6 私の話
「君の話は綺麗だね」
そう言われたとき、私は初めて、今まで秘めていたあのもどかしい気持ちが少しずつほどけていくのを感じました。
私が小説を書き始めたのは、小学生の頃でした。確か、五年生か六年生くらいだったと思います。親友と二人で、いつも仲良く遊んでいるグループのメンバーをモデルにした登場人物たちが、異世界に攫われてしまった友人を助けるために奮闘する。そんな物語を書いていました。私たちが集まったのは、大抵彼女の家の玄関の前か、私の家の駐車場でした。そこで膝を凝らせながらも、何時間も立ちっぱなしで相談し合いながら、二人でノートに文字を書き連ねていたのをよく覚えています。しかし、結局その話が完結することはありませんでした。というのも、小学校を卒業する直前、別の友人にそのノートを貸してほしいと言われ、私は何にも考えずに、その友人にあの物語を渡してしまったのです。返ってきませんでした。完結の見込みはあって、本当に、あと一話でまとまるというところでした。記憶にはありませんが、それが悔しくて、もしかしたら私は彼女に八つ当たりをしたのかもしれません。あるいは、彼女が私の悲しみを悟ったのかもしれません。なくしてしまったという話は本人から聞かされたような気がしますが、ショックのせいか、当時のことはほとんどの記憶がおぼろげです。それから彼女とは疎遠になって、何度か街中などですれ違ったときがあったはずなのですが、気づけば声一つかけられないような関係になっていました。
中学校に入った私は、いったんは小説を書くことを止めました。それほどに、あの物語は私にとって苦い記憶でした。しかし、何の偶然か、皆見知らぬ中で少しずつ増えていった友人の一人に、一緒にネットで小説を投稿してみないかと誘われたのです。小学生の頃に書いていた小説は二人でこそこそ進めていただけでしたし、自分の話を他人に読んでもらう機会は今までほとんどなかったものですから、最初は気が引けました。でも、どうやら過去の私は、その道を選んだようです。今思えば、この頃が一番充実していたかもしれません。そのサイトに投稿している友人が他にも二人くらいいて、そこからまた知り合いにつながって、企画なんかもやりました。誰かと書くということがこんなに楽しいとは、思ってもみませんでした。
ところが、高校生になると、それが皆いなくなってしまったものですから、私はひどく戸惑いました。ある人は別の活動に夢中になって、ある人は病弱になって、またある人は勉学に急かされていたと、当時の私にはそう伝わっていたような気がします。いなくなったのは、なにも現実世界で一緒に書いていた人たちだけではありませんでした。小説を投稿していたサイトで一緒に企画をやった人、感想をくれた人。その多くが、いつからか作品の投稿日が更新されなくなったり、作品を消していたりと、そういう形でそこから去っていくのを見ました。もしかすると、私が思い出せないだけで、アカウントそのものを削除してしまった人もいたかもしれません。そうして周りに誰もいなくなって、どうしたらよいのかわからず、私はただ一人、小説を書き続けました。
そうしてやってきた転機が、高校二年生の頃に応募した創作コンクールでした。学校経由で応募していたので、当時私のクラスの担任兼国語科教諭だった先生が、私の作品が佳作に選ばれたと伝えてくれました。たかが佳作、されど佳作。なんにせよ、私にとって初めての小説の賞でしたから、ようやく報われたと、そんな気持ちになったのを覚えています。
授賞式は、緊張はしましたが、意外にもあっさりと終わりました。受賞作品を読んで気になっていた作者が来ていなかったのを残念に思ったくらいで、個人的には、その後の歓談のような時間のほうがずっと印象に残っています。お恥ずかしいことに、私は人と話すことがこの上なく苦手だったものですから、最初はケーキをいくつも皿にとって、部屋の隅でそれをひたすら堪能していました。これには同伴してくれた友人も、苦笑いだったかと思います。しばらくはそれでなんとかやり過ごしていたのですが、他の人との話が終わったのか、選考者の一人と視線が交わってしまったのです。それで、私はいよいよ逃げ場がなくなったと思って、ようやく勇気をもって歩み寄りました。最初に話した大学教授の方は、いい話だったと言ってくれました。いや、正直に言えば、大変申し訳ない思いではあるのですが、本当はどうだったかさっぱり覚えていません。なんだかありきたりだなあ、そうだよなあ、だってそういう風に書いたんだものと、そういう類の感情が胸の内に生まれていたことしか記憶していないのです。
