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一話 『一度目の死』

 夏休み某日、某県の某アリーナで爆発が起きた。……なんだか某ばかりでどこか味気ないから、華を添えよう。試しに自己紹介してみると、私は長柄(ながら)(なぎ)。十七歳の女子高校生で、現在はその某爆発現場に向かってる途中。


 ……何とはなしにコンビニで買ったアイスを片手にその辺をふらついていたら、近くのアリーナで大きな爆発が起きた。確かあのアリーナは、これまた某バンドグループによるライブの真っ最中だった気がする。気がするので、私は野次馬第一号として駆けつけている次第。


 しばらく歩くと、爆発から逃げ延びた人達が憔悴した様子で建物の壁にもたれかかっているのが見つかる。何があったのか尋ねると、


「お……女の子が……」


 と肩をわなわなと震わせつつも答えてくれた。女の子? 女の子が爆発に巻き込まれた、とかかな。だとしたら大変だけど。


 瓦解していくアリーナから悲鳴を上げて逃げていく人々の流れに逆らって、私は埃の舞う暗いアリーナの前に立つ。一歩目を踏み出すと、靴がガラス片を踏んでジャリ、と音を鳴らした。特に異常は見受けられなかったので、中へ入り、瓦礫の散乱する廊下を進み、メインアリーナに移動する。


 アリーナの中には重たい静謐が沈殿していた。爆発により穴の開いた天井から差し込んだ日の光が、大気の塵を可視化させている。


「……血の匂い?」


 辺りを見回すと、客席には赤黒い鮮血をまき散らした骸が数十体ほど倒れている。事件発生が最初の爆発と同時刻だとすると、彼らが生命活動を終えてから、まだそれほど時間は経っていないだろう。


 私は彼らに()()()()を掛けつつ、中央に目をやる。ステージ上に山積した瓦礫の上に座る――彼女を、よく観察する。


 とてもローブなんて呼べないお粗末な灰色の布一枚を身に纏った彼女。この世の闇をあまねく吸い込んだような黒髪は自分の身長ほどもありそうなスーパーロングで、眠たげに瞼の落ちかけた真紅の瞳はつまらなそうに虚空を見つめている。


 事件現場の中央に、静寂を纏って居座る明らかな犯人は――十歳ほどの、小さな女の子だった。


「このB級ゾンビ映画みたいな惨状は、あなたが?」


 とりあえず声を掛けてみると、彼女は亀みたいに鈍々とした動作で頭をこちらに向けて、


「誰」


 抑揚のない無機質な声が、私を誰何する。


「私? 長柄凪だよ」


 よろしくね、と手を振るが無視された。少女はただ黙って血染めの双眸に私を映すだけ。反応薄いなぁ。


「さっきの爆発、なんだったのかな。あなた、被害者じゃないよね。加害者側、だよね?」


「そう」


 すげなく返される。


「この人達を殺したのも?」


 私に蘇生魔法をかけられ、薄い光を発している骸を指して訊ねる。


「……わたし」


 わたし、ね。


「名前は?」


「名前?」


「そそ、キミの名前だよ。知らないかな? ――日本は『言霊の幸わう国』なんだよ。言葉が意味を持って人と人を繋ぐの。私っていう存在を、長柄凪っていう名前が、言葉が、支えてるの。逆に、名前がないものはただただ無でしかありえない。私があなたの言葉を知らない限りは、少なくとも私の中では、あなたはいないのと同じなんだ。それはちょっと悲しいと思うよ」


 とかなんとか、適当にしゃべってみる。私にしては、かなり本心。


「……ナギ」


 舌足らずな声色で、私を呼んでくれる。


「うん。それが私の名前。あなたは?」


「……アベンエズラ・バシリス」


 ポツリと呟いた固有名詞は、外国名。えーっと……


「アベンエズラ……愛称で、イブって呼んでいい? ハーフ?」


 確認すると、前者の質問にはコクリ、と頷いてくれた。……後者の質問には、イブは首を傾げて、


「分からない」


「……分からない? 複雑な家庭環境、とか?」


「分からない。……わたしは、こことは違う世界から来た」


 違う世界? ……異世界転移、ってやつかな。なんだか最近流行ってるみたいだし、ありえないこともないのかな。どちらにせよ、私にはあんまり関係ないかもしれない。イブがどんな過去を持ってて、どんな世界で生まれたのかについては、私の与り知らぬところ。私がここに来たのは、たぶんもっと別の目的のため。


