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「おう、いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ~」
今日もうどん屋、「和楽」の一日が始まる。開店早々常連客が入って来て、店の奥にあるテーブル席に座った。注文を取りに行った看板娘を見ながら俺は麺をゆがく準備をする。額にはヘアバンド、首にタオルを巻いて、和楽の文字が入った前掛け。これが俺のスタイルだ。
「ユウさん! かけ天ぷらうどんです!」
「あい!」
看板娘のシエルは三角巾から猫耳を動かし、注文を伝えてくれた。茶色い髪に茶色い猫耳、目は金色でくりくりしている。獣人族の女の子で、店先で行き倒れていたのを拾ったんだけど、うどんに惚れてしまいそのまま店で働くことになった。なかなか器量がいいので、それまで一人で店を切り盛りしていた俺は大助かりだ。
シエルからの注文を受け、俺は朝から手打ちした麺をゆがく。麺は気温や湿度に合わせて、水分量を調整し、寝かせたら丹念に足で踏んでいる。魔法があるから楽にできるんだけど、俺は手打ちに拘っている。それがコシの出る麺の秘訣だ。沸騰するお湯の熱さを感じ、鼻の頭の汗を首にかけたタオルで拭う。ぼこぼこと泡が出ているから、麺がほぐされ中で踊っていた。釜から包丁、器に至るまで全て特注品で俺のこだわりが詰まってる。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ~」
ぼちぼちお客が来て、席が埋まっていった。剣を腰に差した兵士に、大剣を担いだ冒険者、犬耳の少女に小人族もいる。俺が前に生きていた日本では考えられない状況で、そんな奴らがうどんをすすっているのがまた不思議だ。
(やっと、ここまでって感じだよなぁ)
俺はいわゆる転生者ってやつで、前世もうどん屋を開いていた。三十で脱サラし、うどんの聖地の一つ香川で修行して自分の店を持った。わりと繁盛してたんだけど、隣の中華屋から火が出て俺は巻き込まれて死亡。目覚めたら、このゲームっぽいヨーロッパ的な世界で赤ん坊になっていたわけだ。
そしてまともなご飯が食べられるまで成長した俺は絶望した。この世界にはうどんが無かった。というか、すすって食べる長い麺が無かった。小麦が主食だからパスタはあっても、全部フォークで食べるタイプ……。信じられなかった。うどんが無い人生なんて、死んだも同じ。俺のうどん魂は乾きに乾き、一からうどんを作り出したんだ。
(そう思うと、商家に生まれてよかったな)
ちょうど父親が小麦を扱っていたから、うどんに最適な小麦を仕入れて、ひき方にこだわり、港町まで塩と出汁に使う魚や海藻を買い付けに行った。家族は変人でも見るような目つきで俺を見ていたけど、完成したうどんを食べたら皆黙った。うどんの勝利だ。うまいものは、誰が食べてもうまい。
そこからは家族も後押しをしてくれて、本格的に店を出すことになった。最初は全然すすれなかったり、フォークで刺して食べたりするやつもいたけど、今はずいぶんうどん屋らしい光景になった。作ってもらった木の箸は、今まで捨てていた木材の切れ端を利用できると一般にも広まっているらしい。
そんなこんなで俺はこの国にうどん革命を起こし、うどんに満たされた生活を送っているのだ。
「今日も大忙しですね~」
注文を聞き終えたシエルはにこにこ顔で、書いた紙をカウンターの上にある紐にぶら下げていった。
「これもシエルが頑張ってくれているおかげだな」
「そんな~。ユウさんのうどんがおいしいからですよ! 今日のまかないは何です? 早く食べたくてしかたがありません!」
頭の上の耳がぴこぴこ、尻尾もゆらゆら。本当に楽しみにしてくれているようで、こっちも嬉しくなる。
