三話 『進化って何?』
土曜日。無断で夏期講習を抜け出したせいであの後教師にさんざん叱られた昨日、そもそも講習なかった一昨日と違って、休日である今日は後顧の憂いなくお天道様の光を浴びることができる。
爆発の事件から、約二日が経過。立ち入り禁止テープの張り巡らされたアリーナの前に立つ。身内の警察関係者に許可はとってあるので、私とトキはそれを跨いで中へ入り、メインアリーナまで進む。
ステージの上、瓦礫の山に――一昨日の昼、最初に見たときと同じ場所で、大鎌を抱いて日光浴をしているイブを見つける。陽光を浴びて気持ちよさそうに目を瞑っているイブの邪魔をするのは少し気が引けたけど、そうしなきゃ話が進まないのでやむなく声を掛ける。ごめんね、イブ。
「こんにちはー、イブ」
一昨日と同じような声調で、同じように胸の前で手を振った。
「……ナギ」
イブは私を認めると、これもまた一昨日と同じように山積された瓦礫を降りて、こちらまで寄ってくる。
「んー……もっと驚くと思ったんだけどなー」
殺したハズの人間が五体満足で再び目の前に現れるトンデモ展開だというのに、イブの反応はいまひとつパッとしない。頓狂な声を上げて周章狼狽するイブ、ちょっと期待してたのに。
「今までにもいた。殺しても生き返る人」
「そっかー」
別に一度の「復活」だけなら、魔術師――魔法が使える人のことを性別関係なく私はそう呼んでいる――にとり、それほど難易度の高い魔法というわけでもない。私より強いトキなんかは可能な芸当。それでもトキが私をイブの説得に向かわせてるのは、私が、魔力量に関わらず何度でも蘇る「不死」だから。
「でもその人たちは、もう一回殺すか、それか目の前で生き返ってすぐまた殺したら、ほんとうに死んじゃったんじゃない?」
「うん。生き返らなかった。……ナギも?」
「私は特別だよ。私にとって、門松は冥土の旅の一里塚じゃないし、よどみに浮かぶ泡沫は消えずにとどまり続けるの。試してみる?」
もう一回殺してみる? と、暗に提案してみる。が、イブはふるふると首を横に振って、
「今のナギは嫌いじゃないから、殺す必要がない」
相変わらず能面のような――といってもとびきりかわいい能面だけど――無表情で、淡々と語る。今の一言で分かったけど……恐らく、イブの言う「嫌い」というのは、世間一般で「殺したいほど憎い」と言われるほど根の深いものではないんだろう。「ちょっと気にくわない」、くらいで殺してしまう。それほどイブの中で殺人のハードルは低く設定されてるみたい。
「それはよかったけど、でも、また殺したくなるかもよ?」
「……」
「リベンジマッチだよ、イブ。――人は殺しちゃいけない。今日こそ、納得してもらうよ」
不敵な笑みを浮かべて、私は言い放った。……ちなみに「不敵な」というのはもちろん主観では分からない事なので、これは私の笑顔に対してイブがそう思っていてくれたらいいなという希望的観測。……不敵にみえてるよね? イブ?
