で着くはずです。仮に道路が渋滞していても、今日中には到着できると思います」
仕事ぶり以外でも、湊は本当に優秀だ。長野まで行こうかと思っていたが、標高五百十一メートルがあれば十分だろう。
「そんなに標高が高いなら大丈夫そうだな。そこにしよう。リンはどう?」
「うん。颯に任せる。隕石のことも、颯が言ったとおりだったから、颯に任せるのが一番だと思う」
「じゃあ、涼風先輩のスマホに住所を送るので、ナビに入れて来てください。私はバイクで先に行って、色々と準備しておきますね」
なるほど、だからバイクに乗ってライダースーツだったのか。親が金持ちで仕事もできて、バイクまで乗りこなすなんて、湊、格好よすぎる。
「よし。避難場所も決まったし、早速出発するか」
家を出る前に、念のためガスと水道の元栓を閉め、電気のブレーカーを落としておいた。そして、緊急時に消防や救援隊が入室しやすいように、あえて家のドアの鍵はかけずに出た。
外に出て、湊のバイクを見せてもらったが、予想どおり高級車だった。
「やば……これ、BMWのK1600だよな?」
そこまで詳しくはないが、BMW K1600は三百五十万円くらいするはずだ。以前、バイク好きの客の自宅ガレージで同じモデルを見かけたことがあり、「BMWにもこんなバイクがあるんだな」と思っていたら、詳しく教えてくれたのが湊だった。
「わかります? この子、めっちゃカッコいいですよね! このバイクだけは置いていくわけにいかないので、乗ってきたんです」
「うん、確かにカッコいい。けど、よくこんな大きいの乗れるな」
「重いですけど、足さえ着けばなんとか乗れますから。じゃあ、私は先に別荘に行って、いろいろ準備しておきます。ナビもあるから大丈夫だと思いますけど、もし途中で道がわからなくなったら電話してください」
「ああ、了解。一応、到着したらメールちょうだい」
「オッケーです。じゃあ、気をつけて来てくださいね」
そう言って湊はバイクにまたがり、颯爽と走り去っていった。後ろ姿が本当に格好いい。
「じゃあ、俺たちも行くか」
「うん。クロ、おいで。ドライブだよ」
こうして俺たちは車で避難を始めた。目的地は群馬県上野村だ。
政府の発表以降、上空を行き交うヘリの数はさらに増えていた。政府関係者以外も避難を始めたのだろう。国家存亡の危機に直面している今、行政は国民の声にかまっている余裕もなく、重要閣僚や要人だけを保護し、一般の民間人は切り捨てる方針を明らかにしている。警察や自衛隊も、自分たちの家族が優先的に保護されるため、民間人を見捨てる状況でも政府の指示に従うしかない。
この内閣は、普段は可もなく不可もなく、無難に政権運営をしていると思っていたが、こんな緊急事態に迅速に決断してくるとは、少し意外だった。
それにしても、明日にはみんな死ぬかもしれないという状況でも、ここまで冷静に行動できた自分を少しだけ誇らしく思った。たぶん、自分だけならもっとパニックになっていただろう。家族や仲間がいるからこそ、落ち着いていられるのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は黙々と国道299号線を北へと車を走らせた。普段だったら、俺が黙っていると沈黙に耐えられなくなったリンが何か話しかけてくるはずだが、今のリンは、まるで景色を目に焼き付けるかのように、静かに車窓の風景を見つめている。