そんな中、次に話したのが、とある小説家の方でした。その方に「君の話は綺麗だね」と言われて、私はその感想が、非常に的確で、的を射ているような気がしました。私の書いた話は、小説家の母親を持つ娘を主人公とした物語でした。とにかく綺麗な話だということは、公ではとても口に出せませんでしたが、自負していました。だから、彼が何を思って第一声にその言葉を選んだのかはわかりませんが、私はそれを聞けただけでもう十分満足したような気分でいました。小説を書く人間との話は久々で、授賞式より緊張しましたが、彼は私の読んでほしかったところを見事に網羅していて、私は感嘆しました。同時に、自分の言葉でも案外ちゃんと伝わるものだなと、少し安心しました。
ただ、最後の方に彼が放った言葉だけは、私は今も胸に引っ掛かりを覚えているのです。
「実際の小説家は、こんなに綺麗じゃないよ」
彼が何を思ってそう言ったのか、私には少しピンときませんでした。しばらくして、もしかすると彼は、私のことを無知で純粋な子どもと勘違いしているのではないかと、そう思い至りました。でも、だからといって、何も言うことはありませんでした。
これだけはきっぱりと言い切れますが、私は、この世界を綺麗なものと信じて綺麗な世界を描いているのではありません。私はもう、純真無垢な子どもではないのです。そういうお面をかぶってニコニコして見せているだけで、その内側はとうに真っ黒に塗りつぶされて何も見えないのです。私は、この世界にかつて思い描いた理想的な世界が存在しているとは全然思っていません。
社会の闇、とでも言うべきものでしょうか。そういうものは、題材としてとても便利だと思います。創作に社会問題などを取り入れるというのも、そのおかげでとても強い意志を持った作品になるというのは十分身をもって理解していますし、それらの存在が駄目というわけではないのです。ただ、そういうものに満ち溢れて、一筋の光も届かなくなってしまうのは、なんだかとても恐ろしいことのような気がするのです。
綺麗な話を書くことは、そんなに意味がないのでしょうか。報われる話ではいけないのでしょうか。時々、私はそういうふうに迷走します。別に、綺麗な話が私たちの生きる現実世界で起こって欲しいとか、ましてや信じていれば必ずいつか報われるとか、作品を通してそういうことが言いたいわけではないのです。ただ、美しい異世界の人々をぼんやりと眺めることで、その人の生き方を許せるような、そういう存在を生みだしたいというのが、一番近い考えのように思います。
話を戻すと、私はこの世界を決して綺麗だとは思っていません。むしろ、綺麗ではないと知っているからこそ、綺麗なものを書くのではないのかと思います。要するに、すがれる場所を作りたいのです。もし彼らの空と私の見る空がどこかでつながっているのなら、あの声が聞こえるかもしれない。勿論、これは現実としてではなく、あくまで空想としての話です。一瞬でもそう感じられたなら、うまく言葉にできないのですが、なんだか私はあと一秒先へ進んでいけるような気がしてならないのです。そうして、私と同じように、私の後に生きる人々に、こんなに汚い世界ならと生きることを諦めて欲しくないと思うのです。
私の書きたいのは、多分、誰もが持っていたはずの願いです。そういう、手の届かないとわかっていて、それでも何かを感じて手を伸ばしたくなるような美しいものなのでしょう。綺麗なものをくしゃくしゃにして放り投げてしまうのではなくて、きちんと折りたたんでしまっておこう。きっと、そんな単純な感覚なのです。
かくことの意味が揺らいだあの日、私は「先生」と呼ばれました。同伴してくれた友人が、唐突に私のことをそう呼んで、ドライフラワーを贈ってくれたのです。「先生」なんて呼称で呼ばれるのは、後にも先にもこの一度だけでしょう。ただ、その過ぎ去った世界が、今もなおすぐ隣で息をしているように思えてならないのです。私にとってかくということは、そういうもののように思えます。私の人生という舞台を様々な人、物、言葉が過ぎ去っていく中で、私はそのつながりの糸のどれだけ頑丈かに密かに何度も驚かされました。きっとそれはこれからも続くことでしょう。だから、その一例として「先生」の話をするならば、そのたった一言を思い出すたびに、出会いも、別れも、私はここまで語ってきたすべてを何度でも慈しむことができるのです。
私は、まだ綺麗な物語を書くことの本質をつかめていません。綺麗な話を書くのは、普段は自分でも嫌になるほど優等生らしく見せているくせに、こう見えて全然得意ではないのです。しかし、私はこれからも、少しずつそういう世界を広げていこうと思います。私のこんな未熟な話では、到底世界は救えません。それどころか、隣の人の心一つ動かすことすらままならないかもしれません。それでも、私は書きたいのです。こんなに短い人生でも、それを書くことはきっと無駄ではないと、確かに心が叫んでいるのです。そして、「先生」という名の私が、今も脳裏で天を仰ぎながら、両手を強く握りしめてずっと願っているのです。誰かがちょっとした何かをきっかけに、別の何かとつながり結ばれ合いながら、自分らしく別の空をかいている。そういう風に限りなく膨らんでいく世界の空の下で、私はまた新しい私をかいていたい、と。