リアル探偵物語
深夜に一人、FMラジオを聞きながら報告書を作成していたのだが、ふとパソコンのキーをたたいていた手を止めた。パッと辺りを見回すと机の上に山積みになった書類と、吸い殻がてんこ盛りの灰皿、すっかり冷めたブラックコーヒー。何かのドラマで見たような雑多でありがちなオフィスの風景が目に入る。
ふー、伸びをして椅子の背もたれに体重を預けながら目を閉じた。なんだか目がしょぼしょぼするな…。報告期日の迫った調査報告書や法律関連の書類がたまってしまい、朝から1日パソコンとにらめっこしていたから、さすがに疲れた。こんな時にねぎらいの言葉でもかけてくれる女性でもいりゃ、ちょっとは違うんだろうけど。あぁ独り身は寂しいねぇ…「人肌恋しいよこりゃ」。誰もいないオフィスで心で思ったことが独りごととして口に出ていた。
10年ほど前に個人で探偵会社を作り、いろいろあったが今は数名の部下も抱えて、探偵会社としては中堅どころの会社なのかな。おかげさまでそれなりに忙しくて、今日この時間も一部の調査員は外で調査中。そして俺はオフィスでお留守番と書類作り。まぁこの仕事が好きだからいいんだがね。
そうそう、いい機会だから言っとくけど、探偵って言うとありがちなのが、ドラマで刑事と一緒に難事件を推理、警察以上に活躍して謎を解き明かし解決!てのが定番だけど現実にはありえないから。
警察関係者が、捜査状況をそんなペラペラしゃべってくれるわけがないし、今の世の中個人情報なんちゃらってのがあってだな、民間の調査会社なんて調査中でも、よっぽどのことがない限り事件性を感じることがあれば調査中止の即撤収、ややこしいことは関わらないのが基本中のきほん。それにいろいろ調べて推理するのは良いけれど、調査員を長時間拘束して、どこがその費用負担してくれるんだ?て話だよ。
うちの場合7割は「浮気調査」ってところ。現代の男女の出会いとすったもんだを調べるのがメイン。残り2割は素行調査って言って、指定人物の普段の品行や行い、まぁ評判かな。そんなのを調べたり、あとは動物探しや盗聴器発見てところか。動物探しなんて見つかることの方が少ないし、料金単価も低めになりがちなんであまりおいしくない。
逃げ出した鳥なんてさらに見つかるわけねぇ…。他の動物のエサになるのが相場だろうな。盗聴器発見?ない場合も実は多いぜ。依頼主がノイローゼで盗聴されてるんですぅ!って被害妄想が入ってる場合も多々あるし。
まぁそれでも仕事は誠実にしてるさ。信頼を得て少しでも長期日程の契約をもらうため。身だしなみもだらしない格好は絶対にしない。見た目は気を使うし、今の探偵は出会った相談者を調査契約させるトーク力もだいじなのよ。その方が実入りも良いしね。
で、今回の依頼主は某有名商社の部長ご夫婦様、なんでも社会人になった娘さんのお付き合い相手を調べてほしいとのこと。素行調査の部類だな。ご主人いわく、年頃なので会社の部下とお見合いをさせることも考えているが、娘にとって良い男性なら、一緒になるのもやぶさかではない。まぁその下調べだそうな。
実のところご主人の話を聞いて正直に感じたのは、男っ気が全くなかった箱入り娘に、どんな悪い虫がついたのか気になって仕方がないってのが、本当の依頼理由だろうな。
ただ娘さんの相手情報が少ないらしい。最初に気が付いたのは奥さまで、男性がどんなプレゼントをもらうと喜ぶのか、スマホで友人としゃべっているところをたまたま聞いたらしい。そこから気を付けて様子を見ていると、金曜日の夜は残業と称して帰宅時間が遅いことが多く、日曜日も出かけることがあるが、化粧の仕方や服装から判断して、男性と会っている可能性があるとのこと。さすが女の勘か?鋭いねぇ。
あとは娘さんの写真を預かり身体的特徴を聞いて、さらに詳細に打ち合わせ、前金もしっかり頂きましたよ。そして明日はちょうど金曜日。他の調査員のスケジュール上、俺がメインで調査することにし、早速明日に向けて準備を始めることにした。
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調査日当日、某所で夕暮れのオフィス街。
そこそこ有名企業に勤める娘さんの退勤時刻は18:00。勤務する会社は自社ビルで、1階正面にやや大きめの自動扉がある。俺はそのビルから少しだけ離れた処で、スーツを着てビジネスマンを装い張り込んでいた。
退勤時刻から15分ほど過ぎたろうか、娘さんが自動ドアを出てきた。OLらしく、白のツインニットと薄い緑のタイトスカート。やはり薄いベージュのパンプスに小さめのビジネスバッグを肘にかけて、顔立ちは…写真のとおりでかわいい感じ。セミロングのやや茶髪でゆるくパーマがかかっている。育ちの良さそうな今時の女性だ。やっぱ残業じゃなかったな。
男性と接触するかどうかは行動を見るしかないので、そのまま彼女の尾行を開始する。彼女は地上から地下鉄への階段を降り、駅のコンコースを歩いていく。帰宅する側と反対の改札を通ったので、あぁ早速こりゃビンゴか?事前に買って置いた切符で同じく改札を通り、娘さんが乗り込んだ車両の隣に乗車。見失わない程度の距離から、様子を伺いつつ同じ電車に揺られた。
