四話 『終戦!』
「いきなり殺すなんてひどいよー、イブ」
すぐに生き返った私はイブを見て、そう言う。
イブは亡霊でも見たかのように、大きな目をぱちくりとさせている。
「……ナギ」
「その場ですぐ蘇生できないなんて、私言ってなかったよね? 一度目は――」
と、説明を始めようとした私に、ナギは容赦なく横一閃。長柄凪、三度目の死亡。そして、
「三度目の復活だよ。……イブー、人の話は遮っちゃだめだよ!」
そんな私の説教には耳もかさずに、イブはサイスを振るい続ける。その度に私の身体はどこかしら致命傷を負って遺体となり、そしてすぐに生き返る。それを、延々と繰り返していく。
「……なんで」
「最初に言ったよ、イブ。私は『不死』なの。イブがこれまで会ってきたような、ちょっと蘇生魔法が使えるだけの魔術師と私は違うんだよ」
イブの大鎌は、的確に人間の急所を断ち切り、刹那の内に私を絶命へと追いやっていく。
だがその度ごとに、私の魔力の塊である魂――「御魂」は、すぐさま私の肉体を再構成し、健康体の長柄凪をその場に顕現させていく。そして……私の御魂を傷つけることは、イブには不可能だ。生まれ持った魔力量が、イブよりも私の方が強いから。イブが殺せるのはあくまで私の肉体だけで、御魂までを殺すことはかなわない。だから……
「イブには、私は殺せないよー」
諭すように言ってみるけど、
「それでも……」
駄々をこねる聞き分けのない子供のように――実際小学生くらいの子供だけど――イブは、一心不乱にその大きなサイスを振り続ける。最初ベテランの死神のようになめらかな動きでサイスを振るっていたイブだけど、今はもうなんだかやみくもにもがいているだけのように見える。
死んでは生き返り、殺されては蘇生する私。イブはひたすらに私を殺し続けるけど、その刃が御魂に届くことはない。
「イブ、もうやめなよ」
「でも……っ!」
疲弊し、なにか焦燥に駆られたイブが、
「わたしは、この方法しか知らない……っ!」
幾度となく死に、蘇生していく私に――
「――イブ」
ようやく上げてくれた慟哭の声に、私は鎌の軌道を読んで躱し、イブとの距離を詰める。
「……っ!」
イブはその紅の瞳を大きく見開いて、一歩後ずさる。
混乱したイブの攻撃だから、避けられた。初めの方の大鎌は、どうやっても私の身体能力じゃ避けれそうになかったから、やっとだよ。
「だから、イブ。私も決めたよ」
私はさらに距離を縮めて、間近にイブの小さくてかわいい顔を見据える。
「……ナギ」
イブの、鎌を振るう手が止まった。私に何かを期待するようなまなざしを向けて、鎌を握る手を震わせている。
「私も――」
と。
声高々に宣言しようして、途端に息がつまる。
「私、も……」
――脳裏をよぎる、過去の私。命だとか人生だとか、そんなことを論じる資格のない堕落した私。
「……?」
イブを前にして。ここに来て私は、あの頃を思い出す――
「――ナギ‼」
「……っ!」
……それは、イブの声ではなかった。聞き馴染みのある落ち着く声は、私の背後からかかっていた。振り向くと、客席にはトキが立っている。そうして私に何かを促すように、その強い眼光が熱を宿していた。
「……トキ」
「……?」
私は向き直る。目の前には頭上に疑問符を浮かべたようなイブが立っている。
「……うん」
――またトキに救われた。このために今日、来てたのかな、トキ。だとしたら私、トキには一生敵いそうにない。
トキに心の中でありがとうを言ってから、イブの目をみて、今度こそ高らかに、
「イブが『嫌なことをされたらその人を殺す』っていうルールをつくったのと同じように、私も自分の中に一つの判断基準を置くことにしたよ」
「……ナギ?」
「ごめんね、私が間違ってたね。長々殺人について議論してたの、全部忘れてくれると嬉しいよ。法律とか、倫理とか。変に理屈で語ろうとするから、こんなことになっちゃったんだよ」
最初からそうしていれば、こんなに何度も死ぬ必要もなかっただろうに、愚かな長柄凪だと、自分でも思う。
「私は『イブに殺人をしてほしくないと思うから、イブが誰かを殺そうとするのを全力でとめる』ことにしたよ」
「……」
中天を向いた鎌を持つイブの手が下がる。
「イブに対する私の、個人的な決め事。私が、イブに人を殺してほしくないから、それを止める。そう決めたよ」
俯いて、腕をだらんと垂らしたイブが、か細い声で訥々と呟く。
「……でも、わたしはずっとこうしてきた。他に何も知らない」
「私が全部、教えるよ」
スーパーロングの黒髪の中から、イブの紅い瞳が覗く。
「イブはこれまで、嫌いな人はみんなすぐ殺してきちゃったでしょ?」
注視してなければ見落としてしまいそうなほど微細な頭の動作で、それを肯定する。
「だったら、知らないんじゃないかな? 苦手意識を持ってた人でも、ああ、この人案外いい人だな、ってなること、あるんだよ」
人と出会って、少しでも気にくわないところがあれば、皆等しく殺害してきたイブは、その先を知らない。自分が嫌いだと思った相手との付き合いというものを。
「ちょっと勇気だして話してみたら、意外と話が合ったりすること、あるんだよ。そういう時、結構嬉しいの」
私がそう言うけど、イブはまたしても首を傾げるだけ。ちょっと話が逸れたかも。
「ごめん、まだ分からないよね。でも、その内分かるようになるよ。私が、その一人目になれたらうれしい」
「……ナギ」
……と、トキの言う「最後はナギが決めること」の内容、その全貌をイブに告げ終えた私は、イブの反応を伺う。
――イブは、
「……ナギを殺すのはやめる」
ぽつりとそうこぼして、顔をあげた。眦に溜まった、小さな涙が光ってみえる。
「……ほんと?」
「ホント。どうせ殺せない」
確かにそうだ。でも、
「それでも、イブの意思で殺すのをやめるってことが重要なんだよ! 万歳、イブ!」
両腕を上げ、全身で喜びを表現する。
「ば、ばんざい……?」
先程まで、今にも泣きだしそうな無表情で鎌を振っていたイブはどこへやら。すっかり毒を抜かれた様子で、ハイテンションで騒ぐ私を見ていびつな笑みを浮かべている。……イブ、あんまりそういう冷静な態度取られると、私、恥ずかしくて泣いちゃいそうだよ。子供なんだから、もう少しはしゃいでもいいんだよ?