「そうだな~。とり天うどんかな」
「やった~!」
「ほら、これあっちのバ……エルフの兄ちゃんにお願い」
俺は出来立てのかけ天ぷらうどんが乗った木の盆を、カウンターの上にある渡し口に置く。席では一番乗りで来たエルフがメニューを熟読しながら待っていた。二十代くらいに見えるイケメンだけど、二百年は生きているらしい。あのエルフは毎日開店と同時にくる常連さんで、いつも違うメニューを頼んでいた。そしてその食べ方がなかなか独特で……。
「おまたせしました~」
「うむ」
エルフは長い髪を後ろでまとめ、臨戦態勢を整える。俺は他のお客の麺と追加されるおかわりの麺を湯がきながら、彼が箸でどさっと麺をすくい上げたのを見ていた。
(来るぞ~)
そこからズゾゾゾっと一気に吸い上げられる麺。すぐに次の麺を箸で持ち上げ吸い取っていく。もう、すするじゃなくて吸い取るっていう方が合ってる気がするし、俺はあいつのことを心の中でバキュームエルフって呼んでる。
(すっげぇ勢いで怒鳴り込んできたのに、今じゃ常連だからなぁ)
俺はその食いっぷりに満足し、出会った時からの変わりように苦笑する。あいつは俺が店を出した数日後に怒鳴り込んできたんだ。その時浴びせられた言葉は忘れられない。「長い麺とはどういうことだ! 長い麺を食すことで長耳族であるエルフを愚弄するのかぁ!」って、ものすごいクレームをつけてきた。
日本でも何回か意味の分からないクレームをもらって来たけど、余裕でそれを越した。まだシエルもいなかったし、開店しても人は来ないしでストレスがたまっていた俺はキレ返し、「文句があるなら食ってから言えや!」って無理矢理ざるうどんを食わせたんだよな。
「長いものを食すなど、先祖に申し開きができない」だとか抵抗してきたから、魔法で麺を一本浮かせて絶妙な塩梅でつゆにつけ、口の中に入れ込んだ。その瞬間、エルフは目を見開いて絶叫した。「うまい!」って。俺はそりゃガッツポーズだわ。そして、次の日また来てうどんを頼んだのには笑った。今や全メニューを制覇している猛者だ。
「シエル、次のお願い」
「はーい」
俺はエルフとの出会いを懐かしみつつ、注文があった月見うどんとかき上げうどんを盆に置いた。同時にバキュームエルフの声が飛ぶ。
「ユウ! おかわり!」
「あいよ」
俺はちょうどゆであがった少し柔らかめの麺を水切りし、もう一枚出してやる。味を濃くするつゆも付けてだ。あのエルフはよく噛まない上に、普段固いものを食べないから少し麺は柔らかめにしてある。もっとゆっくり食べろと何度か言ったけど、あの食べ方が一番うまいらしい。うん、意味がわからん。というか、うどんはわんこそばじゃない。
「ユウ! 今日の麺も小麦の味がしっかり感じられて美味だ。誉めてやろう!」
「あー、どうも」
麺はショートパスタしか認めないって言ってた奴の口から、そんな言葉が出ると嬉しいというか、呆れるというか。まぁ、いい客なんだけど。
「ユウ、この間里へ戻った時に、このうどん屋のことを広めておいたぞ。長い麺を食するなどエルフの恥だと言っていたが、好奇心旺盛な奴らのことだ。きっとここに来るぞ」
おかわりのうどんもバキューム食いをして腹に収めたエルフは、お茶を飲みながら笑っていた。特大のブーメランになっていることには気づいてないみたいだ。バキュームエルフはエルフの中でもそこそこ高い地位にいるらしく、服も白いシルクで贅沢な感じがする。あの食べ方をして、つゆが一滴も飛んでいないことに俺は少し尊敬している……。
「おう、ありがとな!」
まぁ、そんなことはどうでもいい。お客が増えるなら嬉しいからな。そしてエルフは勘定を済ませて出ていき、入れ替わるようにちびっ子がやってきた。俺の店は子どもも大歓迎だから、お子様セットも置いてある。ただこの子ども、普通じゃないんだよな……。