あなたの幸せを願っています(姉)
注意:姉が後悔するだけの、何の救いもないバッドエンドです。
“貴女の幸せを願っています”
妹から届いた手紙を開いて、あの子の顔を思い浮かべる。
控えめに微笑む妹の事を可愛いとは思っていた。
髪の色や瞳は私と違って地味だけど、ちゃんとメイクをして着飾ればいいのに、前髪で顔を隠して、いつも俯いて、それでいて暗い色の質素な服を着ていたものだから、あの子は笑われてばかりだった。
私の後ろに隠れていないと、貴族社会でどれだけ虐められていたかわからない。
私の生家、ディエム侯爵家には双子の姉妹がいる。
一人がエリアナと言う名の私のことで、もう一人は私と全く似ていない妹のニアのことだ。
ちなみに長男である兄が一人いるけど、家族と過ごす事は少なく、物静かな人で、領地に引きこもっているから存在は空気だ。
それで、私達は双子なのに、容姿は似ていなかった。
私はお母様に似て金髪の巻き髪に青い瞳をしているけど、ニアの方は隔世遺伝?先祖返り?だかで、ストレートの茶髪に緑色の目をしていた。
父親の母親、私から見たらお祖母様に似ているから、お母様はそれが気に入らなかったのよね。
先代侯爵夫人であるお姑を思い出すからって、ニアに厳しくしてばかりだった。
確かに、お祖母様の若い頃の肖像画にニアはそっくりなのよ。
でもまぁ、その甲斐があってか、あの子の成績はとってもよくて、のんびりした性格のニアにはむしろ厳しい教育が良かったんじゃないかなって思っている。
そんなニアは親不孝もいいところで、女の身でありながら戦場に行ったまま帰ってこない。
戦場に身を置くことなんかやめて、ニアも帰ってきて結婚しなさいって何度も手紙に書いたのに、学園を卒業する前から三年以上ずっと家には帰っていない。
あんな所で人殺しに明け暮れているだなんて信じられない。
そんな事は騎士や兵士に任せておけばいいのに。
王都には戦争の殺伐とした気配なんか少しも届かないから平和なものよ。
手紙を読んでいる私のところに、メイドが新しいお菓子とお茶を置いて下がっていった。
見た事がないものだから、新作スィーツかな。
そう言えば、香水の新作が出る頃だからチェックしに行かなくちゃ。
あの子は不器用な子だから、適当にいい所に嫁いで、優雅な生活を満喫するなんてことができない性格なのよね。
まぁ、でも、宮廷魔法使いになることはあの子が望んだことだったものね。
あの子の義務は、魔法使いとして戦場に立つ事なのだろう。
私の義務は……
夫であるオスカーときたら、結婚してから二年、毎日家に帰ってくるのに、私に指一本触れようとはしない。
私達が結婚すると、爵位をオスカーに譲った前伯爵夫妻は領地へと帰っていった。
義理の両親とほとんど顔を合わせなくて気楽ではあるけど、それでも親戚中から早く子供をと催促される私に、自分が不能だから彼女のせいではないと堂々と言い放つくらいの豪胆さはあるのに、義務として私を受け入れようとはしない。
本当に不能なんじゃないかしら。
まったく、女嫌いの彼には手を焼くものだけど、こればっかりは時間をかけるしかない。
とはいえ、この二年で少しも距離が縮まったとは思えない。
これでもしニアが嫁いでいたならば、もっと苦労したはずだ。
だからやっぱり私で良かったのよ。
あの子には感謝してほしいわ。
お菓子をつまみながら、婚約が決まった当時の事を思い出していた。
伯爵家からオスカーとの縁談の話がきたのは、ニアから宮廷魔法使いになりたいと聞いた直後のことだった。
あれは、17歳になった頃のことだ。
『へぇ。シニストラ伯爵家から縁談の話がきたの?』
幼い頃から知っているオスカーの顔が思い浮かんだ。
