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「ユウ~。おろしうどんの大葉天乗せで。生姜とネギをたっぷり入れてね」
カウンターの椅子にひょいっと座った男の子は、見た目を裏切る渋いうどんを注文した。まぁこれも、いつものことだ。男の子の身長は頭がカウンターに届くくらいで、五歳児くらい。ちょっと耳がとがっているけど、可愛い子どもに見える。だけどこれで五十って言うんだから、魔族の見た目は意味がわからないんだよな。俺はこいつを心の中で合法ショタと呼んでいる。前世の姉ちゃんがショタコンで、きっとこいつを見たら鼻血を吹きだすだろう。
しかもどういう体のつくりをしているのか、たまに犬耳を生やしてやってくる。「万族の祖だから、何にでもなれる」って言ってたけど、理解できなかった。合法ショタにケモミミが追加され、シエルはその可愛さに悶えていた。反応が薄い本を読んでいる姉と一緒だった……。まぁ、それは置いておこう。
「ユウ~。いい加減僕の国へ来てよぉ。毎日ここまで来るの面倒なんだけど」
カウンターに両肘をつき、その上に顎を乗せて足をぶらぶらさせている。子供っぽいしぐさに、可愛いもの好きのシエルが目を奪われていた。だけどこの子どもは、普通の子どもじゃない。普通の子どもは隣の国から転移魔法でうどんを食べに来たりしない。
「魔法で一瞬じゃないか。それに俺はここの国が気にいってんの」
「ちぇ……」
俺は子どもの相手をしつつ、天ぷらを揚げていく。じゅわっと油が弾く音が耳に心地いい。
「ユウとうどんがなかったら、こんな国さっさと攻め込むのに」
「なんか言ったか?」
「な~んも」
そして合法ショタにうどんを出せば、ちょうど昼時でどんどん客が入って来た。一気に店内が賑やかになり、シエルが忙しく注文を取っている。今日は暖かいからか、冷やしの注文が多かった。
「ユウ、お持ち帰り用の麺と天ぷらをお願い」
「あいよ。いつものだな」
この子どもはいつも麺を二玉と天ぷらをテイクアウトする。最初に頼まれた時に「麺をゆでる大きな鍋はあるのか」って訊いたら、「厨房があるから問題ない」って返ってきた。専属のシェフがいるらしい。けっこうお坊ちゃんみたいで、俺はそれ以上深く聞くのをやめた。なぜかこの店にはさっきのエルフやこの子どもみたいに、身分の高そうなやつがふらっとやって来るんだよな。
「じゃ、ユウ。また明日~」
「おう。しっかり勉強しろよ」
そこから厨房は戦場となる。注文のミスがないように、最高の状態でうどんが出せるように手際よく調理していく。一口食べたお客さんが「おいしい」って漏らすのを聞くと、ガッツポーズをしたくなるくらい嬉しい。そしてあっと言う間に時間は過ぎ、昼休憩のため店を閉めてシエルの賄を作る。「おいしいです~。一生食べたい」ってきれいに食べてくれるから、作り甲斐があるってもんだ。
夕方からは酒も少し出す。うどんと天ぷらに合うのはやっぱり日本酒なので、米を仕入れて作ってもらったんだ。好き嫌いが分かれる酒だけど、珍しいって気に入ってくれる客もいるのでありがたい話だ。
そうして一日が過ぎていく。この繰り返しが俺の日常で、日々新しい客との出会いや、うどんに関する発見がある。
だがそんなある日、俺の下に一通の書状が届いた。開けてみるとびっくり。お城からで、王様がうどんを食べに行きたいと言っているらしい。
(まじか……王様がこれ、食べるの?)
