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3月2日 高校時代5

 全国高校駅伝で5区を走った宮田は、城南大学に早々と進路を決めた。一方の俺は、迷っていた。たしかに、高校では、そこそこやれたけど中学校時代ほどやれたという自信は全くなかったからだ。  

 片桐や宮田といった高校でのトップまでは及ばないけど、それに次ぐタイムやレースではあったと思う。しかし、あの二人と比べると覚悟が足りていないという自覚があった。宮田の努力や考え方を聞いていると、いかに自分が何も考えずに走っているかが身に染みる?

 高校の実績と言えば、夏の大会の5000メートルと全国高校駅伝区間賞のこの二つだ。夏の大会は、各大学のスカウトが実際に陸上競技場まで足を運んで見にきてくれていたのを覚えている。その時に、いくつかの大学と話す機会があったのだ。

 俺は、3つほどの大学で迷った。一つ目は、西京大学。二つ目は、大藩大学。三つ目は、城南大学だった。当時、大学選びはすぐ終わると思っていた。しかし、それは安易な考えだということが後にわかったのだ。

 一つ目の西南大学は、宮田と競っていた片桐が進んだ大学だ。あそこは、陸上部が強く、長距離、短距離ともにオリンピック選手を輩出している名門校だ。宮田からは、本気でやるなら西南大学がいいと勧められていた。あの宮田ですら、西南大学では、やれそうにないと言っていた。宮田が言うんだから、俺にはもっと無理だと思ってたが、一応、練習だけは見に行こうと考えた。

 大藩大学は、スポーツ推薦がきていた大学だ。この大学は、一番最初に声をかけてくれた大学だった。詳しくは調べていないが有名な監督がいるらしい。最近できた大学でまだまだ無名だけど、これから部活動にも力をかけていくらしい。この大学には、最も行く気はなかった。無名ということもそうだが、この大学に行って、自分が速くなる気がしなかった。

 城南大学は、宮田が進学した大学。ここには、当時、入学が先に決まっていた旭がいることが大きかった。旭は、高校の時点で既に、大学の練習に参加していたらしい。だから、旭から学校の雰囲気や陸上部について情報を教えてもらっていた。

 ここ以外にも、いくつかの選択肢があった。しかし、どこの大学もとても魅力的で、なかなか決めきれない自分がいた。

 しかし、結局、どこの大学にもいかなかった。性格に言えば、行けなかったに近いのだろうか?俺は、この後、人生のどん底に落ちることになってしまったのだ。

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