彼は私達よりも二歳年上で、学園を卒業した19歳の頃だった。
私達もオスカーも、そろそろ結婚相手を決めなければならない年頃だったし、早い子は、もっと前から決まっていた。
『私達のどちらかにってこと?』
名指しじゃなかったのは、私達が双子で条件が同じだったからだ。
どちらでもいいのなら、オスカーの事は何とも思っていなかったけど、見た目はいいし、とても裕福な伯爵家の跡取りだったし、学生のうちから独自の事業を展開して個人でも多くの資産を持っている、かなり期待できる伯爵令息だったのよね。
だから、宮廷魔法使いを目指していたニアの足枷になってはいけないと、すぐに私が自ら立候補した。
何の取り柄もないニアが、唯一誇れるのが魔法なのだから、それで功績を残したいのなら協力しなくちゃって。
それからトントン拍子に話が進んで、数日後には教会で婚約を取り交わしてオスカーの婚約者になったけど、あの後すぐだったのよね。
ニアが戦場に行ったのは。
一度も私と会わずに、学園の卒業も待たずに行っちゃって。
少しくらい、直接会って祝ってくれてもいいのにって思っていたけど、後日、魔法がかけられた贈り物がされただけだった。
こうやって頻繁に手紙を送ってくれるけど、もう随分会っていない。
卒業してすぐに行われた結婚式にすら出席してくれなかった。
どれだけ戦場が好きなのかって話だ。
ニアの事を考えながらも、暇だなぁってぼーっとしていると、侍女が入室の許可を求めてきたから、どうぞと答える。
「奥様。旦那様からの言伝です。教会の方にお越しくださいとのことです」
「教会?」
オスカーが教会に私を呼ぶって、何がしたいのかさっぱりだった。
「ただいま馬車の準備をしておりますので、奥様の支度もさせていただきます」
侍女にされるがまま、外出の準備を行なっていく。
「黒のワンピースって、随分と控えめな装いなのね」
教会に行くにしても地味すぎる。
いったい何の用事で行くのか、オスカーは戦地にたくさんの支援を行なっているのは知っているけど、教会にも何か支援をしていたかしら?
支度を済ませて部屋を出ると、私の後ろを歩く護衛騎士のアレックスの顔色が悪いのが気になった。
オスカーに負けないくらい表情が動かない人なのに、こんな時もあるのかってくらい調子が悪そうだった。
体調が悪いのなら他の護衛に頼むと伝えたけど、そうではないらしい。
私が馬車に乗ると、アレックスは騎乗し、その後は淡々としていたから私も特に気にしなかった。
馬車は近くの教会を通り過ぎたかと思うと、そこから随分と離れた馴染みのない教会へと連れて行かれ、そこにはすでに両親が待っていた。
「二人ともどうしたの?こんな所に揃いで」
まさか両親が揃って待っているとは思ってもいなかった。
「「……」」
二人とも、気まずげな表情で微妙に視線をそらすと、私に告げた。
「ニアが戦死した。遺体は戦場からこの教会に運び込まれて安置されている。私達はもろもろの手続きを終えたからもう帰るところだ。はー、面倒な手続きだったよ。後は教会の者が適当に処分してくれる手筈になっている。エリアナはあの子の顔は見ない方がいいだろう。悲惨なものだ。間も無くオスカーが来るだろうから、二人で屋敷に戻りなさい」
「まったく、最後まで迷惑をかける子だったけど、王家からお褒めの言葉をいただけた事は、唯一の親孝行になったわね」
ニアが戦死したって言葉を理解するのがやっとだったのに、両親の口から吐き出された言葉に理解が及ばなかった。
ニアが戦死って……
もう、ニアはいないって事なの?
なんで……
ついさっき、ニアから届いた手紙を見たばかりだったのに。
それに、どうして、二人はニアの死をこれっぽっちも悲しんでないの?