途中、一度乗り換えをして数駅ほど通過し、とある駅の改札を出るとコンビニに立ち寄よった。そこで2人分のデザートらしき食べ物と、飲み物を購入する場面を確認。これで特定の人物に会いに行っているのは確定だな。この付近は近くに大学があり、そこの学生が住まうワンルームマンションやアパートが多い地域だった。やがてコンビニから3~4分くらい歩いたか?3階建てでおしゃれなデザインアパートの1階、玄関前に立った。
扉が開き、一瞬だが笑顔で出迎える若い男性の姿を確認する。
俺はそのまま張り込みを始め、そして入室から約1時間半後程経過した頃、いったん玄関横の部屋の明かりが消えたので、玄関そばに近づいて室内状況をうかがう。まぁ…そう言う事だ。その後、楽しい時間を過ごしたのだろう。22:00過ぎに2人は部屋を出て駅まで手をつなぎ、改札前で男性に見送られた娘さんが電車に乗り込むのを確認した。しかし調査は終わらない。
次に見送り終えた男性が自宅アパートに戻り入室後、マンションのポストや表札から氏名と、このアパートの所在住所を調べられる範囲でメモする。次にベランダ側に回り他に訪問者がないかまた張り込みを開始した。幸い薄いカーテンで人影が確認できそうだ。もし訪問者があり、それが女性の場合は複数の女性と交際を持っている可能性が推測できるからなのだが、この夜は深夜2:00過ぎに明かりが消え就寝したのだろう。これで調査を解除することにした。
続く翌週の水曜日と木曜日、金曜日の午前中、計3回他の調査員に男性の自宅ベランダで干されているだろう洗濯物を見に行ってもらった。洗濯物の種類を見るのは情報収集の一環で、居住者の服の好みから何に興味を持っているのか。居住者の人数構成や性別、年齢などもある程度推測できるためだ。
そして調査員からは木曜日と金曜日に洗濯物が干されていたが、女性の下着はなし、服も特に派手なものもなく、男物で一人分と思われる洗濯物しか干されていないと報告があった。まだ断定はできないがほぼ男性一人の暮らしで間違いないだろう。
一方娘さんも別の日の金曜日に、再度退勤時間から別の調査員をつけて尾行調査が行われ、行動内容は前回とほぼ同じだった。
それから調査に入って3週間した頃だろうか。奥さまから連絡をもらい、日曜日に娘さんが出かけるとの情報をもらったので、調査を入れその日曜日、朝から自宅より尾行開始。某所繁華街で待ち合わせをし、例の男性と接触、デートする2人を確認する。このことから男性との付き合いに継続性が認められると判断した。
男性はパッと見で娘さんより5才ほど年上か?背は高く服装のセンスも良くて清潔感を感じる。顔立ちも整っていて、俺から見てもハンサムに見えた。また2人の自然な振る舞いとしぐさから、付き合いは短くはないだろう。しっかり2人一緒のシーンも撮影済み。
次に男の素性を調べる調査に移行する。そして。
そして、あることに気づきその事を調査したのだが…これは込み入った状況となってしまう可能性大だな。う~ん。。。
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依頼を受け1カ月、調査内容をまとめ報告書を作成。報告書は手渡しをするのがうちのルール。今回はいやな予感がしたので不測の事態に対応できるよう、ご夫婦に事務所まで来ていただくことにした。
あわせて女性、男性各調査員も別室に1名ずつ待機させ、先に応接の椅子に座って約束の時刻を待った。
所長ご依頼主様が、お越しになりました。
あぁ、そしたら応接の方に通して。
立ち上がってあいさつをした上で、テーブルに報告書入りの封書を置き、ご夫婦お二人に席についてもらうよう促した。早速だが封書を開けて良いかね?とご主人。
えぇどうぞと答え、しばらく無言の時間が過ぎる、最初は軽くページをめくり内容を見ていたが、ある時から報告書をわし掴んで顔近くまで持っていき、同じところを何度も見ている。そしてご主人の顔が一気に厳しくなった。…この内容は事実かね?
中身に対しての信ぴょう性は何度も調査確認しました。ご主人どうかこの結果を…。
ゴッ!ガシャーンッ!
突然、右隣にいた奥さまの左ほほをこぶしで殴り、奥さまが椅子ごとひっくり返る!やると思った!!このご主人、初めてあった時からプライドが高そうで、時折見せる相手に対しての威圧感、そういうものが見えていたので警戒していた。彼の尊厳を傷つけたことに間違いない。同情もするが女性を殴っていい理由にはならない。
なおも奥さまに馬乗りになろうとし、応接に飛び込んできた男性調査員と2人でご主人を押さえつけ、ご主人落ち着いて!落ち着けよ、もう!!ご主人を引き離す。続いて女性調査員が倒れた奥さまを抱き起こした。床に頭を強打したようで意識がなく血が出ている。
救急車を!