そんな私の心に阿諛追従して怖がってくれるような性格でもないイブは、私の後ろ……アリーナの端の方に位置する客席に座っているトキに目をやって、
「誰?」
「私の親戚で友達の、トキだよ。殺さないでね?」
「うん」
トキ曰く――『イブは自分に対して嫌な言動をとった奴を殺す……逆を言えば、こちらから刺激しなければ、いたって安全な相手ってことだ』。つまりあそこに座って私達のやりとりを見ているだけなら、イブに殺される心配はない、とのこと。
「一昨日は説得に失敗しちゃって殺されたから、トキに聞いてみたんだ。なんで人を殺すのはいけないのか、って」
一昨日のトキとの問答を回顧しつつ、イブへの説得を開始する。
「ナギは言った。……法律、犯罪だから、ダメだって」
倫理観や道徳心の身に着いた現代人にとっては、「殺人がいけないことだ」なんて、今更まともに論じるべくもない自明の理だろう。なぜ、と聞けば……人を殺したって虚しいだけだ、とか、悲しみしか残らない、とか、命は尊いものだから大切に、とか。そんな回答が返ってくると思うけど。それらは確かに正論。でも、イブには無意味。それは倫理観が身に着いている前提での説得でしかないから。だから私は前回、法律の話を持ち出した。
「うん。まず最初に思い当たる理由は、だいたいそれだよね」
Q:なぜ殺人をしてはいけないのか。
A:犯罪だから。
……普通なら、これだけの話。これの説得のために私が命を落とす必要なんてなかったはずだけど。
でも、私が相対しているのは、異世界人のイブ。倫理観を持たない小さな切り裂き人。
「法律、犯罪。……みたことがない。概念?」
先の説得でも言ったように、法律というものは人間が勝手に作り出した概念でしかない。法治国家で生まれた私達にとっては先験的なもののようにすら思えるほど当たり前の存在である法律だけど、それはどこまでいっても人間が社会という共同体を維持するためにつくりだした後天的なルールでしかない。その共同体の外側から来たイブにとって、法律の存在意義を理解するのは難しいだろう。
「そう、人はつくったんだよ。殺人を罪として罰する法を」
「……なんで」
「なんでだと思う?」
質問に質問で返してみる。異世界から来たって言ってるけど、見た目はこの世界の現生人類である私達ホモ・サピエンス・サピエンスと瓜二つだ。そもそも生物としての構造が違うから理解できない、なんてことはないと思う。
イブは答える。
「ナギが言ってた。……殺されたくない、から?」
やっぱり期待通り。イブ、頭いいね。求めてた回答を最初に言ってくれた。
「うん、そうだよイブ。人は、自分が殺されたくないから殺人を罪にした」
トキは言う。殺人罪の理由を道徳や倫理に求め出したのは一定以上の生活基盤が整い、余裕ができてからのことだと。それは後付けに過ぎない、と。
「元は臆病な私達の先祖が、殺されないために殺人罪をつくったんだよ。自らを脅かす危険分子を、効率よく排除するために」
「……」
大鎌を手にしているイブが、私をみて首を傾げる。「もし襲われたらこれで返り討ちにすればいいのに」とでも言いたげ。
「普通の人間は、そんな風に対抗手段を持ってないでしょ? 魔法が使えないから、法律をつくって集団で団結するしかなかったんだよ」
言ってて気付いたけど、魔法を使える私達魔術師は、少なくともこの初期段階においては法律を必要としないんだね。今はもう社会という一つの共同体が出来上がった後だから別として。
「戦おうとは、思わなかった?」
「そういう人も、もちろんいたと思うよ。でも少数派だったと思う。そもそも法律をつくった人達が、臆病で戦う気がなかったから」
「……人間は、臆病?」
イブは至極最もな疑問を抱いた。自分の嫌った相手には躊躇なく鎌を振るうことのできるイブの直感には、少々反する事実かもしれない。
「なんて言えばいいかな……あくまで自然淘汰、進化の結果、なんだよ」
「――進化?」
「そう。……例えば昔、大昔に、臆病な性格の人間と、好戦的な性格の人間がいたとするよ。臆病な人はとにかく生きること、生き残ることに必死で、コソコソと隠れて生きてた。で、好戦的な人は、自分たちが良い生活をするために、他人を殺すことも厭わないような戦いの日々を送ってた。もし襲われても、戦うことで自分を守ってた。……イブは、どっちがより生き残りやすいと思う?」
「……わたしは好戦的な方、だと思う。でもナギが態々聞くってことは、違う。臆病な人達が生き残った」