なんて、一人悲しんでいると……
「……ばんざい」
ひかえめに小さく、私の真似をしてくれた。
「うん、万歳! 元和偃武ならぬ、令和偃武だね!」
「……えんぶ?」
「血で血を洗う凄惨な戦国時代は終わって、泰平の世に移り変わるんだよ。……だから、イブ」
万歳をした姿勢のままでいるイブの、その手に握られた大鎌を指して、
「――武器を捨てて、私の手をとってよ」
イブに向けて、そっと手を差し出す。
初めに見たときはかっこいいって言ったけど、やっぱりこんな物騒なモノ、イブには似合わない。
「私は、イブに普通の女の子として生きてほしいんだ。これから元の世界に帰るにしろ、ここにとどまり続けるにしろ、ね」
「……わたしにできるだろうか」
ここでイブがすみやかに私の手をとってハッピーエンド! っていうのが理想だったけど、イブはまだなにか後ろめたいものがあるらしく、最後の一歩を踏み出せないでいる。
差し出された私の手を前に、イブは問う。
「わたしは……ずっと殺してきた。嫌いなものから逃げてきた。……ナギは言う。人は人を殺すことに抵抗感を覚える。……でも、わたしはなにも感じない。今すぐナギを殺せと言われれば、わたしは迷わずこの鎌を振るうことができるのだろう。――そんなわたしが、人の心を理解できるだろうか」
「……」
「わたしも、ナギみたいになれる?」
「……え? 私?」
倫理観を持たない少女の独白っぽいものが始まりそうだから、しばらく黙っていようと思ってたのに……急に名前を呼ばれて、驚いた。
「ナギはいつも笑ってる。わたしと話すとき、いつも楽しそうで、嬉しそうで、わたしもそうありたいと思った」
「……イブ……!」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだろうこの子は!
私は今にも抱きつきたい衝動を抑えて、イブの言葉の続きを待つ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ナギ?」
今ので終わりだった。ので、
「イブ!」
遠慮なく抱きつく。
「……っ、ナギ……っ⁉」
驚きの声は上げるものの、抵抗する素振りは見せなかったのでそのままの状態で、
「なれる、なれるよ。イブは、私なんてすぐに通り越して立派な人間に成長するよ!」
「……ほんと?」
私に抱き着かれ、服でくぐもった声が届く。
縋るような、頼るような、一縷の望みを託すような声で、私の服をぎゅっと握る。
「……そうなるまで、私がずっと一緒にいるよ」
それに、応えてあげなくちゃならない。かつて私が、トキにそうしてもらったように。今度は私が、イブに応える番だと思うよ。
「私は不死だから、いつまでもイブの傍にいてあげられるよ。イブが、殺人に対して抵抗感を覚えるようになって、私を殺さなくなるまで、ずーっと」
「……ナギ」
「だから、イブ」
惜しいけど、ハグしていた手を離して、少し距離をとってから仕切り直す。もう一度イブに手を差し出して、
「私の手をとってよ。特に理由もないのに殺人が罪になってるこの世界を生きられるようになるまで、私の手をとって、一緒にこの世界を生きようよ、イブ」
「……」
言えることは全部、イブに言った。これが今の私の全部。トキに救われ、イブに出会い、私の中でつくられた理想。今はこの理想を実現させるためだけに、全力を注ぐ。そう決めたよ。
イブが鎌を天に掲げると、それは青白い魔力となって大気に溶けた。
そうして何も持たないイブが、私の手、私の目を真っすぐ見つめて笑う。
「……うん。よろしく、ナギ」
鎌を振るうことしか知らなかった少女が、私に。
胸の前で小さく手を振りながら、そう言った。
まずは一歩目、かな。