それから事務所前にパトカー、救急車そして人だかり。警察から事情を聴かれる事となり、当事者全員が所轄署まで同行そこで調書をとられた。
もうほんとに余計な時間を食った、勘弁してほしい。ご主人はまだ署にいるようだ。事務所に戻って、ぐしゃぐしゃになった報告書を拾い上げ、これ以上ややこしい事にならなきゃいいけど、なんて思いながら自分のデスクに深く腰掛け、ため息をついた。
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そして。。。3日後の昼過ぎ、今度はその娘さんが1人で事務所にやってきた。
調査内容を確認できる委任状を持参し、ご主人と奥さまの連名で実印まで押してある。準備が良いなこりゃ。
念のため娘さんに了解を取ってご主人に連絡し確認、こちらもこんな時用の書類を引っ張り出して署名押印をしてもらい、改めて作り直した報告書を手渡すことにした。依頼主以外でホントはこう言うことはしたくないのだが。
応接に通して、少し気になっていたことを聞いてみた。
あの日の夜はやはり大変だったらしく、警察から探偵社で父親が母親を殴ってけがをさせたと聞いて、奥さまが入院した病院に急ぎ、けがの状況確認と入院手続き。そしてご主人を身元引受人として所轄署に迎えに行き、自宅に連れ帰ったと言う。
翌日ご主人は娘さんを避ける様に会社へ向かい、何を聞いてもしゃべらなかったそう。けがの様子が落ち着いた母親にも、今回の原因を聞いたが謝って泣くだけ。状況が全く分からず、らちが明かないので両親を個別に説得。彼の調査依頼がされたことを知り、その報告書を自分が見るため、委任状を作成ここに訪問したらしい。
対面に座る彼女はまっすぐ、そして真剣に視線を向けてくる。怖いくらいだ。何だ?こんなシーン前にもあったな?なぜだか沸騰したヤカンを思い出していた。
報告書を受け取った彼女は無言でページを開く。何分たったろうか?つぶやくように、
…彼がお兄さん?血のつながった兄?兄さん…。またも報告書の形が歪む。顔面蒼白となり報告書をつかむ手は震えていた。
そう、娘さんの相手男性は血縁の兄で、奥さまが高校生の頃に産んだ子供。妊娠発覚時は堕胎できる時期も過ぎ、父親はある公職の人間だった。そこで親族で話し合い赤ちゃんが生まれると同時に、遠縁の親戚に養子に出され、そのあと奥さまは進学して短大を卒業。
お見合いで今のご主人と結婚。娘さんが生まれた。夫婦として過ごした四半世紀、ご主人はその経緯も子供がいたことも知らなかった。ご主人なりに思う処があったのはわかる。この仕事をしているとまれにこう言う場面があるが、あとは当人が事実を受け入れるか、そうでないか。
こちらでできることは何もない。
娘さんと兄は、お互いが勤める会社のある記念パーティで知り合い、意気投合し付き合いだした。その時初めて会ったにもかかわらず、昔から知っているような気持ちになったと言う。
感情が回っているのだろう、どうしていいのか分からず、悲しいのか腹ただしいのか。でも涙を我慢している表情の娘さんに声をかけた。
お嬢さん報告書の通りです。われわれにできることは今なにもありません。これからのことは戻られたらご家族と、また彼とよく話し合ってください。
と、そのとたん堰を切ったように涙があふれだし、でも声を出さないよう下を向いて静かに泣いていた。自分は落ち着いたら声をかけてくださいと、ハンカチを渡して席を外す。女性調査員に声をかけてから、事務所が入るこのビル外側に設置された非常階段へたばこを吸いに出た。
で、ここでドラマならその後が描かれて、その先が分かるんだが、現実は報告書を渡したこの時点で終了。その後の事はわからない。こちらから調べたり聞いたりすることはまずない。
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しかし、1年ほどして娘さんから封書の手紙が届いた。当時のお礼から始まり、近況を知らせてくれた。
結局ご主人と奥さまは離婚。娘さんは奥さまの故郷で一緒に暮らしているらしい。離婚後のご主人の事はわからないと。そして事実を知り兄だった彼は、ある日を境に連絡が取れなくなり、勤めていた会社は退職。自宅に行ってみたがアパートは引き払われていたそうだ。
それぞれに結論を出したということか。
まぁ彼女ならよい男性がまた現れるのじゃないだろうか?無責任なことを勝手に思いながら、次の調査の準備をする。入り組んだストーリーでの盛り上がりも、伏線も何もない。まっリアルはこんなもんだろう。
そして今回この話をしたのは、娘さんが何となくあの人に似ていたから。ただそれだけだったりする。あぁ、いいおっさんがいつまで引きずってんだか…な。