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空をかく  作者: 星野紗奈
3/6

3 芸人の話

 昔は、快晴の空みたいに、明るくて、眩しくて、見ていて清々しい性格だと、よく言われた。しかし、今自分に求められているのはネガティブで卑屈なイメージである、ということは明白である。じゃあ、俺の中にあったあの空は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。

 三好晴彦、二十三歳、男。最近少し軌道に乗りつつある若手芸人である。三好は四月一日俊、双葉楓と組み、「クラシック・アンドロメダ」として活動している。役割分担としては、三好がネガティブなボケ、四月一日がインテリなボケ、双葉がツッコミのチャラ男、といったところが妥当だろう。


「どうも、ありがとうございましたー!」


 今日もお決まりの文句で締めくくる。騒々しい音楽を背景に、三人はステージ端から姿を消した。

 クラシック・アンドロメダは、昨年の大会で決勝に進んだことで、注目の若手芸人として名乗りを上げたトリオである。その大会の影響は噂通りすさまじく、アルバイトを詰め込まなければ生活していけなかったような状況から一転、お笑いと向き合う私的な時間を持つ余裕が生まれるくらいには芸人としての収入を得られるようになってきていた。


「はー、終わったー」

「ミスもなかったし、悪くはなかったな」

「あー、でもお客さんの反応はやっぱ人によりけりって感じだったな」


 番組の収録が無事に終わり、次に舞台に立つ機会に向けてもう少しネタを改良しなければ、と顎に手を当てて考えながら、三好は二人とともに楽屋に向かっていた。すると突然、肩にガッと衝撃が走った。


「よう、お疲れちゃん」


 そんなけろりとした言葉で三好を引き留めたのは、つい先ほど収録を終えた番組で司会を務めていた鱧道長だった。鱧は明るい声色で少々強引ながらもタレントたちの魅力を引き出す司会者として一定の人気がある。


「どうも、お疲れ様です」


 四月一日と双葉は、後ろを歩く三好が引き留められたことに気づかなかったのか、それとも面倒な奴に絡まれたと思ったのか、いつの間にかその場から姿を消していた。よりにもよって自分一人の時にこの人の相手をするなんてついてないな、と思いながら三好は内心ため息をつく。


「晴彦くん、下向いて深刻そうな顔してたけど、そんなんで大丈夫? あ、もしかして『病んでる』ってやつ?」

「はは、違いますよ」


 三好は、鱧の問いに対し、乾いた笑いとともにそう返すので精いっぱいだった。いちいち語尾のイントネーションを上げる鱧の話し方に、三好は自分が煽られているのではないかとすら錯覚する。


「あ、じゃあ、今日のお客さんの反応気にしてる? まあ確かに、ちょーっと笑いが少なかったもんなぁ」


 ひきつった笑みを浮かべる三好に気づくことなく、鱧はガハハと大口を開いて笑っている。良くも悪くも、これが通常運転なのだから仕方がない。まだ会話を始めてから数回しか発言していないというのに、もう反論するのすら面倒になってきて、三好は「えぇ」とか「はぁ」とか、気の抜けた声を出すだけだった。そんな三好の態度を落ち込んでいるのだと勘違いしたのか、鱧は悩みを笑い飛ばすような、励ますような声のトーンで話を続ける。


「おいおい、そんなに卑屈で大丈夫かよ。芸能界はおっそろしいぞぉ」


 この後に何を言ったら正解なのか、三好には分からなかった。むしろ、何を言っても自分のネガティブなイメージが鱧の中で助長されるだけで、全部不正解なのではないか。そう考えてしまい、今度は声すら出さず黙り込む。そうして生まれた沈黙に気まずさを感じたのか、いや、三好との会話に飽きたと考える方が妥当か、鱧は軽く息を吐いた。


「まあ、せいぜい頑張れよ、晴彦くん」


 鱧は三好の肩を強めに叩いて、ずかずかと立ち去って行った。しばらくそれを見届けた後、じりじりと痛む肩をさすりながら、三好は足早に楽屋へ歩いて行った。

 三好は楽屋で四月一日、双葉と合流すると、ほっと息をついた。鱧に絡まれたという話をしてみれば、二人は「ふうん」としか言わなかった。どうやら、あの時鱧が近づいてきていたのを知っていたらしい。はめられたことを理解して遠回しに悪態をつけば、二人は「今日はおごってやるから勘弁してくれ」と愉快そうに笑っていた。