……うーん……
「正解だけど……その当て方、なんだろう?」
「……ナギは分かりやすい」
「……そうなの?」
微かに顔をほころばせたイブが、そんなひどいことを言う。私の思う私は、もっとこう、飄々とした雰囲気で、何を考えてるのか分からない蠱惑的な女性、って感じなのに。後ろを振り向いて確認すると、トキもイブに同感であるという風に苦笑を浮かべてる。他人の目に長柄凪がどんな風に映っているのか、知りたくもあり知りたくもなし、知りたくもなし。知りたくないよ。
「まあ……正解だよ、イブ。臆病な人が、最終的には生き残ったの」
「なんで」
「戦わずに、隠れてたからだよ。好戦的ですぐに戦う人は、その分相手からも反撃を受けやすくて、傷付きやすい。直接的に言えば、死にやすい。反対に臆病な人は戦わずに、例えば洞窟の中だったりに隠れて、逃げて、怯えて一生を過ごした。悪いふうに言ってるけど、つまりは生き残りやすいんだよ」
便宜上こう断言してるけど、実際にはどちらが生き残りやすいなんてことはなく、偶然の積み重ねで臆病な遺伝子の強い種が生き延びたというのが最も理にかなっているだろうと、トキは言ってた。私はそこら辺詳しくないから、ふうんと生返事をするくらいしかすることがなかったけど。
「イブもそう思わない?」
「……そう、かもしれない」
「で、後は簡単。戦いの中を生き抜いた少数の好戦的な人達と、一生を怯えて過ごした臆病な大勢の人達。この集団がそれぞれ子孫を残したんだから、全体で見たら臆病な人の血が濃いに決まってるよね、ってこと。それが、所謂「進化」っていうものなんだよ。最初は好戦的で勇敢な人も、臆病で弱虫な人も等しく存在してた。だけど自然淘汰の中で、臆病な人達が結果的には生き残って、繁栄した。だから、その血を継いだ今の私達は臆病で、態々自分の身を守るために法律なんてものをつくって、殺人を罪とした」
どちらかというと好戦的な部類に入るだろうイブも不承不承ながら理解はしてくれてるみたいだから、トキに聞かされた結論を述べる準備を、頭の中で始める。
「じゃあ……人を殺すのは」
「うん、そうだよイブ。――突き詰めて考えると、人を殺しちゃいけない理由って、実は『ない』んだよ。たまたま生き残った臆病な人たちが、自分達のために作った殺人罪。それが今にも残ってて、生活に余裕のできた私達の中で、色々な意味づけがされていった。そうして絶対に犯すことの許されない不文律として存在し続けてる。それだけだと思うよ」
って、トキが言ってた。不満がある人は私じゃなくてトキに問い合わせ願います。当方と中史時は一切関係ございませんので。
「……どう、イブ?」
「……分からない」
イブは紅に染まった二つの大きな瞳に私を映して、どこか苛立ったような声色で問いかける。
「……ナギ。結局、なんでここにいるの」
「んー?」
私はとぼけたフリをする。今度こそ、何を考えているのか分からない蠱惑的なキャラにチャレンジ。
「人を殺すのはいけないことだと、説得すると言ったのはナギだ。なのに」
「なのに私は、その説得を半ばあきらめたような形で終わらせた」
私の当初の目的は、イブの殺人を間違っていることだと説得すること。そうして更生させること。だというのにトキの出した結論は、殺人をしちゃいけない理由なんてない、というもの。矛盾でしかない。脱線に脱線を重ねて、思えば遠くに来たものだ……なんて感慨に耽るほどの時間も経っていない。まだ私とイブは会って二度目。これから仲良くなっていこうね、イブ!
「結局なにをしたかったのか分からない。なんでここにいる。なんでここに来た。ここでナギを待っていた。無意味だった」
そう捲くし立てるイブの語気は……元が単調だから分かりづらいけど、少々荒れている。
「……」
「ナギの話を聞いて、わたしの心のなかには何かよく分からないモヤモヤが残った。これは――『嫌い』だ」
イブが、その言葉を口にする。それは、イブが人を殺める理由。両手で握り、天に掲げた大鎌――その刃を振りかざすかどうかの、判断基準。
「嫌なのは嫌い」
「だから、私を殺す」
コクリ、と頷くイブには何も変化は見られない。今までの問答の中で私に情がわいてたらいいな、なんてことを思うけど。そううまくはいかない。イブは至って冷静に、私めがけて鎌を振るう。
ソニックブームを響かせて鈍色に輝く大鎌は、またしてもあっけなく私の命を刈り取った。
その場には、今の今まで私だったものが転がり……イブはそれを、意志の薄い瞳で見つめていた。