第一話 第二次紡錘形作戦
戦後、YS-11の開発では戦時中に名機を設計した各社の綺羅星の様な設計者たちが集められました。
その中には当然ながら零戦を設計した堀越二郎も含まれていました。彼はYS-11にかける想いを熱く語ります。(嘘)
■1957年(昭和32年)5月 都内ホテル 立食会場
「それでは宴もたけなわとなった所で、ご来賓の方々のご挨拶を賜りたいと思います」
立食パーティーの和気あいあいとした雰囲気の中、袖に立つ司会者が切り出した。会場では楽し気なざわめきが途切れることなく続いている。
この日、財閥系企業が好んで利用する都内の老舗ホテルでは、本日正式に発足した『輸送機設計研究会』の懇親会が開かれていた。この研究会は後に国産旅客機YS-11を生み出すことになる『日本航空機製造株式会社』の母体となった会である。
会には計画を主導する通産省をはじめ多数の政府関係者、関連企業の重役、そして実際の設計に携わる技術者たちが名を連ねていた。
そして役人や重役らに続き、挨拶の順番は著名な技術者たちに移っていた。
「……では続きまして、新三菱重工業株式会社、堀越二郎氏のお言葉を頂きたいと思います。著名な氏についてのご紹介は不要でしょう。それでは堀越様、お願い致します」
司会者に促されて中年の男性が壇上にあがった。
大きな黒縁の丸眼鏡に天井の照明が怪しく反射する。秀でた額がその知性を強く主張している。
堀越はマイクの前に立つと、黙ってゆっくりと会場を見渡した。
その異様な雰囲気に、これまで誰の挨拶でも絶える事の無かった会場のざわめきが次第に小さくなっていく。
会場が静まり返り皆の注目が自分に集まった事を確認すると、堀越は静かに語り始めた。
「諸君、私は紡錘形が好きだ」
「諸君、私は紡錘形が好きだ」
「諸君、私は紡錘形が大好きだ」
「……おいおい、紡錘形理論はとっくに否定されたんじゃなかったのか?」
飛燕を設計した土井武夫が隣にいた本庄季郎に小声で尋ねた。
「あぁ、その通りだ。あのバカ……紡錘形理論は先の大戦で確実に死んだはずだ」
堀越の同僚である本庄が苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。そんな会場の様子を気にすることも無く堀越の「演説」は続いていた。
「戦闘機が好きだ」
「攻撃機が好きだ」
「雷撃機が好きだ」
「層流翼が好きだ」
「境界層が好きだ」
「収縮流が好きだ」
「乱流が好きだ」
「抵抗が好きだ」
「圧縮が好きだ」
「高空で、低空で」
「南方で、北方で」
「晴天で、荒天で」
「強風で、無風で」
「極寒で、灼熱で」
「この空に存在する、ありとあらゆる紡錘形の飛行機が大好きだ」
「ずらりと並んだ枕頭鋲で均された機体表面を滑らかに自然層流が吹き抜けていくのが好きだ」
「空中高く上がろうとした層流がカルマン渦で機体に押さえつけられた時など心がおどる」
「シンプルで美しいラインで機体抵抗を減らすのが好きだ」
「翼胴体干渉抵抗に悲鳴を上げて中翼にしたのに、大きなフィレットで台無しになるのを見た時など胸がすくような気持ちだった」
紫電の事を揶揄されたと気づいた旧川西航空機関係者の怒気が一瞬で膨らむ。堀越はそれをそよ風の様に受けながすと、満足そうに口角をあげ演説を続けた。
「足りない発動機出力を軽量化で取り繕い無茶な要求仕様を蹂躙するのが好きだ」
「徴発された学徒工員がリブの軽目穴を何度も何度も修正している様など感動すら覚える」
「シリンダーの一つ一つに推力式単排気管を吊るし上げていく様などはもうたまらない」
「泣き叫ぶ排気管達が涙ばかりの推力と共にバリバリと金切り声をあげるのも最高だ」
「哀れな気流が翼端から失速させようと健気にも立ち上がってきたのを 」
「ねじり下げられた翼が木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 」
「粗い仕上げで機体表面が滅茶苦茶になるのが好きだ」
「張り付くはずだった層流が犯され、機体抵抗が増していく様はとてもとても悲しいものだ」
「遷音速で空気が押し潰されて機体抵抗が殲滅されるのが好きだ」
「プロペラ収束流で機体抵抗が地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 」
「諸君 私は紡錘形を 地獄の様な紡錘形を望んでいる」
「諸君 私に付き従う技術者戦友諸君」
「君達は一体 何を望んでいる?」
「更なる紡錘形を望むか?」
「情け容赦のない 糞の様な紡錘形を望むか?」
「鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な紡錘形を望むか?」
ざわ……ざわ……
困惑した出席者たちのどよめきが会場に満ちる。
それをかき分ける様にして本庄は演壇に向かっていった。
「よろしい、ならば紡錘形だ」
「我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ。だがこの暗い敗戦で十数年もの間 堪え続けてきた我々に、ただの紡錘形ではもはや足りない!!」
「大紡錘形を!!一心不乱の大紡錘形を……おろっ?」
「はいはーい、続きは向こうで聞いてやるから。皆さんお騒がせしましたーどうぞ歓談をお続けくださいー」
本庄は堀越の後ろから両肩をつかむと、有無を言わさず舞台袖に押していく。
「ちょ、ちょっと待て本庄!まだ僕の話は終わっていな……」
「だから後で俺が聞いてやるって言ってるだろ!いいから来い!」
「もう輸送機の設計なんかしないもん」
「おーそれがいい。ぜひそうしてくれ。後は俺がなんとかしておく」
後日、臍をまげた堀越は新型輸送機の設計から手を引くことを明言し、基本設計案は本庄が中心となって纏められたという。
ちなみに堀越の基本設計案はクジラのように胴体の膨らんだデザインだった。
確かに機内容積だけは稼げるが、当時の日本のもつ技術では目標性能達成どころか製造できる見込すら無かった。そもそも数十席程度の旅客機にそんな機内容積なぞ不要である。
後にB377グッピーやB747-LCFドリームリフターは堀越の素案に着想を得て作られたという都市伝説が流布したが……
「「「んな訳ねーだろ!」」」
ボーイングの技術者達ににべもなく否定されたという。
堀越氏は小男でもないし太ってもいません。念のため。
正月に久しぶりにヘルシングを読みたくなって、酒を飲みながら全巻を通しで読んだら変な電波を受信してしまいました……ごめんなさい。
皆さんも飲み過ぎには注意しましょう。