「俺ってさ、そんなに卑屈に見えるか?」


 漫才の反省も終え、程よく酔いが回ってきたところで、三好は二人に質問を投げかけた。意外にも真面目そうな顔でそう尋ねられたものだから、二人はふむ、と考えこむ。


「ネタが七割、見た目が二割、性格が一割ってところじゃないか」


 先に発言したのは四月一日だった。双葉と三好は全然わかっていないのに「なるほど」と口にした。その様子に二人が理解していないことを察した四月一日は、もう少し丁寧な説明を付け加える。


「俺たちはそれなりにお前と関わっているから何も思わないが、他の奴等からしたら三好はネガティブに見えるだろうな。ネタでそういうキャラ設定にしているって言うのがやっぱり一番大きい。で、髪型とか表情とか、そういう見た目が暗いのも一つの要因だろう。あと、三好は緊張しいだから、そのオドオドした感じが根暗っぽさを増しているな」


 一定の声のトーンでそう話す四月一日に、三好ははぁ、と感心する。四月一日は、漫才の際はメガネの癖に天然ボケをかますインテリバカというべきキャラクターだが、実際は理論的で、客観的で、結構賢いのだ。

 続いて、双葉も口を開いた。


「あー、俺、四月一日の説明で大体納得しちまったわ。あと、三好は細くて長いし」

「細くて長いって」

「なんか、のっぽでひょろがりだと卑屈っぽいイメージねぇ? 漫画のキャラとかでよくある気がすんだけど」


 そう言って、少年漫画のキャラクターからいくつかの例を挙げられると、三好は「確かに」とこぼして頷いた。

 双葉は金髪でピアスをいくつもつけているから、一見チャラ男とかパリピとか陽キャとか、そういうたぐいの人間に見える。しかし、その正体はサブカルチャーが好きなただのブラコンである。ちなみにどのくらいかと問われれば、二言目には「兄貴が言ってたし」という発言が出てくるくらいのブラコンである。


「俺、別にネガティブじゃないんだけどなぁ」


 大きくため息をついた三好に、双葉は「どんまい」と背中をさすり、四月一日は店員を呼びつけて追加のビールを注文した。どうやら今日は愚痴と酒で溺れることになりそうだ。


「しかしだな、三好君よ。今本性をさらけ出すのは、いささかリスクが高いと思わないか」


 席に座り直した四月一日が、メガネのブリッジを押し上げながらそう会話を切り出した。四月一日の言葉に、三好は思わずうなった。


「そうなんだよなぁ。俺たちまだ新人だもんなぁ」

「ま、もうちっと有名になるまでは、ひとまずキャラ定着させるべきだろうな」


 双葉も賛同して、ぐいと酒を煽った。つられて、二人もジョッキを傾ける。


「そういうギャップを抱えているのは三好だけじゃない。俺も、双葉もだ。俺だって、こんなことじゃなければわざわざ馬鹿な振りはしない。したくない」


 四月一日はさも嫌ですという苦い顔でそう言い切った。賢い彼がテレビの向こう側では馬鹿だの阿保だのと嘲られているというのは、少々耐え難いものがあるのも無理はない。


「あー、俺もアニメとか漫画とかのトーク混ざりてぇし、兄貴のことも自慢したいんだけどなぁ」

「ないな」

「見た目と中身が合致してないからな」


 ため息をつきながら天を仰ぐ双葉に対し、三好と四月一日は即答した。

 四月一日の言う通り、クラシック・アンドロメダの三人は、それぞれがネタとリアルとの間にギャップを持っている。それは芸人として活動していく以上、仕方がないものだと皆が同じように理解していた。だからこそ、自分だけが抜け駆けするなんて、ましてやクラシック・アンドロメダそのものを潰しかねない行為など、許されるはずもなかった。


「まあ、もう少し認知度が上がるまでの辛抱だな」


 軽く息を吐いた四月一日は、そこへジョッキに残っていた酒を流し込んだ。それに対し、双葉は「早く有名になってやんぞー!」と拳を高くつきあげている。そんな二人の様子に、自分はずいぶんと恵まれたもんだなと、三好は小さく笑みをこぼした。