「じゃあイブ。このアリーナを爆発させて、みんなを殺したのは、イブ?」


「わたし」


 間髪入れず、ノータイムで答えるイブ。まるで後ろめたい気持ちなんか微塵もないみたい。……みたい、だといいけど。

「なんでそんなことしたのかな」


 そうイブに詰問する今の私は、さながら刑事ドラマの敏腕刑事のよう。なおも無表情を崩さないイブだけど、内心は私から滲み出る刑事の風格にたじたじとなっていることだろう。……なってるよね?


「うるさかった」


 うるさい? ……そっか。ここではさっきまで、ライブが行われていた。そりゃ歌声や歓声で、アリーナ内は大盛り上がりだったことだろう。


「うるさいのは嫌」


「……だから、殺したの?」


 イブはまたしてもコクリ、と頷く。うーん……イブ? と私がなんだか不気味な違和感に憑りつかれているのをよそに、イブは瓦礫の山から下りて、私の元まで歩いてくる。近くで見ると、とても綺麗な子だ。


「こんにちはー、イブ」


「ナギ」


 めげずにもう一度手を振ってみると、今度は……片手だけだけど、ひかえめに手を振り返してくれた。やったね。


 そしてイブが、もう片方の手を空に伸ばすと……虚空から、二メートルはある大鎌が現れた。


「おー、かっこいいねー」


「……?」


 大鎌を前にしても特に怯えることのない私を見て、イブが首を傾げる。普通の人なら怯えて逃げ出す出来事だろうから、その予想と食い違って不思議がってるのかな。小動物みたいで、なんだかかわいい。


「その鎌で、みんな殺したの? 屋根の穴も、これで?」


「うん。――嫌なのは嫌い。嫌な人に会った時、私はそれに対してこの鎌を振ることにしている。そうすればその人は死ぬ。嫌なことをしなくなる」


 何かを諳んじるように、滔々と語るイブ。おそらく、これはアベンエズラという女の子の行動原理だ。常にこの判断基準に従って、イブはその鎌で人の命を奪うんだろう。


「えっとー……嫌なことをされるのが嫌。それをやめさせるための手段が『殺人』ってこと?」


「うん」


 まったく純粋な瞳で、イブは首肯する。そこに罪の意識は見受けられない。他人の気持ちというものを鑑みない心。自分以外の命というものを軽んじる思考。


 ――なるほど。さっきからなんだか、楽しくおしゃべりしているようでどこかちぐはぐな感じを覚えてたけど。今ので全部得心がいったよ。


 ……イブには、およそ倫理観・道徳心と呼べるものがぽっかりと欠如している。アベンエズラを構成する要素の中から、それだけがすっかり抜け落ちてしまっている。殺人という、人類の常識で考えれば重大な罪を犯しているにもかかわらずイブがこんなにも平然としているのは、「殺人に対する抵抗感」という、現生人類ならだれもが持っているだろう感性をどこかで育み忘れたから、なのかも。そんな予想を立ててみる。


 なんとなく、私がここで果たすべき役割が分かってきたかもしれない。

 説得を試みよう。


「それは、ダメだよー」


「ダメ?」


「うん、殺人は、ダメ。今回はたまたま私がいたから助かったけど、普通なら、死んだ人は生き返らないんだよ?」


「だから、ダメ?」


「そう。さっきまで笑って、泣いて……自分と同じように生きていた人がいなくなるって、なんだか寂しいでしょ」


 まずは曖昧な言葉で道徳心を説いてみるけど、たぶん……


「……分からない。なんでダメ」


 やっぱり、イブはそれを理解できない。イブにとっての「世界」というのは、自己の中で完結してしまうものだから。そこに他人の意思というものは存在しない。ただ自分の安寧と幸福を求めて鎌を振るい続けるだけ。イブが生まれた世界に倫理観というものが存在しなかったのか、異世界でもイブは特別なのか、私には分からないけど……


