2月27日 高校時代2
俺の高校時代は、順調に進んでいく。中学校時代から長距離が得意ということもあり、陸上の名門校である江陵高校に進学した。一年の頃は、1000mを専門に走っていた。当時、監督だった内田さんからは、今のままやれば、推薦で大学も狙えると言われていた。
あの頃は、不思議でしかたがなかった。自分にそんな力があるなんて思ったことがなかったからだ。同年代には、宮田、山岸、下川といったエースたちが、毎週のように自己ベストを更新していた。
そんな中、俺は、ゆっくり基礎作りを行っていた。そのため、レースには全くでないから、トレーニングが嫌で仕方がなかった。俺が一番嫌だったのは、ロングスローディスタンスの略称であるLSDランニングだ。これは、マラソン・陸上長距離走の走力アップに効果的なものとされている。
LSDランニングは、1㎞7分程度で走るため、よく走りこんでいる人では遅く感じてしまうのが現実だ。心拍数は120~130程度を維持できる程度のペースのため、本来なら話しながらも走れる。しかし、江陵高校では、誰一人話していたりはしない。多い時で1時間以上走ることがあった。
疲労回復やダイエットにもいいなど言われているけど、俺はあまり信じたいなかった。ランニング自体は、まだよかったけど、結果を出している同年代の奴らと一緒に走るのが一番耐えられなかった。
一番は、同学年のエースだった宮田發真。彼は、俺と同じ5000mを専門としていた選手だった。普段から、静かで俺たちがいる輪の中に入ろうとしなかった。それでも、毎日誰よりもグラウンドに来ては走る。それが彼の凄さだった。
俺は、もともとそこまで走ることが好きじゃなかったということもあり、練習はしていなかった。それでも、周りの期待と七海の願いに応えるためだけに足を動かした。
一年の間は、大した結果は残せなかったけど、二年生の夏の大会で、学年二番目の成績を残して、長野県予選を突破した。その時の1位が宮田だったのはなんとも言えなかった。そして、その夏の全国大会では、宮田とともに長野県代表として走り出したのが、俺たちの始めての同じレース参加だった。
そして、俺たちは、順調に成長し三年生の夏の全国大会、冬の全国駅伝に出場することができたのだった。全国駅伝では、宮田、山岸、下川、松村、俺の5人で6位という好成績をおさめて、高校生活を終えたのだった。
 