 それから、四月一日は注文していたビールがちょうど良いタイミングで運ばれてきて、あとは三好の予想通り、愚痴と酒の混沌だった。一番酒に弱い双葉が普段と比べてもハイペースでつぶれてしまったため、酒の席はお開きとなった。

 店を出ると、日中の蒸し暑さはまだ残るものの、夜風が吹いていて心地が良かった。腕時計の短い針は、まだ八と九の間くらいの中途半端な所を指していた。四月一日が酔いつぶれた双葉を送って行くと言ったため、店の前で三好は二人と別れた。

 この時間帯だと大通りはまだ騒々しいからと、やけに眩しいLEDの街灯に照らされながら、三好は人気のない路地をゆっくりと歩いていた。店もそれなりに騒がしかったから、足音を電灯の間の暗闇に響かせながら、つかの間の静寂を堪能する。足取りは、まだしっかりしている。

 やがて、駅につながる開けた道に出た。アルコールの影響も相まってか、飛び交う音や目に刺さる明かりが、少々頭に響く。三好はふと、その中からきちんと構築された音の連なりを見いだした。今日は帰るのがいつもより早いし、たまには寄り道も悪くないか、三好は音の聞こえる方へ歩を進めた。

 そこには、人だかりとは言えないものの、何人かが立ち止まっており、その向こうにいる人物が路上ライブでもやっているのだろうと察するのは簡単なことだった。三好も観客として加わり、中心人物の姿を目でとらえた。

 二つ結びで、赤いメッシュが印象的な髪形。背はそんなに高くない。人受けの良さそうな笑みを携えた少女が、ギターを抱えて歌っていた。

 愛想よく笑って、自分にできることをやって、何度も頭を下げて、一人で帰る。勝手に彼女のそんな一日を想像して、三好は自分の駆け出しの頃を思い出した。あの頃の貧しい生活から抜け出してまだ一年も経っていないのに、なんだかずいぶん懐かしい気分だった。思い返してみれば、当時は何をやるにもがむしゃらで、正解なんてわかるはずもなくて、ただただ騒がしい音に囲まれながら自分が生きることに必死だった。今は、――――今は多少は世間に認められるようになって、仲間と支え合って、自分の芸で笑ってくれる人がいる。やはり自分は恵まれているのだと、霞がかった思考を振り飛ばして、そう思った。

 やがてライブが終わったのか、少女の「ありがとうございましたー!」という声がむなしく響き、やがて足音の渦の中に消えていく。三好は、彼女のお辞儀を横目に、足早に歩き出した。

 その日は、無理矢理気分を上げるように、暗闇に溶け込まないように、陽気な鼻歌を歌いながら、何も考えないように帰宅して、ベッドにもぐりこんだのだった。

 その後も、テレビ出演の仕事の幅はますます広がり、駆け出しの頃とは雲泥の差で、三好にとっては多忙を極めていると言っても過言ではなくなった。また、意外にもピンでの出演の機会も増えてきていた。

 その日の三好の仕事は、ドラマの撮影だった。今人気急上昇中の芸人として、ドラマにスペシャルゲストとして出演することになったのだ。三好に演技の経験はなかったが、今は仕事を貰えることがひたすらありがたいという一心で、そのオファーを受けたのだった。


「クラシック・アンドロメダの三好さん入られまーす」


 スタッフがそう声を張ってそう言うと、他の大勢も「お願いしまーす」と声を上げた。あちこちで反響し拡大していく音にのまれないよう、三好は緊張した喉で「よろしくお願いします」と何とか言葉を絞り出した。

 役者は大方揃っていたものの、まだ準備は終わっていないらしい。慣れない初めてのドラマ撮影の現場で、三好はきょろきょろと辺りを見回すばかりだった。汗でびちょびちょの手を誤魔化すようにズボンで拭っていると、三好はふとスタッフたちの様子が変化したことに気がついた。なんだか慌ただしい、ような気がする。


「えぇ? 一人来てないの? 困るなあ」


 監督がそう声を上げると、現場はさっきまでの慌ただしさを忘れたかのように、急に静まり返った。


「はい、はぁ、すみません」

「一話限りの出演って言ってもね、いなきゃいけないモブだっているんだよ。そこんとこ、わかってる?」

「ええ……」

「とにかく、そこに穴が出来ちゃうと撮影出来ないから、誰か呼んでちょうだい」

「そう言われましても……」


 スタッフの一人がぺこぺこと気が狂ったように頭を下げている。周りの反応を見るに、監督の機嫌を損ねたくないのは皆同じらしい、と三好は察して息をひそめる。謝り続けるスタッフの困り顔が他のスタッフにも伝播していく中で、現場からいったん出ていた別のスタッフが、スマートフォンを片手に持ちながら駆け戻ってきて、「あの」と切り出す。