もちろん胸を張って誰にでもだせるうどんの質だし、ありがたい話なんだけど……。
(俺、作法とか苦手なんだよなぁ)
一応商人の息子なので、小さい時から礼儀作法は厳しくしつけられた。王都の小さな商会だけど城に行くことも何度かあるから、王族に対する作法も身に着けさせられている。すっごく面倒くさいので、できるならお目にかかりたくない。
(それに、ショートパスタで育ってきた人にとっては、最初はおいしいと感じにくいしなぁ)
今でこそ軌道に乗って来て、常連客もいてくれるが最初は見向きもされなかった。それにすするのが難しいので、最初は食べ慣れてもらうところから始めないといけなかったんだ。
それを思い出すと気が重くなるが、定休日に王様をお迎えすることになった。
「へぇ、変わった店のデザインだね」
「陛下、なかなかいい香りがしておりますよ」
「国王陛下、宰相閣下、ようこそお越しくださいました」
俺は礼を取り、二人を迎えた。なんと国王だけかと思っていたら、宰相までやって来た。あとは護衛が三人いるが、店の中には入らずに外で警備をしている。シエルは休みの日なので、俺一人で対応をしていた。それに、王族が来ると聞いて恐縮していたしな。
「陛下、こちらからメニューを選んでください。おすすめは、肉うどんと天ぷらざるうどんです」
俺はサラリーマン時代の営業スマイルを久しぶりに引っ張り出して接客をする。初めて王様ってのを見たけど、案外普通のぽやっとした小太りのおっさんだ。服もそれほどごてごてしていないし、着心地のよさそうな生地を使っていた。ただ、シエルによるとこの王様はほとんど政治をしないらしく、実質この国を仕切っているのは向かいに座っている宰相らしい。
その宰相は丸縁の眼鏡をかけ、神経質そうな顔をしている。入った時からきょろきょろと落ち着きがないし、こちらの様子をちらちらと伺っていた。
(こんなのが国のトップなのかぁ)
口に出せば不敬罪だが、心の中は自由。
「余は天ぷらざるうどんにする」
「では、私は肉うどんを」
「かしこまりました」
俺は注文を聞いて、麺を湯がき、天ぷらをあげる。肉うどんは上質な牛肉と脂を使っていて、肉の旨味がこれでもかってぐらい出ている逸品だ。俺がカウンターの向こうで調理していると、二人の話し声が聞こえてきた。
「陛下、食べたらすぐに城に戻りますよ。決裁をしなければいけない書類があるんですから」
「え~。やだよ。今日はこの辺りでぶらぶらするって決めたんだ」
「何言ってるんですか! 国防を整えないと、魔王に攻め込まれますよ!」
そこそこ重要そうな話だけど、聞いていていいのかって思いつつ、俺は気配を消して調理をする。しっかり聞き耳は立てているけどな。商売柄、情報ってのは何より大切だ。
「魔王って、最近即位したんだろ? まだ子どもだって聞いたし、平気だって」
「馬鹿ですか!? 今回の魔王は歴代でも最強ですよ? 始祖が復活したんですから!」
宰相はぴりぴりとしていて、小言を言っているが王様はどこ吹く風。
「じゃぁ、宰相がやればいいじゃん。余は働きたくない」
「それが出来れば苦労しませんよ! 王を廃すのは簡単でも、その隙に魔王に攻め込まれるかもしれないじゃないですか」
「え、今簡単って言った? ねぇ」
まるでコントのようで、俺は二人に背を向けながら吹き出しそうになるのを慌てて堪えた。下唇を噛んで、笑いだすのを我慢する。
(ひっでぇ。ニート国王に、ビビりの宰相か。この国大丈夫なのかよ)
この国の隣に、魔王が治める国がある。何度か戦争もしていて、勇者伝説が残っている。こういうところはファンタジーだと思う。
(そういや、前世の弟もニートだったな……俺が死んでから、仕事してんのか?)