「んー、犯罪だから?」


 次に、立法の立場から諭してみる。


「犯罪?」


「そういう法律、だから。人間は昔から殺人を罪だと考えてきたんだよ。『旧約聖書』のモーセの十戒にもそうあるし、日本だと『隋書』って中国の歴史書の中に、殺人を罪とする文言があるんだよ。それくらい古くから、人の命を奪うのはいけないことだっていう風に言われてきたの。あ、法律っていうのは、人と人の間で、お互いに守ろう、って決めたルールのことね。その方が、お互いに得をするから」


 それっぽいことを言う。一応、理屈は通ってるはずだけど。


「よく分からない」


 ……まあ、そうだよね。倫理観や道徳心の分からない人に、法律は意味をなさない。ましてや、異世界人らしいイブだ。もしかしたらその世界では人の命がチリ紙のようにおざなりに扱われていたのかもしれない。イブの世界には殺人罪という罪がないのかもしれない。だとしたら、イブの殺人を不識として赦すことも、できるかもしれない。知らないけど。……あと、イブはこの世界のこと知らないから、日本とか中国とか言われてもチンプンカンプンだろう、と今になって気づく。


「法律、犯罪……そんなものは見たことがない」


「存在はしないね、確かに」


 罪というのは、人間の意識が後になってから作り出したものだ。自然界に存在する形而下の物ではない。人と人の間でだけ「そうである」と定義づけられた概念でしかない。……そういう概念は、人間が一つの共同体の中で等しく利益を得るためにつくられていったものだ。一人では弱い人間が、群れることで強さを手に入れた。そうして共同体がつくられていった。法律とは、その共同体に属する個々人が少しずつ損を被る代わりに、全体が得をするためにできている概念。そうであるためのルール。それが法律の原始的な在り方だ。


 ……そして、イブは他人のことを顧みない。その鈍色に輝く大鎌に象徴されるように、一人でも生きていける強さを持った、自分本位の獣。


「……っ」


 そこまで考えて、思い至る。


 ――今の私には、イブを説得することができそうにない。


「でも、やっぱりダメだよ」


 それでも私は、言葉を紡ぐ。法治国家に生まれた、倫理観を持つ一人の人間として。


「……」


「なんとなく……殺人はいけないことだって、教わってきたから」


「……」


「自分が殺されたら嫌でしょ? だから、人にされて嫌なことを、自分がするのは……」


「うるさい」


 しばらく黙っていたイブが、口を開く。


「うるさいのは嫌」


 そう言って、その矮躯に似つかわしくない巨大な鎌を振りかぶる。命を刈り取る形をしていたりしていなかったりするそれは、獲物を見つけた蛇のように私を睨みつけている。


「嫌なことをする人は、殺す」


「あ、もう少し待ってよ、イブ。あとちょっと考えれば、それっぽい説得ができそうな気が……」


「ばいばい、ナギ」


 思い留まらせようとする私の言葉には耳を貸そうともせず、イブは手慣れた動作で鎌を振るう。大鎌は玲瓏な光の弧を描いて、私の身体を真っ二つに切り裂いた。


 長柄凪は死んだ。



   ☽



「本当に殺すなんて……躊躇ないなぁ」


 自室のベッドの上で生き返った私は、天井の染みを眺めながらイブのことを考えていた。

 それまで楽しく話していた私に対して、イブは逡巡するようなこともなく鎌を振り下ろしてきた。不死の能力的なモノを持つ私だから助かったものの、普通の人なら冗談ではなく死んでいた。……あのイブがもしアリーナから移動して街になんか出たら、大量の死者が出ること必至。それだけは止めなきゃ。


 だから次にすることは決まっている。


「さて……と」


 小さく嘆息した私は、ベッドから起き上がり、制服に着替える。目覚まし時計を一瞥すると、時刻は朝の七時を回っていた。イブに殺されたのは昨日の昼の十四時頃だったから、たぶん私はベッドの上で生き返って、そのまま二度寝しちゃったんだね。よく覚えてないけど。


 で、そもそもなんで夏休みなのにハンガーに掛かった制服なんかに手をのばさないといけないのかというと……まあ、夏休みに学校へ行く理由なんて二つくらいしか思いつかないかな。部活おあ夏期講習で、文化部で活動の少ない私は後者。


 憂鬱と言うとどこか大げさに聞こえるから、こんな感じのボヤキに留める。


「メランコリー、だね」

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