「自分の知り合いに元子役の子がいて、彼女大学生で、今近くにいるらしいんすけど、その子がヘルプで来てくれることになりました」


 そう言いながら駆け足で寄ってきたスタッフに、監督はさも不機嫌な面持ちでじろりと目を向ける。


「元子役? あそこにいるはずだったのは、仮にも女優の卵だったんだよ。昔ちょっと演技に片足突っ込んでたからって、そんなのあてになるの?」


 監督がそう問いただせば、そのスタッフはあっけらかんとした表情で答えた。


「昔めちゃめちゃテレビに出てた堺麻友って子なんですけど、ご存じないですか?」


 心配ありませんと自信に満ちた顔で言い切って見せたものだから、周囲にいたスタッフたちだけでなく、監督までもが目を丸くした。数秒の沈黙の後、監督は軽く息をついて、「それなら、まあ、いいか」とこぼした。

 数分後、急に呼び出されたにも関わらず、現場慣れした様子で堺はさっそうと撮影場所へやってきた。何名かのスタッフが安堵の息をついたのも、きっと気のせいではないだろう。

 そして、いよいよ撮影が始まった。とはいっても、特に問題もなく、監督の指示に律義に従っていればどうということはなかった。三好の演技は、ドラマの視聴者からすれば素人さが残るものの、人気急上昇中の芸人が出演しているという点では十分に稼げているだろうということで、一応の合格点とみなされた。

 偶然にも、三好が演じたのは、世間に知られている彼の性格とは真逆の爽やかな青年だった。ただのまぐれだということはわかっていたが、自分の本質を見抜かれたような、いつもの自分を少しだけさらけ出せるような気がして、三好はひそかに嬉しく思っていた。ちなみに、その役に三好がキャスティングされた理由は、「顔がそこそこ良かったから」とのことである。


「お疲れさまでしたー」


 三好の出演する部分の撮影が終わると、単調な労りの声が空間にこだました。他の演者はまだ残っているわけだし、挨拶が作業のようになってしまうのも仕方がないことだろうと、そんなことを考えながら、撮影が無事終わったことに三好はひとまず心を落ち着けた。

 撮影現場を去ろうとしたとき、たまたま一人の女性と目が合った。確か、堺麻友という人だ、と三好は記憶を呼び起こす。彼女の存在は知っていたが、テレビの画面越しに見たことがあったのは幼少期の姿だけだったから、印象が全く違ってひどく驚いたのだ。相手の存在に気がついたのに何もしないのは失礼だろうと思い、三好は軽く礼をして「お疲れ様です」と呟いた。撮影が終わったことに安堵しきっていたからか、少し、声が裏返った。

 すると、堺は突然舌打ちをしてきた。顔を上げれば、気に食わないと目で語っていた。そして、三好が唖然としている間に、堺はさっさと姿を消した。

 その日、三好が、芸能界は恐ろしいんだなあ、といつかのウザ絡みしてきた大人の言葉を思い返す羽目になったのは言うまでもない。

 そんな若者の強気な態度に押されてしまったからだろうか。数か月後、久々の休みに見かけた女性に声をかけるのは、ずいぶん勇気が必要だった。

 三好はその日、時間を持て余していたのだ。急遽事務所から一日オフを言い渡されたわけだが、突然の空白にただ立ち尽くすばかりで、もったいないなあ、と考えながらただぼうっと過ごしていた。三好は、これではいけないと思い立って、意味もなくコンビニへ買い物に行くことを決めた。晴れた冬の昼間、早速ラフな格好で外へ出てみると、冷たい空気が肌を刺して、身がシャキッとする感覚は存外悪くないと思えた。

 三好が思いがけず足を止めたのは、コンビニの向かいにある公園だった。というのも、聞き覚えがあるメロディーが漂ってきたのだ。


「何か聞いたことがある気がするんだけどなぁ」


 そう独り言をして、直感のままに歩を進める。すると、ギターを抱えて、赤いメッシュの髪を揺らしながら、子どもたちの前で歌っている女性の姿を目にとらえた。そうして、ああ、いつか駅前で路上ライブをしていた子か、と見覚えのあることに一人納得した。