処分って何よ、処分って……
ブツブツと不満を漏らしながら帰っていく二人の背中を、言葉なく見送ることしかできない。
そこから一歩も動けずにいると、足音で人が近付いてきた事を知ったけど、アレックスが少し下がったからそれがオスカーなのだとわかった。
顔を向ける。そして、信じられないものを目にしていた。
何で……
夫であるオスカーは、誰にも感情を動かさないのだと思っていた。
誰に対しても氷のように冷たい眼差しを向けているし、興味も示さない。
妻である私には礼儀正しく接してくれるけど、それだけで、夜、一つの部屋で一緒に過ごしたことなどない。
時間をかけていつかはと思っていたけど、そうではなかったの?
どうして、貴方がそんな絶望したかのような顔をするの?
ニアのことで……
幼い頃からの知り合いってだけで、二人が親しいだなんて聞いた事がない。
まさかあの子が誘惑なんかできるわけがないし、オスカーの気を引くような子でもない。
私の疑問をよそに、馬車から降りて、教会の入り口を見つめながらしばらく立ち尽くしていたオスカーは、私以上にショックを受けていて、どうして、いつから、どこで会っていたの?まさかと次々と疑問が浮かんできた。
私の存在なんか視界に入らない様子で、オスカーは力無く歩いて行き、教会の奥に安置されていた棺を前に立ち止まる。
妹は、自ら望んで王宮魔法使いとなり、戦場で数々の功績を残した。
多くの勲章を胸に抱いて名誉ある戦死をして、両親はとても誇り高いと喜んでいたくらいだったのに、他人であるはずのオスカーが棺の中に視線を向けると、嗚咽を漏らしながら、ニアに縋り付くように泣き崩れていた。
「オスカー……」
「今だけは、ニアと二人にさせてくれ」
嗚咽のせいで言葉にならない言葉で、突き放される。
私はオスカーの妻で、ニアは私の妹なのに、何で貴方からそんな事を言われなければならないのか。
オスカーの背中からは、拒絶しか感じられない。
ただならぬ雰囲気に、悲しむことも怒ることも問い詰めることも出来ずに、ふらふらと教会の外に出る。
頭が全く動かずに、ただただ、何か取り返しのつかない事をしてしまったかのような不安から逃げたくて、人の気配がない茂みの向こうへと移動した。
「何なのよ。もう……」
一人になって、不安を紛らわすように悪態をつくと、
「貴女の婚約式の日、ニアお嬢様がどうして教会にお越しにならなかったかご存知ですか」
正確には一人ではなかったわけで、いつも置物のように気配無く無言で立っていたアレックスが、8年以上もの歳月の中で初めて私に話しかけて来た。
彼は侯爵家にいた頃から私の護衛をしていた騎士だ。
結婚してからも、彼が侯爵家から派遣されて継続されていたのだけど……
「何よ、今頃そんな前の話を持ち出して、何だって言うの?」
あの日、あの子は体調がすぐれないからと、部屋から出てこなくて、私と兄と両親だけで、教会に向かったのだ。
そこですでに待っていたオスカーの顔が、いつもよりもさらに冷たい印象を覚えたけど、ただ単に緊張しているのだと思っていた。
「貴女がオスカー様の婚約者になると仰った直後に、ニアお嬢様はあの時、ご自分もオスカー様の婚約者になりたいと仰っていましたよね?」
「ええ。あの子にしては珍しく自己主張していたけど、だからこそ、私があの子の代わりに婚約者となったのよ。あの子にはやりたい事があると言っていたから、好きなようにさせてあげるのが姉の私の役目だと思っていたのよ」
「ニアお嬢様は、あの後ご両親に部屋に呼ばれ、顔が腫れ上がるほど殴られていました。余計な事を言うなと」
「何で……そんな事、私、知らないし!」
そんな事があったって知らないし、私がそう仕向けたわけじゃないのだから、今さらそんな事を教えられたって……
「侯爵夫妻は、貴女の幸せを邪魔する気かとニアお嬢様に詰問していました」
「何が言いたいのよ、私が頼んだわけじゃない」
「ニアお嬢様とオスカー様は、幼い頃から想い合っていました」
「え?」
「ニアお嬢様が宮廷魔法使いを目指していたのは、ご両親にどうあっても認めてもらえないご自分が、オスカー様の妻となるには、国中に実力を示して功績を残すしかなかったからです。そしてオスカー様も、家格が上のニアお嬢様との結婚を認めてもらうために、ご自身で努力されていたのです。あの日、本当は、オスカー様はニアお嬢様に求婚されていました。しかし、貴女のご両親がオスカー様の事業に目をつけて、貴女により良い条件の結婚をと、ゴリ押ししたのです」
私が、あの子が精一杯示した想いを握り潰してしまったの……?
