七話 『夕闇の帰路』
不殺約束を交わして、午後の授業。
五時間目は歴史、日本史だ。
「……というように、北条氏は比企氏などの有力御家人を排除することで鎌倉幕府の執権として権力を握り、一時期は隆盛を極めましたが、元寇後の御家人からの不満などによ、徐々にその権威は失墜していき――」
歴史の教師が教科書を片手に解説していると、
「……ナギ」
隣の席になったイブが、私の袖をちょいちょいとつまんでくる。
「どうしたの?」
「あの一族は御家人を殺して偉くなった」
「北条氏のこと? うん、そうだよ」
「なのに、結局御家人に権力を奪われた」
「そうだけど」
「また殺せばいいのに」
「あのねイブ、そんなことしたら他の御家人の不満が――」
「その人たちも殺せばいい」
「朝廷側からも反発が……」
「……? よく分からないけどみんな殺せばいい」
「なんでも殺人で解決しようとしないのっ!」
そんな純粋な瞳で、なんてことを言うんだろう。
イブの倫理観が正される日はまだまだ遠い、かもしれない。
☽
放課後は本来なら部活動だけど、今日はイブの最初の登校日という事で休ませてもらった。下校中、西に傾いた日が通学路に二つの影を伸ばしている。それらはくっつき、溶けあい、混ざり合ってひぐらしの鳴き声のする方へ進んでいく。
「……ナギ、ありがとう」
茜色の空で輪郭のぼやけた淡いイブの声がする。
「んー、どうしたの、イブ」
「学校。……恐らくあの場所はわたしに、なにか大事なモノをくれるだろうと思った。学校に通えるのは、ナギのおかげ。ありがとう」
「いいんだよ、イブ。私はイブの力になれることだったら、なんでもするよ」
その時、私の目に入ったのは通学路の通りに鎮座する小さな社。もうずいぶん手入れもされてないらしく、古びた……よく言えば神さびたそれが、一陣の風を私とイブの間に運んだ。
風に吹かれたイブの黒髪が夕日に靡いたのをみると、なんだか無性にセンチメンタルな気分にさせられる。
「……ナギは、なんで」
「んー?」
「ナギはなんで、わたしにそこまでしてくれる」
独り言のようにも聞こえる小さなそれは、当然の疑問。私とイブの間には、何も接点はなかったはずだし、イブからしたら、私がイブと一緒にいたいと思い、イブの殺人を止める理由が分からないんだろう。
「最初は、子供がアリンコを踏み潰すみたいに人を殺しちゃうイブがこの世界の街に出たら、いっぱい死人がでて大変だから、説得しようとしたよ」
「……そう」
「……でも、今はどうだろうね? 自分でも分からないけど……イブが昔の私みたい、だったから?」
そういうと、イブはとても意外そうな顔で私を見た。
「わたしが……ナギ?」
「うん。あ、私も人を殺してたとか、そういう具体的な類似じゃないよ? けど……」
過去の記憶に思いを馳せる。私にとって、悲しみと虚無と救済の記憶。回顧するには、けっこう勇気がいるかもしれない記憶。
「聞きたい」
「イブ」
「わたしはナギのこと、何も知らない。もっとナギを知りたい。教えてほしい」
「……分かったよ。イブには話す」
イブが、小さくはにかんだ。その笑顔をみて私は、何から話したものかと思考を巡らせ――最初に浮かんだのは、
「トキ、覚えたかな」
「……中史トキ。ナギの親戚で友達で、ハーレム主人公」
「うん、そう。最後のは特に覚えておいた方がいいよ、イブ。……そのトキ。……この話って、私とトキが初めて会った時のことなんだよ」
「……初めて?」
厳密には顔自体は知っていたけど……大体その通りだから、一々訂正はしない。とにかくその日、私とトキが出会った。その時。
中学二年生の春。
――私は死のうとしていた。