 女性が歌い終わると、周りに集まっていた子どもたちは、興味が移り変わるのが大変早いようで、わいわい騒ぎながらどこかへ元気に走って行った。ただ、どの顔もほほえましいほどにこやかで、彼女の歌はさぞ楽しかっただろうことをうかがわせられた。

 なんか、こう、あったかいなあ。そんな感想を抱いてしみじみしていると、女性とかちりと目が遭ってしまった。三好は、しまったと思って、戸惑いがちに目をそらす。けれどその場を離れる気分にもならなくて、もう一度彼女の方をちらりと見やる。するとまたぱちりと視線が重なって、女性はにっかりと笑いかけてきた。三好は、これは何か話しかければ、とそんなふうに気を追われた。


「……ギター、弾いてたんですね」

「そうですね。歌ってました」

「指、痛くないですか」

「まあ、寒いし、痛いですけど……もう慣れっこです」


 そう言って、女性は両手をひらひらと振ってみせた。彼女のフレンドリーな印象に、三好は無意識に緊張を緩める。その様子を察してか、今度は女性が三好に話しかけてきた。


「お兄さん、ごはん食べました?」

「あ、いや、まだです」

「じゃあ、ごはん食べながらでいいんで、ちょっと話し相手になってもらえません? ほら、冬の公園で一人飯って、ちょっと寂しいし」


 そんな彼女の誘いに、三好はうろたえながらも二つ返事で了承し、最初の目的地であったコンビニに並んで向かった。

 二人は買い物中特に話をするでもなく、バラバラに会計の列に並んだ。それでも自動ドアの前で彼女が三好のことを待っていたので、これは逃げられないなと思いながら、一緒に公園のベンチに戻ったのだった。


「私、邦枝凛子って言います」


 邦枝は焼きそばパンの封を開けながら、軽い口調でそう名乗った。


「あ、えっと、俺は三好晴彦」


 三好がそう言うと、邦枝はさっきの自己紹介のトーンの延長で、さも面白い物を見つけたように笑った。


「あ、もしかしてさ、クラシック・アンドロメダの三好さん?」

「ああ、はい。そうです」


 三好が答えるのに興味があるのかないのか、邦枝は「へー」とだけ言って、焼きそばパンにかぶりついた。今度は三好が、おにぎりの袋を破きながら邦枝に尋ねる。


「あの、邦枝さんって、シンガーソングライターですか?」

「はい。そうですけど」


 なんで知ってるの、と言いたげな表情で邦枝は三好の方を見た。


「あの、以前、邦枝さんのこと見かけたんです。確か、夏ごろだったと思うんですけど、駅前で路上ライブしてて」

「えー、ほんとですか。見られてたのかあ」


 驚きつつも少し恥ずかしそうにはにかむ邦枝を見て、三好は頬を緩ませる。


「でも、なんというか、雰囲気がだいぶ違って、びっくりしました」

「そうですか?」

「うん。なんか、明るくなったというか、素直になったというか、たくましくなったというか」

「あはは、それ褒めてます?」

「ほ、褒めてます褒めてます」


 確かに女性に対して言う言葉じゃなかったかな、と三好は内心反省する。一方で、邦枝は、気にしている様子など微塵も見せない。


「まー、いろいろあったんです。状況が進展して」

「……なるほど」

「え、聞いてくれます? ちょー頑張ったんです、私」

「お、俺でよければ、聞きます、けど」


 急にずいと身を乗り出してきた邦枝に驚きながらも、三好は邦枝との会話をだんだんと面白く思い始めていた。それと同時に、心のどこかで、邦枝はテレビに映っている自分の姿を知っているけれど、この人なら素で喋っても大丈夫かもしれないな、とぼんやり思っていた。


「私、ずっと一人でシンガーソングライターとして活動してたんです。そしたらある日ね、あのクソ女……とある観客の女性にですね、歌を散々にけなされまして。それで行き詰まったときに、まあ、いろんなものと出会って、なんやかんやあって、壁を乗り越えた、って感じなんです」