前世のことを思い出して、少しいらっとした。王様が弟に重なって見えてくる。あの丸い体型もそっくりだ。
「お待たせしました」
俺は二人に天ざると肉うどんを出す。一応二人のためにフォークも用意していたけど、お箸を使うようだ。王様は海老天にお箸をフォークのように刺し、一口食べた。
「おぉ! 外はさくっと、中はぷりぷりだ。海老は固いものと思っていたが、これは、素晴らしい!」
「この肉うどんの出汁も、肉の強い旨味が感じられますが、かすかに魚介も混ざっております。なにより、肉がおいしい」
「恐縮でございます」
さすが、日ごろからおいしいものを食べているだけあって、舌が肥えている。そしていよいよ麺だ。俺は二人に箸の使い方を教えるけど、最初はなかなか掴めない。だから俺は、最初のお客さんにはたいてい魔法で補助している。そっと気づかれないぐらいの微量の魔力で、うどんを浮かせるんだ。掴めているような気がするってのが大事だ。
ちゅるちゅるとすする二人。大の大人がゆっくり吸っていると、なんだかかわいい。いや、可愛くはないな。だっておっさんだし。
二人は不思議そうな顔で、味を探るように噛んでいる。徐々に驚いた顔になっていき、もう一口と麺を箸でつまむ。
「なんとも不思議な食感だ。やわらかいのに固い。芯があるような感じだ。これはくせになる! しかもつけるつゆがうまい。このままでも飲める」
「本当に、長いパスタかと思っていましたが、全く違うのですね。深い味わいです。肉とうどん、そしてつゆが格別です……これは毎日食べたいレベルです!」
「お、宰相。余も同じことを思った」
二人はしばらく見つめ合っていて、ちょっと気持ち悪い。それになんか嫌な予感がする。
「……宰相、お前は仕事があるだろ。余が全メニューを制覇しておこう」
「何言ってんですか! 私が忙しいのはあなたが仕事をしないからでしょ! 働かざるもの食うべからず! そんな資格はございません!」
俺はカウンターの向こうで二人のやり合いを聞きながら、後片付けをする。いや、本当は側について色々説明とかしないといけないんだろうけど、あの二人の間に入るのは嫌だった。これがシエルだったら、敬って甲斐甲斐しくサービスをしに行くんだろうけど、俺は日本人感覚が抜けないからいまいち王族というのがピンとこない。
(会社の社長……は、やっぱ違うしな)
そんなことを考えながら手を動かしていたら、王様が「おい」と声をかけてきた。俺は気持ちを切りかえて営業スマイルでカウンターの向こうから出る。二人はきれいにうどんを平らげていた。
「光栄に思え。ここを余の御用達の店にしてやろう。これから閉店間際に来るから、余の席を用意してくれ」
「ずるいですよ陛下! 私だって毎日行きたい! 壁に晩酌セットなんてものもありますし、ここで陛下への鬱憤を晴らしたい!」
「あぁ? 余への鬱憤?」
「ひぃぃぃ、ごめんなさい!」
コントをする二人に、元営業マンの俺のスマイルもひきつる。
「それはなんともめ……ありがたいことでございます。では、奥の個室を空けておきますね」
この店の奥は座敷になっていて、宴会ができるスペースになっている。けど、俺の店はうどん屋で大衆酒場に比べれば酒も料理も少し高い。だから、冒険者が集まって宴会をすることはほとんどなかった。奥の座敷は客がいっぱいになった時や子どもづれのための場所になっている。
「うむ。楽しみにしておるぞ」
「陛下、私も行きますからね。陛下が城におられない間に、万が一何かあっては困りますし、最近魔王が王都に出没しているとも聞きますし」
「宰相……ビビりだなぁ。気にすることないって」
そんな軽いやりとりをしながら、二人は席を立つ。勘定は最初に護衛の人が払ってくれていた。ちょっと多かったけど、たぶん迷惑料が含まれているんだろう。
「ありがとうございました」
俺は最後くらいはとちゃんと礼を取り、しっかり三秒頭を下げた。バタンとドアが閉まる。
(もう来ないでほしい)
俺は頭を上げると深々と溜息をついた。なんか一週間分くらい疲れた気がする。だけど、俺の願いは虚しく、その日から毎晩王様と宰相が交代でやってくるようになった。