アレックスは、私から視線を逸らさない。
それは責めるものではなく、静かに見据えたままだ。
「侯爵家からの圧に、そして、ニアお嬢様に暴力が振るわれる現状を知り、そして、オスカー様のご両親や領地にも被害が及ぶ為、貴女との結婚を承諾するしかなかったのです」
まだ、アレックスは話し続ける。
知りたくもない事実を突き付けてくる。
「前伯爵夫妻は、ご自分達の息子が幸せになる事を望んでいました。本当は、貴女との結婚などではなく、ニアお嬢様との結婚を祝福されていました。それが貴女に取って代わって、貴女の顔など見たくあるはずもなく、だから爵位を譲って領地に帰って行かれたのですよ」
私が……私が追い出したわけじゃない…………私のせいじゃない…………私が奪ったわけじゃない………………
自分に言い聞かせたところで、事実は変わらない。
「それともう一つ。宮廷魔法使いになりたいと仰られたのは、直前に貴女のお父上よりも年上の貴族男性の後妻になるようにと、ニアお嬢様が言われた事が直接の原因なのですよ」
もう、アレックスの言葉を一方的に聞くことしかできなかった。
だから……ニアは戦場から帰ってこなかった……
帰りたくても、帰れなかったのだ……
私は、ニアへの手紙に何て書いた?
早く帰ってきて、結婚しろって……
自分の倍以上も歳の離れた男の後妻になんか、私だって嫌だ。
ましてや慕っている相手がいたのだから。
私が慕っていた相手を奪ったにせよ、侯爵令嬢のニアにはもっとマシな結婚相手がいたはずなのに、よりにもよってどうして……
「貴女の婚約が決まったあの日、意識を失うまで殴られたニアお嬢様を、お部屋までお連れしたのが俺でした。目を覚まされたお嬢様は、貴女に知らせようとする俺を止めました」
「どうして……」
さすがに二人が愛し合っていたのを知っていれば、私が婚約者に名乗り出ることなんかしなかった。
「貴女とオスカー様が結婚しないのであれば、ニアお嬢様と結婚することを選ぶようなら、オスカー様の事業を手を尽くして潰してやると、貴女の御両親がニアお嬢様に言い放ったからです」
私が伯爵夫人として過ごしてきた二年、ニアはどんな気持ちでいたのか。
どんな気持ちで私の手紙を読んでいたのか。
「私……私……あの子が不幸になればいいなんて、思ったことなんか、ない」
唇がワナワナと震えていた。
そんな事を言ったところで、あの子がことごとく不幸になるようにしていたのは自分の存在ではないか。
言葉無く立ち尽くしたまま、どれだけの時間が経過したのか。
サワサワと、風に揺らされた木々の音しか聞こえていなかった。
そんな中、突然、背後で空気を切り裂くような悲鳴があがった。
アレックスが警戒を強めて私に近付いたけど、私の周りでは何も起きていない。
何かが起きていたのは、背後にある教会の中でだった。
オスカーを探しに安置所に戻ると、冷え冷えとした空気が辺りを包んでいて、口元を押さえてガタガタと震えている修道女の視線の先に、血を流して倒れるオスカーの姿があった。
棺で眠るニアに覆いかぶさるように倒れているオスカー。
すでに息をしていないのがわかる。
自らナイフで喉を刺したのか、私の足元にたくさんの血が流れてくる。
立て続けに失われた二人の命を前にして、なんでこんなことになってしまったのか、取り返しのつかないことに時間をあの時に戻すことができればと、ただただ後悔し、呆然と立ち尽くすしかなかった。