「『なんやかんや』って……」


 三好は、「それは一番略しちゃいけないところじゃないの」という言葉をぐっと飲み込んでおにぎりをほおばる。邦枝は変わらずに話を続ける。


「それでですよ。去年の年末、私、邦枝凜子は、……スカウトされてデビューしました!」

「おお! スカウトってすごいね」

「まあ、メジャーデビューじゃなくて、ライブ配信アプリの公式ライバーになったって感じなんですけど」


 照れ臭いのを隠すように、邦枝は焼きそばパンの最後のひとかけらを口に放り込んだ。


「いや、それでもすごいよ。なんていうアプリ? ライブ配信見てみたい」

「え、ほんとですか。うれしー」


 邦枝は「ちょっと待ってくださいね」と三好に声をかけると、ごみをレジ袋に入れて、スマートフォンを操作し始めた。三好は、その間におにぎりをもぐもぐと食べ進める。


「あ、これです」


 そう言って見せてくれたのは、最近はやり始めた配信ライブアプリの公式サイトだった。まだ飲み込みきれてない米を咀嚼しながら、聞き覚えのあるアプリ名に、高校時代の同級生の存在を思い出す。


「影山さんが拾ってくれなかったら、私、一生夢に近づけなかったかもしれないなぁ」


 突然、邦枝がそう呟いたのが耳に入って、三好はぴたりと動きを止める。不自然なその動きに気がついたのか、邦枝は不思議そうに首をかしげる。三好は、食べていたおにぎりをごくりと喉の奥に押し込んで、言葉を発した。


「それってさ、もしかして影山冬弥ってやつ?」

「え、あ、はい。そうですけど。え、なんで三好さんが影山さんのこと知ってるんですか?」

「いや、そいつ俺の高校のときの同級生だったんだよ」

「……マジですか?」

「……マジです」


 三好と邦枝は顔を見合わせた後、やがてこらえきれなくなって、どちらともなく笑い出した。


「あっはは、マジか。いや、アプリの名前聞いたときに、確かそこに就職したやついたよなーとは思ったけど、まさか邦枝さんのことスカウトしてたなんて」

「こっちこそびっくりですよ。ほんと、これどんなつながりですか」


 予想外の偶然の重なりに、二人はひいひい腹を抱えて笑った。どこの恋愛漫画だよ、こんな偶然が起こるなんてコントかよ、と後から考えればなぜあんなに上機嫌だったのかと思うほど、晴れ晴れとした気分で笑っていた。


「あ、連絡先交換しましょうよ」

「え、俺犯罪者に思われない?」

「私十九なんで。学生じゃなくてアルバイターだからセーフ。……てか、私のほうこそアウト?」

「いや、なんで?」

「だって、三好さん一応芸能人じゃないですか。スキャンダルとかになったりしませんか?」


 そう言われて、三好ははっとする。確かに、これは自分一人の問題ではなく、四月一日と双葉にも迷惑をかけてしまうかもしれない、と考えかけたところで思い直した。


「……すでに二人きりで親しくしゃべってるんだから、もはやアウトでは?」

「……あ」


 邦枝がみっともなく口をかぱと開けてそうこぼしたので、二人はまた面白くなってひいひい笑い出す。


「あー、じゃあアプリでかげから応援してるわ」

「ついでに投げ銭もお願いしまーす」

「んふっ、いいよ、やったげる」


 強かな邦枝の発言に、三好は笑いを漏らしながらも返事をする。一通り笑い終わって、はあ、と息をつく。冬の空にその白が消えていくのはどことなく寂しかったが、不思議と寒くはなかった。

 三好が気が抜けた様子でぽけっと空を見つめていると、邦枝は思い出したように三好に話しかけてきた。


「そういえば、三好さんってテレビのイメージとだいぶ違いますよね」

「……そんなに違った?」

「もっと根暗でやばいやつかと思ってました」

「正直だなあ」


 良くも悪くもまっすぐな邦枝に、三好の心は素直に反応した。


「じゃあ、実際会ってみてどう?」

「うわ、言い方が変態臭いですね」

「ちょ、ひどくない?」

「まあ、ノリが良くて話しやすいなとは思います」


 三好と同じように灰色の空を見つめながら、邦枝は優しく笑ってそう答えた。


「俺、テレビのせいでめっちゃ卑屈って思われてるらしいんだけど、どう思う?」

「どう思うって……」


 邦枝は困ったようにうつむき気味で頬をかいた。すると、ふっと顔を上げて、「別に、無理しなくてもいいんじゃないですかね」と声に出した。三好は黙って邦枝の次の言葉を待つ。


「仕事柄、キャラが必要なのはわかりますよ。けどやっぱり、それってきついじゃないですか。それって結局、一人で頑張ってるってことでしょ? だから、受け止めてくれる人は多い方がいいんじゃないですかね」

「……と、言いますと?」

「うーん、現実的じゃないのは重々承知で言いますけど、バラエティとかでは素に近い動き方したらどうですか? ネタのときとのギャップを狙うというか」

「……なるほど。でも、俺たちはトリオだからさ。三人とも同じような悩みを持ってるから、一人だけ抜け駆けってのは……」


 そこまで言って三好が邦枝の方を向いてみると、邦枝は何を言っているんだという顔をしていた。


「じゃあ三人とも、繕うのやめればいいじゃないですか」

「……はぁ」

「そもそもですよ、繕った状態でしかついてきてくれないファンに意味あります?」


 邦枝の言葉に、三好は心臓を貫かれた。今までは見て見ぬふりをしていたが、邦枝の指摘は見事に図星だった。


「私も、夏前くらいまでは愛想よくしてましたよ。お客さんのイメージに沿った自分でいなきゃ売れないって考えるのもわかります。でも、ちゃんと自分の気持ちで歌えるようになってから、ちゃんと楽しいって思えるようになったんです。そりゃ、その変化をきっかけに離れていっちゃったファンもいましたけど……それでも、今の方が充実してるって、私は胸張って言えますよ」


 邦枝は、「三好さんはその辺、どうなんですか」と重みをもった言葉を放った。それを聞いて、三好は馬鹿な子どもだなあと思った。年下の癖に無責任なこと言ってくれるじゃないか、とも。それでも、三好の心はそんな言葉に強く揺さぶられてしまったのだから、この熱を無視することはできなかった。


「……俺、昔はさ、青空みたいに明るい性格だねって、褒められてた。大人になった今、別に褒められたいとは思わないけどさ、それでも自分を隠すってのは、やっぱきついな」

「じゃあ、まずは名乗りから変えてみたらどうですか」


 ここにきての予想外の新たな提案に、三好は戸惑って「え」と声を漏らした。邦枝は、そんな三好にけろっとした表情で告げる。


「『え』じゃないですよ。せっかく素敵な名前をお持ちなんですから。ね、晴彦さん?」


 そう笑いかける邦枝の瞳に、三好はずっと手を伸ばし続けていた青空の色を見た気がした。


「あー、ほんとにやんのか? 三好……じゃなくて、晴彦。 これで俺たち売れなくなったら笑いものだな」

「晴彦が決めたんだ。全責任は晴彦にある」

「ちょ、わた……俊。最終的には全員一致だろ? 楓、も弱気になるなって」

「まー、取り繕っている間だけついてくるファンってのもどうなの、って意見は最もだからなー。納得させられちまったんだからしゃあない」

「それに、性格ってのは永遠に取り繕えるわけでもないしな」


 本番前の楽屋にて、三好たちはいつもと変わらないトーンで話していた。スタッフに呼ばれて、三人一緒に楽屋を出る。


「お、クラアロの三人組じゃない。今日はよろしく頼むよ」


 廊下で出会った鱧のターゲットとなったのは、やはりというべきか、三好だった。鱧に関しては、相変わらず力加減が狂った方の叩き方だった。しかし、少しよろけたものの、三好はなんとか踏みとどまった。すると、鱧が少し眉を上げた。


「あれ? 晴彦くんなんか変わった?」

「……そうですかね?」

「んー、ま、何でもいいや。本番も頑張ってね」


 豪快にガハハと笑いながら先にスタジオへ向かってずんずんと歩いていく。その背中を見ていて、ふと、今更ではあるが、鱧が自分のことを下の名前を呼んでいたことに気がついた。そうして、三好はまた、芸能界は恐ろしいところだな、なんて思うのだった。


「さーて、仕事すっぞ」

「ある意味で新しいスタートだからな。気合い入れていくぞ」


 いつの間にか数歩先を歩いていた四月一日と双葉が、三好に向かってそう声をかける。三好は「おう!」とまっすぐに声を張り上げ、二人の背中を追いかけた。前より少しだけ自分らしくなった自分に、三好は新しい風を感じた。

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